第9話

俺が屋上に付くと既に有馬は座りながら肩を震わせていた。

前に進むと顔を上げ、右手を前に出す。その手は何かにすがりたいように見えた。


「来ないで!」

「なんでだ」


俺は止まり、有馬に問いかける。

有馬は左の裾で涙を拭き、俺を睨みつける。


「俺はお前が心配で」

「要らない。あんたの心配なんて必要ない!」

「いい加減しろ!」


怒鳴るような声で有馬に言う。久しぶりに大きな声を出して自分でも驚いている。

問答無用で距離を詰める。


「ねぇ、あんたさ…馬鹿なんじゃない」

「はぁ?」

「私さ、散々酷いこと言ったんだよ!?この前だけじゃない。その前も、その前も、ずっと前も…あんたの悪口言って、酷い態度でさ。そんな最低な幼馴染なんてさっさと捨てて可愛い彼女と楽しい学校生活を送ればいいじゃない。私のことなんて放って置けばいいじゃない」


有馬は全てを諦めたかのようにそう言った。今ならわかる。コイツが無理をしていることに。そして、あの時に気づくことが出来なかった自分に煮え返るような怒りがこみ上げる。


「なぁ、有馬。俺には二人の幼馴染がいる。一人は同級生の男子高校生だ。顔は良いくせに2次元にしか興味がないオタク馬鹿だ。自分の事には、一切の興味がないのに他人の気持ちには敏感でな。人を気遣うことのできるいい奴なんだよ」

「知ってるわよ…裕二のことでしょ。それがなんなのよ」

「もう一人はな、同級生の女子高生だ。口を開けば溢れ出す罵詈雑言、同じ人間を相手にしているとは思えないほど酷い態度だ。まるで、自分の事を世界の中心かのように考えていやがる高飛車な人間だ」

「…」

「と、そんな奴だとよく勘違いされる」

「…え?」

「実際はただの不器用な阿呆だ」

「は、はぁ!?だ、誰が阿呆よ」


阿呆だろ。俺が言えたことじゃないがな。


「誰かを守るためなら、自身を犠牲にしたって構わないと考えるような阿呆だ。苦しいくせに、辛いくせに、泣きたいくせに弱い所を上手く隠しやがる。誰かに頼ることすら出来ない不器用な阿呆で…大切な幼馴染だ。なぁ、有馬、俺の知ってる幼馴染はそんな奴らだ。だからよ、決して最低な幼馴染なんかじゃねぇんだよ。俺には勿体ないくらいな奴らなんだ」


俺はただ思った事を伝える。言葉は飾らず、嘘はつかないと決めた。


「有馬、まだ俺がいじめられた話を引きずってるんだな。そのいじめの原因が自分にあると本気で思ってるのか?」

「だって、そうじゃない。私があんたといたから…」

「違う!それは違うんだ」


中学2年生の頃、俺と裕二、有馬は同じ2年B組だった。

ある日の休み時間、俺がトイレから出る時に不意に聞こえた言葉で足が止まる。


「あの有馬って奴さ…ブスのくせに生意気だよね」

「え、そうかな」

「そうでしょ。ちょっとだけ掃除をサボったら先生みたいに説教するしさ。何が学級委員だからだよ。はぁ、うぜぇ…ね?アイツのことさ、皆でいじめない?何も出来ないくせに調子乗ってるしさ、皆で伸び切った鼻をへし折ろうよ」


それからの話の内容はどんないじめをするかという話だった。

聞いた俺はそいつの方に向かって歩き出して言う。


「おい」

「何?」

「今の話、冗談だよな?」


俺は冗談にして済まそうとした。だが、コイツはそうはしなかった。


「盗み聞きしてたの?うわ、キモすぎ何だけど。…で、先生に言う?」

「言わない。だけど、有馬をいじめたら直ぐに止めるからな」


先生に言うのは嫌だった。それは親にも先生も迷惑がかかるからだ。


「へぇ~…あんた、有馬の事が好きなんだ。あんな、人の事を考えられないような奴のどこがいいのよ」

「集団でいじめしか出来ないような根暗に比べたらマシだ」

「はぁ!?あたしがあいつより下な訳ないでしょ」

「そういう風に考えてる時点でもう負けてるな」


鼻で笑いながらそう言い返すと面白くないような顔をする。俺は相手を挑発する言葉を選んで使う。それは、相手の意識を俺に向けさせるようにするためだった。


「いじめなんかするなよ」


俺はそれを言うとそいつから離れて友達の元へ戻る。

この時の俺は思っていた。俺が有馬を守ったんだとな。だが、その日以降、有馬からは笑顔が消えていった。


「累、もう一緒に学校は行けない」

「え?ど、どうしてだ」

「…あんたが嫌いだから」


俺は一つだけ、心当たりがあった。頭の中に浮かんでいたのは有馬の笑顔が消えた日の前日に聞いた話だった。


「お前、いじめられてないか?」

「…そんな訳無いでしょ」

「そうか。そうだよな」


それからだ。有馬と距離が出来たのは。俺には、嫌われた原因がわからなかった。

裕二に聞いてもわからないと言われたし、なぜか他の友だちも口を聞いてくれなくなっていた。


俺が静かに席に俯いて座っていると見覚えのある顔が俺を覗き込む。


「ざまぁ」

「…お前、有馬に何かしたのか」


俺がそう聞くが、彼女は手を横に振る。


「してない、してない。私はただ好きな女の子に嫌われた、お馬鹿さんの顔を拝みに来ただけ。マジでウケるんだけど、写真撮っちゃおうかな」

「ふざけるなよ。お前、有馬に何かしたな!?」

「うるさい。何もしてないって、それよりも決めたから。私、あんたを虐めるね。私を侮辱した事を後悔させてあげる」


そして、俺は次第にいじめを受けるようになった。それは物を盗むや隠すといった陰湿なものから恐喝などの犯罪行為にまで及んだ。


「なぁ、累…宿題やってくれね?あと、今月金欠でさ?金も貸してくれるとありがたいんだけど?」

「いや、無理だ。あと宿題は自分でやれって」

「は?ゴミが口答えしてるんじゃねぇよ!」

「うぐっ!?」


男子トイレはいじめをするのにうってつけの場所だった。俺はそこに連れて行かれて毎日、毎日殴られる日々を送った。顔以外を殴られ、蹴られて吐きながら涙を流す。

いじめを誰かに相談しようとは思った。だが、相談しようと思うと怖かった。親にも迷惑をかけるかもしれない。それに自分が情けなかったんだ。だから、俺は耐えることにした。

だが、先に限界が来たのは俺の身体の方だった。ある日の登校中に倒れた俺は、救急で病院に運ばれ、身体検査をする時に全身に出来た痣を見られてしまい、事情を聞かれる。

俺はいじめられていた事を話した。すると、親は俺に泣きながら謝り続ける。

こんなのは、黙っていた俺が悪いはずだ。警察とのお話をした後に学校の先生にも頭を下げられた。俺はどんな顔をすればいいのかわからず、ただ黙っていた。

そして、見舞いに裕二が来てくれた時があった。


「ゆ、裕二…お前、怒ってるのか?」

「あぁ、怒ってる。ガチギレだ」


裕二はそう言った。その声は今まで聞いた裕二の声色よりも低くて冷たく感じた。

俺のベッドの側にある椅子に座り、話は続いた。


「俺はそんなに頼りないか?俺はな、大切な友達の支えになれなかった事が悔しい」

「…ごめん」

「お前が謝ることじゃない。正直に言えば、お前がいじめられていることはなんとなくは気づいていた。でも、自分から首を突っ込むのが怖くて…情ねぇよな。友達より、自分の身を守ったんだ。…ごめん、累、本当にごめんな」


涙を流す裕二を見て、俺のために泣いてくれた母さんの顔が浮かんだ。学校の先生も悔しそうな顔をしてた。皆が俺のいじめに気づいていないことに後悔していたんだ。

どうして周りの信じられる友人を頼らなかったんだろうかと。その時になって、俺は初めて後悔した。


俺の容態は痣だけではなかった。左の鎖骨、何本かのあばら骨に罅が入っていたということもあり、数日は学校を休む事が決まる。

数名の生徒が俺に危害を加えたということもあり、退学させられたという話を耳にするのはそれから数日後のことだった。

身体も回復し、ようやく学校に行ける事を喜んだ。裕二と有馬にはメッセージを送って明日行くことを言ったが返信が来たのは裕二だけだった。そして、学校に行っても、有馬はもう俺と話してくれなくなっていた。


「近づかないでくれる?」

「え?あ、有馬、どうしたんだよ」

「うるさいわね。もう私に関わらないでよ!」


はっきりとした拒絶だった。そして、それは高校生になった今での続いている。


「だから、お前は何も悪くないんだ。有馬、お前…脅されてるんだろ?」

「ッ!」

「その反応…やっぱりな。お前の親父さんのことで脅されてるんだな」

「なんで、そのこと」


全部、奥野に渡された紙に書かれてたことだ。


『調査した所、有馬さんが気にしている事は中学生のいじめの話でした。そして、累君が嫌われている原因なのですが、ありません。正確に言えば、有馬さんは累君を嫌ってはいないのです。有馬さんはお父様の会社に関することで脅されています。累君との交友関係を切らなければ、会社を潰すという内容でした。中学生の子供にしていい脅しではありません。私、少しだけ怒っちゃいました』


どうやって調べたのかなんて事は今はどうでもいい。そして、メモの一番下にある言葉に俺は目を向ける。


『ですので、後は私の方で対処しておきます。報酬は高いですよ。累君のファーストキスだけでは済みませんからね?覚悟しといてください』


相変わらず意味のわからない事を言う奴だと呆れる。

対処をしておくね…俺を安心させるような言葉なのかはわからないが、それでも不思議とこの言葉を信用しようと思える。


「有馬、俺はもう後悔したくない」


有馬に近づく。そして、座り込んでる有馬の前でしゃがんで目線を合わせる。

目が合うと直ぐにずらされる。既に有馬は目に涙を浮かべていた。


「俺は気づいてたんだ。きっと、気づいていて気づかないフリをした。お前に嫌われるのが怖くて、関わらないようにした。すまなかった。お前がずっと苦しんでるのに支えになれなかった。でも、もういいんだ。もう頑張らなくていい」

「…いいの?」

「あぁ、もう平気だ。頑張ったな」


俺がそう言うと有馬は俺に飛びかかるように抱きついてきた。限界だったのか、泣きながら俺に謝り続ける。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい。うぐっ、私、ひぐっ、どうすればいいのかわからなくて。お父さんに迷惑かけたくなくて…でも累とも仲良くしたかったの」

「あぁ、分かってる。俺はお前を嫌いになんてなってないから」

「うぅ、言いたくなかったの。あんな酷い事なんて本当は累に言いたくなかったの。だって、累は大切な幼馴染だから…」


俺は有馬の事を抱きしめながら、有馬が落ち着くのを待つのだった。

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