(3)

 ――なぜ、こんなことになってしまったんだろう。


 メイヴィスは糸を通した針を手に考え込む。すると元凶たる王子アーチボルドが「なぜ手を動かさない」と言ってきたので、ひっそりとため息をついて、緩慢に手を動かし始めた。


 今、メイヴィスはあの日アーチボルドに連れて行かれたサロンにまた連れ込まれて、なぜか一緒に“ぬい”作りをしている。作るのは己を模した“ぬい”だ。アーチボルドは己の母親が持ち込み、そして両親の恋の橋渡しをしたという“ぬい”を用いて、セラフィーナに愛を囁くつもりのようだが、「巻き込まないで欲しい」というのがメイヴィスの率直な感想だった。


「なぜそれほどまでに面倒くさがっているのだ」


 アーチボルドはメイヴィスの顔色は察せるのに、その胸中までは見通せない様子だ。己がそんな顔をさせている元凶だという自覚は、一切ないらしい。道理がわからぬ朴念仁にもほどがある。これではセラフィーナが、メイヴィスの婚約者であるオーウェンと近くなったのも無理からぬことだ――とメイヴィスは勝手に考えて、勝手に腹を立てた。


「“ぬい”を作ったからって、愛が手に入るわけないじゃないですか」

「私の両親はそれで思いを通じ合わせた。それに“ぬい”を作ればセラフィーナもいかに私が愛を持っているのかわかるだろう」


 話が通じないな、とメイヴィスは思った。同時に、アーチボルドがこんなに話が通じない人間だったかなと疑問に思う。今は愛に狂って、少しおかしくなっているのかもしれない――。メイヴィスはひとまず、そう思うことにした。


「女子生徒はみな“ぬい”作りに夢中だと聞いていたが」

「……当然、そうじゃない女子だっています。わたしがそれだっていうだけの話です」


 メイヴィスは王子たるアーチボルドに対し、敬意もへったくれもない投げやりな態度だったが、アーチボルドは気にしている様子はない。メイヴィスは、この暴走王子に対して少しだけ腹を立てていたので、遠慮なしな言葉遣いを続ける。


「“ぬい”に夢中じゃない女子はおかしいですか?」

「そこまでは言っていないが。しかし、作ってみたいだとか思ったことはないのか?」

「……ありますけど。わたしそんなに器用じゃないんで。それに、オーウェンのほうがこういうのは得意ですし」

「ならなおさら作ったほうがいい」

「……はい?」

「得意ではないことに果敢に挑戦し作り上げた“ぬい”――きっとお前の婚約者は感激するだろう!」


 いい顔で自信満々に言い切ったアーチボルドを前にしても、メイヴィスは「はあ……」と気のない返事をすることしかできなかった。


 そんな打っても響かないメイヴィスの態度に、アーチボルドは今度は不思議そうな顔をする。メイヴィスのその態度が、心底理解できないといった表情であった。


「なんだ、オーウェン・ユニアックは婚約者が作った“ぬい”を渡されて、喜ばないような男なのか」

「……そんなことはないと思いますけど。でも――痛っ」


 意識がよそへ行ってしまっていたからだろう。メイヴィスが持つ針先が布地を突き抜けて、指の腹に刺さった。反射的にすぐ針先を抜いたが、指の腹には血の水玉がぷくりと浮かぶ。


 それを見てあわてたのはメイヴィスではなく、アーチボルドだった。


「針を刺したのか? 治癒魔法をかけてやる」


 メイヴィスが遠慮する間もなく、わざわざイスから立ち上がってアーチボルドはメイヴィスに近づいた。すぐに温かな白い光がメイヴィスの手を包み込む。


 メイヴィスのアーチボルド評は「鈍感」だったが、怪我を見ればすぐに手ずから治療しようとするその姿勢には、まったく下心というものが感じられず、メイヴィスは素直に感心した。


 ――なんというか、良くも悪くも素直に育ったんだろうな……。


 それがアーチボルドが持つ王子という身分にとって好ましいか、好ましからざるのかまではメイヴィスには判断がつかなかったが。


「ありがとうございます」

「礼には及ばん」

「でも――雑ですね」

「――は?」

「オーウェンの治癒魔法はもっと丁寧です」


 アーチボルドが呆気に取られている気配が、メイヴィスにも伝わってきた。


「わ、私の治癒魔法は――お前が、泣くほど『雑』なのか?!」


 メイヴィスは泣いていた。両目からぽろぽろと……なんて美しい泣き方はしていなかった。文字に起こすなら「だばー」というような調子で、滂沱の涙を流していた。


「……オーウェン……」

「オーウェン・ユニアックがどうした?! 呼ぶか?!」

「呼ばないでください! こんな顔、見られたくないです! それくらいの乙女心はわかってくださいよ!」

「あ、ああ……すまない……わかった」


 メイヴィスが泣きだしたことで、アーチボルドは明らかに狼狽していた。メイヴィスは頭の冷静な部分でそれを認めていたが、心は大荒れで、涙はすぐに止まりそうになかった。


 幼いころからずっと一緒だったオーウェン。


 ひとつ歳上だったけれど、えらぶったりしたところは一度として見せなかったオーウェン。


 気の弱いところはあるけれど、だれにでも優しくできるオーウェン。


 オーウェンが作った“ぬい”はたくさんあったけれども、どれもメイヴィスを模したものばかりだった――。


「う、うう、オーウェンの部屋にはわたしの“ぬい”だけが飾られた祭壇があるんですよ……うう、な、なのに、そのそばにセラフィーナ様の“ぬい”が落ちてるなんて……うう……」

「――さ、祭壇?! ……そ、そうか、オーウェン・ユニアックはお前のことをそれだけ愛しているのだな……」


 アーチボルドは「祭壇」というワードに若干、気後れした様子だったが、それでも泣き続けるメイヴィスを慰めてくれた。


「……オーウェンは、もうわたしのことなんて好きじゃなくなったんでしょうか?」

「それは流石に私にはわからぬ。しかしお前はオーウェン・ユニアックのことを愛しているのだろう?」

「当たり前じゃないですか!」

「ならば進むべき道はひとつだ。もう好きではないと言われても、あきらめられないのならば――もう一度、惚れてもらうしかあるまい」


 アーチボルドはそう言って、テーブルの上に放置されていた、作りかけの“ぬい”を指差した。


「その一歩として、“ぬい”を完成させるのだ!」

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