22 守るべきもの

 クラスの全員が女の子になってから、一か月ほど経った。


 変化に慣れず、どぎまぎしていたクラスメイトたちだったが、今はそれなりに新しい生活にも適応してきたようだ。


 みんな、女バージョンの学友の名前と顔を記憶したみたいだし、当初は気まずそうだった教室にも、ちらほらと話し声が聞こえるようになってきた。


 しかし、以前のような思春期の男子らしい、尖った雰囲気はなく、皆どこか、控えめにふるまっている。(口調は男のままだが)


 中学1年生の男子なんてのは、本来下ネタが大好物だし、女になるまではクラス中でその話題が飛び交っていた。

 しかし、彼ら──今は彼女たちは、それらのはしたない話題を一切口にしなくなってしまった。彼らなりに、性に関して思うことがあるのだろう。


 そのかわりといってはアレだが、教室内でファッションに関する話題が増えた気がする。男というのは、案外みんなかわいい服に興味を持つものらしい。


 クラス内では、メイクやヘアアレンジの話題が多くなってきた。教室にファッション誌を持ち込んで、にんまりとしながらそれを読んでいるような生徒もいる。


 みんな男の口調かつ黄色い声でレディースファッションの話をしているから、少々脳が混乱するのだが。



 そんなクラスのはじっこで、ひときわ甘ったるいオーラを漂わせている二人組がいた。


「瑞希ちゃん、今日もお弁当作ってきたよぉ」

「いつも済まないな。夏葉に頼りきりになって」

 そう言って、一人用の机を共有して身を寄せ合うのは、武田と夏葉。


 陽菜乃と叶歩が夏葉の復縁を手助けしたとき、意図していない化学反応が起こり、やんちゃ少年だった夏葉の精神はすっかり恋する乙女に目覚め、武田にアプローチを仕掛けたのだ。


 その甲斐もあって、今やふたりは女の子同士のラブラブカップルになってしまった。

 夏葉は武田のことを下の名前である『瑞希』で呼ぶことにしたらしい。


 当初は、陽菜乃をはじめとしたクラスメイトたちは、教室内で甘い会話を見せつけられるのに驚いていたが、今となっては、美しい女子同士のいちゃいちゃを、目の保養にして楽しんでいる。


 三つ編みツインテールにいちごのヘアピンをつけて愛らしい笑顔を見せる夏葉。

 おそろいのヘアピンをつけて、どこか安心したような顔でポニーテールを揺らす武田。

 夏葉は、自分よりも顔一つぶん身長の高い武田に上目遣いを送りながら、甘える。


「はい瑞希ちゃん、エビチリだよ。あーん……」

「んー……やっぱり夏葉のごはんはおいしいな。夏葉も、あーん」

「んふふ」


 ふたりは、弁当のおかずを仲良く食べさせあっている。その様子を見て陽菜乃の首に汗が伝った。というのも、陽菜乃も同じように、叶歩にはよくあんなふうに『あーん』をさせられているのだ。


「見ろよあれ。本当にお互いが大好きじゃなきゃ、あんなことできないよな」


 教室のどこかで、そんな噂話が聞こえた。


 陽菜乃は泡を食った。ああいうふうにあーんするのは、ふたりの間に恋愛関係がないとやらないものなのだろうか。


 陽菜乃が顔を引きつらせていると、叶歩はおでこにつけた星形のヘアピンを整えながら、耳元でそっと囁く。


「……ボクは、みんなに見られてる所ではやらないよ?ああいうこと」

「あえっ」

 まるで叶歩は、陽菜乃の心の内を読んでいるみたいだったので、変な声を出してしまった。


 見られている所ではやらない……か。むしろ、コソコソやっているほうが、禁忌を犯しているみたいで恥ずかしい気がするが。陽菜乃は叶歩の言動に翻弄されながら、おにぎりをかじった。




 ◆

「……夏葉、本当に変わったよな」

「陽菜乃ちゃんたちが後押ししてくれたおかげだよー」

 放課後、陽菜乃は夏葉と一緒に帰っていた。武田はサッカー部、叶歩はテニス部の活動をしているので、相棒と離れた者同士、この曜日は一緒に帰ることにしているのだ。


「なんというかその、ずいぶんお似合いになったな」

「陽菜乃ちゃんだって、叶歩ちゃんといるときが一番輝いてるよ」

「おっ俺たちはそういうんじゃないから」


 陽菜乃はつやつやのロングヘアを横に揺らし、たじろぎながら弁明する。


「でも、叶歩ちゃんのこと好きなんでしょ?」

「……友達として、な」


 陽菜乃は、唇を真横にしてそう言ったが、実際のところは、叶歩に対する気持ちに、甘酸っぱい慕情の一切も紛れていないと言えば、ウソになる。


「なに、その苦手なものを牛乳で流し込む時みたいな顔。なんかもやもやしてるなら、相談乗ってあげよっか?」

「んー……頼む」


 ふたりは、駅前のハンバーガー屋に入った。といっても、軽くお茶する目的なので、オーダーするのはドリンクだけだが。


「……俺ってさ、こんな弱っちぃ体になって、叶歩を守れるのかな。」

「そんなことで悩んでたんだ。心配しなくても、今の陽菜乃ちゃんは叶歩ちゃんを充分、守ってると思うよ」

「守ってる?俺が?」

「……うん。心理的にね」


 ストローで紙コップをつつきながら、夏葉は切り出す。

「……陽菜乃ちゃんって、もし自分が叶歩ちゃんと付き合ったら、ってことを考えたことくらいあるでしょ」


 その言葉は、陽菜乃の胸のどこかに、確かに刺さった。内心、そのことについてずっと考えていたのだ。


「なっなんで……」

「図星なんだー」

「むぅ……叶歩にはナイショだぞ。でもそうなったら俺たちの間で、何かが変わっちゃう気がして」

「へぇ……楽しいのに」

 夏葉は深呼吸をする。

「逆にさ、夏葉は、どうしてその、武田と付き合おうと思ったんだ」


 陽菜乃がそう言うと、夏葉は頬杖をつきながら、苦笑いして言った。


「寂しかったから。」


 陽菜乃は「そうか」と微妙な返事をする。

「……私の人生でね、ほんとうのわたしを知ってくれようとしたのは武田……瑞希ちゃんだけなの。……男の時のあいつも、ああ見えて根はやさしかったし、わたしと同じような寂しさを抱えてる、って感じたの。」


 夏葉はストローでコップの中身をぐるぐると回しながら、話し続ける。


「……それにね、友達のままだと、少しずつ離れていくな、って思った。」

「離れる?」

「瑞希ちゃんがわたし以外の友達を作って、新しい居場所を見つけるかもしれないでしょ?それに、高校に行ったら別の道を歩むことになるし」


 陽菜乃はあっけらかんとした声色で「そっか」と返事をした。今まで、叶歩と別れてしまうことなんて、微塵も考えてこなかったのだ。


「陽菜乃ちゃんはさ、叶歩ちゃんの性格が別人みたいになったら耐えられる?」

「べつじん?」

「うん。思春期のわたしたち、人格なんて簡単に曲がっちゃうからね。私が変わったみたいに。」


陽菜乃は、夏葉の話を黙々と聞きながら、小刻みにうなずいていた。


「好きな人の人格が望ましくない変化をするのって、きっと一番つらいことなんだ。……だから、瑞希ちゃんの成長を一番近い場所で支えてあげたかったの。寂しさ、っていう闇から瑞希ちゃんを守ってあげられるのが、今の『彼女』っていうポジションだと思って、寄り添ってるの。」

「……闇、か。」

 陽菜乃は天井を見上げた。


「もしかしたら、そのうち叶歩ちゃんだって、闇に呑まれて、好ましくない変化をしてしまうかもしれない。それが嫌なら、闇から守るための寄り添い方も、考えたほうがいいと思うんだ」


 陽菜乃は視線を落とす。

 夏葉の発言が、どこか腑に落ちたのだ。

 多感な時期。叶歩は今でこそ無邪気で、無償の愛を振りまいてくれるが、いつか社会の毒牙の餌食となり、変わり果ててしまうかもしれない。

 自分で言うのもなんだが、叶歩があの性格でいられるのは、“悠馬”が今までずっと面倒を見てきたからだ。悠馬と出会う前のあいつはどこか空虚だった。まるで、ピースの揃っていないパズルのように。


『ボクはね、恋心と友情は、両立すると思うな』

 雨に濡れて寝込んだ時、叶歩がかけてくれた言葉。

 ……叶歩はきっと自分の事が好きだし、その『好き』にはきっと、恋愛感情も含まれている。

 いつまでもそれを見ないフリを続けていたら、叶歩の心の闇は淀んでいき、いつか壊れてしまうのではないか。

 陽菜乃は飲み終わったコップを呷り、ぼりぼりと氷をかじった。




 ◆


「……叶歩、辛いこととか、あったりしないか?」

 翌日の教室。叶歩に向かって、そんなふうに声をかけた。

「急にどーしたの?ひなのちゃんがいるから大丈夫だよ?」

「なら、いいんだけどな」

 陽菜乃はどこか寂しそうな顔をして、叶歩が振りまく、屈託のない笑顔を見つめる。

(そっか、俺が守りたかったもの、これだったんだ)


 ……そう。この笑顔を、ずっとずっと守りたい。

 叶歩はどこか子供らしいところがあって、ずっとまっすぐで、自分の気持ちに正直すぎるところもあって。

 でも……だからこそ、そんな素直な叶歩のことが好きなのだ。

 いつか月日が経って、別々の道を歩み始めて。叶歩が耐え難い闇に直面してしまった時。

 この笑顔を守る人間が、自分であれたなら。


 ──それ以上に、望むことはない。

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