06 ロリータな俺は
「ばっばーん!みてみて!これ」
叶歩がそう言って見せびらかしてくるのは、ピンク色を基調としたワンピース。胸元やスカート周りなど、いたるところに深い桃色のリボンがあしらわれている代物だ。
襟元とスカートの裾に広がるのは、おびただしいほどのフリル。桜色の生地には、さくらんぼの絵が描かれていて、その服のガーリーさをさらに増強させている。
「なっなんだよこれ……どうしてこんなの持ってるんだ」
「それ、私が若かりし日に着てた甘ロリワンピだね。ひなのちゃんにも似合うと思うよ。やっぱ女の子はかわいい服着ないと」
「みっ美咲さん……でもこれは……」
陽菜乃は女の子になってから、ファッションを地味めなパーカーやズボンで済ませていた。元男である陽菜乃にとって、女の子らしい服を着るのは、なんだか男が女装しているようで恥ずかしいのだ。
制服以外のスカートを履いたことすらない陽菜乃にとって、この装備はあまりにもハードルが高すぎる。そもそも、この服は本当の女の子ですら恥ずかしがってしまうレベルで装飾がもりもりだ。
「ひなのちゃーん?罰ゲームだから、もう逃げ場はないんだよー」
「うんうん。ひなのちゃんは顔いいから、きっと似合うよ」
叶歩は、満面の笑みを浮かべながらワンピースを差し出す。美咲も乗り気のようなので、どうやら本当に逃げ場を失ってしまったな、と悟る。陽菜乃は顔を青くしながらも、覚悟を決めた。
「わかったよ!着ればいいんだろ!着れば!」
***
「……それじゃあ、お願いします」
女性の服についてのいろはもわからない陽菜乃は、美咲に着るのを手伝ってもらうことになった。一枚脱いだ姿を見られるのは少し恥ずかしい気もするが、そこは我慢だ。
まぁ、美咲は陽菜乃の性別が変わった現象を知覚していないのだから、特に気まずさもない。
……ちなみに元男である叶歩は、空気を読んで部屋を退出した。
「ひなのちゃん、ブラつけてないの?大きさ的にも、そろそろデビューしたほうがいいと思うよ」
陽菜乃がパジャマを脱ぐと、美咲が彼女の胸元を見つめて、そうぼやく。陽菜乃は自宅のタンスの引き出しにブラジャーが入っているのを見たが、なんだか恥ずかしかったのでそれに触れないようにしていたのだ。
「えっ、えっと……そうですね。そろそろつけてみようかな、と思ってたところです」
自分の胸の話題はなんだか恥ずかしいので、適当にごまかす。
(ブラジャー、叶歩もつけているのだろうか)
「うん。最初は抵抗あるかもだけど、体の成長を守るためでもあるから、お母さんと相談してみてね。さてと、それじゃあお着換えはじめよっか」
……あまり本意ではないが、美咲さんの言うことだから、たぶん正しい。明日家に帰ったらつけてみようか。
そんなことを考えると、美咲はふりふりの靴下を渡して「これ履いてね」と言ってきた。
「えぇっ……服だけじゃないんですか」
「せっかくかわいい服着るんだし、足元もこだわらないと損だよ?」
陽菜乃は美咲の言われるがままに、渡された靴下を履く。
表面に施された繊細な刺繍が、無駄毛の一つもない陽菜乃の足元を包み込んだ。ぞわぞわとした感触が少しこそばゆいが、なんだかクセになってしまいそうだ。
「それじゃ、下準備も済んだしワンピ着ようか。ロングスカートだから、足元転ばないように気を付けてね」
美咲はワンピースの背面にあるファスナーをおろして、陽菜乃に渡した。そして、開いたファスナーの割れ目から服の中に入り込む。いざ袖を通してみると、なんだかゆったりとした着心地だ。
「うん、サイズもぴったり。じゃあ、ファスナー閉めるね」
背中からきゅーっとファスナーを閉められると、心地よいくらいの圧力が上半身にかかる。
こういうワンピースを着るのは初めてだが、丈が長いぶん、下半身に安心感がある。その面では、制服のスカートよりは幾分かましだ。だが、ピンクという乙女チックな色合いに、リボンとフリルがこれでもかと纏わりついているのが問題だ。
小学校6年間と少しの期間を男性として過ごしてきた陽菜乃にとって、こういうかわいい服を纏うのは、やはり恥ずかしい。特に思春期の男社会では、『かわいい』に憧れを抱いたものは、周りに『女の子みたい』と軽蔑の声を浴びせられるのだ。だから、女の子っぽいものが気になっても、その関心を隠して生きなければいけない。そんな固定概念を陽菜乃は抱いていた。
──ほんとは、せっかく女子になったのだから女子のおしゃれを楽しんでみたい。陽菜乃の心は、実はそんな気持ちを内包していたのだが、男社会に染まった陽菜乃は、その気持ちを固い殻に閉ざして、パーカーにズボンというボーイッシュめな服を選んだのだ。
「ひなのちゃん、どうかした?やっぱ恥ずかしい?」
「……ううん、ちょっと安心しました。自分もかわいい服を着ていいんだ、って」
「そっか。ほんとはかわいいの着たかったけど、我慢してたんだ?」
「……叶歩にはナイショですよ」
「ふふっ、シャイさんだね。あ、そうだ。ちょっとだけお化粧もやってみよっか」
***
「ひなのちゃん、入るよー?」
ドアの外側から、叶歩の声が聞こえる。陽菜乃は擦れ声で「うん」と言うと、ドアがゆっくりと開く。そしてドアを開けた先にいた陽菜乃の姿を目視した瞬間、叶歩の呼吸は止まった。
陽菜乃は、サファイアブルーの瞳を半開きにして、その場にちょこんと座っていた。内股になった膝元からは、ロングスカートが川のように広がっている。陽菜乃はきめ細かな前髪を手櫛で整えて、顔を上げた。
星空のように清らかな肌に、ふっくらと色づいた唇。その整った顔が深みのあるリボンに彩られ、際立っている。さくらんぼ柄の生地は、全体をさらに甘美に仕立て上げ、もはや可憐さが洪水を起こしているようだった。
「叶歩、どうした?……やっぱ変かな?」
叶歩は両手で自分の顔を抑えて、そのまま黙りこくってしまった。……陽菜乃は叶歩の反応を内心期待していたのだが。陽菜乃はなんだか様子のおかしい叶歩を見て、あまり似合っていないのかな、と思ってしまう。
だが、違う。叶歩は悶々として言葉が出せなくってしまっただけなのだ。ドアを開いた瞬間から、乙女よりも乙女らしい、陽菜乃の可憐なオーラが直撃してしまい、思わず直視できなくなってしまったのだ。
「叶歩、ひなのちゃんがかわいくてメロメロになってるんだよ。軽くだけど化粧した甲斐があったね。ほんと、素材良すぎて感動したわ」
「え……?」
美咲さんがそんなことを言ってくるから、びっくりしてしまった。からかっているのだろうか、と思ったが、叶歩はそれを聞いて、顔を隠すように俯いた。
「いやいや、ふたりともそんなオーバーリアクションして。叶歩、別に変なら笑っていいよ」
「……変じゃないよ」
叶歩が隠した手を退ける。その顔がすっかり紅潮していたもんだから、ドキッとしてしまった。
「叶歩。素直に褒めてあげな。陽菜乃ちゃんが困ってるよ」
「……う、うん。ごめん。すごくかわいいよ。ちょっとボク照れちゃって……ごめんね。でも照れちゃうくらいかわいいよ」
陽菜乃は本当かよ、と呟く。しかし、叶歩はからかってるような声色を出してもいないし、普段はこんなふうに、陽菜乃に対して萎縮した態度を取ったりしない。……まさか本当に、本心なのか。
「……あっありがとな」
ちょっと照れくさいが、褒めてくれたのだから感謝はする。……『かわいい』というのは不思議な言葉だ。言われるとそりゃあ……嬉しいのだが、なんだか切なくなるし、罪悪感も湧いてくる。
陽菜乃は、なんだか落ち着かずに立ち上がろうとする。その瞬間だった。彼女はロングスカートの裾に右足をひっかけ、バランスを崩してしまう。
「あっ」
「ひなのちゃん、危ない」
スカートの裾で転んでしまった陽菜乃の着地点には、叶歩がいた。叶歩は咄嗟に、陽菜乃が怪我しないよう正面から肩を両手で抑える。
「きゃっ……」
陽菜乃は反射的に、まるで本当の女性のような悲鳴をあげてしまう。
その時、陽菜乃の体重はすでに、叶歩に受け止められていた。そのおかげで、陽菜乃は怪我をせずに済んだのだ。しかし、陽菜乃と30センチの距離を保つようにしていた叶歩は、この状況に対し、完全に気が動転していた。
陽菜乃と叶歩の間にあった『できるだけ触らない』という秩序は、いま崩れ去った。ふたりは完全にゼロ距離で触れ合い、至近距離でお互いの顔を見つめ合う。
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