第9話
俺が屋上に付くと既に有馬は座りながら肩を震わせていた。
顔を少しあげ、俺が来ていることを確認すると有馬は叫んだ。
「来ないで!」
「なんでだ」
俺は止まり、有馬に問いかける。
有馬は左の裾で涙を拭き、俺を睨みつける。
「俺はお前が心配で……」
「要らない。あんたの心配なんて必要ない!」
「いい加減しろよ!」
怒鳴るような声で有馬に言う。久しぶりに大きな声を出して自分でも驚いている。
「そんな悲しそうな顔をされて、はいそうですかと置いていけるわけないだろ!」
有馬は俺に強く言い返された事に驚いたのか、目を丸くしていた。その間に俺は距離を詰める。近づくと、有馬は俺を馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「ねぇ、あんたさ…頭おかしいんじゃないの?」
「はぁ?」
「私さ、あんたに酷いこと言ったんだよ!? この前だけじゃない。その前も、ずっと前も…あんたの悪口を言ったし。酷い態度もとった。そんな最低な幼馴染なんてさっさと捨てて可愛い彼女と楽しい学校生活を送ればいいじゃない。私のことなんて放って置けばいいじゃない」
有馬は全てを諦めたかのようにそう言った。今ならわかる。コイツが無理をしていることに。そして、あの時に気づくことが出来なかった自分に煮え返るような怒りがこみ上げてくる。
今の有馬に取り繕った言葉は、きっと意味がないのだろう。
だから、俺の思った事を話すことにした。
「うるせぇよ。酷い態度を取った? 酷い事を言った? そんなを謝られたって意味ないんだよ」
「わかってる。だから、もう私はあんたには関わらないわよ。奥野さんにも謝るわ」
「だから、なんでそうなるんだよ」
俺は有馬の肩を掴む。有馬は涙を流していた。久しぶりに有馬と目を合わせる。
「有馬。俺には二人の幼馴染がいる。一人は、2次元にしか興味がないオタクだ」
「知ってるわよ…裕二のことでしょ。それがなんなのよ」
「もう一人はなただの不器用な阿呆だ」
「は、はぁ!?だ、誰が阿呆よ」
阿呆だろ。俺が言えたことじゃないがな。
「誰かを守るためなら、自身を犠牲にしたって構わないと考える。苦しいくせに、辛いくせに、泣きたいくせに弱い所を上手く隠す。誰かに頼ることすらしない。こんな奴は阿呆で充分だ。そして、二人とも俺の大切な幼馴染なんだ」
「……」
有馬の顔は次第に赤くなっている。
段々と俺を見ていた目は下を向き、顔も俯いていく。
「なぁ、有馬、俺の知ってる幼馴染はそんな奴だ。だからよ、決して最低な幼馴染なんかじゃねぇんだよ。俺には勿体ないくらいなんだ」
俺はただ思った事を伝える。言葉は飾らず、嘘はつかないと決めた。
「お前は、俺がいじめられた話をまだ引きずってるんだな。そのいじめの原因が自分にあると本気で思ってるのか?」
「な、なんで知ってるのよ!?」
「いいから、答えろ。本気で自分に原因があると思ってるのか?」
「だって、そうじゃない。私があんたといたから…」
「それは違うんだ」
中学2年生の頃、俺と裕二、有馬は同じ2年B組だった。
ある日の休み時間、俺がトイレから出る時に不意に聞こえた言葉で足が止まる。
「あの有馬って奴さ、ブスのくせに生意気だよね」
「え、そうかな」
「ちょっとだけ掃除をサボったら先生みたいに説教するしさ。何が学級委員だからだよ。ねぇ、アイツのことさ、皆でいじめない? 何も出来ないくせに調子乗ってるしさ、皆で伸び切った鼻をへし折ろうよ」
それからの話の内容はどんないじめをするかという話だった。
聞いた俺はそいつの方に向かって歩き出して言う。
「おい」
「何?」
「今の話、冗談だよな?」
俺は冗談にして済まそうとした。だが、コイツはそうはしなかった。
「盗み聞きしてたの?うわ、キモすぎ何だけど。…で、先生に言う?」
「言わない。だけど、有馬をいじめたら直ぐに止めるからな」
先生に言うのは嫌だった。それは親にも先生も迷惑がかかるからだ。
「へぇ~…あんた、有馬の事が好きなんだ。あんな、人の事を考えられないような奴のどこがいいのよ」
「集団でいじめしか出来ないような根暗に比べたらマシだ」
「はぁ!? あたしがあいつより下な訳ないでしょ」
「そういう風に考えてる時点でもう負けてるな」
鼻で笑いながらそう言い返すと面白くないような顔をする。俺は相手を挑発する言葉を選んで使う。それは、相手の意識を俺に向けさせるようにするためだった。
「いじめなんかするなよ」
俺はそれを言うとそいつから離れて友達の元へ戻る。
この時の俺は思っていた。俺が有馬を守ったんだとな。だが、その日以降、有馬からは笑顔が消えていった。
「累、もう一緒に学校は行けない」
「え? ど、どうしてだ」
「…あんたが嫌いだからよ」
俺は一つだけ、心当たりがあった。頭の中に浮かんでいたのは有馬の笑顔が消えた日の前日に聞いた話だった。
「お前、いじめられてないか?」
「…そんな訳無いでしょ。あたしがいじめられるわけないでしょ」
「そうか。そうだよな」
それからだ。有馬と距離が出来たのは。俺には、嫌われた原因がわからなかった。
裕二に聞いてもわからないと言われたし、なぜか他の友だちも口を聞いてくれなくなっていた。
俺が静かに席に俯いて座っていると見覚えのある顔が俺を覗き込む。
「ざまぁ」
「…お前、有馬に何かしたのか」
俺がそう聞くが、彼女は手を横に振る。
「してない、してない。私はただ好きな女の子に嫌われた、お馬鹿さんの顔を拝みに来ただけ。マジでウケるんだけど、写真撮っちゃおうかな」
「ふざけるなよ。お前、有馬に何かしたな!?」
「うるさい。何もしてないって、それよりも決めたから。私、あんたを虐めるね。私を侮辱した事を後悔させてあげる」
そして、俺は次第にいじめを受けるようになった。それは物を盗むや隠すといった陰湿なものから恐喝などの犯罪行為にまで及んだ。
「なぁ、累…宿題やってくれね? あと、今月金欠でさ?金も貸してくれるとありがたいんだけど?」
「いや、それは無理だ。あと宿題は自分でやれって」
「は? ゴミの分際で口答えしてるんじゃねぇよ!」
「うぐっ!?」
男子トイレはいじめをするのにうってつけの場所だった。
俺はそこに連れて行かれて毎日、毎日殴られる日々を送った。顔以外を殴られ、蹴られて吐きながら涙を流す。いじめを誰かに相談しようとは思った。だが、相談しようと思うと怖かった。親にも迷惑をかけるかもしれない。それに自分が情けなかったんだ。俺は耐えることしかできなかった。
だが、いつしか限界はやってくる。限界が来たのは俺の身体の方だった。
ある日の登校中に倒れた俺は、救急で病院に運ばれ、身体検査をする時に全身に出来た痣を見られてしまい、事情を聞かれる。
俺はいじめられていた事を話した。すると、親は俺に泣きながら謝り続ける。
こんなのは、黙っていた俺が悪いはずだ。警察とのお話をした後に学校の先生にも頭を下げられた。俺はどんな顔をすればいいのかわからず、ただ黙っていた。
そして、見舞いに裕二が来てくれた時があった。
「ゆ、裕二…お前、怒ってるのか?」
「あぁ、怒ってる。ガチギレだな」
裕二はそう言った。その声は今まで聞いた裕二の声色よりも低くて冷たく感じた。
俺のベッドの側にある椅子に座り、話は続いた。
「俺はそんなに頼りないか? 俺は、大切な友達の支えになれなかった事が悔しい」
「…ごめん」
「お前が謝ることじゃない。正直に言えば、お前がいじめられていることはなんとなくは気づいていた。でも、自分から首を突っ込むのが怖くて…情ねぇよな。友達より、自分の身を守ったんだ。…ごめん、累、本当にごめん」
涙を流す裕二を見て、俺のために泣いてくれた母さんの顔が浮かんだ。学校の先生も悔しそうな顔をしてた。皆が俺のいじめに気づいていないことに後悔していたんだ。
どうして周りの信じられる友人を頼らなかったんだろうかと。その時になって、俺は初めて後悔した。
俺の容態は痣だけではなかった。左の鎖骨、何本かのあばら骨に罅が入っていたということもあり、数日は学校を休む事が決まる。
数名の生徒が俺に危害を加えたということもあり、退学させられたという話を耳にするのはそれから数日後のことだった。
身体も回復し、ようやく学校に行ける事を喜んだ。裕二と有馬にはメッセージを送って明日行くことを言ったが返信が来たのは裕二だけだった。そして、学校に行っても、有馬はもう俺と話してくれなくなっていた。
「近づかないでくれる?」
「え? あ、有馬、どうしたんだよ」
「うるさいわね。もう私に関わらないで!」
はっきりとした拒絶だった。そして、それは高校生になった今での続いている。
「だから、お前は何も悪くないんだ。有馬、お前…脅されてるんだろ?」
「ッ!」
「その反応…やっぱりな。お前の親父さんのことで脅されてるんだな」
「なんで、そのこと」
全部、奥野に渡された紙に書かれてたことだ。
『調査した所、有馬さんが気にしている事は中学生のいじめの話でした。そして、累君が嫌われている原因なのですが、ありません。正確に言えば、有馬さんは累君を嫌ってはいないのです。有馬さんはお父様の会社に関することで脅されています。累君との交友関係を切らなければ、有馬さんのお父様が働かれている会社を潰すという内容でした』
どうやって調べたのかなんて事は今はどうでもいい。そして、メモの一番下にある言葉に俺は目を向ける。
『どうやら、今でも脅されているようです。後は私の方で対処しておきます。今回の報酬は高いですよ。累君のファーストキスだけでは済みませんからね?覚悟しといてください』
相変わらず意味のわからない事を言う奴だと呆れる。
対処をしておく…不思議とこの言葉に対して安心感を覚える俺がいた。
「有馬、俺はもう後悔したくない。あの時に気づいてたんだ。だが、気づいていて気づかないフリをした。お前に嫌われるのが怖くて、関わらないようにした。すまなかった。お前がずっと苦しんでるのに支えになれなかった。でも、もういいんだ。もう頑張らなくていい」
「…いいの?」
「あぁ、もう平気だ。頑張ったな」
俺がそう言うと有馬は俺に飛びかかるように抱きついてきた。限界だったのか、泣きながら俺に謝り続ける。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。うぐっ、私、ひぐっ、どうすればいいのかわからなくて。お父さんに迷惑かけたくなくて…でも累とも仲良くしたくてぇ」
「あぁ、分かってる。俺は、お前を嫌いになんてなってないからな」
「うぅ、言いたくなかったの。あんな酷い事なんて本当は累に言いたくなかったの。だって、累は大切な幼馴染だから…」
俺は有馬の事を抱きしめながら、有馬が落ち着くのを待つのだった。
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