三話 切願

注意書き



・この作品はBL作品になりますが、まだBL要素は少ないです。


・この先暴力表現が入ってくる場合もございます。


・実在する建物、歴史とはなんの関係もございません。


・書いてる人がかなりのオタクなので何かに似てるなんて箇所が多々あるかもしれませんが温かい目で見ていただけたらと思います。


・少しでも楽しんでいただけたら幸いです。




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噂話


‘____やぁやぁ聞いたことあるかい?あの話’


‘次はなんの話だい’


‘あの鬼の話だよ’


‘またかい?’


‘あの鬼ね、大戦を二度も収めたらしいのよ’


‘収めたってどうやってだい’


‘一回目はどうも皆んな殺しちまったらしい’


‘鬼も人もかい?’


‘そうさ’


‘それはそれは。流石は悪鬼で悪魔なだけはあるねぇ’


‘二回目と三回目は不明で、四回目もあの鬼が収めたんだと’


‘へぇ、また殺したのかい?’


‘それがね、その時は皆、それぞれの集落に気づいたら帰ってきていたらしいよ’


‘気づいたら?’


‘瞬きをする間もない程に一瞬で’


‘そんな事があり得るのかい?’


‘しかも皆口を閉ざしてんだって’


‘戦争から帰ってきた者が皆記憶喪失だったって話かい’


‘そうそうそれだよ’


‘怖いねぇ’


‘本当にねぇ’




 今日も今日とて実しやかに囁かれる鬼の噂。








「人は嫌いだ。人が人を想う心が嫌いだ」


 遺された者の気持ちなど知りもしないで、愛だなんだと言い、大切な者の幸せの為なら易々と己の身も魂も捧げてしまう人が嫌いだ。


「鬼が嫌いだ。傲慢で終わり無き葬に身を焦がす生き様が嫌いだ」


 永遠に止まった己の時間の中で亡くなって逝った者しか数えることが出来ず、終わらない葬と弔いを捧げる。それでも正しく優しく在ろうとする者が苦しみ続ける、鬼が嫌いだ。


 そう嘆く、鬼が居た。






———第四次 悪鬼人大戦あっきじんたいせん———

 その名の通り、鬼と人間の戦。何百、何千、何万と犠牲を出そうも、何も学ばぬ両者の愚かな大戦。




 その戦に終止符を打つ鬼が居た。




 「やめろッ!! 何故何も…ッ、学ばないんだ……」

 鬼も人間も自分たちの大切な者たちを守りたいが為だけに、愛する人の手より刀を取り、家族の心配する声より同胞の死に行く啼き声に耳を傾ける。そうやって憎しみの連鎖は何百年経とうが、終わり無き悲劇を生む。


 ——永遠の生命が罰なら、終わりのある命は罪だ。


 終わりがあるから忘れてしまうのだ。その命が余りに短いから忘却してしまうのだ。本当に守りたい者は誰だったのか。何故戦になってしまったのか。その全てを、根本を忘れてしまう。

「お前らは何度も何度もッ! 何故同じ過ちを繰り返すんだッ!!」

 そう叫んでみても返ってくるのは恨み辛みの私怨籠った呪詛ばかり。


 “だって鬼が人を殺したんだ!”

 “人が鬼を殺したのさ!”

 “鬼が憎い。人を殺す鬼が憎い”

 “人が憎い。迫害し続けて、果てには滅ぼそうとする人が憎い”

 “鬼が恨めしい”

 “人が恨めしい”

 “オニを滅ぼしたい”

 “ヒトを皆殺しにしたい”

 “己達の平和のために”


 要するに、もう彼等にも分からないのだ。何故自分たちが殺し合いをしているのか。

 友を奪われ、家族を奪われ、仲間を奪われ、残ったのは己の肉体と、その魂に刻まれた憎しみだけ。ならば残ったそれすらも犠牲に厭わないと、私怨に身を焦がした。言ってしまえば自暴自棄に近い。

 それを見て鬼の少年だけが、悲しみを溢した。


 ——嗚呼、分かるよ。分かるよ僕にも。


 僕だって全てを奪われた。人にも鬼にも。

 でも何もないのだ。その先に何もない。両者が納得のいく方法は両者共に選べないのだろう。もう妥協も赦しも必要ないのだろう。

 ならば、ならば、終わってしまえばいい。

 また、終わらせるしかない。

 この戦の悲しみと苦しみを自分だけしか知らないのなら、お前らが理由すらも忘却してしまったと言うのなら、終わらせよう。


 鬼の少年—————阿弥陀如来の鬼が手を挙げた刹那、横には二体の獣がいて、それは神々しく黒曜と赫然に輝いて見えていた。


 それを理解した瞬間に、戦の全ては終わった。

 残ったのは鬼の少年と二体の獣以外誰もいない荒野のみ。

 無惨な遺体も、傷だらけの兵士も、憎悪に溺れた鬼も、両者の多く流れた血も、何もない。

「いいの? これで」

「また同じ事の繰り返しになるだけだぞ」

 二体の獣は鬼の少年に聞いた。

「いいんだ。僕が成し遂げるまでは、せめて現状維持でもしてないと」

 苦しい決意がまた増えて、辛く重い罪を背負った少年の静かな声は、何もなくなった荒野に木霊した。

 そして二体の獣を引き連れて、姿を消した。






 人も鬼もいつの世も愚かだと鬼の少年は言う。

 そもそも最初に奪ったのは人間だった。人間が鬼から平和と平穏を奪っていったのだ。


 始まりは遥か昔、鬼と人間はお互いの存在を認識はすれど、関わろうとは思わなかった。それは怯えていたからでは無く、ただどちらも今の生活に満足していたのだ。お互いがお互いの安息の地で、同胞達と共に慎ましく暮らす。生命の正しき在り方だった。


 発端は「鬼は人を喰っている」と言う噂。


 その噂を聞いた人間の長は馬鹿では無かった。今まで何も無かったのにそんなこと有り得るのか、と疑問に思い、直接鬼の長に聞きに行ったのだ。

 そして長が人里を離れ数週間。里では10名の喰い荒らされた遺体が見つかった。鬼がやったと思い、長がこのまま鬼の里に行けば危険だと危惧した村の人は武装して、少数精鋭5人ほどで長の跡を急いで追った。

 道中では会うことができず、とうとう鬼の里まで辿り着いた5人の目に飛び込んできた光景は一言で言うなら『赤』だった。

 其処には無惨にも殺された長と護衛数名。それを取り囲む血に染まった鬼。

 それから人里に知らせが行き、始まったのが『第一次悪鬼人大戦』だった。そして生き残り、その戦を止めたのが他でもない、後の“阿弥陀如来の鬼”だった。


 全てを見てきたこの鬼は思う。

 双方愚かだと。

 生き物の中で唯一言葉という賜物を持っていながら、話し合うよりも先に武器を取り殺し合った。

 全てを見ていた子供の鬼は全ての罪を背負った顔で言った。


『知っていたさ。どうなるかなんて。地獄が始まるのも知っていた。知っていながら両種族にその地獄を歩ませた』


 何故かって?その鬼の親も友も、愛する人たちも、人間と鬼に殺されたのだから。要するにこの鬼もまた、復讐をしたかったのだ。

 感情とは本当に厄介だ。激情に呑まれた時に取る行動など殆どが愚行だと理解していた。それでも自分が弁明して止めようとは思わなかった。彼という鬼の中でその憎悪の激情の炎が鎮火できたのはもう、彼と血を分けた者も大切な誰かも、一人もいなくなった程に後の話だったから。


 どうでも良い。彼等がどうなろうと、どうでも良かった。


『人が鬼に殺されたから鬼そのものを憎むと言うなら、人に同胞を殺された鬼も人そのものを憎むのは、当然の摂理だろう』

 どちらも被害者であり加害者。愚かで哀れにも、憎悪を宿した復讐の連鎖は止まることを知らなかった。






———第一次悪鬼人大戦———


 その戦の終わりは静かだった。

 未来で起こるであろう第四次の戦を見た者がいれば、全く同じだと言うだろう。

 違いがあるとすれば、皆居なくなったのだ。文字通り、一次大戦の前線で戦っていた者達は鬼も人も居なくなった。この世の何処にも居なくなった。まだ幼い子供の鬼が扱いきれない膨大な力で、消し去ってしまったから。


「本当に良かったの? シロ」

 ずっと先の未来でも赤い獣は似た様なことを聞く。

「いいんだ、これで。良いんだよ」

 罪の意識をしっかりと受け止めた子供の鬼、後の阿弥陀如来の鬼は、拳を握りしめて噛み締める様に呟いた。その時、これまた不思議で不気味な力の影響か、この鬼の背中には阿弥陀如来が現れた。ナイフで切り裂くような痛みと共に、その象が現れた背中からは血が滲んでいた。

「おいッ、お前背中から血が出ているぞ!?」

 黒い獣は焦った声を出した。

「こんなの…っ、痛くないよ」

 誰が見ても嘘だと分かる。鬼が痛みに耐える様に握りしめた拳から血が出ていたから。それでもそれを甘受するように鬼は手当もしなかった。

「これはきっと背負う罰なんだ」

 罰を刻んだその象徴が阿弥陀如来なんて、皮肉な話だ。まるで全てを背負う神になれと言っているようで。子供が刻まれるには重い大義だった。


 決して折れる事の許されない大義。

 刻まれて、子供は少年になる。体は無駄な成長を辞め、それがまた神に近づいているみたいだった。

 世界が鬼の少年を中心軸に再構築を始めているように二体の獣には見えた。

 神の力を借りた獣でも、世界の真理など分からない。こんな子供に背負わせてしまうような世界の真理など、知りたくもないと、二体の獣は少年を思う。











_____________________






「アイツらきっとまた接触してくるよ」

 先の急に訪れた鬼を討伐する組織の遊撃隊とやらの若い5人を思い出しながらアカは怪訝そうな顔で言った。

「それが狙いだからいいよ」

 自分だけに的を絞らせる。それが白杭の狙い。だからそれで良いと、白杭は言う。

「どうしてそこまでする?」

 もう見てられんのだ。関わってしまっている以上、情が湧いてしまっている。だからこそ、もう辞めてくれと思いながらも、そう素直に言う事は許されない。


 だからクロはあくまで質問をする。

 懇願ではなく、質問。

「それは前もシロが言ってたじゃん」

 答えたのは意外にもアカだった。

「分かっている…。分かっているのだ……ッ、お前が背負ったものの大きさも、重さも。お前が背負った理由も分かっているッ! 分かっていても、納得はできないんだよ、白杭」

 悲痛な声だった。懇願にも近い声。アカは驚いた顔をしていたが、クロが言い終わる頃には口を噤んで下を向いていた。それはクロの意見との同意を示していた。


「ごめんね。人間や鬼ってのはこういうもんなんだよ。納得できなくて良い。……理解できなくて良いよ。…………こんなもの」


 白杭の言葉を最後に暫くの沈黙が流れた。その静かな時間は、これから白杭が辿るであろう結末を想像するのに容易い時間だった。

 現実、近いうち来る未来に最も近い想像。


 暫くの時間距離を置いて、各々は頭を冷やした。

 戻ってきてその長い沈黙を破ったのもアカだった。

「可笑しな話だねぇ〜」

 わざと可笑しそうに笑いながらアカはそう言った。いつもの様に通し目で鬼を壊滅させる人間達の組織でも覗いていたのだろう。

「オレらには分からんな。人間の考えることも、鬼の考えることも」

 クロはまた見てるのか、と言いたげな様子でそう返した。

「分からなくていいんじゃない?」

 分からなくていい。あんなの分かってる方が駄目なんだ。きっと白杭はそれを誰よりも理解していることを、アカとクロも分かっていた。

「でも人間達はボクたちに『人の心はないのか』とかよく言ってたね」

 アカの言葉を聞いてクロは小馬鹿にする様に笑った。

「なくて当たり前だろう。人じゃないんだから」

 クロはやはり呆れた様に言った。

「え〜でもさぁ、そのココロ? カンジョウ? ってやつを人や鬼は慈しみ大事にするんだろう?」

 アカはずっと人の心や感情に興味があった。不思議の対象なのだろう。


「アカもクロも心がないわけじゃないと思うよ。でも人の心っていうのはアカが思ってるほど綺麗なものじゃない」

 だから、知らなくていいんだよ。と呟いた白杭をアカとクロは少しだけ哀しそうに見ていた。


 アカとクロが白杭を難儀な子だ、理不尽ばかりを強いられる可哀想な子だ、と思うことこそが心だと、白杭は知っていた。

「なんで神様はアカとクロに感情を与えたのかな」

 白杭の呟きにアカとクロはキョトンと目を丸くしてから笑った。

「あはは。ボクたちに心をくれたのは白杭シロだよ? 神様じゃない」

「オレらはその人間で言う神という存在とは仲が悪いだろうからな」

 あくまでそれは人間と鬼が思う思想で、実態はないし、存在もするわけじゃないから。その居もしないのに人間が酔狂する偶像を二体が嫌っているだけだけれど。

「ん〜それって僕のせい?」

「違うよ」

「違うさ」

 二体、二人は同時に否定した。

「全ての行いの責任は行動を取った本人にある。だから白杭はなーんにも悪くない。と、思うんだけどなぁ」

 先ほどの話を引き摺るようにアカはまた下を向いてしまった。


「因果応報ってやつかな」

 白杭の言葉は自分に向けたものだった。

 それは二人の反感を買う。

「「違う」」

「どうして?」

 困った顔で、まるで子供に聞くように白杭は聞いた。

 それは二人が何を言っても意見を変えないのだと、二人は分かっていた。それでも、否定せずにはいられないのだ。

 白杭が二人にココロ《心》を与えてしまったから。

「だってそれは、シロは悪くない事でしょ」

「お前のやっている事は悪じゃない」

「善悪関係なしに、因果応報ってあるんだよ」

 そうであって欲しくないと望む二人の声と、白杭の言い聞かせるような声。

「白杭。もう逃げてもいいなどとは言わない。ただ、」

 そこでクロは黙ってしまう。


 アカも白杭もその先に続く言葉を分かっている。ただ、その先にある未来に白杭にも居て欲しいと。それは、二人が願って止まない切願で、白杭が一番有り得ないと考える、白杭自身が許さない未来だった。

「因果応報。全ての責任は行動をとった者に在る。何の犠牲もなしに成し遂げられるものはないよ」

 当たり前の話だ。それでも2人は白杭の言葉に頷くことは出来なかった。


「……本当はね、知らない事が罪だなんて思ってないよ。忘れるからまた悲劇は起きるって言うけど、本当の平和って言うのはそんな事があったなんて事すら、誰も知らない時代だと思うんだよ」


 忘れるではなく、知らない。それはすごく幸せな事だと白杭は思う。


 白杭の言葉を最後にまた沈黙は訪れる。

 でも何時間経っても、また沈黙が破られても、同じ話題は話さなかった。

 決して分かり合えはしないから。

 意見の食い違う話題はお互いに傷を残すだけだと白杭は誰よりも理解していて、その白杭の心得を二人もまた誰よりも理解していた。






 阿弥陀如来の鬼———白杭は思う。

 アカもクロも何も知らないから僕を庇うんだ。

 どうしてこんな混沌の時代になったのかを知らないから。

 こうなってしまったのも全て、僕の傲慢さが———たった一人の鬼の子供の傲慢さと愚かさが招いてしまったことだと言うのに。

 それを話さないのもまた、等しく罪だった。











 薫達遊撃隊は森を歩いていた。

 阿弥陀如来の鬼が居るという森を。その鬼にまた会うべく。会しては殺す為に。

 初対面から優に一月が経っていた。それまでの間、阿弥陀如来の鬼は一度も姿を表さず、まるで存在しなかったように全くもって目撃情報すら上がらなかった。

 だけれどまた、意図して流された情報を薫達は掴んだ。掴まされたと分かっていながら、万全の状態で薫達は森の奥、鬼の住処へと足を進める。


「今日、獲るんだろう。あの鬼の首」

 決意を固めるように言ったのは篠芽だ。

 彼女は5人の中でまるで進行役のようだ。

「当たり前だろう」

 そう言うのはやはり一条。

「ボスはそれでいいの?」

 未知瑠は悪気なしに聞いた。薫に迷いが生じていそうに見えるのは皆一緒だった。

「ボスはどう考えてる?」

 いつもは興味を示さない真も珍しく聞いた。

 ボス《軸》に揺るがれては困るから。それはきっとこの討伐任務の失敗に繋がり、それは最悪全滅を招くことになる。


「うん。あの鬼の首は狩れるから心配しないで」

 薫は綺麗な顔にも品行方正な外面にも似合わず、煙草を吸いながら言った。揺るがせてはならない決意を固めるように紫煙の匂いを纏っていく。

「そうじゃないよ。思い残りがあったら刀心がブレるだろう」

 篠芽は問い詰めた。

「俺が討伐任務に失敗したことある?」

 その言葉に4人は黙るしかなかった。

 でもそれを引きに出さないといけない程、上手い言い訳が思いつかないのも事実。

 4人は1人の犠牲もなく任務が無事に終わる事を願った。それは薫も同じではあるが、薫に失敗ということは考えられなかった。

 それは故に、己と仲間の実力を信じているから。


 信じるだなんて、それが薫の好まない抽象的で、なんの確証も無いものだと言うのを見落とす程に、薫は阿弥陀如来の鬼の事を道中ずっと考えていた。






 アカとクロは目を覚ました。

 白杭以外の人間の気配を感じて、それは森に張ってある結界をすり抜けてきたから感知した。

 白杭は二人よりも先に起きていた。

 起きて、使い慣れた刀を磨いている。刀を使う鬼など後にも先にも白杭のみだろう。

 人間の武器の象徴とされる刀を鬼は酷く嫌うから。


「起きちゃった? 此処に辿り着くまでもう少しかかると思うから、まだ休んでてもいいよ?」

 白杭は振り向かず背中を向けたまま、刀を磨く音だけを響かせて、言い放った。

 二人は眠る際、と言うか二人以外に白杭のみしかいない時には決まって人間の姿になる。理由は特にないが、人と同じ形をしている白杭と生活を共にするにあたって、そちらの方が楽だからだ。


 二人は白杭に近づき背後から手を伸ばした。

 アカは白杭の刀を握り、磨く手を止めた。

 クロは白杭を抱き寄せるように腕を前に回して後ろにもたれさせた。

「…起きたら起こせと言っただろう」

 いつもよりも静かなクロの声。

「そうだよ。ボク達に本来休息は要らないんだから」

 アカも普段より幾分も静かな声だった。

 白杭は回されたクロの腕に手を添えて、刀を置いた手でアカの手を握った。

「うん。今日は無理をさせるかもしれないから、もう少し休んでた方が良いと思ったんだ」

 そう言いながらクロの腕を優しく解き、振り向いた。浮かべた笑みは随分上手くなってしまった作りものだった。


 白杭は弱音など吐かない。弱さなど二人にですらなかなか見せない。それでも見抜いてしまう二人ではあるが、だからと言って指摘するかどうかは別の話。ただ今日は、今は、放っておいてはいけないと思った。

「その顔は嫌いだ」

 表情を作るのも上手くなったなと思う。

 それが無いと闘えないのだと言う事も分かっている。

 でもオレらにそれを見せては欲しくないのだ。

「怖くないの?」

 シロは震える事もなかった。

 その手は震えなど知らず、人と鬼を傷つける事もなく、傷つけるのはいつでも白杭自身のみ。


 白杭は何も言わずに、ただ二人を抱きしめた。それが何を意味するのか二人は考えたくなかった。別れを杞憂したのか、はたまた決心の現れか。どちらにしても二人の望んだ抱擁ではないから。

「これは、どういう意味だ」

 聞くまで腕は回すまいと、耐えるようにクロは聞いた。

 それでも白杭は喋らない。

「ねぇ、シロ。なんで抱きしめるの?」

 聞くのが怖い。でも聞かなきゃいけない。アカの声は少しだけ震えている。

 白杭はまだ何も語らない。

 唯々、二人を離さないと珍しく力を込めて抱きしめている。二人の存在を確認するように。それでも確かに愛情が籠っていると分かるように。


「シロッ」

 何も答えてくれないシロに耐えきれなくなったアカはガバッと白杭を離しながら名前を呼んだ。慣れ親しんだ、愛の宿った呼称が白杭は気に入っている。

 白杭は下を向いていた。

 長い前髪は白杭の顔を隠している。

「白杭」

 呼びながらクロの手が白杭の髪を耳にかけた。そして二人とも表情を見て息を呑む。


「シ、ロ…え、なんで…」

「どうしたんだ、白杭」


 二人が好きな白杭のその瞳が涙を溜めている、なんて事はなかったが、表情は酷く泣きそうで、それが逆に意地らしく見えて二人の心臓は痛む。

「ごめん、ごめんね。ごめんなぁ……ふたりとも、」

 アカは息がしづらくなって、困惑した表情を浮かべた。

 クロもまた、眉間に皺を寄せて歯を噛み締めている。

 二人の頭の中は白杭の表情の訳で埋め尽くされていた。


 白杭は大義を成し遂げるまで絶対に死ぬような事はしない。そんな事、自分たちがいる限り起こらない。白杭は泣かない。人前どころか、二人の前でも泣かない。白杭の罪の意識が感情の起伏を奪ったかように、白杭は泣きも怒りも、心からの笑いも、感情を何も示さない。

 その白杭が今、泣きそうになっている。

 原因は今から来るであろう者達以外には考えられない。

 クロは白杭を思いっきり抱きしめた。先程まで腕を回さなかったのはくだらない意地のように思えた。

 アカも白杭の頭を撫でながら、また手を握った。次は強く、握った。

 何に対して謝ったのかは分からなかった。

 二人は白杭が生きてさえいればいい。それ以上はもう白杭の前では望まないと決めた。

 クロは先ほどよりも強く歯を噛み締めて、折れぬようにと挟んだ唇は切れている。

 アカは喉が焼かれるように痛んで、力を入れて耐えた。激情を殺すように。


 二人は初めてこんな激情を味わった。

「なぜ謝る」

 クロは抱きしめながら聞いた。

「こんな、こんな血生臭いことに、付き合わせてしまっている。これから見るのは今日見るものよりもきっと残酷で、もっと醜く汚い」

 そんなものを二人に見せたいわけじゃなかった。そんなものを二人に知って欲しいわけじゃなかった。もっともっと普通の家族のように愛せていたらどんなに良かっただろうと、白杭は思った。


 そう思わせるのはきっと、あの5人と対立すれば、何かが浮き彫りになって、状況が悪化すると思ったから。

 それ程までにあの5人は強くて、今日確実に自分の首を獲りに来ると思ったから。

 負けはしないと自負している。だけれど、それでも何かを失う気がした。気がしただけではあるが、考え出したら止まらなかった。

 今日自分は、あの5人の中の誰かを、もしくは全員を殺すかもしれない。あの5人は確かに深い絆や信念で結ばれていた。それを自分は壊して奪ってしまう。

 もしそれが自分で、奪われたのがアカやクロだったらと思うと、白杭はやるせなかった。

 今までにも、それこそ大戦を収めた時だって、分かっていた。

 その者が生きていて嬉しいと思う存在が一人でも居て、死んだら悲しいと思う存在が一人でも居るなら、それは等しく悪で、罰が在るべきだと。

 だけど考えないようにしていた。今日だけは、それが出来なかっただけの話。それだけの話にしたかったのに、二人の声を聞いて、心配してくれるのを見ると、白杭は駄目だった。


 二人を、どうしても失いたく無い。


 そんな事を思ったのは遠い昔以来で、そう思ってしまったから全てを失ったというのに。そして失いたくなかった者達を今夜、自分が奪うかもしれないのだ。その先にある大義の為に。やはり感情とは厄介だと、邪魔だと、白杭は思う。

 白杭だけが知る、白杭だけの覚悟。


 出来る事ならば二人に、色々な事を学んで欲しいし、色々な事を共に経験したかった。普通の、家族みたいに。

 遠い昔で鬼である自分に、そうしてくれた人間達のように。

「そんなのシロが決めないでよ。ボク達にとって一番辛くて残酷で苦しいのは、シロが居ない事だよ」

 言い聞かせるようにアカは言った。

「そうだ。お前が生きていてくれるなら、もうお前には何も望まない」

 言葉の中にある懇願をクロは溢した。

「ありがとう。二人とも、僕の家族になってくれて本当にありがとう」

「そんなの今更でしょ。ボク達を家族にしてくれたの嬉しいよ」

「心を与えたお前は間違いなく家族で、何よりも大切だ」

 二人の素直な言葉に白杭は安心した。結局涙は溢れる事はなかった。白杭はやはりどこまでも神様のようだった。

 全てが終わったら普通の家族みたいに穏やかに過ごそう。そんな約束が出来るほど3人は子供じゃなかった。


「行く先が地獄でも、ボク達はずっとシロと歩くよ」

「どんな地獄だとお前と一緒ならそれで良い」


 例え死ぬとしても、ならば死ぬ瞬間まで共に居よう。

 それぐらい望んでもバチは当たらないでほしいと二人は密かに願った。

「もう大丈夫。ごめんね心配かけて」

 顔を上げた白杭はいつもの笑みを浮かべていた。クロはもうその表情に文句は言わなかったし、アカも似たように笑った。

「そろそろ表に出よう。きっともう来る」

 そう言って白杭は立ち上がり歩き出す。

 二人は二体の獣になり、その後を追った。






愛してるが言えなくて、

死なないでも言えなくて、

生きていてくれと望めなくて、

共に生きようと約束も出来ない。

それでも確かに3人の中には深い愛があった。

使い道を失った言葉達は涙を流す。

その涙は苦しくも愛しい優しい雫。

それでも心臓は痛みに悲鳴を上げる。

それを押し殺した先には何が在るだろうか。











 薫達との相対はきっと何かを浮き彫りにする。

 それは決していいものではないだろう。

 白杭はそれが分かっている。

 そして薫もまた、何かを予感している。

 何かを変える。

 それは価値観かもしれないし、生き死に関わる事かもしれない。けれどきっと確実に何かが変わるだろう。

 これまで多くが変わったように。


 二体の獣は言った。

 どんな地獄でも共に歩くと。


 5人の人間は思った。

 決して一人も欠ける事無く帰還すると。


 全ての事が思い通りになり、全ての望みが叶う事など、存在しない。

 必ず犠牲は出るし、それが無駄になる事だってあるだろう。

 それが例え命だとしても。

 意味のある死を迎える方が幾分も難しい。

 生き甲斐のある人生とは素晴らしいが、死に甲斐のある死ほど素晴らしいものはないだろう。

 この世界とは、そういう風に出来ているのだ。

 なんの因果か。


 新たな憎悪は生まれ続ける。

 それが正しいかも分からぬままに。





“ねぇねぇ知ってる?”


“え?”


“安楽という街で鬼化の薬が売買されてるらしいのよ”


“安楽って桃源郷って呼ばれてる街かい?”


“そうそう”


“鬼化の薬?それは人が飲んだら鬼になるって事かい?”


“そうなのよ”


“そんな悍ましい薬があるの?”


“あるとも。それにねその薬死者にも使えるらしいのよ”


“どういう事だい?”


“死んだ人間に使えば鬼として一度だけ蘇生できるらしいのよ”


“副作用とかあるんじゃないの?”


 “あるらしいけど分からないのよねぇ”


“そんな禁忌に触れるような薬あっていいのかい?”


“さぁ、どうなんだろうねぇ”


“怖いわねぇ”


“何か起ころうとしているのかしら”




そんな噂話が今日もまた囁かれる。











一方。


 チリンッと、〈小鳥〉の鳴き声が響いた。

「政府が関わっている証拠が上がった」

 そう言って入ってきたのは夏灰仙だ。

「本当かい!?」

 マダムは驚いて目を見開く。それはそうだ。政府は決して手を抜かない。だから今までバレずに悪事を重ねられたのだ。まさかこんな早い段階で証拠が見つかるなど、誰も思っちゃ居なかった。

「2丁先のマスターが、政府の人間である紋章の縫われた服を着た男が、大量のヘブンを受け取っているのを目撃した。そして、」

 夏灰はそこで一度区切って、カバンから紙切れを出した。

「政府の男に渡した男が、これを落として行ったらしい」

 そう言って夏灰がカウンターテーブルに置いた紙を皆が立ち上がって見る。それは領収書だ。本当ならすぐに処分するつもりだったのだろう。だが男はそれを落として行った。

「態々丁寧に政府の印鑑が押されている。それにこれを売った相手を突き止めて、製造場所を抑えればこっちの勝ちだ」

 夏灰の言葉に皆が目を輝かせる。

「……やっと、やっと娘と妻の仇が取れるんだな…!」

 1人の男がそう言って涙ぐんだ。彼は妻子を鬼によって殺された。正確には、鬼薬とヘブンで鬼にされた人間が凶暴化して殺されたのだ。

「ああ。そうだ」

 夏灰はそう言って涙を流す男の肩を支えた。

「やっと、あの子の役に立てるんだね」

 マダムもそう言って目を細めた。

「アイツならきっと危ないからやめろと言うだろうが、俺はアイツの隣に立ちたい」

 夏灰はマダムを真っ直ぐ見据えてそう言った。マダムはカウンターから出てきて夏灰の背中を叩いた。

「いい男になったね」

 そう言うマダムの瞳は強い意志が込められていた。

「どうやら俺はアイツのことを特別に思っているらしいからな」

 自分に呆れたように笑いながら夏灰が言った。マダムは一瞬目を丸くして、それから夏灰と同じく呆れたように微笑んだ。

「ようやく認めるのかい」

「フッ、マダムにはお見通しだったか」

「言ったろう? 私に隠しことなんて早いよ」

 夏灰とマダムが笑ったのをキッカケに、店にいるお客さん皆んなも笑った。

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鬼からも人からも恐れられる孤独な鬼が望む未来の話 すおう @crater

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