07 ふわふわ毛布にくるまって


 桜色のロリータワンピースを纏った陽菜乃を、叶歩はぎゅっと抱きかかえるようにして、支えていた。陽菜乃は、叶歩に体重を預けながら、柔らかな彼女の肌を感じる。ゼロ距離でお互い見つめ合っていると、なんだか体が湯たんぽのように温まってきた。


「ごっごめんな叶歩!すぐ離れるよ」


 陽菜乃は、叶歩が女になってから距離を作っていたことを思い出し、すぐにこの体勢から逃れようとする。華奢で弱々しい体になってしまった叶歩にとって、男の精神を持つ陽菜乃に触られるのはきっと怖いのだろう。


「違うの、待って!」


 陽菜乃が手を放そうとした瞬間、部屋の中に叶歩の声が反響する。


「あのね。ボクは別に、ひなのちゃんにこうやって触られるのは、全然怖くないの。だって、信頼してるから。逆に、ひなのちゃんがボクに触られるのが怖くないかって心配して……そう思って、距離を取ってただけだから。だから、ひなのちゃんが許すなら、ボクはこのままの距離で、大丈夫なんだよ」


「へ。そうだったのか?……それなら、俺も大丈夫だよ。俺だってお前のこと、信頼してるし。怖いわけないだろ。……前みたいに触ってもいいんだぞ」


「……そっか。ボク、ひなのちゃんのこと全然分かってなかったや」


 ふたりは体を寄せ合いながら、ふふふと笑いあう。こうしてくっついているのは、男時代ぶりなので、なんだか嬉しくなってしまう。


「うんうん。イマドキJCの友情はお熱いもんだね。こりゃお姉ちゃん的にも眼福です」


(やべ、美咲さんに見られてるんだった)

 美咲が、腕を組んで満足げな顔をしている。陽菜乃は顔を伏せ気味に下げて、叶歩の体から手を離した。


「あれれ、もしかしてお邪魔しちゃった?」

「いいんです!別に俺たち、ただの友達ですから!」

「そ、そーだよぉ……おねーちゃん、変なこと言わないでよ」


 叶歩は陽菜乃の袖元を掴みながら、ほっぺたをふくらませた。


***

 そろそろ夜も更けてきたので、寝巻きに着替え直した。洗面台で化粧を落とした後はふわりとしたタオルで濡れた顔を拭い、寝室へ向かった。


「……陽菜乃ちゃん、どこで寝る?」


 寝室にあるのは、ふたつの立派なベッド。ひとつは美咲が普段使っているもので、もう一つは叶歩のだ。部屋のレイアウトを見ながら、陽菜乃は選択を迫られる。


「どこで寝るって……その……うん。どこでもいい。」


 どうすればいいのかわからず、『どこでもいい』と答えてしまった。

 いくらなんでも、このベッドを客人の陽菜乃が使う、と言うのは図々しいだろう。しかし叶歩も遠慮しがちな性格なので、微妙な空気が流れる。


「いや、俺リビングのソファとかでいいから。」

「そ、それはだめだよ!腰痛めちゃうって……それに、せっかく来てくれたのに別室はさびしいよ……」


 叶歩はそう言って、目をそらした。別室が嫌だというのなら……寝室で寝るしかないのだが。この二つのベッドで、どうやって三人寝るか。それが問題なのだ。ふたりとも、その案を提示できずに微妙な空気が流れていると、部屋の端っこで会話を聞いていた美咲が、あっさりと二人の気持ちを代弁した。


「いや、二人とも仲良しなんだから、一緒に寝ちゃえばいいじゃん」


 ──もちろんその案は思い浮かんではいたのだが、言い出せなかったのだ。それが最も図々しいのではないか、とさえ思っていた。お互い触れるようになったとはいえ……さすがに同じ布団にくるまって一夜を過ごすのはいきなりすぎるというか……もう少し、順序ってものがあるのではないだろうか。


「叶歩……いいのか?」

「……ボクは別に、かまわないよ」


 叶歩は恥ずかしそうに口許を抑え、上目遣いでベッドの上に座っている。美咲によって予備の枕がパスされると、叶歩は掛け布団をひらりとめくりあげて、「おいで」と言った。そんな叶歩を見て、陽菜乃は唾を飲み込んだ。


 男の時に何度かこの家に泊まったことがあるが、その時は特になんの懸念もなく、同じベッドで寝ていた。立派なサイズのベッドなので、窮屈にもならないし、それなりの距離は置くことができるのだ。


 しかしやっぱり、気まずい。いくら空間に余裕があるとはいえ、ちょっとくらいは肌が触れる。それに……いくら叶歩を男だと思っても、かわいいものはかわいい。内に秘めた野生が暴走してしまう可能性も、ゼロではない。


 無論そんなことがあってはならないし、しない。それに、同室に美咲もいるのだから、叶歩の安全は確保されている。だから、叶歩の許可さえあるのならば、この寝床に入るのは、罪ではない。


 内心ドキドキが止まらないが、叶歩が誘っているのだからそうするしかないのだ。

 陽菜乃は布団の下に足を差し込み、やがて完全に、布団の中に体をくるませた。


「じゃ、電気消すね」


 叶歩がスイッチを押すと暗転し、視界が失われる。

 そして叶歩は布団をめくりあげ、その細くてしなやかな体躯を、ベッドのシーツと掛け布団との間に忍ばせる。


「ひなのちゃん、おやすみ」

「……おやすみ」


 陽菜乃は枕の下に手をおいて、横向きになって目を瞑った。


──といっても、寝れるわけがなかった。


 可憐でどこか儚げな姿の少女が、自分のすぐ隣で無防備に寝息を立てているのだ。いくら誠実で硬派な性格の陽菜乃といえど、年頃の男子としては緊張するに決まっている。

 結局眠りにつくこともできないまま、ずっと目を閉じている。じっとしていようと思ったが、なんだか落ち着かなくて何度も首の向きを変えたりした。


 そうしたまま、随分と長い時間が経った気がする。今は何時なのだろうか……そろそろ睡魔も強くなってきたので、眠れそうだ。もう何も考えないぞ、と思って枕に顔を沈み込ませると、隣からなにやら、がさごそと音が聞こえた。


「ん……」

 叶歩が寝ぼけた声を出して、目をこすっている。……起きてしまったのだろうか。陽菜乃は慌てて目を閉じ、寝たふりをする。

 なぜ寝たふりをしたのかについては、自分でもよくわからない。

 ただ一つ言えるのは、叶歩の存在を意識すると緊張してしまうせいで、正常な判断ができていないことだ。軽くパニック状態に陥っていた。


「ふぁ~」

 目を閉じているので目視できないが、これは欠伸の音だろう。


 ふぁさっとした音が聞こえると、布団の中に冷えた空気が入って来た。叶歩の目が覚めてしまったのだろうか。聴覚から状況を予想するしかないが、おそらく彼女は布団をめくりあげて辺りを見回しているのだ。……まだ暗いので、どうせまたすぐに、眠ってしまうだろう。


「ゆーま寝てる……」

 叶歩は、寝ぼけたような声でそう呟いた。いや、君のせいで一睡もできていないのだが、と心の中で呟く。ともかく、狸寝入りをしていることはバレてないみたいだ。


 ただ、叶歩が男の時の名前である『ゆーま』と呼んでくれたのは少し嬉しかった。普段は周りに混乱を招かないよう、お互いに女の名前で呼ぶことにしているのだが……悠馬は、男の自分が世界に忘れられたみたいで、喪失感を抱いていたのだ。

 だから、叶歩が『悠馬』の自分を忘れないでいてくれて、すこし胸が温まった。


 そうやって寝たふりを続けていると、なんだか頭の側面にすこしだけ重みを感じた。……まさか、髪を触られているのだろうか。いつもの、叶歩のいたずらだろう。

 そう思い、彼女の無邪気さに呆れながらも寝たふりを続けていると、今度は頭頂部──頭のてっぺんからこめかみにかけて、叶歩の手がスライドした。


(……もしかして、撫でられてる?)


 ……まったく、俺を小動物とでも思っているのか、と陽菜乃は心の中でつぶやく。叶歩の手は、何度も陽菜乃の頭を往復する。どこか優しさを感じさせる手つきで。そうされていると、心が安らいでいくような感覚に陥っていく。

 目視できないが、叶歩は今どんな顔をしているのだろう。


 そんなことを考えていたら、愛撫は止まった。陽菜乃は『そろそろ、二度寝を始める頃かな』と思った。そうやって安心していた時だった。


 彼女の頬に、生暖かい息がかかったのだ。


(顔が近い……!?)

 叶歩の鼻息が、陽菜乃の頬をくすぐる。

 なんだかこそばゆくて、ドキドキする。ぞわぞわと頬を撫でる鼻息の強さから、どれくらいの距離が離れているのか、概算する。……おそらく、自分の顔を覗き込んでいるのだろう。しかし真っ暗な部屋なのだから、俺の顔なんて見ても面白くないだろ、と陽菜乃は思う。

 

 そうしていると、頬に当たる鼻息がさらに強くなった。

(……また近くなった?)


 叶歩はさっきまで、自分の顔を覗き込んでいる体勢でいると思っていたのだが。風圧がまた強くなったということは、それよりもまた近くなったということだ。しかし、さっき顔を覗きこんでいたのならば、それよりも近づくのには、限度があるはずだ。限度があるというのは、物理的に、だ。物理的にというのは、そう。それ以上近づいたら──


……こんなふうに、くっついてしまうから。


(えっ……!?)

 陽菜乃の頬に、なにか柔らかいものが当たった。

 マシュマロのような弾力を持つそれはほんのり湿っていて、陽菜乃の頬に沈んだ。


 そして次の瞬間には、その柔らかいものは離れていた。


……その柔らかいものがなんなのか。どうしてそんなことをしたのか。……自分の中で予想は立っているのだが……


 いやいや。そんなわけない。


 これはきっと、事故。……だから忘れてしまおう。

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