18 ぽかぽかタイム

誰もいない海辺の教会で、幸せの鐘が鳴っている。


 わたしの頭頂部から、透明に透き通ったヴェールが垂れている。大胆に肩を出したわたしのドレスは、ふわふわひらひらで、歩くとちょっとだけ重い。わたしはなめらかな心地のサテングローブを包んだ両手で、ブーケを抱えていた。


「ほら、グローブ外して」

 わたしと同じく、ウエディングドレス姿の叶歩がわたしの手をぎゅっと握る。彼女の栗色の髪には花飾りが散りばめられていて、とても華やかだった。そんな彼女の手のひらには、キラリと光る指輪が。


そうだ。わたしたち、男の子だったのにお嫁さんになるんだ。


 グローブを外した手を、叶歩に掴まれた。叶歩はダイヤモンドの指輪をつまみ、そのままわたしの華奢な薬指にはめる。

 そして、わたしも叶歩の柔らかい手を握り返す。そして、その尊い薬指に指輪を通した。


「ひなのちゃん、最高のつけ心地だね」

「うん」


叶歩はわたしの顔を覆うヴェールをかきあげて、顔を近づける。彼女の顔には華やかな化粧が施されていて、とても優雅だった。ワインレッドに染まった唇に木漏れ日が差し込んで、艶やかに光っている。


 誓いのキス。叶歩の顔が近づいてくる。わたしもそれに呼応するように口を押し付けた。ふっくらとした唇はとても硬くて、まるでプラスチック製のケースのようだ。調子に乗ってさらに強く唇を押し付けると、叶歩の口がボタンのように沈み、『ジリリリリ』と喜びの声をあげる。




「……へ?」

 陽菜乃は気が付くと、リンリンと鳴る目覚まし時計を大事に抱きかかえながら、そのボタンに向かって唇を押し付けていた。

「わわっ」


(お、俺、なんて夢を見て……なんだかこんなこと、前にもあったような)


陽菜乃は目覚ましを止め、周囲を見渡す。いま横になっているベッドは自分の家のじゃないし、学校の保健室の物でもない。でも、見覚えがある。ここは確か──


「ひなのちゃん!起きた!?」

ドタバタと階段を駆け上がる音が聞こえたかと思うと、ドアを勢い良く開けて叶歩が入って来た。あまりにも突然のことだったので、状況が飲み込めずに呆然としていると、叶歩が抱き着いてきた。そう、ここは叶歩の家だったのだ。


「もう!心配したんだよ……」

叶歩のあったかい体に抱き着かれているうちに、正気を取り戻してきた。そうだ、俺は確か神社で雨に打たれながら叶歩を待ち続けて、そのまま倒れて……


「ん?じゃあなんで俺は叶歩の家にいるんだ?」

「……ボクが運んだんだよ。ひなのちゃん、熱出して倒れちゃったから。あの神社からだとボクの家のほうが近いでしょ?」

 陽菜乃はその言葉を聞いてはっとした。あの時、叶歩がほんとうに約束を忘れてしまったのではないか、と陽菜乃は考えてしまったのだ。それを思い出し、申し訳ない気持ちで溢れる。


「ありがと。……あの時の約束、忘れてなかったんだな」

「大事な約束、忘れるわけないでしょ」


 陽菜乃はその言葉を聞いて、涙が滲んできた。叶歩が友情を忘れてしまったと思って、やってはいけない妄想にふけっていた自分が恥ずかしくなる。


「それでさ、ひなのちゃん。救難信号サインを使った理由を教えてくれる?助けてほしかったんだよね?」

「そ、それは……」


 陽菜乃は少し伏目になる。


「そ、その……笑うなよ?このサイン自体を、叶歩が忘れてないか確かめたかったんだよ」

「え?ボクが?」

「いやその……ほんと今となってはお前に失礼だなって思うんだけどさ、女になってから、俺たちが男として過ごしてきたこと、叶歩が忘れてないか心配になっちゃって……」


陽菜乃が自信なさげにそう言うと、叶歩はほっぺたをふくらませた。

「もう!忘れるわけないじゃん!全部話してあげようか?ボクがどれだけ“悠馬”のこと好きか、わかってないでしょ!」


そう言って叶歩はカバンから分厚いノートを取り出し、そこにびっしりと、綿密に記された二人の思い出を見せてきた。


……何一つ、全部、忘れられていなかった。そこには出会ってから今までのことがずっと、丁寧に記されている。


「……これ、全部女子になってから書いたのか?」

「そうだよ。忘れたくないからね」

「なんだよそれ……叶歩を疑ってた俺がバカみたいじゃん……俺なんかより、ずっと大切に思い出を守ってるじゃん……」

「えへへ。ゆーまのかっこいい思い出も、恥ずかしい思い出も、全部書いてあるからね」

「……ありがと」


 一呼吸置いたところで、陽菜乃の喉から、こほんと咳払いが出た。そこから連鎖するように、げほげほと肺が締め付けられる。


「ひなのちゃん。ずいぶん無理しちゃったんだから、しっかり休もうね」

「……いや、お前ん家借りて悪いよ。せめてうちに帰ってから──」

「だめっ!そんな体で歩けないでしょ!それに、せっかくボクを頼ってくれたんだから、もっと助けたいの……」


 叶歩はそう言って、陽菜乃の手をぎゅっと握ってくる。こうしていると暖かくて、自然と楽になってしまうような気がする。

 叶歩にはもっと素直になっていいんだ、と。そんな気持ちが湧き上がってくるのだ。


「……あのさ。俺が女になって、初めて帰った時、まず最初にランドセルの中を見たんだ。なんでだと思う?」

「……ランドセルの色が変わってたから?」

「うぅん……それもあるけど、俺、昔ハルがくれた折り紙を、ぜんぶそこに保管してたんだ」

「え、あの折り紙、全部とってたの!?初めて作ったの、小1の冬とかだよ?」


 叶歩は口をあんぐりと開けながら、抜けた声をあげた。


「ああ。……でもな、あの時、ランドセルの中見たら折り紙は全部なくなってたんだ。どうやら俺たちが女として生まれた世界では、叶歩は俺に折り紙を渡さなかったらしい」

「そっか。」

 叶歩はどこか寂しそうな顔をして、俯いた。彼女が座っている床が、ぽたぽたと濡れる。


「おいおい、なにも泣くことじゃ……別に気にしてるわけでもなくて……」

「ばか!うそつき!5年以上も大事にとっておいたんだから、気にしてるに決まってるでしょ!」


 叶歩はぷんぷんとしながら、人差し指で陽菜乃の頬をつつくと、なにやらがさごそと戸棚を漁り始めた。

 その右手に握っているのは、折り紙の入ったケースだった。


「……そんなに大事にしてたなら、また作ってあげるー」


 叶歩は床に折り紙を広げて、丁寧な手際で花を作っていく。まるで生命を吹き込むように、叶歩は赤いチューリップを咲かせた。

「チューリップか」

「……深い意味とかは、考えないでね?」

「どういうこと?」

「いや、わからないならいいの」


 チューリップといえば、叶歩が最初にくれた折り紙だ。だからこそ折ってくれたのだと思うが……それよりも深い意味など、あるのだろうか。まぁ、考えても仕方ない。こほこほと咳をしながら、枕元にチューリップを置いた。


「ほんと、安静にしてね。今日は一日、ひなのちゃんのために過ごすからね」

「……ありがとな」

「あ、そうだ!見せたいものがあるんだ」

「見せたいもの?」


 そう言って、叶歩は寝室を出て行った。なにやら物品を漁る物音が聞こえてくると、しばらくしてまたドアが開いた。


「じゃーん!似合ってるかな?今日はひなのちゃんのこと、沢山労っちゃうからね」


 そう言って登場する叶歩は、ピンク色のフリフリエプロンを纏い、ピースをキメている。その愛おしい姿を見て、陽菜乃は思わず、よだれを飲み込んでしまう。


◆◆◆

(あとがき)

こんにちは。ここまで読んでくれた方、いつもありがとうございます。


シリアスめな展開が続きましたが、ここからは久しぶりにほのぼの~な展開になっていきます。ふたりのゆったりとした甘いいちゃいちゃが気になる方は、ぜひフォローと、作品詳細から☆レビューを頂けると、作者が喜びます。

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