02 女の子になってしまった俺
悠馬は、彼の親友を名乗った少女に手を握られながら、複雑な感情を抱いた。
自分の体が変化したことに対する混乱が収まったころ、悠馬は辺りを見回した。すると、そこには驚愕の光景が広がっていた。
辺り一面の床に体を預けて、たくさんの女子たちが眠っているのだ。そこに、かつての男子校の面影は全くなかった。全員が悠馬とおそろいのセーラー服を着て、すうすうと寝息を立てているのだ。
やがて彼女たちが目を覚ますと、自分の姿を確認し、あちこちでパニックが巻き起こる。毛束を握って、長くなった髪を確認するものもいれば、失ってしまった男としての核心の部分に触れ、喪失感を味わうものもいた。
教室の様子を見るに、原因は誰にもわからないようだ。
ただ一つ言えるのは、このクラス全員が突然女の子になってしまったということ。
みんなのほとぼりが冷めてからしばらくすると、授業時間のチャイムが鳴り、数学担当の担任が教室に入ってきた。悠馬たちクラスメイトは大慌てでこの状況を説明しようとしたが、先生はパニックになっている生徒たちを見ると怪訝そうな顔をして、「何か困ったことでもありましたか?」と言い、取り合ってもらえなかった。
まさかと思ったが、この超常現象は先生には知覚されておらず、それどころか彼らは、最初から女子だったものと認識されているらしいのだ。悠馬たちは慣れない体のまま、授業を受けることになってしまった。
自分の名前まで変わってしまったことに気付いたのは、授業中だった。先生が『
悠馬は、顔を真っ赤にしながら立ち上がり、スカートを気にしながら『木崎陽菜乃』として黒板に問題を解いた。
しばらく過ごして、この謎の性転換現象について分かったことがある。
どうやら、悠馬たちは生まれた時から女子だった、ということになっているらしい。イメージとしては、『もしも自分が女の子だったら』というパラレルワールドにクラスメイト全員が転移してしまったのかのような感覚だ。
体、服装はもちろん、カバンの中までもが、『女子としての持ち物』に変わっているのだ。ペンケースはリボン付きのガーリーなデザインになっているし、カバンのチャックにはねこのマスコットがぶら下がっている。
花柄の長財布に収納されていた学生証には案の定、『木崎陽菜乃』という名前に、女子バージョンの自分の写真が印刷されてあった。戸籍までもが女に変わってしまったことを実感して、思わずため息をついてしまった。
……所持金は書き換わっていないようで安心したが。
もちろん、クラスメイトにも同様の事態が起こっていた。彼ら、もとい彼女らの個人情報や人間関係までもが書き換わってしまったのだ。
例えば、サッカー部のエースである本村翔太は、サッカー部に所属していたという事実そのものが書き換わり、手芸部になってしまった。彼はあまり器用ではなかったはずだが……大丈夫だろうか。
……悠馬はもともと帰宅部だったので、部活の変更現象を受けずに済んだが。
結論として、彼女たちが元男であったことはクラスメイト以外の全員が忘れてしまったらしい。これから大丈夫なのだろうか。
そもそも、ここは男子校だ。その中のいちクラスがまるまる女子生徒に書き換わってしまって何か支障が出るのではないのか、と思う所だが、悠馬のクラス、1年C組は『今年新設された女子クラス』というふうに学校から扱われているらしい。本当に不思議な現象だ。
「……本当に女の子になっちゃったんだな、俺たち」
「そうみたいだね~」
放課後、悠馬改め陽菜乃は、公園のベンチに座って波留と話していた。
ミニスカートにはまだ抵抗感を抱いていて、風でめくれないように必死にガードしていた。波留はそんな陽菜乃をちらちらとみて、はにかんでいる。
「……あんまりスカートみるなよぉ、ハル」
「ううん、今の僕はかほだよ!ひなのちゃん♪」
目の前にいる陽菜乃の幼馴染はそう言って、『佐藤
…………その名前で呼ぶのはなんだか違和感があるが、戸籍上完全に名前が変わってしまったみたいだから、今後『ハル』と呼び続けたら周囲に不審に思われるかもしれない。そう思い、お互いのことは新しい、女としての名前で呼びあうことにしたのだ。
「……かほ。この状況をなんか楽しんでないか?」
こんな不可解なことが身に降りかかっているのに、波留、もとい叶歩はずいぶんと晴れやかな声色で喋っているのだ。明るい性格の彼女らしいな、と思いつつも、彼女があまりにも楽観的なことに心配している。
……まあ、実際その明るさにいつも救われているのだが。
陽菜乃はそんなふうに思いながらじろりと叶歩の姿を見ていると、舌をぺろりと出し、「何事も楽しまなきゃ損だよ~」と言った。内心、そんな仕草がかわいらしく見えてしまうのが悔しいが、男友達である叶歩に『かわいい』なんて感情を抱くことはタブーだと思い、陽菜乃は首を振った。
(俺たちは親友。それ以下でもそれ以上でもないんだ。)
陽菜乃は心の中でそうつぶやき、ため息をついた。
「ていうか……これ、元に戻れるのかな……」
陽菜乃が頬杖をつきながらそうつぶやくと、叶歩は「どうだろうねぇ」と言って、考えるように黙り込んだ。しかし、結局原因なんてわかるはずもなく、その日は公園で解散となった。
「ばいばい。困ったことあったら連絡してねー」
「お、おう」
叶歩と解散した後、陽菜乃は自宅の前に立ち尽くしていた。というのも、家族が今の自分を受け入れてくれるか、やっぱり心配なのだ。
今までの仮説が完全に正しいならば、家族は自分のことを最初から女だと思っているはずだ。しかし、やっぱり心配になってしまう。
もし、『女性化した生徒以外は性転換したことを知覚できない』という仮説にどこか間違いがあったとしたら。
女子になった自分を見て、『あなた、誰?』なんて母に言われでもしたらどうしようか。
陽菜乃は、緊張しながら自宅のドアノブに手をかける。がちゃりとドアを開けるとその中から、いつもの調子の、母の「おかえり~」という声が聞こえた。
「た、ただいま」
陽菜乃が恐る恐るリビングへ向かうと、そこにはエプロン姿で夕飯を作っている母の姿があった。ポニーテールを結び、いつもと変わらず若々しい姿だ。母は陽菜乃の声を聞くと振り返り、にこりと笑った。
「ひなちゃん、おかえり」
「……あ、ああ。」
母は、女子になった今の陽菜乃の姿に全く不信感を抱かず、それどころか『ひなちゃん』と呼んだ。やっぱり、家族も他の人たちと同じように、陽菜乃のことを最初から女子だった、と思っているようだ。彼女は半分安心、半分複雑な気持ちを抱きながら、自室のドアを開けた。
「はぁ……これ、マジなんだ……」
自室の鏡に映っているのは、長い黒髪に清らかな肌、そしてぱっちりと大きな青い瞳を携えた美少女の姿だった。陽菜乃は変わってしまった自分の姿を見つめ、なんとも言えない気持ちになる。
それだけではない。自分の姿だけではなく、部屋の中身も書き換わっていたのだ。
部屋の隅に置いてあったはずの、小学生の時に遊んでいた電車や恐竜のおもちゃは、ちいさな着せ替え人形やぬいぐるみに変わり果てていた。黒かったランドセルの引っ搔き傷は消え、まっさらな赤いランドセルがぶら下がっている。
陽菜乃はまさか、と思いその赤いランドセルを開け、その中から一冊の分厚い本を取り出した。
……卒業アルバム。小学校を入学してから卒業するまでの、『悠馬』としての思い出がぎっしりつまった冊子。陽菜乃は、そのページをおそるおそるめくってみる。
──案の定だった。
アルバムに載っていた男子のうち、さっきあの教室にいた者全員が、女子になって掲載されている。もちろん、悠馬と波留(今は陽菜乃と叶歩)もだ。彼らの青春のすべてのページが、女の子に書き換えられていた。
さらさらのロングヘアを垂らす陽菜乃。スポーティーなパーカーに身を包み、ミルキーベージュのスカートを履いている。その隣では、フリフリの服を着た叶歩が笑っている。
──これが、自分たちの記録?
陽菜乃はそう思って、複雑な気持ちを抱いた。男としての自分がいなくなってしまったような喪失感が渦巻いたまま、ページをめくった。
気が動転しそうになりながら、彼は『女の子としての記録』を浴びせられていく。
──女子用の水着を着用し、プールサイドで叶歩と談笑する自分の写真。
──春色のワンピースをまとい、女子グループとブルシートを囲んで弁当をほおばる自分の写真。
──学芸会の劇のステージで、ドレスを着てお姫様の役を演じる自分の写真。
そのどれもが男の自分とはかけ離れたイメージを持っていて、嫌になってしまう。前までの自分が、世界から消えてしまったような感覚だ。陽菜乃は唾を飲み込みながら、偽りの記憶で満たされたアルバムをとじた。
アルバムを仕舞うと、スマホに通知が来ていることに気付いた。陽菜乃は手を伸ばして、机の上に置かれたスマホを手に取る。確認すると、叶歩からのメッセージだった。メッセージアプリのユーザー名も『叶歩』に変わっていて、また一つ、変化を実感させられる。
『どう?新しい生活には慣れそう?』
「まだびっくりすることも多いけど、がんばるよ」
『よかった!困った時はお互い助け合おうね』
できるだけ、余計な心配をさせないように。心の奥に渦巻いた喪失感を隠しながら文字盤をタップする。
陽菜乃はその後も、ベッドの上でイルカのぬいぐるみを抱きしめながら、叶歩とのチャットに明け暮れていた。正直、今日はいろいろな情報が一気になだれこんで疲れてしまったのだ。
そんな中で、今の状況を共有しあえる叶歩の存在は大きかった。家族ですら、陽菜乃が男であったことを忘れているのだ。そんな今の陽菜乃に真に寄り添ってくれる唯一の存在が、叶歩なのだ。
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