7.平凡冒険者とドラゴン少女
「……バハムート……ですって?」
人型の魔物の困惑する声。先ほどとは打って変わって、落ち着きのない様子だ。表情からは余裕が消え去り、“赤色の髪の少女”を見る目は鋭さを増していた。
──バハムート。おとぎ話の中にしか存在しない
「……ありえない。ありえないわ」
魔物は言葉を漏らした。ありえない。そうだ……ありえないはずなのだ。空想の存在でしかないはずの竜。それが目の前に居る。
「ふん。なるほどたしかに──妾が生きておった時代とは違うらしい」
ドラゴン少女は、その手に更に力を込める。それに呼応するかのように、燃えるような熱が魔物の腕を襲った。
「──な」
火だ。何かの喩えではなく、形を持った本物の火が、少女の握る場所から人型魔物の腕を包んでいく。
「──ッ」
今にも体を燃やし尽くそうとしている炎に対して……魔物は動いた。──咄嗟にその腕を切り落として後方へと飛び退く。
そして、“体”へと燃え移る手段を失った“ドラゴンの火”はその場で光を失った。
赤色の髪の少女──バハムートは、腕の付け根から“青色の血”を垂れ流す魔物の姿を見て、
「笑えるのう。お主ら、未だにこの程度の炎を恐れておるのか」
「……いきなり現れたかと思えばわけのわからないことを」
腕を失った魔物はそう言うと──肩を押さえていた手を振り払う。
「……ほう」
ドラゴン少女は、目の前の光景に声を漏らす。村の火に照らされた“影”には、先ほど失った筈の腕が……再生していた。
“影”がそう在れば……現実もその通りになる。
「お主の力か」
影。それは、現実と鏡写しのような存在。互いに異なる……ということは起こりえない。矛盾の内完璧な事象。それが……“影”だ。
「言う必要があって? まぁいいわ。私は──アリア。このヴァリア大陸を侵攻する“魔軍”の将にして“影”の使い手」
「ふん。長ったらしい名乗りじゃの。いかにも……“魔の物”らしい──」
ドラゴン少女はそこまで言って言葉を止めた。目の前に居る魔物を鼻で笑うことを辞めた……そんな良心からくるものではない。
少女の腕に、
「……」
少女は息を止めて魔物──魔将軍アリアの様子を伺う。とはいえ……彼女の意識の中から、ジークという存在が消え去ったわけではない。
血を流す冒険者への処置を早くしなければ手遅れになる。しかし、目前に迫る敵はどうやらそう簡単に通してくれそうにない。
「……影かっ!」
バハムートは叫ぶ。自分の細い脚……その下の地面を視界に入れながら。そしてすぐに……はっとしたような顔で、自ら手のひらに小さな火種を生み出す。
「へぇ。なかなか聡いわねぇ。見かけによらず」
「……余計なお世話じゃ……“影娘”」
少女が炎を生み出したのには理由がある。“影を操る”アリア。そして時間帯は夜。フォル村を燃やす火は未だ健在ではあるものの、村の大部分に暗い影が落ちている状況だ。
なぜ、少女の腕に傷がついたのか? それは単純に──。
「私は“自分の影”に接する影を自由に操作することができる。これがどういう意味か──もうおわかりでしょう?」
「っ──」
──駆ける。少女は地面を蹴り、その場から駆けだした。物が二重に見えるほどの速度でその場から離れようとするバハムートだったが。
「う……ぐっ」
赤色の髪の少女。その脚に新たな傷が生まれる。アリアによって少女の影が操られ、現実の彼女の体に危害を与えていた。
「あらあらぁ」
傷口を抑えるためにかがむ少女を見下しながら、アリアはバハムートの元へ歩いて行く。やがて、地面を踏む土の音が止まり──。
「さぁ……どうする? かわいい“ドラゴン”ちゃん?」
その表情と声に、思わず少女は顔をしかめる。……実際、バハムートが窮地に陥っていたのは事実であった。
周囲にある明かりは燃えさかる炎のみで、それも不安定な光だ。例えどれだけ小さな“影”であろうとも、それをアリアは捕捉することができる。
宿の明かりも消えていた。他の家屋も同様に、光などとうに消え失せた状況。もはやこの村に……アリアから逃げ通せる場所などない。
絶体絶命。まさにピンチとしか言い表せないような状況。
「──はっ」
しかしそれでも──少女は笑っていた。
「……残念。さぁ……死になさい」
そう言って、アリアが少女へ手をかざす。傷を簡単につけたのだ。もはや、死に至る致命傷を与えることすら……魔軍の将にとっては難しいことではない。
「……? 何なの……? これは」
しかし……アリアが手をかざしても、かざした手に力を込めても、少女の体には何も起こっていなかった。五体満足、健康そのもの。
その理由を、魔物はすぐに──知ることとなる。
「──」
まずアリアを襲ったのは、視界を埋め尽くさんばかりのまばゆい光。そして、体の水分を奪っていくほどの熱。
さきほど魔物の腕を襲ったバハムートの力が……まるで村全体を支配しているような──。
そうアリアが気づいたとき、すでに事は手遅れだった。目前に居る少女の背後には──巨大な半透明な“竜の頭”が出現し──。
「──“
誰が呟いたか、体の奥深くに響くような低い声がアリアの鼓膜を通過したかと思うと──“竜の頭”の幻影から放たれた白色の炎が周囲を埋め尽くしていく。
アリアを、村中の魔物を巻き込んで放たれる炎。しかし、それ以外の物に対しては、何ら危害を与えることは無かった。
住居や地面、死体。そして……地面に倒れるジークもだ。バハムートの幻影が放つ炎は魔物だけを消し去り、やがて空の彼方へと消えていく。
そして……そんな村に残った、魔物が
「──はァ……はァ……」
「ほう。まだ生きておったのか。死んだ方が楽だったろうに」
その言葉に違わず、“アリア”の皮膚は焼けただれ、かろうじて元の原型はとどめているものの、とてもマトモな状態では無かった。
少なくとも、人間であれば気絶しているような状態だろう。
「こんの……クソッタレがァ……!」
──瞬時。魔物の背後に巨大な“影”が現れた。……翼だ。アリアの背中から生えた巨大な羽根が体を持ち上げ、宙に浮かす。
「……覚えておけ。このヴァリア魔軍将アリア、必ず貴様達を殺す。逃げても必ず見つけ出すぞ」
「ふん。勝手にせい」
「……後悔するなよ。竜の末裔を名乗る不届きな“クソドラゴン”が」
先ほどまでとは打って変わった様子のアリアは、流石に形勢が不利と判断したのか、その場から飛び立ち退いていく。
少女にもやることがあったため、それを追うことはしなかった。
「……まったく。妾を呼べと言うたのに」
少女は、地面に倒れるジークへと駆け寄り、しゃがみこんでその体へ手をかざす。
「死にかけか。……巻き込んだのは……わらわの責任じゃ。じゃから……恨むなよ」
少女はかざした手をぐっと握る。すると──ジークの体。その下の地面に、円の形をした幾何学的な模様が浮かび上がってきた。
炎のような、熱い光。それが、二人を取り囲んでいく。
「……ジーク。そなたの運命をねじ曲げてしまうこと……必ず詫びる」
火が広がっていく。崩壊した村の中心で。
「──
──ドクンッ……という鼓動が辺りに響く。眷属。竜。ヴァルハラ。全てが荒唐無稽で、ドラゴニアの常識から切り離された領域。だがそんな場所へジークは──。
「我が名は──バハムート。歓迎するぞ。最初で最後の──我が、眷属よ」
神秘的な空間。全ての世界から隔絶された一瞬の時。全てが始まる、その予兆。このとき始まってしまったのだ。
ドラゴニアに生きるジークを取り巻く──奇妙な運命の輪が回り出す。夜明けの空で冒険者を背負いながら、遠方に見える“城郭”へ歩いて行く少女は、そんなことを考えていたのだった。
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