第3話 ディープキス

 魔王メテラナに俺の本名がバレた。


 冷や汗が滝のように流れ出して、頭が真っ白になる。メテラナの表情は未だ変わらないが、メテラナと対峙しているこの時間が永遠に感じて、もし俺が封印の張本人であると彼女が気付いた瞬間、俺は強大は魔法によって一瞬にして消し炭にされる。


「ほぉ、其方は名をハイメというんじゃな」

「そ、そうだが」

「ふーむ——」


 鼓動がドクン、ドクンとテンポ遅く響く。生きた心地がしない。


「ハイメよ、知っておるか? エルフの口ん中で発酵させた酒が一番美味いんじゃ」

「……へ?」


のエルフのハイメとはバレなくて良かったが、俺は耳を疑った。意気揚々とこの女は何を言っているんだ?


「“エルフ酒”じゃ! せっかくの機会じゃからな、試させてくれ」


 上半身を小躍りさせるメテラナ。彼女は細くて白い手でジョッキを掴み、あろうことか俺の口めがけてジョッキを突っ込んだ。


「ウゴッ!」

「ほれほれ〜そうじゃそうじゃ口に溜めるんじゃ〜」


 苦しい……

 あまりの勢いに飲み干すことは出来ず、行き場を失った酒が口の中で溜まっていく。 

 

 ジョッキの中が空になった途端、メテラナは立ち上がり、俺の髪を掴んで寄せ、あろうことかその妖艶な唇を俺の口元へ。唇と唇が触れ合う。それどころか、彼女の柔らかな舌が俺の口内へ入り込んできて、舌が上下左右に俺の口の中を舐め回す。


 なんだこれ、俺、人生初めてキスしてないか!?

 しかもいきなりディープなやつ!


 彼女の舌は俺の口に溜まった酒を自身の口へ掬っていく。しかもその度に舌と舌が触れ合う。


「ん、」


 メテラナが発する色っぽい声、視線の先に見える彼女の胸元、とうとう俺の脳は彼女と性行為をしていると勘違いして、普通に俺は興奮し始めてしまっている。


 ダメだダメだダメだ。

 魔王に欲情するなんで絶対にダメだ。

 おさまれ俺! 


 それに店内の注目の的になっているのもキツイ。皆がジョッキを持ったまんま口をぽっかり開けて俺たちを凝視していた。


 やばい、恥ずかしい。


 焦りがピークに達した時、メテラナは唇を離した。俺の口の中に溜まった酒を飲み干したみたいだ。


「ぷはっー! こりゃあ癖になる味じゃ。いやあ味というか、なんというか、表現に困るが……、そうじゃのう、なんか気持ちいの」


 顔を余計に赤らめて困惑している様子のメテラナ。そんな彼女に常連客の一人が解答を突きつける。


「嬢ちゃん、そりゃあキスの味だ」


 なに詩的な事言ってるんだこの人は。


「キスの味……なるほど、わらわはキスというものが初めてじゃからな、中々良い味じゃ。癖になりそうじゃのぉ」


 体をもじもじさせて上目遣いで俺を見てくるメテラナ。

 何だこの魔王、可愛いんだが……


 いかんいかん! 

 俺は心の中で自分をビンタして、450年前のことを思い出す。こいつは全人類の敵。心を許す訳にはいかない。 


 退こう、この店から。変に関わりを持つ前に彼女のことは見なかったことにして日常に戻ろう。


 そう思い、頃合いを見て帰ろうと思った時、メテラナは目を回してふらつき始めた。


「グラグラするのぉ〜世界が歪んでおるわい……」

「飲み過ぎだろ、あんた」


 下手くそなバレリーナみたいに数回転して次のステップで倒れだすメテラナ。俺は反射的に彼女を受け止めた。


 細くて柔らかい彼女の体。もはや少女に等しい。こんな子が魔王だったというのか。


「おい、大丈夫か?」

「んにゃ〜ん」

「こりゃダメだ……マスター!」


 カウンターのマスターは苦笑いを浮かべて「あいよ」と水の入ったピッチャーを用意してくれた。俺はメテラナにありったけの水を飲ませて肝臓を洗う。……魔族に肝臓があるのかは分からないが、とりあえず応急処置は施した。それから俺は彼女を担いで近くの宿屋を目指すことに。


 「おいハイメ、わらわをどこに連れてってくれるんじゃ?」


 耳元で酒臭い声を浴びせるメテラナ。まともな言語が話せるようになったあたり、多少は酒が引いてきたようだ。


「宿屋だよ。そこにあんたを預ける」

「嫌じゃ〜わらわの夜は長いんじゃ〜、そうじゃのぉ、踊りたくなってきたわい。なんか踊れる酒場は無いか?」

「勘弁してくれ」


 暫く歩くとメテラナは爆睡。俺はグリフォン通りの裏路地にある宿屋に入り、受付へ。


「いらっしゃいませ」

「この子、お願いします。一人分で」

「シングルのお部屋ですね〜一泊3500ギラーです」


 予想はしていたけれど痛い出費だ。けれど背中で潰れているメテラナから財布を引っこ抜く訳にもいかないし、かと言って路地に置いていく訳にもいかない。俺は溜息を漏らして自分の財布を開けた。


 支払おうとした時、俺たちの背後にあった扉が開いた。次の客が来たみたいだ。特に気にすることは無かったが聞き覚えのある声を背後から掛けられて、全身に悪寒が走る。


「あれあれ、ボイマンんとこのエルフ君じゃないか」


 妙にしっとりとした美声。けれどその声には人を見下すようなトーンが滲んでいる。


 メテラナを担いだまま俺は振り返ると、そこには勇者トラビスが立っていた。

 彼に対して俺よりも早く反応したのは宿屋の店主だった。


「これはトラビス様」

「やっほー、みかじめ料、貰いにきたよー」


 やけにカッコつけた立ち方で飄々とした態度の勇者トラビス。


「かしこまりました」


 店主は一旦店裏に行って、硬貨の入った袋を掴んで帰ってくる


「いつもお勤めご苦労様です。トラビス様」

「そうそう、小まめな感謝が僕のやる気に繋がるからね。はい毎度あり」


 陽気に硬貨の袋を受け取る勇者トラビス。

 何がみかじめ料だ。不当な請求じゃないか。


「勇者ってのは本当やりがいのある仕事だよ。感謝される仕事は最高だね。どうだいエルフ君も勇者、なってみたら?」


 このご時世、俺みたいな家柄の無い民が勇者になれる訳ない。それも承知の上で言ってくるこの意地クソ悪さ。


「俺には勇者の器なんてありませんよ。それでは」


 軽く会釈してこの場をやり過ごそうとしたが、勇者トラビスは俺の担いでるものに興味を示した。


「さっきから君が背中に乗せているその美人さん、一体何だい?」


 獲物を見つけた鷹のように鋭い目。


「……彼女は店で潰れちゃってて、それでこの店に一泊預けようと思ったんです」

「そうかい。なら俺が預かるよ。こんなボロ宿じゃ彼女も可哀想だ。もっとラグジュアリーで良い宿に俺が連れてってあげるさ」


 この男、メテラナに乱暴するつもりだ。人妻の口を切り裂いて口淫させるようなサイコパスにこの酔っ払って無防備なメテラナを渡せない。魔王とはいっても流石に胸が痛む。



「いや、結構担いでくのも大変だと思うので、やめた方がいいですよ」

「いいんだ。とにかく彼女を寄越しな」


 勇者トラビスの顔に皺ができ、がへの字になる。


「いや、こいつだいぶ酔っ払ってて、吐いて勇者様の服を汚してしまうかもしれないので、……うわぁ今にも吐きそうだ! ヤバい! それでは!」


 俺は強引にこの場から逃げる為、宿屋から路地裏へ出たが無論勇者トラビスは逃さない。背後より鞘から剣を抜く音が聞こえて、さすがに俺はたじろいだ。


「ほ、本気ですか勇者様」

「そうとも。その子を俺に渡す——そんな簡単な要求も聞けないダメダメ駄犬は斬るしかないよね」


 剣を構え今にも飛び掛かりそうな勇者トラビス。その構えは変に強張って、体幹も鍛えられてないあまりにもお粗末な形。450年前じゃ警備兵にすらなれないレベルだ。けれど『サーキュラー』しか使えない俺にとっては奴の剣捌きとて致命傷。


 どうやら背中のメテラナもいつの間に目を覚ましていて、勇者トラビスのお粗末な構えには彼女も違和感を覚え、不思議そうに言う。


「ハイメ、あやつは勇者の装いをして、今日は何かの祭りか? それにしても演舞にもならん構えじゃが……」


 夜風が吹いたと同時に勇者トラビスは剣を振り上げ、鬼の形相で一気に距離を詰めようとしてきた。


「オリャァァァァァァァァァ!!」


 剣撃が始まる前に彼は既にに入っていた。攻撃の意思を見せたのが運の尽き。背中のメテラナが添えるように正面に手のひらを向けると、彼女自身はほんの戯れ程度の力加減だっただろうが、手のひらに練り込まれた魔力は赤と青の粒子となり、それは光速をも凌駕すら早さで膨張。炭酸のようなスパークの音が弾けて、圧迫された粒子は強大な質量となり波動と化して射出される。


「魔王レーザーLv.1」


 淡々と言うメテラナだったが、万物を滅却する波動砲は夜を刹那に白く染めた後、勇者トラビスの体を一瞬にして蒸発させた。


 首から上だけを残して。

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