23 陽菜乃の夏休み

 女子としての学校生活はあっという間に過ぎ去り、気付けば既に、夏休みが訪れていた。


 今日は夏休みの初週。陽菜乃たちは高速バスに揺られている。


 ──今日はみんなで海に行って、キャンプをするのだ。


 車窓からは、青々しい山肌が覗いている。都市部の整備されきった森林とは違う、雑多な種類の植物が自生した、文字通りの雑木林。


 ここは陽菜乃たちの住んでいる地域から、高速で2時間ほどの場所に位置している。整然な住宅街とはまた一味違う、自然の調和を感じた。


「叶歩、寝ちゃったね」

「……疲れてるんですかね」

「いや、昔から車に弱いのよ」


 隣に座っているのは叶歩と、その姉の美咲。成人している美咲は、保護者を任されている。


 すやすやと眠って陽菜乃に身体を預ける叶歩の顔は、とても幸せそうだ。


「わたしもあんなふうに、寄りかかって寝ていい?」

「いいよ」

「やったあ。瑞希ちゃん、いつも通り、いい匂いだね」

「えー?今日はオレ、いつもと違う匂いのヘアオイル使ったんだけどな。いつも通りなんて、悲しいなー」

「……ん。いつもよりいい匂い。いつもよりかわいいよ。」

「ありがと」


 後部座席にいるのは、夏葉と、その彼女の武田瑞希。陽菜乃はこうして瑞希と仲良くするのは初めてだった。


 今の彼女は少しだけひねくれて風変りではあるが、以前よりも柔らかめな性格になっていて、接しやすかった。


(でも、今みたいな感じで二人だけの世界を作られてしまうと、ものすごく話しかけづらいのだが)

 

 バスが目的地に止まると、陽菜乃は叶歩をゆする。叶歩は「んえー」と寝ぼけたような声を出して、けだるそうに欠伸をした。


「……せっかく来たんだから、ちゃんと起きてろよ?」

「ん、失礼な。いつまでも寝ぼすけじゃないもん」


 一行は、海岸と道路を隔てたところのロッジに入った。どこか懐かしいような、木の匂いが充満した部屋。今日はこのロッジに宿泊するのだ。


 荷物をロッジに置いた後、叶歩は陽菜乃の手を握り、勢いよく走り出した。


「見て、海だよ」


 叶歩はそう言って、ビーチを指さした。


 砂浜は、たくさんの客でにぎわっていて、大盛況だった。若者から家族連れまで、幅広い客層が集まり、夏を満喫している。


「……ナンパされたらどうしような」


 陽菜乃は、半ば冗談めいた声色でそう言いながら、苦笑いをした。


「……その時はオレが追い払う」


 瑞希が殺気を漂わせながら、ポニーテールを引きしめる。彼女は体格的にも優れていて、いざというときは頼りになるから安心だ。


 もし、瑞希の前にナンパ男なんて現れようものなら……きっと、本気で夏葉から遠ざけるだろう。瑞希がそれほどに夏葉を大事にしていることを、陽菜乃は知っている。



 砂浜の奥には深い藍色が、どこまでも広がっている。揺れる水面には日光が反射して、煌めいていた。強い日差しが突き刺さり、陽菜乃は目を細める。


 陽菜乃が太陽に敬礼をしながら水平線をぼうっと眺めていると、がさごそと物音がした。


「木崎、テント建てるの手伝って」


 瑞希が大きなかばんを開き、金属製の器具をいじっていた。


「おっけー、早く終わらせちゃおうぜ」

「わたしも手伝うー」

「夏葉は力弱いから、こっち抑えて。怪我したら許さん」


 そんなふうに、三人でしゃがみながら、テントを組む。木陰の冷たい砂の上で、蟹がとことこ歩いていた。


 一方で叶歩と美咲さんはというと、焚火台に着火剤をくべている。彼女たちは火起こし担当なのだ。


 ペグを各所に打ち付け、テントの設営が完了すると、陽菜乃たちは大きく伸びをする。その時分、木炭の焦げたような匂いが漂ってきた。


「準備完了だねっ」


 叶歩がうちわでぱたぱたと、火元を扇いでいる。


「叶歩、火起こしありがとな」

「えへへ」



 しかし、こうして見るとみんな本当に女の子になってしまったな、と思う。かつての男の面影は、もはやどこにもない。


 レモン色のリボンがついたヘアゴムで、お団子ツインを結んでいる夏葉。


 水玉模様のシュシュでポニーテールを束ね、女性らしい仕草でもみあげをかきあげる瑞希。


 色付きのリップを塗って、星形のヘアピンで前髪を留めた、おでこ出しの叶歩。


 かく言う陽菜乃も、叶歩に選んでもらったリボンカチューシャと、ラベンダーピンクのワンピースを着ている。

 

 炎天下のもと四人で密着しあっているのに、不思議と汗臭くなく、それどころか爽やかで甘い香りが鼻孔をくすぐっていた。


「陽菜乃ちゃんが、この中でいちばん女の子っぽい服かもね」


 夏葉が口に手を添えて、くすりと笑った。


「ふぇっ……おれ?」

「だって、とってもピンクだもん。女の子の憧れだね。」

「うん。そのカチューシャ、かわいいな。おとぎ話のヒロインみたいだ」

「ボクが選んであげたんだよ。ヒロインというか、もはやプリンセスだよね」


「……わかったから。恥ずかしいからやめてくれ……」

 四方から褒めちぎられてしまい、陽菜乃はすっかり顔を赤らめ、伏せてしまう。こういうことには慣れてないのだ。



 

 バーベキューは、叶歩の指示のもとで進んだ。野菜を切って、串に差して塩を振り、熱々の金網にくべる。


 桜色の豚肉から油が零れ落ち、『じゅう』という音が響く。


「はい、夏葉、あーん。」

「……瑞希ちゃんも」


 カップルが手をクロスさせて、お互いの口に肉を放り込んでいる。


(こいつら、自分の手で食事できないのか)


 陽菜乃が目を細めて二人を見ていると、叶歩も負けじと「ボクも~」と言って、陽菜乃の口に肉を放り込んだ。


 何も知らない美咲さんが、「それ流行ってんの?」と、苦笑いで困惑する。




 満腹になるまで食事を堪能したころ、陽菜乃はテントの中で涼んでいた。海上には、入道雲が山のごとくそびえている。


「ひなのちゃん、泳がない?」


 叶歩が隣で体育座りをして、尋ねた。


「……水着、持ってきてないぞ?」

「ふふふ。用意周到なボクは、全員分持ってきちゃいました!着てくれる?」

「本当かよ」


 このキャンプ場は海水浴場にもなっているので、監視員もいる。万が一の時も安心だ。


 陽菜乃は、海水浴が好きだ。広い海を、自然に生きる魚と一緒に遊泳する。せっかくだし、上手に泳げる所をみせて叶歩を驚かせてやろう、と思った。


「よし、じゃあ水着、着るよ。一緒に泳ごう」

「やったあ」



 陽菜乃は声を高らかにあげ、道路を隔てたロッジへと走り出した。部屋へあがるとシャッとカーテンを閉め、叶歩から水着を受け取る……


「……おいっ……なんだよ……こ、れ……」


 陽菜乃はてっきり、体育の授業で着用するような、全身が守られた水着が用意してあるのかと想像していたのだが。


(思ってたのと、違う。いや、違いすぎる……)


 女性モノの水着には詳しくないが、これはその…………自分でも、名前くらいは知ってる。要するに、アレじゃないか。


「……着るって、言ってくれたよね?」

 叶歩が、悪魔の微笑みを送ってくる。陽菜乃は顔を真っ青にしながら、一枚脱ぐ。


 そして、おそるおそる、”ビキニ”を手に取った。







◆◆◆

(あとがき)

 こんにちは。4話連続で『あーん』の描写があるらしいです。そんな小説を書いてます。


 もうそろそろ、ふたりの関係は佳境を迎えます。予定では、物語はそろそろ折り返し地点を迎える頃です。

 引き続き更新頑張っていくので、気に入ってくれた方はフォローや☆評価等いただけると喜びます。

 

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