4-3

 熱を持ち始める体と、嗜虐的な欲を乗せたモーガンの視線に、鳥肌が立った。だが、考えようによっては拘束を解かせる好機でもある。

 顎を上げたアシエルは、震える息を隠して声を張る。

 

「それで? どんな態度がお好みだ。『くっ、殺せ』って言ってほしい? それとも『嫌だやめて入れないでぇ』って? 薬打てば震え上がってあんあん喘ぐとでも思ってんのか。人を踏みつければ自分が偉くなるとでも? てめえのその浅い考え方は死ぬまで変わんねえんだろうな。何年経っても成長しやしねえ」

「黙りたまえよ、低能が!」

 

 頬を殴りつけられた。殴られた衝撃に目をちかちかと眩ませている間にも、モーガンの手は、アシエルの体を容赦なく這いまわる。

 何が悲しくて、牢屋で気色の悪い男と緊縛プレイに挑戦しなければならないのか。啖呵を切ってはみたものの、この手の精神攻撃はさすがに効く。強張る手を、アシエルは強く握った。情けなくも震えていると見破られたくなかった。

 馬車の中でクリスティーナを守ることができてよかったと心から思う。怨恨から暴力を振るうだけならばまだしも、催淫剤などといういかがわしい薬品が即座に出てくる辺り、モーガンはろくな人間ではない。打たれた薬に中毒性がないとは言い切れないし、幼いクリスティーナとて、モーガンの毒牙に掛からなかった保証はないのだ。

 ――一時の生理的嫌悪には目をつぶれ。

 これは作戦だ。手か足か、どちらかだけでも自由になれば勝機はある。そう己に言い聞かせながら、アシエルは覚悟を決めて口を開いた。

 

「なあ、べたべた触られたって、もどかしいだけなんだけど。犯す犯すって散々言っておいて、やり方も分からねえわけ?」

「ひひひ、薬が効いてきたか? さっきまでの勢いはどうしたんだね、ん?」

「やるならとっととやればいいだろ」

 

 反吐を吐きたい気分で目を伏せつつ、アシエルは自らの足をすり合わせて見せた。意識するまでもなく漏れたため息は、傍から聞けば熱っぽく響いただろう。

 

「ふひ……体が疼くのか?」

 

 どこのエロ親父だよ。罵声は喉の奥に飲み込んで、アシエルはしおらしく声をひそめて目を逸らした。

 

「……あつい。足、外せよ」

 

 こうなればヤケだ。媚びた声で誘えば、モーガンは目を血走らせて、気色の悪い笑い声をあげ始めた。

 

「ひひ、んふふ……、そう易々と拘束を解くと思うかね? このままだ」

「外せばいいだろ。どうせやるなら、一思いにやれよ……!」

 

 ぎんぎんにおっ勃ててやがるくせに何を渋ってやがる、とっとと外せ、外したときがてめえの最期だ。内心の呪詛と罵詈雑言はおくびにも出さず、アシエルはモーガンに流し目を向けた。

 

「……頼むから」

 

 女性受けはそれなりに良かった流し目も、モーガン相手には残念ながら逆効果だったらしい。一気に冷めた顔をしたモーガンは、しかし手だけは止めずに、無造作にアシエルのスラックスを寛げていく。

 

「ふん。つまらないねえ。足を開くことに慣れているのかい?」

「げっ! てめ……っ! 離せこのクソ野郎!」

 

 拘束ごと膝を抱えるような体勢を取らされたかと思えば、モーガンは唐突に尻に指を突っ込んできた。その場を飛び上がりたくなるような違和感に、アシエルは演技も忘れて思いっきり毒づく。途端に、モーガンは嬉しそうに相好を崩した。


「なんだ、口だけじゃないか!」


 怯えも嫌悪も、相手を喜ばせるだけだと分かっていたから見せたくなかったというのに、最悪だ。

 

「哀れだねえ、こんなに体を強張らせて」

「調子に乗るなよ! こんなくだらねえことで……!」

「くだらないものか。大したことがないと思わないと耐えられないんだろう? 体を痛めつけられることには耐えられても、犯されることには耐えられない人間は多いんだよ。嫌悪すれば嫌悪した分だけ、記憶に刻まれるからねえ。体を通じて、精神をぐちゃぐちゃに犯しているようなものだと言った方が、ガイド相手には分かりがいいかな? 君がどれだけ自分に言い聞かせても、『大したこと』なのだよ、これは。君が思うよりずっと、心を痛めつけるには効果的なんだ。ふ、くく」

 

 アシエルに覆いかぶさったモーガンは、よだれを零しそうなほど歪み切った顔でべらべらと語った。

 

「でも、そうだねえ。君の願いを叶えてあげてもいいかなあ。どうせそのぼろきれのような有り様では動けまい。自由があるのに抵抗できないという方が、屈辱的だろう? 自分が犯されるところをよく見ていたまえよ、勇者殿」

 

 モーガンは、性急な動作でアシエルの足枷に手をかけた。待ち望んだ好機に、アシエルは目を見開く。この一瞬のためだけに、今の今まで耐えてきたのだ。

 興奮に目が眩んでいるモーガンは、息を止めたアシエルの様子に気づかない。足を繋ぐ鎖を鍵で外したモーガンは、懐から短いナイフを取り出すと、アシエルの足首を縛める縄に刃先を近づけていく。

 刃が縄に食い込んだ。縄に亀裂が走った瞬間、アシエルは腹筋を使って全力で跳ね起きた。その勢いのまま、モーガンの額に勢いよく頭突きをする。

 モーガンは、アシエルの反撃を予想もしていなかったらしい。ぐるりと目玉を上向かせ、わずかに後ろへよろめいた。その隙を逃さず、アシエルは死に物狂いでナイフの柄に噛みついた。この場で唯一の凶器を奪い取り、そのままモーガンの目元を狙って、全力で顔を横に振り抜く。

 

「ぎゃああああ!」

 

 耳障りな悲鳴を上げながら、モーガンは両目を抑えて仰け反った。至近距離で吹き出た血が、アシエルの頬を汚していく。切れかけた足の縄を引きちぎったアシエルは、即座に立ち上がると、回し蹴りの要領でモーガンのこめかみを蹴りつけた。

 

「き、さまっ!」

「よくも散々好き勝手してくれたな」

 

 血と肉片の付いたナイフをモーガンに向かって吐き捨てる。怒りを隠さず呟いたアシエルは、ゆっくりとモーガンとの距離を詰めていった。

 

「ま、待て! 取引をしよう。事件の聴取が必要だろう、なあ!」

 

 尻もちをついたまま、モーガンはアシエルから少しでも距離を取ろうとするかのようにずるずると後退する。獲物を追い詰めるように、モーガンが逃げた分だけアシエルも距離を詰めた。

 

「いらねえよ。こんな大それた誘拐事件、まさかひとりで起こしたわけじゃないだろう? 話はあんた以外から聞くことにする」 

「勇者! 勇者が人を殺すつもりか!」

「これは任務で、ここは敵地だ。敵を殺せない兵士は兵士じゃねえな。本物の勇者だったらどうするのか知らねえけど、生憎俺は、ご立派な勇者様じゃないんでね。あんたには悪いけど、自分の安全を優先させてもらう」

 

 モーガンの動きがぴたりと止まる。壁際に追い込まれた彼に、もはや逃げ場は残っていない。

 

「こんな、こんなはずでは――がっ」


 喚こうとしたモーガンの首を、アシエルは壁と挟むように全力で蹴りつけた。曲がらないはずの方向に曲がった首が、ごきり、と湿った嫌な音を立てる。足を下ろせば、電池の切れた人形のように、ぱたりとモーガンは倒れていった。

 モーガンが起き上がってこないことを確認し、アシエルは肺が空っぽになるまで、深々と息を吐き出す。

 

「くっそ、散々殴りやがって……」

 

 腕は拘束されたままだし、痛めつけられた体のダメージも軽くない。加えて、打たれた薬の効果で、くらくらと目眩までする。得体の知れない敵陣で、味方の助けも期待できない中、どうやってここから逃げ出したものか。

 母の形見が手元にない今、魔術には頼れない。ペンダントの場所だけでもモーガンから聞き出しておけばよかったと後悔したが、今さらどうしようもない。

 考えうる中でも最悪に近い状況に笑いたくなるが、生き延びられただけでも僥倖ぎょうこうだ。

 天はまだアシエルを見放してはいない。


(ペンダントさえ取り戻せれば)

 

 イカサマじみた魔術に頼るのはしゃくではあったが、あの首飾りがあるのとないのとでは、生きて帰れる確率が天と地ほど違う。

 まだ死ねない。クリスティーナを庇ったアシエルが無様に死んだと聞かされれば、あの幼い淑女はきっと、心を痛めることだろう。それではあまりにも格好が付かないというものだ。

 

「……しらみつぶしに行くか」

 

 耐えず落ちる水滴の音を聞きながら、アシエルはふらつく体に喝を入れた。



 人の気配がないことを確かめながら、慎重に階段を登っていく。

 廊下も壁も白一色で作られた施設は、色合いだけならイーリスの神殿とよく似ているけれど、中身は似ても似つかない。

 通りかかった部屋の内部をちらりと眺めれば、実験に使われたと思わしき動物がケージの中に放置され、書類が所狭しと散らばっていた。通路には換気口こそこまめに設置されているが、窓ひとつ見当たらない。ところどころにずさんな工事の後が残っており、じめじめとした空気の中には消しきれない下水の匂いが紛れていた。

 音の反響が不自然に大きいことからして、地下水路の近くだろうと当たりをつける。ここがイーリス国内であるのかすら不明だが、技術の進んだテンペスタならばいざ知らず、イーリスで地下水路が導入されている場所など、王都だけだ。仮に王都の真下にこんな施設を作ったのだとすれば、なんとも大胆不敵なことである。

 とはいえ、人のいない地下は、怪しげな研究を行うには適しているのかもしれない。ネズミならばともかく、不潔で不快な下水を好んで住処にする人間がいるとは誰も考えないだろう。

 気を張りながら通路を進んでいたそのとき、不意にがくりと膝が崩れた。

 休んでいる余裕はない。そう自分を叱咤するが、ごまかしようがないほど体中が痛く重かった。吐く息が熱く、目眩がする。嫌なものを打ってくれたものだと歯噛みする。

 媚薬か、麻薬か。どちらにせよ、直接血管に打ち込まれた薬は、全身に回るまでが早い。薬で強制的に呼び起こされた熱と欲は、アシエルの心身を着実にむしばんでいた。

 そんな状態であったものだから、注意しているつもりでも、周囲に注意を払いきれなかったのだろう。思いがけず近くから声が聞こえて初めて、アシエルは他人の接近に気がついた。

 

(やべ……っ)

 

 今の状態で、応援を呼ばれる前に複数人を昏倒させるのは厳しいものがある。

 隠れなければ。慌てて辺りを見渡したところで、唐突に背後から手が伸びてきた。抵抗ひとつする間もなく口元を覆われたアシエルは、そのまま室内へと一気に引きずりこまれた。

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