19 察して。
陽菜乃の脇元からピピピ、と体温計が鳴った。
「何度だった?」
そのアラームを聞くと、叶歩がベッドに身を乗り出し、もたれかかるように覗き込んでくる。陽菜乃はすかさず、体温計の数字が書かれたメーターを、叶歩の視線にかざす。
「37度4分かぁ。たくさん寝たから、熱も下がってきたね」
「ああ。だからもう大丈夫だよ。俺
「だーめっ。まだ完全には治ってないんだから、ムリしないの。それに、ボクだってひなのちゃんの役に立ちたいんだよー」
叶歩はそう言って、ベッドに座り込んで陽菜乃を見た。しかし、こうやって近づかれると……目のやり場に困る……
「あの……そのエプロン、なんの意味があるんだ」
「え、このフリフリエプロン?目の保養だよ!殺風景で休むより、こっちのほうが気分いいでしょ?きっと早く治るよ。病は気から、って言うでしょ」
「そういうものなのか」
叶歩はいま、まるでメイドさんが着るような、フリルがこれでもかと散りばめられたピンクのエプロンをセーラー服の上にまとっている。別に露出度が高いわけでもないのだが……かつて男友達だった叶歩がこんなにかわいい服を着ているという状況が、陽菜乃の平常心をこちょこちょとくすぐるのだ。
陽菜乃は視線をそらすように、顔を伏せた。そうしていると、今自分が着ている洋服が目に映る。
「そういえば、今俺が着てるのって叶歩のパジャマか」
あまり気にせずに受け入れてしまったが、陽菜乃は今、ピンクと白のグラデーションがかかった、随分と可愛らしい、ケーキみたいなデザインのもこもこパジャマを着ている。
叶歩の服についてどうこう言えないぐらいに、自分も女児が着るような可愛らしい衣装を着用していることを自覚すると、なんだか変な気持ちになってしまう。
「そうだよ。だって陽菜乃ちゃん、傘も差さないんだから体びっしょびしょになってたんだもん。余すところなくふき取って、下着も、ボクのやつに替えてあげたからね。」
「し、下着まで……そ、そうか……ありがとな……」
「もしかして、照れてる?心配しなくても、脱がすときに邪念はなかったよ」
「照れてない!」
口ではそう言ってみせるが、叶歩の口から発せられるあまりにも刺激的な情報に、脳の回路がショートしていた。叶歩が俺の服を……いや、そりゃ雨に濡れてたんだから当然にすべきことで、むしろ叶歩に感謝しなければいけないのだが。
しかし……下着……
「あ、そうだ。お腹空いてない?いまごはん持ってくるよ」
陽菜乃が煩悩に抗いながらぼけーっとしていると、叶歩は台所に向かった。数分の間彼女が去ってくれたので、その間に少しだけ体のほとぼりも冷めてきた。うん。これは全部叶歩が親切でしてくれたことなんだ。余計なことは考えない。これに尽きる。
しばらくして、叶歩が戻って来た。
叶歩は折り畳み式のテーブルを寝室に置くと、その上に、おかゆの入ったお椀をのせた。米粒の中に黄金色の卵が光っていて、とてもおいしそうだった。
「叶歩が作ってくれたのか?」
「そうだよ。はい、食べさせたげる」
「ちょっ……自分で食べれるよ……」
「いいのいいの!善意は受け取るものだよー」
フリフリのエプロンを着た叶歩が身を寄せ、銀色のスプーンを陽菜乃の口許に近づけてくる。叶歩がそれを冷ますためにふぅふぅと吐いた息が、陽菜乃の鼻筋をふっとなぞる。そのくすぐったさに負けて、思わず口を開けてしまった。
「はい、あーん」
「ん……」
開いた口に、叶歩が優しくスプーンをいれる。叶歩の作ったおかゆは、鰹節の香りに、まろやかな卵の食感が感じられる。白米のデンプンが溶けこんだ汁には、生姜の風味が紛れ込んでいて、叶歩の細やかな心遣いが覗く。たしか、生姜は風邪に効くと言われているのだ。
しかし、その繊細な味の感動を打ち消すほどに、フリフリエプロンの叶歩が近づいて、陽菜乃の脳にピンク色の信号を走らせてくる。平常心を保っていられるはずがない。
「おいしい?」
「お、おいしいよ」
「よかったぁ」
叶歩は目を細めて口に手を添え、ふふふと笑う。その仕草はやはりかわいくて、胸の奥がきゅっとなる。
それを見た陽菜乃はつい、次の一口を待つかのように、口を開いてしまう。
「はい、あーん」
***
「くしゅん」
おかゆを食べ終わり、叶歩が食器を片付け終わった頃、陽菜乃の口からくしゃみが出た。
「やっぱりまだ体悪いね。もっとあったかくしよっか」
叶歩はそう言って、陽菜乃が入っているベッドに、その細い体を忍ばせてくる。
「お、おい、叶歩、なにして……」
「こうしてると、もっとあったかいでしょ。きっと早く治るよ」
叶歩は布団の中で向き合いながら、肢体を絡ませてくる。彼女のホッカイロのような体が全身にまとわりつき、体の内側からぽかぽかしてくる。
「……お前がこうしたいだけだろ」
「バレちゃった?ふふふ」
叶歩の顔を至近距離で眺めながら、陽菜乃はため息をついた。でも、こうしているのもなんだか心地よいので、もう少しだけこの体勢でいることにする。
「ねぇひなのちゃん、雨に濡れて倒れる直前、自分がなんて言ったか覚えてる?」
「……?俺が、なんか言ったか?」
そもそも、記憶があいまいでよく覚えてないのだ。いつ意識を失って、いつ叶歩が来たのか、その前後関係がよくわからない。
「ううん。大した事じゃないの」
「なんだよ。教えてくれよ~あんまり思い出せないんだ」
「じゃあ言っていい?あのね。多分寝ぼけてただけだと思うんだけど──」
「……ちゅー、しよう。って言ってくれたんだよ」
「えっ」
そう言えば、うっすらと、夢の中でそんなことを言った記憶が……いや、もしやあれは夢ではなく、現実を夢と誤認してたのか!?だとすれば……俺は叶歩になんてことを言って……
「ちょっ!忘れてくれ!きっと本当に寝ぼけてただけなんだ」
「そっか。でも寝ぼけててもそんなこと言うなんて、相当重症だと思うんだ」
叶歩が向けてくるいたずらっぽい視線に、弁明する言葉も思いつかず、黙ってしまう。
「……あのね。ボクはね、恋心と友情は、両立すると思うな」
陽菜乃が何も言えずにいると、叶歩がそんなふうに語りかけきた。毛布の内側で叶歩の吐息がもわもわと充満し、まとわりつく。陽菜乃の心臓の鼓動の音が響いているのが聞こえる。
「ボク、何があっても“悠馬”のこと忘れないからね。だから、あんまり我慢しないで、素直になってほしいな。ボクはぜんぶ、受け止めるよ」
「そ、それってつまり……」
陽菜乃が喉を震わせると、叶歩は陽菜乃の口に人差し指をおしつけ、「察して」と囁いた。
「……今はまだ迷いが捨てきれないかもしれないけど、いつかその気になったら、ひなのちゃんから歩み寄ってくれるとうれしいな」
陽菜乃は黙ったまま、叶歩の顔を見つめる。温もりが染み渡る毛布に包まれた叶歩の瞳は、どこか潤いを帯びていた。
◆◆◆
(あとがき)
こんにちは。ここまで読んでくれた方、いつもありがとうございます。
次回からはしばらく、ふたりが仲良しな回になります。夏葉と武田のその後も書きたいなぁ……やりたいこと沢山あるので、応援してくれる方は、ぜひフォローや、目次から☆レビューを頂けると作者が喜びます。
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