30 ヒメ

 神社のベンチに座りこんでいる叶歩の隣には、知らない少女がいた。少女は猫のように目を細めて笑いながら、叶歩の顔を覗き込んでいる。


 陽菜乃と反対側を向いている叶歩の表情は、よく見えなかった。


 陽菜乃は両足がすくむのを感じながら、その領域へとそっと近づいていく。ゆっくりと歩を進める両足は、なぜか音を立てないように進んでいた。


 陽菜乃の存在に最初に気付いたのは、叶歩のほうだった。叶歩は振り返ると、少し驚いたように目をぎょろっと開いたが、やがて冷静を装うように眉尻を下げた。そして蚊に刺された手首を気にするように撫でながら、立ち上がった。


「……僕のこと、探してくれたんだね」


 陽菜乃は口をまっすぐに結んで、視線を逸らす。


「……いや、偶然。ここ通ったら叶歩を見つけただけ」

「そう」


 なぜそんな虚言を吐いたのかは自分でもよくわからない。さっきから自分が何をしているのか、どういう目的や支柱があってここに立てているのか説明はできない。

 ただ一つ言えるのは、叶歩の隣にいる少女が何者なのか、叶歩とどういう関係性なのかを知らなければ、今日は帰れないだろう、ということ。


「叶歩ちゃん。この子はだれですか?」

 見知らぬ少女は叶歩の肩にしがみつきながら、あざとそうに身を隠すようにしている。叶歩は困ったような表情を浮かべたので、陽菜乃もその困った表情を真似した。

 少女はふたりが困った顔をしているのを見かねると、少しだけ悪びれるように苦笑いして、叶歩から離れて全身を露わにした。


「ごめんなさい。本当は知ってますよ。陽菜乃ちゃんですね。君のことは叶歩ちゃんから聞いているのです」


 肩甲骨にかかるくらいの長さまでグレーの髪をのばした少女は、白い菊の柄を取り入れた、和風だけどモダンなブラウスを着ていた。

 少女は猫のような笑顔を維持したまま舌を半分出して、お辞儀をした。叶歩はよりいっそう困った顔をしたので、陽菜乃もまたその困った表情を真似した。


 しばらく沈黙が流れてしまったので、叶歩は困った顔のまま「こら、陽菜乃ちゃんにきちんと挨拶して」と言った。

 少女はまた悪びれるように苦笑いした。


「はい、自己紹介します。ヒメの名前はヒメです。叶歩ちゃんの幼馴染で、叶歩ちゃんの為に我が身を捧ぐ人間です」


 ヒメと名乗った少女は、化け狐のような笑みをうかべて、陽菜乃を見る。

 陽菜乃は冷や汗を流す。ヒメが今さらりと言った不可解な言葉が、どこか引っ掛かったのだ。


「身を捧ぐ……どういう意味?」


「そのままの意味です。ヒメは心身ともに、叶歩ちゃんのために消費します。陽菜乃ちゃんには、叶歩ちゃんのために身を捧げる覚悟はありますか?」


 ヒメの飛躍した発言についていけず、陽菜乃は黙ってしまった。それを見たヒメはいじわるそうな顔をして陽菜乃に距離を詰める。自分よりも拳ひとつぶん高い彼女の身長に抑え込まれ、萎縮してしまう。


「ちなみに。ヒメの性別は陽菜乃ちゃんと違って、ですよ?」


 耳元で囁かれた。


 陽菜乃の心臓が、果汁を絞られるかのように収縮する。


「な、なんで、俺の性別のことを……」

「キミの性別の秘密は叶歩ちゃんから教えてもらいましたので」


 陽菜乃はドキっとして叶歩を見る。すると叶歩は何も言わずうなずいた。


「陽菜乃ちゃんは男で、叶歩ちゃんも男。それなのに陽菜乃ちゃんは……」


 ヒメがからかうような声色で喉を揺するが、そのセンテンスの結論が言われる直前で、叶歩がその背後からヒメの喉元を抑えこんだ。


「んぐっ……叶歩ちゃん、何するんですか?」

「ひなのちゃんをいじめないで」


 ヒメはため息をつく。


「わかりました。いま、ヒメはお邪魔虫みたいですね。帰ります。陽菜乃ちゃん、また会いましょうね」


 ヒメはそう言って、控えめに手を振りながら、石段を下って行った。彼女が行ってしまったのを見届けると、叶歩はため息をついて苦笑いを浮かべ、その場にぺたりと座りこむ。陽菜乃もその様子を見て、隣に腰掛けた。


「ごめんね。嫌な思いさせちゃった?」

「いや。大丈夫。ところで今の子、叶歩の幼馴染って言ってたけど……」

「べつに大した関係じゃないから安心して。ただのご近所さん」


 陽菜乃は一瞬だけその言葉に安堵したが、でもどこか引っ掛かった。あの少女は、陽菜乃たちの性別の秘密を知っていたのだ。例の性転換現象に巻き込まれてから、陽菜乃たちが元男だったということは、クラスメイト以外の全員が忘れてしまったというのに。


 ヒメはたしか、その秘密を叶歩に直接教えてもらった、と言っていた。

 叶歩の姉である美咲ですら陽菜乃たちの性別の真意については知らないのに。

 そういう意味では、叶歩にとっては美咲以上に秘密を共有しあえる関係、と考えることもできるのではないのだろうか?


 それに、叶歩側に特別な感情がないとしても、あの少女は何かしら叶歩に対して重い感情を抱いているはずだ。身を捧ぐと言っていたのがただの冗談なのか、陽菜乃を揶揄するために言ったのかはわからないが、ふたりの間にただならぬ関係があることには勘づいていた。




「えっとね。ヒメちゃんとは昔知り合ってしばらく疎遠になってたんだけど、最近はよく僕の近くに寄ってくるんだよね。だから、この夏はヒメちゃんと遊ぶことが多くなるかも」

「そ、そうか……」

 陽菜乃は視線を斜め15度下に逸らす。


「嫉妬してるよね?」

「してない!」


 叶歩はたちまち表情を変えて慌てふためく陽菜乃を見て「やっぱりその顔のほうが似合うね」と笑った。


 陽菜乃はむすっとする。


「ボクって、いろいろと陽菜乃ちゃんに心配かけてるみたいだね。ごめんね。今日も探してくれたんでしょ?」

「たまたま通りかかったって言わなかったか」

「そうだったかな~」


 叶歩はとぼけるように空を向いた。


「もしひなのちゃんがボクのことを心配してくれてるのなら、きっとボクの物語は良い方向に進んでるんだと思うよ。だから、これからも僕の思い通りに動いてね」


 叶歩はそうやってまた、わかるようなわからないようなことを言う。


「なあ叶歩、俺に何か隠してるのか?」


 陽菜乃がそう言うと、叶歩は顔を斜め20度に伏せた。


「うん。認めるよ。ボクは隠し事をしてる。でも隠し事にするぐらいだからひなのちゃんには言えることじゃなくて、でもぜんぶ気付いてくれたらたぶん嬉しくて、でも気付かれちゃいけないから、気付かれないようにしてるんだ」


 叶歩は視線を水平線へともどして目を瞑る。


「だからね、もうこれ以上は気付いちゃだめだよ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る