21 ひなのちゃんを守りたい

「うちの陽菜乃ちゃんに、手出さないでもらえます?」

 叶歩は、ふだんよりも一段と鋭い声色でナンパ男にそう言い放い、二本の柔らかい腕で陽菜乃を抱き寄せ、彼らを睨みつけた。

その剣幕に圧倒された男たちはどこか居心地の悪さを感じ、「なんなんだお前ら」と言って、どこかへ行ってしまった。




「……助けられちゃったな」

「にへへ。」

 陽菜乃は、どこか不甲斐ない気持ちを抱いていた。というのも、男の時は波留を守る側だった自分が、こうして女になった今、叶歩に守られてしまったのだ。陽菜乃は己の弱さを実感して、拳を握りしめた。


「……もう、何その顔。別に気にしなくていいのに~」

「あ、ああ。」


 口ではそういうものの、なんだかもやもやする。

 それに、ナンパされる体験を経てから、陽菜乃の心の中で、男性に対する感情が少し変わってしまった。男性とすれ違うたびに、体を丸めて、無意識に叶歩に身体を寄せてしまうのだ。

 エレベーターに乗ると、体躯の大きな、熊のような男性が乗って来た。無論、その男性は何もしていないのだが──陽菜乃は反射的にドキッとしてしまい、叶歩の服の袖口をぎゅっと掴んだ。


「……もしかして、男の人がこわいの?」


 エレベータから降りると、叶歩が何かを察したように、そう囁いた。


「……う、ああ」

 本当に不甲斐ないと、自分でも思う。男社会で生きてきたのに、男を怖がってしまうなんて。陽菜乃はやりきれない気持ちを抱きつつも、恐怖心には抗えないのだ。


「……だいじょうぶ、ボクがついてるから」

 叶歩は優しげな声色でそう言うと、陽菜乃に手を絡めてきた。やわらかくて温もりのある手。それを握っていると、なんだか心の奥から安心感が湧いてくるのだ。


「……俺が叶歩を守るべきなのに」

「もー。困ったときはお互い様でしょ」


 陽菜乃は叶歩の手をぎゅっと握りながら、雑踏の中を歩く。


***

 ふたりは、ショッピングモールを出て商店街を歩いていた。

 商店街は緑豊かな小高い丘に面している。丘の頂上には神社の鳥居が見える。陽菜乃は、この風景を気に入っていた。

 街の都市化が進んでいく一方で、この商店街だけは未だに、昔ながらの風景を残している。住民の賑やかな話し声が響く中で、砂糖が焦げたような香ばしい匂いや、鉄板がじゅうじゅうと焼ける音を感じる。


「あ、たこ焼き食べたいな。半分こしようよ」

「う、うん」


 叶歩は、昔ながらのたこ焼き屋を指さして、そう提案した。叶歩は昔から、甘味よりも、こってりしたしょっぱい食べ物を好んでいる。女になっても、その嗜好は変わってないみたいだ。 


「ソース味8つください」

叶歩がそう注文すると、店主は「お嬢ちゃんたちかわいいから、ふたつオマケしておくね」と言った。

 ……別に、常連客とかではないのでびっくりした。こういうサービスは他の客にもやっているのだろうか。それとも、自分たちが女性だから、こういうふうに扱われるのか、と陽菜乃は疑念を抱いた。

ただ、一応感謝すべきことではあると感じたので「……ありがとうございます」とつぶやいた。


 ふたりは、 木陰で昼食をつまむことにした。ラベンダーピンクのスカートをととのえ、ベンチにすわりこむ。

太陽に照らされて喉が渇いたので、コンビニでペットボトルのサイダーを買い、そのフタを開けようとする。


「……う」


 ……おかしい。ペットボトルのフタは、こんなに硬かっただろうか。精一杯に力を込めても、びくともしない。


「ひなのちゃん、もしかしてフタ開けられないの?」

「……ちがう。こんなはずじゃ……」


 陽菜乃が赤くなるまで力んでもペットボトルは開かない。叶歩はそれを見かねて、「ボクに任せて」と、陽菜乃のボトルをひょいと拝借した。


「いやいや、俺に開けられないものを、叶歩が開けられるわけ……」と言い終わるまでもなく、叶歩は「はい、開いたよ」と、軽々しくフタを開けた。

「ふぇえ」とたじろぐ陽菜乃に対して、叶歩は得意げな顔をしている。


 陽菜乃が頑張ってもびくともしなかったものを、叶歩はいともたやすく開けてしまったのだ。握力にもここまで差がついてしまったのか、と思い、陽菜乃が微妙な顔をしていると。叶歩にピンクリボンのカチューシャごと頭を撫でられる。



「ひなのちゃん、非力でかーわい」

「む~……こんなはずじゃないのに!俺だって強いところ見せてやるからな」


 陽菜乃は少しだけ拗ねたような顔をして、力みながら、たこ焼きをひょいと口に放り込む。しかし女子になってからすっかり猫舌になってしまったので、たこ焼きから飛び出す熱々の汁に悶絶しながら、「はふはふ」と熱気を吹き出しながら、口をもごもごと、愛らしく動かしてしまう。


「ぷぷぷ……」

「わ、わあうな!」


 陽菜乃はサイダーを口いっぱいに放り込んで口内を冷却する。サイダーとソースの味が混ざって、舌が混乱を起こしている。


「ふふふ。ドジっ子アピールもかわいいね」

「アピールじゃない!」

陽菜乃は不服そうな顔をして、叶歩のほっぺたをこつんと叩く。柔らかくて弾性のある肉壁が、クッションのように沈んだ。


「むぅ……俺が叶歩を守らなきゃいけないのに……」

「もー。無理に強がらなくていいんだよ。それに、今もボクは守られてるから」

「え?俺が?なんかしたっけ……」

「ま、色々とね」

 叶歩はそう言って、含みのある笑みを浮かべながらたこ焼きをふぅふぅと冷ましている。

「はい、あーん」

 叶歩は、陽菜乃に向けて箸を近づける。……陽菜乃は一瞬ドキっとしたが、好意は素直に受け取ることにして、口を半開きにする。


「……むぅ。それハマったのかよ」

「だって楽しいじゃん。主にひなのちゃんの表情の変化が」

「……少し不服だな」

「うれしいくせに」





***

「あ、見てよこれ」

 たこ焼きを食べ終わったころ、叶歩はベンチの隣に立つ電柱に貼ってある、一枚のチラシを指さした。それは、数か月後に開催される夏祭りの告知用の貼り紙だった。


「……ねぇ。今年のお祭りは、浴衣着たいと思うんだ」

 叶歩はそう言って、上目づかいで瞳を潤ませる。

「前から着たいって言ってたもんな」

「……だからさ、あの約束覚えてるでしょ?」

「……うん」


 陽菜乃と叶歩は男時代、いつか夏祭りで、一緒に浴衣を着る約束を交わしていたのだ。


「夏祭り、楽しみだね」


……着物か。当時の悠馬は波留を引き立てるために、自分の似合っていない女装姿を晒す、という狙いで言ったことなのだが……こうして女子になってしまった以上……普通に、ひとつのファッションとして楽しむ、という意味で浴衣を着ることになるだろう。

 別にそれも構わないのだが……そうなると、知り合いに女性として浴衣姿を見られることになる。それはなんだかすこし恥ずかしい気がする。


「……ひなのちゃん。ボクはね、今年の夏休みに全部賭けてるんだ」

「……?それはどういう意味だ」

「ううん。いつかわかるよ。……あと、予定は沢山開けといてね?たくさん遊びたいから」


叶歩はほっぺたにマヨネーズをつけながら、うっすらと微笑む。その笑みは、単なる夏休みへの期待以上のなにかを含んだ、どこか寂しそうな表情だった。それに気づいた陽菜乃は叶歩が何か隠しているのを察したが、それには触れないことにした。

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