29 追跡

「あのね、だから尾行したほうがいいって!ぼけっとしてると叶歩ちゃんが誰かに取られちゃうかもよ」

「いやいや、そんな……詮索なんて、叶歩に悪いだろ……」


 陽菜乃の部屋にあがり込んで彼女の肩を叩き、諭そうとしているのは、夏葉だった。彼女は眉を逆ハの字に吊りあげて、説教でもするかのように『叶歩を尾行しよう』と提案してくる。


 なんでこうなっているのか。話は、その日の早朝までさかのぼる。


 ◆

 5人でのキャンプから帰宅して次の日、陽菜乃の心には、叶歩のよそよそしい態度がまち針のように残り続けていた。


「陽菜乃ちゃんのこと、好きじゃないからね」


 あの言葉はきっと嘘だ。そうだと思いたいのだが。

 でもどうしても万が一のことを考えてしまう。それに、叶歩が何の理由もなしにあんなことを言うはずがない。きっと何か、靄を抱えているはずだ。陽菜乃は叶歩の親友として、あの言葉の真意に気づいてあげなければいけない。強くそう思っていた。



『相談に乗ってくれないか?』


 陽菜乃は午前7時ごろに起きてすぐ、夏葉へ向かってそんなメッセージを送った。

 陽菜乃は叶歩が抱えている靄について、まだ何も気づいてあげられていない。そのことを悔やんでいた。陽菜乃はエスパーではないので、叶歩の思っていることなんてわからないのだ。だから、できる限り情報を集めたかった。


 午前10時半になってメッセージに既読がつき、『今起きた』と返信が来た。陽菜乃が夏休みでも中学一年生らしく健全な生活リズムを送っているのに対して、夏葉は夜更かし病を患わせてしまったらしい。


『うち来れる?』

 メッセージを返した。

『ヘアセットとメイクするから待ってて』

 返信を読んで、陽菜乃は渋い顔をした。


 それから一時間ほど経って、夏葉が家に上がり込んできた。彼女は三つ編みツインに黒キャップと、いつも通り爽やかな装備でやってきた。ナチュラルメイクが施された肌は、どこか透き通った乳白色。


「それで、相談って何?」

 夏葉は欠伸をしながら切り出す。正午にもなるのに、まだ眠いのだろうか。陽菜乃はそれに対して、最近の叶歩の様子について全て話し、最近の叶歩について「何か心当たりないか?」と聞いた。


「……そうだったんだ。そういえば、最近は商店街のあたりで叶歩ちゃんをよく見るよ。この前話しかけようとしたんだけど……私のことに気付くと、走ってどこか行っちゃった。なんか怪しいよね」

「逃げたってことか?」


 陽菜乃は内心びくりとした。叶歩は友達に対しては愛想のいい人間だから、夏葉から逃げるなんてことはまずないはずだ。まさか、その逃亡は叶歩が心の内に秘めている『秘密』に繋がるのではないだろうか。


「……確かに、気になるな」

 陽菜乃がそう言うと、夏葉は腰に手を当て、高らかに宣言した。


「よし決まり!叶歩ちゃんを尾行しよう!」


 この話は冒頭へと戻る。


「えっと、尾行って……叶歩にもきっと事情があるから……プライベートを漁るなんて、やめたほうがいいんじゃ」

「もう、陽菜乃ちゃんってば何も分かってないね。そうやって受け身になってばっかりだから、叶歩ちゃんとの関係が進展しないのよ。それに、このままだと叶歩ちゃんが取られちゃうよ?」

 夏葉は目を半開きにして、陽菜乃のことをじろーっと見つめる。


「取られちゃう、というのは?」

 陽菜乃がそう言うと、夏葉は秘密を共有するように囁いた。


「私ね、見ちゃったんだよね。叶歩ちゃんが別の女の子と歩いてる所を。ひょっとして叶歩ちゃんはその女の子と恋愛関係を進展させたいから、陽菜乃ちゃんに距離を置いてるんじゃない?」

「え……叶歩が、他の女の子と?」


 時限爆弾のタイマーがカチカチと鳴るような焦燥感を感じた。


 もし夏葉の話が本当ならば。叶歩はその女の子との距離を近づけて……ゆくゆくはその子と、陽菜乃よりも大事な関係を築いてしまうかもしれない。


 叶歩が陽菜乃に対して、『好きでいられなくなっちゃった』と言っていたことを、ふと思い出す。


 これは単なる邪推でしかないのだが、叶歩の好きでいられなくなったというセリフは、他に心中の相手ができて、陽菜乃と恋愛関係を進展させることが不可能になってしまった、という意味ではないのか。ひょっとして、の話だが。


 陽菜乃は無意識のうちに頷いていた。そして、「叶歩を探しに行こう」と言っていた。


 もし叶歩が別の人のことを好きになってしまったら、今の陽菜乃は叶歩の想いを応援することなんてできない。それほどまでに嵌ってしまったのだ。

 叶歩が、自分以外のことを好きになってほしくない。そんな独占欲のような何かが、陽菜乃の中で渦巻き、いたたまれなくなった。





 陽菜乃と夏葉は叶歩家付近の物陰で白い日傘を差し、こそこそと隠れている。真夏の猛々しい日光に照らされ、汗がだらだらと首筋を伝う。


「陽菜乃ちゃん、そのリボンカチューシャいつもつけてるよね」

「え?うん。叶歩が選んでくれたやつだから」

「健気だなぁ」


 夏葉は感心するように薄笑いをして、叶歩の動向を待ち続ける。


 しばらくして、玄関が開く音がした。


「出た。叶歩ちゃんだよ」

 栗色のショートヘアを星形のヘアピンで留めた少女。叶歩がミディアム丈のスカートを揺らして歩み始めた。ふたりは気配を察されぬよう一歩後ろに引く。そして叶歩が通り過ぎたことを確認すると、物音を立てないように追跡をはじめる。


 尾行の開始だ。


「陽菜乃ちゃん、なんで尾行するのにロングスカートなんて履いてきたの!」

「これしか持ってないんだよ。夏葉だって、目立つから日傘閉じてよ」

「やだ!私日焼けしたくないもん!」


 ふたりは、およそ元男とは思えない会話をしながら叶歩の影を追いかける。運動音痴組の二人にとって、追跡は骨が折れた。


 叶歩はとぼとぼと猫背気味で歩きながら、どこかへ向かっていく。その行き先は夏葉の話していた通り、商店街だった。仲見世通りを通り抜けた段階で叶歩がきょろきょろと辺りを見回し始めたので、陽菜乃たちは物陰に隠れた。


「ほら、やっぱり周りを気にしてる。何かやましいこと隠してるんだよ」

「うーん、そうなのかなぁ……」


 叶歩は信号が青になったのを見計らうと、駆け足で商店街の先にある石段を登っていった。その石段の先にあるのは、神社だった。


「叶歩ちゃん、なんで神社なんかに行くんだろう。何か心当たりある?」

「……神社か。」


 陽菜乃は、遠くを見つめていた。


 神社。そこは、陽菜乃と叶歩にとって大事な場所だ。陽菜乃が赤い紐の救難信号を出して、助けを求めたときに集合する約束の場所になっていたのだ。しかし、いったいなんで叶歩が神社なんかに……


 石段の前の電柱に、夏祭りのチラシが貼り付けてあるのがちらりと見える。陽菜乃はふと、叶歩と交わした夏祭りの約束を思い出す。今年の夏祭りで一緒に浴衣を着る、という口約束。陽菜乃は叶歩の浴衣姿を想像して、夏祭りを心待ちにしていたのだ。


『……ひなのちゃん。ボクはね、今年の夏休みに全部賭けてるんだ』

 叶歩と約束を交わした時に言われたことを、ふと思い出した。全部賭けてる、とは一体どういうことなのだろうか。ひょっとしたら、叶歩が抱えている秘密にかかわっているかも。


 陽菜乃は夏葉と一緒に石段を一歩一歩、息を切らしながら登っていく。鬱陶しいほどの蒸し暑さで、ワンピースの内側に着こんでいるスリップはびしょびしょになっていた。神社は行き止まりになっているので、ここを登れば叶歩と鉢合わせになるはずだ。……あいつに会ったら何を話そうか。そう思いながら歩を進める。


 百段にも及ぶ石段を登り切り、鳥居をくぐった。右手には水がちょろちょろと流れる手水舎ちょうずしゃ、前方には二匹の狛犬がこちらを睨んでいる。

 その奥にある日陰のベンチに、叶歩のシルエットがあった。


(……叶歩)


 陽菜乃は息を飲みこむ。

 そして、石畳へと視線を落として。

 困ったような薄笑いを浮かべる。

 でもすぐに耐えきれなくなり、その薄笑いは崩れた。


 叶歩は、見知らぬ少女と隣同士で座っていたのだ。


 その少女が、まるでデート中のように楽しそうな微笑みを浮かべていたのだから、陽菜乃の脳には矢が刺さったような感覚が走った。


 あの少女は、叶歩とどんな関係なのだろうか。

 自分のアプローチがあまりにも遅かったから、叶歩は別の人を好きになってしまったのだろうか。


 そんな邪推とそうであってほしくないという想いと叶歩になんて話しかければいいのかわからない思考と寂しさと切なさが一気に去来する。


 陽菜乃の頬に汗ではない何かが、そっと伝った。

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