27 好きじゃない②

 冷房で冷えたロッジの中、流水が蛇口をくねる音がする。芋の泥をすすいだ手を丁寧に拭き取る君は、ピンク色のエプロンをしていた。


「……ひなのちゃんのこと好きじゃなくなっちゃったから、ちょっと距離取っていい?」

「う、うん……?」


 そんな許可取りをする人間は他にいるのだろうか。叶歩はあまりに誠実すぎるし、そのせいで嘘がヘタすぎる。理由は謎だが、さっきから叶歩は、陽菜乃のことを好きじゃないフリをしている。そのくせして、捨てられた子犬のように寂しそうなうるうる顔でちらちらとこっちを見るのだから、心が痛むほかない。


(……素直に甘えてくれればいいのに)


 陽菜乃としては叶歩のことが好きだからもっと触られたいし触りたいので、そんな宣言をされると苦しい。


「……なにか手伝おうか?」

「だいじょぶ、一人でやるから。ひなのちゃんは休んでて」

「ふぅん……」


 叶歩は猫の手で野菜をおさえながら、それらをとんとんとカットしていく。陽菜乃は頬杖をつきながら、そんな叶歩の様子を、じっと見つめる。


「……あの。そんなに見られてると集中できないですー」

「あはは、ごめん。気になっちゃって」


 同じ部屋にいると、どうしても叶歩のことが気になって、観察してしまうのだ。陽菜乃はすぐに苦笑いをして、目を逸らした。叶歩の集中力が散漫になって手を切りでもしたら困る。




「ただいま~。テントかたしてきたよ」


 陽菜乃が外の風を浴びに行こうとすると、テントの片付けを終えた夏葉、瑞希、美咲の3人が戻ってきた。夏葉は靴を脱ぎ捨てて部屋の中を駆け回っていった。


「叶歩ちゃん料理ありがと!わたしも手伝う~」

「う、うん。よろしくね」


 陽菜乃は、夏葉と一緒に料理をする叶歩へ『俺の手伝いは断ったのに』という視線を送った。それに気づいた叶歩は、物悲しそうに視線をそらす。そんな様子を見ていた瑞希に「叶歩と何かあったのか?」と言われ、とっさに「なんでもないよ」とごまかした。



 陽菜乃は料理が終わるまでの間、砂浜に寝っ転がって時間をつぶすことにした。体を砂に沈みこませながら空を見ていると、我慢していた涙が滲んでくる。


(……叶歩、どうしちゃったんだろ)


 我慢してたけど、ほんとは『好きじゃない』なんて言われたくない。嘘だとしても、そんな演技してほしくない。もっといつもみたいに甘えてほしい。もし今後もずっと叶歩があんなふうになってしまったら、耐えられないかも。


 陽菜乃は「かほ……かほ……」と呟きながら、体をくねらせて泣き続ける。塩辛い海水を飲むと、不思議と心の中が空っぽになった気がして、楽になった。しばらくそうやって涙を涸らし切った頃、道路の向こう側から香ばしい匂いがしてきたのと同時に、エプロン姿の夏葉が走ってやってきた。


「陽菜乃ちゃん!ご飯できたよ?」

「うん、今行く。先戻ってて」


 泣き顔を見せないようにそっと返事をすると、陽菜乃は海水で顔を洗う。紅く濡れた顔をワンピースの袖で拭いながら、ロッジへと向かった。



「いただきます」


 夕飯はカレーだった。陽菜乃と同じように、叶歩の顔からも力が抜けていた。まるで空っぽになってしまったみたいな叶歩の表情を見て、陽菜乃はため息をつく。しかし、どうして叶歩はいつものように甘えてくれなくなったのだろうか。叶歩によって口に運ばれるカレーを咀嚼しながら、陽菜乃は黙々と想いにふける。


 こうなってしまった原因は、きっと自分にあるのではないのか。叶歩が「距離を取る宣言」をしてしまった以上、今までのように接することはできないのだろうか。陽菜乃がカレーを飲み込んでため息をついていると、叶歩が陽菜乃の口に、次の一口を運ぶ。


 陽菜乃は、叶歩が次々と口に運んでくれるカレーをもぐもぐと味わう。楽しくない食事だ。いつも通りならば叶歩が「あーん」してくれたのに。


「……ん?」


 陽菜乃が我に返った時、叶歩はぼーっとした顔で「あーん……」と言いながら、陽菜乃の口許へ次のスプーンを運ぼうとしていた。


 無意識の行動だった。


「叶歩、これはOKなのか」

「……あっ」


 その様子を見ていた夏葉と瑞希が、「ラブラブだねー」と言ってくすくすと笑っている。


「……ひ、ひなのちゃん!ちっちがうの!これはその、なんというか、ボクは別に、こういうこと誰にでもするから……だから別に、ひなのちゃんのことが特別好きってわけじゃ……」


 陽菜乃は思わず笑いをこらえながら、「そういうことにしておくか」と言った。


「ということで、もっとあーんして」

「……えっ、ええ」

「こういうこと、誰にでもするんだろ?」


 陽菜乃は叶歩の掘った墓穴を見逃さない。だって、叶歩への甘えに飢えてしまったから。叶歩は「ずるい……」と言いながらも、幸せそうな顔で陽菜乃の口にカレーを運んでいく。それはなんだか少し、甘い気がしたのだった。


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