24 陽菜乃のふりふり水着姿

「ひなのちゃん、かわいっ♡」

「うん、かわいいよ」

「かわいいな」

「ほんとにかわいい……」


 陽菜乃のふっくらとした胸元を覆うのは、ピンク色の薄布。ひらひらとした二段のフリルが飾られ、胸の形を隠すように包み込んでいる。


 陽菜乃は内股になって、反射的に胸元を隠すように手をクロスさせる。貸し切りのロッジにいるので、目の前の友人以外にはビキニ姿を見られていないのだが、それでも恥じらいを感じてしまう。

 

 友人たちからの「かわいい」を波のように浴びせられるたび、くすぐったさと、嬉しさと、甘酸っぱい切なさが入り混じったような、そんなわけのわからない複雑な気持ちに苦しめられ、悶える羽目になってしまう。


 この姿で外に出るなんて、言語道断だ。陽菜乃はいま、全身のほとんどの肌色を見せつけているのだ。足も、肩も、腹部も、全て露わになっている。ひんやりとした隙間風がクリーム色の素肌に直接当たるのを感じながら、猫背気味に体を丸めた。


 もし自分が男のままだったら、これらの部位を露出することなんて造作もない。しかし、今の自分の体はかつての自分とちがって、丸みを帯びた柔肌が肉付いている。それらを公共の場で晒すなんて、考えられない。


「はい、みんなでおそろいの水着だからね」


 叶歩はそう言って、色違いの同一商品を四つ取り出し、この部屋にいる全員に渡していく。そして、みんなは何食わぬ顔で着替え始めた。


「ねぇ、わたしこういうの着るの、初めて!」

「オレも初めてだな」

「みんなスタイルいいからね、きっと似合うよ」


(こいつら、恥ずかしくないのか……?)


 叶歩の姉である美咲はともかくとして、他の三人はみんな、陽菜乃と同じ元男だ。それなのに、一切の抵抗感を見せず、露出度の高い女性ものの水着に、すんなりと着替えた。

 夏葉はレモン色、瑞希は白と黒の水玉、美咲はクリーム色、叶歩は水色。みんな防衛力の低い薄布を巻いて、自信満々そうに立っている。


「ではひなのちゃん、感想をどうぞ」


 水着姿の叶歩が近づいて、手を握ってくる。四方を水着の女子に囲まれているので、視線の逸らしようがない。ほんのわずかでも体を動かせば、お互いの柔肌が触れ合ってしまうような距離感。陽菜乃はすっかりと顔に朱を浮かべて、俯いてしまった。


「……かわいいよ」

「……ひなのちゃん、ずいぶん恥ずかしそうだけど、着るのイヤだった?」

「い、嫌ではない!……けど、やっぱ恥ずかしいよ」

「にゃはは。大丈夫。手、つないであげるから」


 叶歩は指先を絡めたあと、手首を組んで寄せてきた。


「こうすると、落ち着くでしょ」


 この服装でそんなことされたら、お互いの体の柔らかい部分が、どうしても触れてしまうのだが。なめらかな柔肌がこすれあい、すれ違うたびに、ぞわぞわとくすぐったい感触が全身を駆け巡る。陽菜乃は叶歩の大胆な行動に顔を赤くしながらも、どこか安心感をおぼえ、気付けばロッジの外へと足を踏み出していた。


「ほら、海行こ」

 

 叶歩は手を組んだまま、波打ち際へと駆け出す。周囲には海水浴客がたくさんいたが、叶歩に手を掴まれていると、不思議と羞恥心は軽減されていた。


 足元が海水に浸かる。脛毛の一切もない生足がほんのりと冷たい塩水に包み込まれると、なんだか足がきゅっと引き締まったような、そんなくすぐったさを感じる。肩がつかるくらい深いところまで歩くと、ピロピロの水着に海水がしみ込み、体にぴっちりと纏わりつく。肩紐が鎖骨に食い込んで、くすぐったいくらいの痛みを感じた。


「……ところで、ひなのちゃん泳げるの?そんなよわよわの体で」

「ばっ馬鹿にするな!いくら女子の体になったからと言って……ちょっとくらい泳げるはずだ!たぶん。」

「へへっ、じゃあ泳いでみよっか」


 陽菜乃は意気揚々と体を伸ばし、より深い海域までめがけ、地面を蹴り出す。


「……ひなのちゃん、そっち逆方向だよ」


 陽菜乃がばしゃばしゃとバタ足でもがいても、ほとんど前に進まず、それどころか知らないうちにUターンして波打ち際に戻ってしまっていた。そんな陽菜乃をみて、叶歩は「これだからかわいいんだよ」と頭を撫でる。


「ふぇっ…」

「あはは、やっぱ泳ぐの無理だね!別の遊びしよっか」

「むー……」








 海からあがると、陽菜乃はすっかりいじけ、テントの前で砂をつついていた。

「……お姉ちゃんと夏葉ちゃんたち、みんな泳いでるからふたりきりになっちゃったね」

「どうせ俺は泳げない運動音痴ですー」


 陽菜乃が拗ねたような声でむすっとしていると、叶歩は背後からバスタオルでぎゅっと包み込んだ。


「……あったかい?機嫌、なおしてくれる?」


(……まったく。こういうとこがずるいんだよな)


 別に、本当に拗ねているわけでもないのに。自分のことを本気で心配して温かく寄り添ってくれる、そんな純粋な誠実さが好きなのだ。こういうふうに優しくされると、こっちが申し訳なくなってしまう。


「叶歩、ちょっと手貸して」

「……どーしたの?」




 この時の陽菜乃はもうとっくに、恋に落ちていた。


 友情と恋心のはざまで悩んで、悩んで、悩み切った結果。陽菜乃は叶歩の誠実さに折れ、ともに守り合う関係になりたい、と思うようになっていたのだ。もし自分たちが恋仲になっても、きっといままで通り共に支え合う関係は変わらないし、男としての大事な記憶も、きっと忘れることはない。だから叶歩にもっと寄り添って、いっしょに幸せになりたい。


 今や陽菜乃の使命は、叶歩との距離をもっと縮めることと、この夏のどこかで伝える告白のメッセージを考えること。それだけだった。


 特に、叶歩との距離を詰めるのは大事なことだ。仮に告白が失敗にでも終わったら、ふたりの関係は崩壊しかねない。叶歩をときめかせるために、なにか心を揺さぶるようなことをしなければいけない。


 それに、陽菜乃は悔しいのだ。いつも、叶歩に「きゅん」とさせられるような行動をされて、陽菜乃はそれにたじろいでいるだけだ。自分だって、叶歩をきゅんとさせてやりたい。


 そう思っていた陽菜乃は、テントの中で叶歩の手を握り、引き寄せる。そして、すこし内股気味の立て膝をつき、叶歩に上目遣いを送ったかと思うと、次の瞬間、柔らかくて愛おしい叶歩の手の甲へめがけ、唇を押し付けていた。


「えっ……」


 右手にキスをされた叶歩は、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにその顔には天使のような薄笑いが浮かぶ。陽菜乃はその表情をみて、叶歩が喜んでくれたのだと思い、安心した。


 ……しかし、その安堵と微笑みが持続したのは一瞬だけだった。緩んでいた叶歩の口角は次第に下がっていき、眉は垂れさがる。叶歩はどこか思い悩むような、険しい表情へと変わってしまった。


 そして叶歩は、陽菜乃に握られた手を、コバエを叩くかのように、力強く振り払った。


「……ごめんね。ボク、ひなのちゃんのこと、好きじゃなくなっちゃったの」


 ──冷たい声だった。


 陽菜乃は、叶歩が何を言っているのか理解できなかった。完全に硬直した体で、眼球だけが泳いでいる。


 陽菜乃の前で震えながら俯く叶歩の瞳には、一滴の露が宿っていた。

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