第6話

6時間目の授業も終わり、生徒の多くが部活に勤しむ時間になる。俺は一刻も早く家に帰るために必要な物を鞄に詰めていた。


「累、帰るの?」

「そうだな。心は部活か?」

「そう。美術部ある。面倒…帰ってゲームしたい」

「今描いている絵をコンクールに出すんだろ? なら頑張らないとな」

「そう。先生に脅されて渋々」


そう言うと心は怠そうに教室を出て行く。

面倒だと言っているが、絵を描く事自体は好きなようでノートの端っこにも時々、絵を書いているのを見たことがある。暇つぶしの絵だろうが、俺よりも上手い。

裕二も今日は委員会の活動があるようだし、既に教室には姿がなかった。

俺は一人で鞄を持って帰ろうと教室を出ると知らない女子生徒に腕を掴まれる。


「よっしゃ、彼氏くんゲット~」

「…え、誰?」

「杉谷 琴音だよ。あ、奥野さんと同じクラスのA組ね」


制服を着崩しており、爪には派手なネイルをしていることが見える。

今、俺は知らないフリをしたが実は名前だけは知っている。それは別にいい噂ではない。むしろ悪名と言って良い。絶対に関わりたくない人なんだが、まさかあっちから近づいてくるとは思わない。


「何のようだ?というか離してくれ」

「うわ、あまりにも無反応過ぎなんですけど。いや、一緒に帰ろうかなって思って」

「俺と杉谷さんが?」

「そうそう。別に良いっしょ? ていうかその杉谷さんって呼び方止めて。なんかむず痒くて死にそう。普通に呼び捨てで良いよ~」

「じゃあ、遠慮なくそうさせてもらうけど……本当に一緒に帰る気か?」

「え? うん、そうだけど」


俺は困惑していた。何の接点もない杉谷さんがいきなり俺と一緒に帰ろうとするなんてあまりにも変なことだと感じた。十中八九、面倒な事を考えていそうだ。


「うわっ!嫌そう」

「…気のせいだよ」

「その表情でそれは無理があるでしょ。絶対に嫌じゃん」

「ソンナコトナイヨ?」

「まぁ、断られても今日は絶対に一緒に帰るって決めてるし、良いんだけど」


どうやら最初から、俺に拒否権は無かったようだ。最近、俺の拒否権は機能してくれていない気がする。

奥野さんに誂われるのを防ぐために、最近は表情を隠す努力をしているが、どうやら練習不足のようだ。杉谷さんにもバレてしまった。


「でも、俺の家は駅とは反対なんだ」

「私もだから大丈夫だよ」

「徒歩なのか?」

「ううん、ちょっと歩いた所にバス停がある。それで登校してる感じ」


奥野は生徒会の用事があるそうだし、俺とは帰れないとメッセージが来ていた。なので、杉谷と帰っても特に問題はない。


「一緒に帰れるでしょ?」

「そうみたいだな」


杉谷さんの目的も気になるし共に帰る事にした。捻くれている訳ではないが、いきなり話しかけてきたのは不自然過ぎる。何かしらの理由があるのだろう。

そのまま杉谷と一緒に下駄箱まで向かい、校舎を出る。


「ちょっと距離が近いんだけど」

「別に良いじゃん。あ、もしかして奥野さんに申し訳なく思ってる感じ?別に大丈夫だよ。奥野さんには今日、一緒に帰ること伝えてるし」

「え、マジ?」

「マジだよー」


奥野にメッセージを入れようとして気づく。そう言えば俺のストラップに仕込まれていたな。じゃあ、この会話も筒抜けってことか。

後で何か言われないか不安で仕方がない。こんな状況でも何も言ってこないのは、逆に怖い。これが沈黙の怖さってやつか。


「嘘じゃないし、疑うなら確認してくれてもいいよ~」

「そこまで疑っているわけではないよ」


俺は疑っているのではなく、少しだけ変に感じた。なぜ、俺と一緒に帰ることを奥野に伝える必要があるのか?と。友達となら一緒に帰ることは普通だ。それを伝える必要はない。もしかして、女子生徒と一緒であるならば言った方がいいのか?だが、俺には奥野がそんな事を気にするような人には見えなかった。


俺が黙っていると杉谷は、次々と質問をしてくる。


「ねぇ、奥野さんとはどんな風に付き合ったの? どっちから告った? 場所は?」

「教えないし、言いたくない」


あんな事、言えるわけがないだろ。

付き合ったキッカケが脅されたことなんて。口が避けても言えない。それに、言ったところで俺の方が悪者にされてお終いだ。


「皆知りたがってるよ? 私も知りたいな~」


どう返事を返すべきか、考えていると杉谷は沈黙を回答と受け取ったようだ。

次の質問が飛んでくる。それは、先ほどの質問とは毛色が違っていた。


「それとも実は付き合ってなかったり?」

「どういうこと?」

「いや? 噂にあるんだよね。本当は付き合ってなくて、奥野さんが男避けのために利用しているんじゃないかってね」


ほう…確かにそう考える事もできるのか。

いや、寧ろそっちのほうが俺と付き合っている事を説明できるから信憑性も高い。


「男子からの告白にうんざりしていた奥野さんが、無害そうな松本君を利用しているんじゃないかって私もそう考えたんだけど…違う?」

「その説を唱えてる奴は随分と推理小説が好きなんだろうな」

「あれ? 違ったの?」

「一応は交際関係ではある」


そこに果たして一般高校生の恋愛感情があるのかはわからないけどな。


「ふ~ん、私が言うのもあれだけどさ。松本くんって騙されやすい感じするし。本当は利用されているだけかもよ?」

「そうかもな」


本当にそうであれば楽だろう。あっちから、そう言ってくれれば、この関係は直ぐに消滅する。だが、実際には盗聴器を仕込まれ、家族に挨拶された。そして、婚姻届にリーチがかかっている状態だ。本当に勘弁して欲しい。結婚は人生の墓場だと聞いたことがある。俺はまだ墓場には行きたくない。

だが、そんな状況でも人によっては羨ましいと思う人もいるのだろう。


「杉谷は俺が奥野と別れて欲しいの?」

「別にそうじゃないよ。ただ私は松本君のことが心配なだけ」

「へいへい、お気遣いありがとう」


俺は杉谷とその後も話を続ける。探りを入れてみたが、尻尾はそう簡単に出してはくれない。ふと杉谷の鞄に付いているアニメキャラクターのキーホルダーに目が向く。

それは『ゆるっと剣聖を目指してみた』というアニメのキャラクターだった。コアなファンが多いアニメであるため、そこまで認知度は高くないはずなのだが…。


「それ、ゆる剣か?」

「そうだけど…松本君もこのアニメ知ってんの?」

「あぁ、見たことはあるな。今度、二期も出るみたいだし」


俺の想像よりも反応が良かった。

杉谷はこのアニメが本当に好きなようだ。


「おぉ!初めて見た。私以外にもゆる剣のファンがいたんだね。あまり、有名じゃないから皆知らないんだよね。ねぇ、誰推し?」

「俺はリズだな」

「へぇ!私はね、グランがカッコよくて好きなんだ」


それ以降はアニメの話で盛り上がっていた。奥野はあまりアニメを見ないようでこういった話をするのはクラスでは裕二ぐらいだ。心はアニメを見るぐらいならゲームをするらしい。どこまでもゲーマーなんだよな。

久しぶりにアニメの話ができる奴と話せて満足していると、杉谷が使うバス停に到着する。


「じゃあ、私はここだから」

「わかった。漫画とか興味あるか?俺、漫画持ってるから貸すぞ?」

「マジ!?あ、でもさ、漫画って重くね?荷物を増やしちゃうからそれはいいや」

「そうか」

「その代わり、今度家に行ってもいい?松本君の家でなら漫画読み放題だし、クーラーもあるしね」

「俺の家は満喫じゃないぞ」

「冗談、でも漫画は読みに行きたい。これあたしのアカウントね。登録しとこ?」


俺はメッセージアプリの読み取りから杉谷のQRコードを読み取り、友達登録する。

アイコンは白猫の写真になっており、家で飼っているのだろう。


「登録完了っと。じゃあ、また今度ね〜」

「じゃあな」


俺はバス停をそのまま歩いて過ぎていく。

今日の話で分かった事は杉谷はオタクだということ。あれは生粋のアニメ好きだ。

まさかゆる剣のファンが近くにいるとはな。


結局は俺に近づいてきた理由はわからなかったな。噂について知りたかっただけなのか?


俺がそんな事を考えているとスマホに通知が入る。嫌な予感がするが、一応確認のために見てみるとそれは案の定、奥野さんからのメッセージだ。一言だけ送られてきた。


『私もアニメ見ます』


やはり俺達の会話を聞いていたようだな。しかし、これは何の主張なんだ?

アニメの話で盛り上がっていることが気に食わなかったのだろうか。それとも別の意図があるのか?メッセージについて考えているといつの間にか家に着いていた。


『何のアニメを見るんだ?』


そう返信をすると一瞬で既読がつく。そして、数秒待たずに返事が帰って来た。


『ドラ◯もんとかです』

『そうか。今、やっているアニメだとこの辺が面白いから気が向いたら見てくれ』


ドラ◯もんを出してくるあたり、本当はアニメを見ないのだろう。

なので、オタクではない人でも楽しめる物をピックアップして教える。

やはり、既読は一瞬でついた。スマホを片手に家に入る。リビングに入ると夕食の準備をしている母さんとソファーで溶けている妹がいた。


「ただいま」

「おかえり~」

「兄ちゃん、おかえり~、綺麗な彼女さんは来てないの?」

「そうよ。また家に連れてきなさい?」


妹がそういうと母さんも続けて俺にそう言ってくる。

既に奥野さんの事を知っているため、家族の中には俺の味方が居ないのだ。

俺の大変さを一ミリも理解してくれない。相談しても…。


「え? あんな綺麗な彼女さんなんだから、さっさと結婚しちゃいなさいよ」

「そうだぞ? あんまりウジウジしてると捨てられるぞ」

「兄ちゃんにあんな綺麗な彼女ができるなんて今後ないんだよ?」


という総攻撃を食らう。やけに具体的なのは実体験だからだ。

持っているスマホが揺れる。画面を見るとメッセージが来ていた。


『素敵なご家族ですね』


やかましいわ!俺はそう思って二階の部屋に向かうのだった。

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