11 女の子らしさ向上講座
「夏葉ちゃん、女の子らしさを磨こう!」
叶歩は熱心に、夏葉の手を掴む。その表情は、やる気に満ち溢れた顔だった。夏葉の話に感慨して、叶歩なりに思うことがあるのだろう。
「いや……佐藤、どういうことだよ。どうして俺と武田が復縁するのと、女らしさが関係あるんだ」
「だって今の夏葉ちゃんって、男の子として自分を強くみせたい、って思ってるから自信がないんでしょ?
でも、その体だと男の子らしい強さを持つことができない。だから今のままじゃ、ずっと燻ってるだけだよ。
ならいっそ女の子であることを認めて、強さよりも繊細さや、品格を身に着けたほうがいいと思うの」
叶歩の言うことにも一理ある気がする、と陽菜乃は思った。
確かに、女性の体になった以上は、いつかは女性社会に適応していかなければならない。特にスポーツ……物理的な力がモノをいう環境を通じて人間関係を築いてきた夏葉の場合、非力になってしまった今は、別のアプローチをする必要があるのかも。
「いや、そうかもしれねーけど……女らしくって言ったって、ここにいるのは皆男だし……」
「大丈夫!ボクね、こんなこともあろうかと色々勉強しておいたんだよ!女の子の振る舞い方について」
叶歩は自身満々に立ってみせ、堂々たる態度で説明を始める。名付けて、『女の子らしさ向上講座』。
「夏葉ちゃん、ボクを信じて、一緒に女の子らしさについて勉強してみない?」
「……わかったよ」
もそもそと呟く夏葉のまなざしには、おぼろげな決心と、少しの恥じらい、そして彼女の迷いを想起させるような空気が纏っていた。
「まずはね、立ち振る舞いから変えてみようよ!ピシっと立つようにしなきゃ!」
「……は、はい」
叶歩はまるで講師にでもなったかのように声を張り上げる。それに圧倒されて、夏葉は少し弱々しく返事をする。
ただ、確かに叶歩の言う通り、夏葉はどこか猫背ぎみだ。そのせいで、どこか暗い印象を与えてしまっているような気がする。
「ほら、背筋はピンと伸ばして……ちょっと顎引いてさ……あと、表情もにっこりで」
夏葉は叶歩の言われた通りに立つ。叶歩の指示は的確で、立ち振る舞いを変えるだけで印象が段違いだ。今の夏葉からは、前とは違う朗らかな雰囲気が漂っている。
「それに、その言葉遣い……ツンツンしすぎだよ!もっと柔和にふるまってみてよ!」
「柔和って言ったって……俺わかんねーよ」
「それ。『わかんねーよ』じゃなくて『わかんないよぉ』みたいに、言葉に余韻を残したほうが、優しい雰囲気が出るんじゃない?ほら、やってみて!」
叶歩がそうやって指示すると、夏葉は恥じらったような顔をして呟く。
「わ、わかんないよぉ…………」
「うん!いい感じだよ。あとは、そうだ。せっかくだし一人称も変えてみたら?いつまでも『俺』だとやっぱりおかしいよ」
「え……そ、そうかなぁ……」
一人称。確かに、男の名残で『俺』にしていると周囲から不審感を抱かせる気がする。夏葉だけでなく、陽菜乃も『俺』を使っているが、そのせいで実際に、家族や、叶歩の姉である美咲に違和感を持たせた。しかし、一人称を変えてしまうと男の自分を忘れてしまったみたいで何か嫌だから、陽菜乃はまだ『俺』を使うことを決めている。
夏葉にとっても、一人称にはこだわりがあるのではないだろうか。一人称というのは、自分を象徴するような意味合いを持つものなのだ。
「……本村、いいのか?やっぱり男としてのプライドがあるんじゃないのか」
陽菜乃がやや心配ぎみにそう言うと、夏葉は少し考えたような顔をして、ぼそぼそとつぶやく。
「いや……いい。きっと、こういうとこから変えていかないとダメなんだ。」
陽菜乃の心配を、夏葉はひらりと
「そ、そうか……」
「夏葉ちゃん、じゃあ言ってみて。『わたし、夏葉だよ』って」
「わ、わたし、夏葉だよぉ……」
夏葉はすっかりともじもじしながら、やや俯いて鈴のような声を震わせる。すると、しばらくの間沈黙が流れる。
「ご、ごめん。今のはちょっと変だったな!?」
夏葉はすぐに正気に戻り、ごまかすようにその演技を卑下した。
「いや、かわいいよ?ね、陽菜乃ちゃん」
「う、うん……俺もかわいいと思うぞ」
「か、かわ……そうか……」
夏葉は、すっかりと顔を赤くしてしまった。そんな彼を見て、叶歩は再度、夏葉の気持ちを確認する。
「夏葉ちゃん、どうかな?女の子らしくなりたいと思った?別に強要してるわけじゃないから、嫌だったらここでやめていいんだよ。」
「う、ううん……その……」
夏葉は顔を伏せながら、もごもごと口を動かしている。
こうやって女の子のように扱われていると、夏葉の心の中で、なにかむずむずした気持ちが心をくすぐるのだ。それは恥じらいの中にどこか心地よさが混ざっているような感情で、彼女はその気持ちにどこか安心し、身を任せたいと思うようになっていた。
陽菜乃と叶歩は、夏葉の中にある『男のプライド』が傷ついてしまうのを心配していた。しかし、このとき夏葉は既に、男としてのプライドを失っていたのだ。
そう、武田との最後のサッカーでボロボロになってから、彼のプライドは引き裂かれてしまった。
その瞬間、彼の中で、ある願望が産まれてしまったのだ。
──もっと弱くなりたい、と。
彼は強くなれない今の自分を、とことん弱々しい殻に包んでしまいたくなったのだ。
彼はその感情を誰かに打ち明けることもできず、ずっと秘めていたし、自分でもその感情を肯定してはいなかった。弱音を吐くことも許されない厳しいサッカークラブで生きてきたので、自分を弱く見せることに抵抗があったのだ。
しかしこうやって女の子のようにふるまっていると、その感情が開放されていくのだ。二人に『かわいい』と言われることで、夏葉はその気持ちに、完全に気付いてしまった。
もう、強くなくていい。かわいければ、弱くても愛される。もっとかわいくなりたい。もっとかよわくて、愛嬌のある自分になりたい。夏葉はその感情に完全に支配されてしまった。
「……おい、本村?」
夏葉は俯き、肩を小刻みに震わせる。そして夏葉の眼差しに決心したような光が宿ると、次の瞬間、夏葉は一歩前に踏み出した。
「叶歩ちゃん、もっと教えてほしいの!わたし、もっともっと女の子になりたい!」
「……そっか、そんなに女の子になりたいんだね。じゃあ、次はファッションも変えてみようか」
叶歩は夏葉の願望を聞き入れ、屈託のない笑顔でそう言った。
そして、「ひなのちゃんはしばらく待っててね」と言って、夏葉の手を引き、別室に連れていった。
陽菜乃は嬉しそうな顔で別室に連れていかれる夏葉を、ぽかんとした顔で見ていた。
夏葉は明らかにさっきまでと態度を一変させて『女の子になりたい』と懇願していた。それを見て、陽菜乃は呆然としていたのだ。
(……いやいや。あいつが自分の意思で願ったんだから、俺がショックを受けてどうする)
しかし、そう思おうとしても、陽菜乃の心には煙が立ち込めたようだった。
叶歩は、例の性転換現象が起こった日から、女性として適応していた。振る舞いやファッションも、本当の女の子と言われても差し支えないほどのレベルだった。彼女なりに、色々と努力したのだろう。
……もし、夏葉も叶歩のように女性らしく適応したなら。
陽菜乃は、いよいよ取り残されてしまうのではないか。友達がみんな女性らしさを身に着けていく中で、陽菜乃は独り、『男らしさ』に縋り続けるのだろうか。
陽菜乃は、男らしさを失いたくない。もし失ってしまえば、男として過ごしてきた温かい記憶や青臭い青春が、みんななかったことになってしまうみたいで、嫌なのだ。
しばらくの間そんなことを考えてもやもやしていると、ノックの音が鳴り響いた。おそらく、夏葉と叶歩が『女の子らしさ向上講座』を終え、戻って来たのだろう。
「入っていいぞ」
陽菜乃はそう言ってドアを開ける──そこには、先程までとはまるで変わり果てた空気を放つ少女がいた。
チョコ色のサスペンダー付きスカートが、ふわりと揺れる。
そして、彼女の体を包むミルク色の丸襟ブラウスが、クラシカルな雰囲気を醸し出している。
ゆるく結われた三つ編みツインは左右に揺れ、どこか儚げな優美さを演出する。
彼女の立ち振る舞いや歩き方はとても上品で、まるでどこかのお嬢様のよう。そこにいたのは、麗しくてかよわそうな、一人の美少女だった。
「ねぇ……わたし、かわいい?」
──変貌した夏葉が放つその言葉に、陽菜乃は息を詰まらせる。
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