第2話 魔王メテラナ
勇者トラビスとボイマンによるジェイコブ一家への凌虐が終わり、俺は今月の給料を貰って帰宅した。
「家賃が52000ギラー、水代が6500ギラー、国営料が4000ギラー、区域住民料が8000ギラー、それにギルド協賛料が17000ギラー、魔物防衛料が18000ギラー。残ったお金は……9000ギラーか……」
家計簿から算出された金額に絶望して俺は机に突っ伏した。
「9000ギラーで1ヶ月をどう過ごせと……」
そもそも『ギルド協賛料』とか『魔物防衛料』なんてのは勇者ギルドが儲かる為だけに作った悪しき税金でしかない。
「何が勇者だクソ」
自宅の窓から外を眺めれば時たま勇者が歩いているのが見える。かつて“魔王討伐”の為に剣を握ったか勇者達とは一変、今の勇者は『勇者』という箔を求めた私利私欲の塊だ。勇者になって外の雑魚敵をテキトーに狩り、後は威張ってるだけで安定した収入が払われる。おまけに勇者ともなれば女を食いまくり。まさに欲に塗れた若者の象徴とも言うべき職業だ。
それに奴らは世界規模で構築された魔法ネットワークによって生体情報をリアルタイムで勇者ギルドと共有している。万が一にも勇者が死亡した場合には勇者ギルドから別の勇者がゴキブリのように派遣される。
そんな勇者だが、勇者になるのは至って簡単だ。“家柄”と“コネ”さえあれば誰でもなれる要は上級国民専用の職業。
結果、勇者トラビスの様なクソ野郎が誕生するという訳だ。
「450年前、魔王を倒したのは勇者だったが、皮肉にも世界を腐らせたのも勇者——か。はぁ……俺の魔法だっていつのまにか金儲けの汚い道具になっちまって」
俺は手のひらの皺を眺めながら、魔王討伐の旅の追憶に浸る。あの頃は輝いてた。俺も、世界も。
「ダメだ。飲みに行こう」
今やるべきは現実逃避。
俺は9000ギラーをポッケに突っ込み、掛かっていたコートを強引に取って家を出た。
外はすっかり暗くなり、夜の訪れ。うつろに輝く町の煌めきの中、俺は酒場が並ぶ『グリフォン通り』の一角にある行きつけの酒場の扉を開けた。
焼けた肉の匂いに酒の香り、人々の活気と弦楽器の音が押し寄せる。ランプの仄かな光に照らされ、酒樽を机代わりに置いたなんとも雑な店内だけど、それが良い。
俺は唯一空いてるカウンターにひと枠に着いて、マスターに一杯分の180ギラーを払う。
「お、ハイメさん給料日ですかい?」
中年の渋顔マスターが木製のジョッキに注いだ酒を出しながら気さくに話してきた。
「そうだよ。でも残ったのは9000ギラーぽっち」
「キツイですなぁ。この店も勇者ギルドに払う経営防衛費が上がっちまって、酒一杯、250ギラーに値上がりしちまいましたよ」
「あ、ごめん、あと60ギラー払うよ」
「いやいやいやいや、ひい爺ちゃんの頃からの常連なんだからハイメさん、大丈夫です。あとこれサービス」
そう言ってマスターは他の客の目を気にしながら小皿に持った焼き卵の料理を俺に突き出す。
「いつも悪いね本当……」
「いいってことよハイメさん」
俺は蒸留酒をグッと飲んで100年以上変わらない酒の味を堪能する。
「そうだハイメさん、あのお客さん、ここいらでは見ない顔ですよなぁ。さっき男達が人たがり作ってナンパしてましたけど、全然相手にしてなくて。しかもめっちゃ飲むんだあの子」
マスターが指差す方に俺は身体を傾けて、一際目立っている若い金髪の女をよーく見てみる。
黄金を溶かしたような金色の長い髪、宝石のように紅くて大きな目。彫刻のように整った白い顔に黒と赤基調のタイトなドレス。そしてなにより髪から生えた2本の角……
「え」
思わず声に出た。
「嘘だろ……」
俺の中で時が止まる。
樽机を抱く様にへばりついて、死ぬ程酔っ払っている美女。俺はこいつを知っている。
忘れる訳がない。
*
「魔族にひれ伏すべき愚かなる賎民共が……まさか、わらわをここまで追い詰めるとは……ふ、この世はやはり“人の世”ということか。なんとまぁ、神は飽き知らずじゃな」
海底洞窟に築き上げられた魔王の隠し砦をエルフのハイメによる追跡魔法『サーキュラー』によって突き止めた勇者一行は魔王メテラナとの激闘の末、彼女を玉座の間の端へ追い込んだ。しかし勇者一行もまた回復薬、魔力も使い果たし極限状態に陥っていが勇者一行のリーダー、『勇者ファクト』はまだ諦めていなかった。
「魔王よ、どうやらオイラ達も限界のようでね。あと一歩のところなんだけど、君を倒す手立てが無いんだ。一旦、話し合わないか?」
勇者ファクトが搾り出すような声で言うと同じく満身創痍な魔王メテラナは腹を抱えて笑う。
「ははははは、くだらぬ
魔王メテラナは最期の力を振り絞り闇の魔力を練り始める。しかし勇者ファクトには最期の手札が残っていた。本来使いたく無かった、非道な隠し道具。
「まだやる気か……ハイメ! あれを!」
「使うしかないんだな、ファクト」
「彼女には悪いが致し方ない!」
ファクトの覚悟に応じてハイメが懐より取り出したのは古代文字が刻まれた石。とある宗教都市で依頼された司祭失踪事件のクエスト報酬でハイメが貰ったものだ。
魔王メテラナはその石に釘付けだった。
「なんじゃそれは……何か、嫌な予感がするが」
勇者ファクトは魔王メテラナへ彼女が待ち受ける運命を告げる。
「これは魔族と代々戦争をしてきた聖アレイク教の司祭が作り上げた対魔族の為の封印具だよ。この魔石にちょっとの魔力を流し込めば半径3メートルにいる一番近い魔族を一人だけ封印できる。無論、君は魔族の長、そう易々と封印出来るとは思えないけれど——それもさっきまでの話だね。戦いで疲れ果てた今の君ならこの魔石に抗うことは出来ないだろう」
魔王メテラナは目を丸くして狼狽する。
「ふ、封印じゃと!? 嫌じゃ! やるなら殺せ! 抵抗はせん、今すぐ首を
勇者ファクトは穏やかな表情を浮かべて首を横に振る。
「気持ちは分かる。君の意見は尊重してあげたいけれど……万が一にも君を殺そうと近づいて、君がオイラ達を欺いて反撃に出たらきっとオイラ達のパーティから死人が出る。それは避けたい。君は確かに勇敢で義を抱き、信念を貫き通してる。けれど姑息な魔族を束ねる長だ。それに、理の禁域——死をも操る魔法を持つ者。信じたいけれど……信じ切れない。……ごめん。……さぁハイメ、あれを頼む」
勇者ファクトの指示でハイメは魔石に魔力を注ぎ込んだ。魔石は禍々しく赤く煌めく。
「やめろエルフ、それ以上魔力を注ぎ込むんじゃない。頼む、嫌じゃ、封印だけは嫌じゃ!」
懇願する魔王メテラナに慈悲は掛けられず、ハイメが魔石に魔力を注ぎ終えると閃光が辺りを包み込んだ。
*
その後、魔王メテラナは岩となって、結局俺たちは王宮に持ち帰る気力も体力も無かったから、それを置いて帰ったんだ。暫くすると
しかし俺の目がおかしくなければ、飲みすぎて潰れてるあの女は魔王メテラナ本人だ。
「どうしましたハイメさん、“死人が生き返った”みたいな顔して」
「マスター……今日は退散とさせてもらうよ」
「何か変ですよハイメさん。ちょっと、待ってくださいよ」
俺はマスターの制止を振り切ってカウンター椅子からひょいと降りた。なるべく気配を悟られないようにそそくさと店を出ようとするが、魔王メテラナの視線と俺の視線がふいにぶつかる。
「やば……」
「あれ」
人の声と楽器の音で彼女の声は聞こえなかったが、その口の動きを見る限り俺を見つけて『あれ』と放ったのは確実。
俺は石にされたみたいに固まった。それに彼女は俺と目が合うな否や手招きをしてくるじゃないか。
どうする、逃げるか?
しかし逃げたところで魔王はあらゆる手を使って俺を捕まえるだろう。魔物をも使役する可能性だってある。ここはなるべく穏便に、俺は別人というテイにして事なきを得よう。
俺は魔王の手招きに従って恐る恐る彼女の元へ。
心臓が胸から飛び出しそうなくらい爆動して、緊張から視界が歪む。彼女との距離が1メートルを切った時、やはりその容姿から彼女が魔王メテラナであることを俺は確信した。
「
「そ、その通りエルフだけど、それがどうした?」
「ほら、わらわも人とは違って角が生えておる。エルフの其方ならこれがなんなのか知っておろう?」
この話し方、絶対あいつだ。
「確か……文献によるとそれは魔族の証だと認識してるが」
「そうじゃそうじゃ。わらわは魔族じゃ。じゃが、魔族は滅んでしまったが故、現代の人間はわらわの角を奇抜なアクセサリーとしか見ん。それが淋しくてな。わらわも昔はそれなりに有名な魔族の一人だったんじゃが、今はこんなもんじゃ」
「昔の栄光もこの世界じゃすぐに廃れるからな」
「いや、それでいいんじゃ」
「え?」
「目立たん方がこうして酒を毎日飲める! 魔族だなんてバレたら面倒じゃからな、今が一番じゃ!」
楽しげにピースサインを向ける魔王。
こいつ本当に魔王メテラナか?
「そうか。それは良かった」
「わらわは嬉しいぞ、やっとわらわの時代の話が出来そうな奴に会えたからな。わらわはメテラナじゃ。其方、名は?」
やっぱり魔王メテラナだ。
そして、俺は本名を言う訳にはいかない。テキトーな偽名を伝えて早急に立ち去ろう。
「俺はマイケ——」
しかし俺の声はこの店に通う他の常連の声に上書きされた。
「お、ハイメがナンパとは珍しいなぁ!」
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