34 ぶりっ子モード

 叶歩がメッセージアプリを通じて陽菜乃に命令した『人格』。

 昨日それを読んだ時、陽菜乃の顔は青ざめた。


「な、なんだこれ……」


 陽菜乃としては、もう少し容赦のあるものが送られてくると思っていたのだが、実際にはとても熱い文章が送られてきたのだから、陽菜乃は面食らっていた。

 それに……そこに書いてある内容は、なんというかとても恥ずかしいもので、陽菜乃は思わず「これやるのか……」と無意識に呟いてしまっていた。


 陽菜乃は叶歩から送られた怪文書を読み進めていく。


 ***

 陽菜乃ちゃんの人格設定


・陽菜乃ちゃんはぶりっ子で、常に自分のことをかわいく見せるための打算的な言動を心掛けなきゃいけない

・陽菜乃ちゃんは常にかわいい立ち振るまいや喋り方をしなきゃいけない。一人称は『ひな』で、しなをつくった仕草や声の出し方をする。

・陽菜乃ちゃんは『じぶんは世界一かわいい』と本気で信じている

・口癖は『ひなって、かわいいでしょ?』『ひな、わかんなぁ~い♡』


 ***


 それを読み終わった時、顔が真っ青になっていた。

 要するに、叶歩の前ではぶりっ子でいることを強制されるということだ。ぶりっ子とは自分をかわいく見せるような振舞いをする女の子のこと。とはいえ、元男の陽菜乃にとって、そんなキャラは恥ずかしくて仕方ない。

 陽菜乃は叶歩に遊ばれてるな、と自覚しながらも、叶歩に人格を指定させるというのは自分で決めたことなので、しぶしぶ従うことにする。


 そして昨夜、必死にしなをつくって『かわいいでしょ?』と言う練習をした。真面目で律儀な陽菜乃は、言われた通りのことはちゃんとやる人間なのだ。

 しかし自室の外に声が漏れてしまっていて、母に『ひなちゃん何してるの?』とドアを開けられてぶりっ子ポーズを見られた時は、さすがに閉口した。





 そんな風にいろいろと試練はあったが、陽菜乃はなんとか”ぶりっ子”を身に着け、そして叶歩とヒメとのお出かけ当日に至る。


「ひなって、かわいいでしょっ?」


 そう言ってほっぺたにグーをおしつける『ぶりっこポーズ』をしながら叶歩に上目遣いを送る陽菜乃は、内心燃えるように恥じらっていた。


「ふふふ……とってもかわいいよ」

「はい。なかなか良いと思うのですよ」


 叶歩は暖かい目で陽菜乃のことを見る。その隣にいるヒメは、口を抑えてくすくすと音を立てて薄笑いを浮かべている。


(そ、そんな目で見るなっ!)

 陽菜乃は心の中でそう叫ぶが、それでも“ぶりっ子”を演じ続けなければいけないのだ。


「ふ、ふたりとも、ありがとねぇーっ……」

 陽菜乃は顔から火が出そうになりながらも、『じぶんは世界一かわいいと本気で信じている』という設定に従い続ける。まだ始めてから10分程度しか経っていないのに、一生分のカロリーを使ってしまった気がする。


「それでお出かけだけどさ、まずはプリ撮りにいこうよ」

 叶歩は陽菜乃に向かって、そう囁いた。

「プリ……?な、なにそれ?」

「プリクラのことだよ!ひなのちゃん知らないの?遅れてるなぁ」

「……ぷ、ぷりくら?あ、あれだね……ゲーセンとかに置いてあるやつだね……で、でも……」


 その提案を聞いて微妙な顔をしてしまう陽菜乃にむかって、叶歩は(今のひなのちゃんはぶりっこだよ?)という視線を送りながら、囁く。


「”じぶんは世界一かわいい”って本気で信じてるひなのちゃん? プリクラはだいすきだよね?」

「そっ、そうだねっ! ひなプリクラだいすき♡」


(か、完全に遊ばれてる……)

 そう自覚して青くなりながらも、結局陽菜乃は叶歩に手首を引っ張られながら駅前のゲームセンターへと向かわされた。

 陽菜乃は時々このゲームセンターに行くが、プリクラ用コーナーのある二階には足を踏み入れたことがなかった。なにしろこのエリアは男性だけでの入場を禁止されているのだ。


「ね、ねぇ……ここ入っていいのかな?」

「今は女の子なんだから大丈夫だよ。それにヒメちゃんもいるし」

「そっ、そっか……」


 陽菜乃は演技を続けながら、周りを見渡す。拡散した電子音が入り混じる店内は女性客でにぎわっていた。どこを見渡しても女の子しかいないこの空間には『男』という概念が完全に排斥されているようにすら感じた。


 叶歩はプリクラの前に立ち止まると、百円玉を五枚いれた。女性モデルの写真がプリントされたデザインのかわいらしい筐体に囲まれた陽菜乃は、自分が元男であることを意識して、いたたまれなくなる。


 そして陽菜乃はそのまま引っ張られて、プリクラの一室に入る。女子三人が狭い空間にぎゅっと詰められ、果実のような爽やかな香りが鼻孔を突き抜ける。正面にはカメラのレンズとリングライトが配置されていて、モニターには自分たちを映したカメラ映像が流れている。


「ひなのちゃんは真ん中ね?」

「えっえっとおれっいや、ひな初めてだから、どうすればいいのかわかんないよう」

「音声にあわせてパシャってされるだけだよ!やればわかるって」


 叶歩の言った通り、すぐに音声が流れ始めた。癒されるようなミュージックに包まれながら、女性のアナウンスが流れていく。叶歩は何やらボタンを押してカメラの調整を終えると、撮影開始のボタンを押した。


『かわいいポーズをキメてね♡ さん・にー・いちっ!』

(も、もう撮るのか!?こころの準備が……)

「ひなのちゃん、手でハートつくって!」

「えっ……こう?」


 叶歩の命令に対してリアクションをとる暇もなく、言われるがままに両手でハートを作ると、横のふたりがぎゅっと近づき、カシャリとシャッター音が鳴る。


(これ、ほんとにはずかしい……)


 ただポーズを取らされるだけでなく、そうしている様子が正面のモニターにリアルタイムで映されているのだから、余計にむず痒い気持ちになってしまう。そうされている間にもアナウンスが流れ続け、また一枚また一枚と撮られていく。


「ひなのちゃん、ほっぺたに手あてて!」

「えっ……こう?」


さん・にー・いちっ……カシャッ。


「次は両手でグーして、ねこのポーズ!」

「にゃ、にゃぁーん……」


さん・にー・いちっ……カシャッ。


「さいごはみんなでハグ!」

「ひなのちゃんの体あったかいですねぇ」

「ふぇっ、ふぇえ」


さん・にー・いちっ……カシャッ。


 脳がショートしそうになりながらも、叶歩に指示されるがままに撮られてしまう。印刷された写真を見ると、なんだかとても目が大きくて自分ではないみたいだった。でも、三人で撮った”盛れた写真”はなんだかちょっとだけ可愛らしくて、世の中の女の子がこれを好きな気持ちもわかるな、と感じた。



 プリクラを撮り終わって叶歩がトイレに行っている間、陽菜乃は三人でハグした写真をどこか温かい目で見つめていた。そして気が済むまで眺めると、それを大事そうに財布のポケットにしまった。


「陽菜乃ちゃん、初めてのプリクラはどうでした?」

 ふたりきりでベンチに座っていると、ヒメが隣で話しかけてきた。

「……別にどうってことない」

「ヒメの前だと、ぶりっ子の演技はやらないんですね?」

「俺は叶歩に金をもらってるからアレをやってるだけだ。君は別に……叶歩の友達だから一緒にいるってだけだ」

「そのわりに楽しんでましたよね?」

「た、楽しんでないっ!」

「……わたしは楽しかったですよ。このプリも、ずっと取っておきます。陽菜乃ちゃんとはいい友達になれる気がするんです」

「全く、君のことがよくわからないな。俺に敵意があるんじゃないのか」

「いえいえ。叶歩ちゃんを守ってあげられるのは陽菜乃ちゃんだけだってわかってます。その面では陽菜乃ちゃんをリスペクトしてるのですよ」


 陽菜乃は頬杖をついた。そしてしばらく迷ったのちに、ヒメに向かって言葉を発した。

「君は、叶歩が好きなのか?」


 それを聞くとヒメは恥ずかしそうに頭を掻き、陽菜乃に向かって笑いかけ、そして「はい。ヒメは他の誰よりもずっと、叶歩ちゃんが好きですよ」と放った。


 それを聞いた陽菜乃が息を吐いて次の一言を発しようとした瞬間、トイレに行っていた叶歩が「ひなのちゃーん」と叫びながら戻ってくる。陽菜乃はそれに反応してハッとすると、瞬時にぶりっ子モードに戻って目をキラキラさせた。


「叶歩ちゃん、おかえりっ♡」


 そんな陽菜乃を見て、ヒメはまたくすくすと薄笑いを浮かべていた。

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