第8話

朝、登校していると後ろから元気よく声をかけてきた人がいた。


「おは~」

「おはよう。滅茶苦茶に眠そうだな」

「そうなんよ、昨日はちょっと寝不足でさ」


声をかけてきたのは杉谷だった。

てっきりいつも通り奥野さんだと思っていたのだが、そうではなかった。

杉谷は手を口に当て、欠伸を噛み殺す。そして、両腕を大きく上に伸ばした。


「う~ん、やっぱり夜ふかしはするもんじゃないね」

「何時に寝たんだよ」

「えっと…3時とか?」

「朝だろそれ。そんな時間まで何やってんだよ」

「内緒だよ。若き乙女の夜は長いんだぞ。あ、そうそう。昨日言ってた漫画の話しさ、今度の土曜日とかって空いてる感じ?」


杉谷はそう聞いてきた。土曜日は特に用事は入っていない。つまり、土曜日に家に漫画を読みに来たいという話だろう。


「問題ないぞ。家来るのか?」

「マジ、いいの? 言い出しっぺの私が言うのもあれだけど家族とかは?」

「別に誰も気にしないよ。俺の部屋に入るだけだしな」

「ふ~ん…わかった。じゃあ楽しみにしてるね」

「はいはい」


そう言うと杉谷は別の友だちの所へ走って行った。同じクラスの友達だろう。奥野とお昼を食べている時に何度が見た顔だった。

俺が下駄箱を開けると中に一枚の紙切れが入っていた。既視感を覚えて、取ろうとする手が一瞬止まる。


「ん?…この光景前にも見覚えがあるな。まぁ、いいか」


それが何であるのかを確認しようと手に持つ。すると右から声がかかる。


「どうしましたか?」

「わッ!?お、奥野さん?」

「…名前で呼んでくれないのですか?」

「ゆ、游華、おはよう」

「はい、おはようございます。それで、どうして靴箱の前で止まっていたのですか?」

「いや、それは…」


俺は紙切れを隠すように後ろに持つ。そして、それを思わず自分のポケットの中に入れてしまった。


「なんでもない。少し寝不足でな、頭がぼーっとしていたようだ」

「そうなんですか?もしかして昨日、一緒にゲームを遅くまでしたからですか?」

「だ、大丈夫だ。それは関係ない」


昨日の言葉は別に奥野さんからしてみれば軽く言ったことなのかもしれない。

だが、不意に言われたからなのか、妙に頭に残ってしまっている。


「本当ですか?」

「あぁ、あの後で少し別のゲームを遊んでしまってな。なかなか眠れなかったんだ」

「夜ふかしは駄目ですよ?不健康ですから」

「あぁ、気をつける」


指で可愛らしくバツ印を作っている所悪いんだが、奥野さんが原因なんだけど?

この感じだと、奥野さんはぐっすりと眠れたんだろうな。よくも青春真っ盛りの男の純情を弄びやがって…許せん。この借りは絶対に返してやる。


「では、またお昼に待ってますね?」

「わかった」

「なるべく早く来てくださいね?」

「へいへい」

「返事が適当ですよ。あ、もしかして照れ隠しってやつですか?」

「もうそんなので照れる俺はいないぞ」

「そうですか、それは残念です」


俺がそう言うと奥野はつまらなさそうな反応をする。だが、少し顔を近づけてきて耳元で囁くように言う。


「そう言えば、昨日の言葉なんですけど、忘れてください」

「へ?」


奥野さんは、そう言って俺から距離を取る。いつも通り涼し気な顔をしている。

いつもの奥野さんであれば、誂ってくると思ったんけど……違ったみたいだ。

まぁ、それもそうか。好きでもない相手に言うセリフではないよな。

俺はそう納得するが、先程のドキドキはまだ収まっていなかった。


奥野さんと付き合ってから俺の学校生活はガラリと変わった。

男からは目の敵にされる。まぁ、元々人付き合いが上手い方ではない。だから、彼らからしてみればなんであんな奴がという話なんだろう。そして、なぜか女子からも冷たい視線を感じるときがある。これがわからない。俺が無理矢理に付き合わせているという噂が消えてなお、未だにその視線は感じるときがある。


教室に荷物を置く。二人はまだ登校していないようで、姿が見えない。

俺は物を確認するためにトイレへと向かう。

個室に入り、ポケットに入れた紙を確認する。その内容は奥野さんが俺にくれたあの手紙の内容と殆ど同じだった。まぁ、最初に書かれている言葉は流石に違うけどな。

差出人が不明という点では同じなのか?


「ど、どういうことだ?まさか奥野の悪戯?…いや、それはない。そんな手の込んだ事をするような奴じゃない。だとすると一体誰がそんな事を?」


また放課後に屋上か。同じ時間に同じ場所に呼び出される事なんてあるんだな。

気味が悪いが、興味の方が強い。ここで確かめたい気持ちが出てしまうのは俺の悪い所なんだろうな。これで一度痛い目を見ているのにな。


「放課後を待つか。一応、奥野には伝えておくか?いや、だがなぁ…ん?」


俺は紙をそのままポケットに入れて、トイレを出る。

廊下に出ると異様な生徒の数がA組の教室の前に出来ていた。俺はそれが気になり、なんだろうかと近くに寄る。すると誰かが何かに怒っている声が聞こえてきた。


「だから!あんたがやったんでしょッ!?」

「私は知りません」

「嘘をついてんじゃないわよ!」


怒鳴っていたのは有馬だった。俺は何が起きているのかと思い、A組の教室を見ると机の上に花瓶に一本の白い花弁が俯いた花が飾られていた。それはまるで、死んだ者に送る献花を連想させるものだった。あの机は恐らく有馬の机なのだろう。怒りの矛先は奥野さんか?どうして奥野さんに矛先が……そう言えば、喧嘩してたな。


怒っている有馬を宥めようとする奴はいない。俺は周りの生徒を見る。どの生徒も何がなんだか分かっていないようで黙っている。

騒ぎが大きいので先生が来るのも時間の問題だろう。


そんな事を考えているが、二人の言い争いは酷くなる一方だった。

万が一のことを考えて俺は前に進む。


「こんな事をして楽しいの? ねぇ? 弱いものをいじめて楽しいのかしら」

「ですから私ではありません! 何度言えばわかるんですか」

「じゃあ、誰だって言うのよ!? 他に誰がいるわけ?ねぇ、答えなさいよ」

「知りませんよ。ですが、本当に私では――」

「いい加減にしなさいよ!」


有馬は奥野に近づき、手を振り上げた。そしてその手は、そのまま奥野さんの顔に振り下げられる。


パチンッ!


「え、嘘…どうして? なんであんたがいんよの」


それは俺の頬が叩かれる音だった。有馬が怒鳴った時に、こうなるかもしれないと思い、奥野さんの前に咄嗟に飛び出していたのが正解だったようだ。

叩いた本人はまさか、俺が出てくると思わないようで驚いていた。吹っ飛ばされるような勢いではなく、ただの痛いビンタで泣きそうだ。

唖然としている有馬に対して、俺は近づきながら声をかける。


「有馬、少し落ち着け」


しかし、俺が近づくとそれを拒むように後退りする。そして、俺が驚いたのは有馬の表情だった。今までにも見たことがないほど、悲しげな表情だった。


「嫌、嫌よ。やっぱり、あんたもそっちの味方なの?」


震えた声で、有馬は俺に言う。

そんな問いに俺は何を言えばいいのかわからなかった。ただ黙って有馬を見る。

有馬はそれをどう受け取ったのかわからないが、そのまま教室を出ていってしまった。俺がそれを見ていると後ろから抱きつかれる。


「お、奥野さん?!」

「ありがとうございます。正直に言うと私、怖かったんです」


前に回された奥野の手を掴むと、何かを手に渡された。受け取った時に触れた奥野さんの手は少しだけ震えていた。

小さく折りたたまれたそれを受け取ると奥野は直ぐに俺から離れた。背中を軽く押して、俺に小さな声で言う。


「行ってください」

「大丈夫か?」

「もう、平気です。でも、有馬さんは違います。ですから、早く行ってください」

「……そうだな」


俺は有馬を追いかけるように教室を後にする。

廊下を出て右に行ったということは長い渡り廊下を歩いて行ったのだろう。恐らく、そこから上に登り、彼女は屋上にいるんだと思う。


俺は有馬を追いかけながら、奥野さんに手渡された小さく折りたたまれた紙を広げる。折りたたまれていた紙には有馬についての情報が書かれていた。


「この際、これをどうやって調べたのかは気にしない。今は感謝しとくか」


紙を握りしめ、俺は有馬にかけるべき言葉を探し続ける。

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