3-3

「警備が近くまで来ている。鉢合わせる前に終わらせるのではなかったのか」

「わざわざ知らせに来てくれたって? いらない世話だ。ありがとよ。盗られた物だけ取り返したら、すぐ離れるよ」


 近くにそれらしいものは見当たらない。どこかに隠したのか、それとも懐にいれているのか。辺りを探るアシエルを目で追いながら、ベイグラント准将はさも不思議でたまらないというように口を開いた。

 

「なぜ殺さない?」

「はあ?」

 

 さらりと呟かれた言葉の物騒さに、思わず顔を上げる。ベイグラント准将は、まっすぐにアシエルを見つめていた。

 

「民間人の安全を優先するなら、あの場で無法者を殺す方が確実だった。今もそうだ。奪われた物を取り返すだけなら、殺して死体を探る方がよほど早い。時間を掛ける必要も、耳障りな言葉に煩わされる必要もなかった。ならば、なぜ?」

 

 なぜと言われても。

 アシエルは困惑に眉を寄せる。相手は素人のごろつきで、ここは戦場でも何でもない。命を奪わずとも場を治められる状況で、なぜ相手を殺すという選択肢が出てくるのか。

 

「罰は警備と教会が決めることだ。俺が勝手に決めていいことじゃない」

「こんなことに手を染める無法者たちに、身寄りがあるとも思えない。消したところで、警備がわざわざ調査をするわけでもないだろう。見ていて不思議でならなかった。効率も悪ければ安全性も低い方法を、敢えて選ぶ理由があるのかとな」

 

 ベイグラント准将の声には、皮肉も悪意も籠っていない。ただ純粋に疑問に思っているだけなのだと、嫌でも分かる。根本的なところで何かが嚙み合っていないような気持ちの悪さに、アシエルは顔を引きつらせる。

 

「効率で決めることじゃなくねえ……? 人間死んだら生き返らねえからなあ。マリーさんの店を荒らしやがった分はきっちりやり返したし……後は悪いことした分の罰を受けて、反省すればいいんじゃねえの」

「生かせば逆恨みされるかもしれないのに?」

「別にいいだろ。また殴り飛ばせば済む話だ」

「……なるほど。そうして愚かな者たちの悪意を許すのか、アシエル」

 

 底冷えするような声色で呟いて、ベイグラント准将はアシエルに視線を据えたまま、魔力を込めた手を無造作に振った。脈絡なく放たれた魔術を見て、アシエルは咄嗟に身構える。しかし、空中で生み出された氷柱は、アシエルの頭上を素通りして飛んでいくと、背後に立つ何かを貫いた。

 くぐもった声が響き、アシエルはばっと後ろを振り向く。

 アシエルが最初に昏倒させたはずのムシキが、地面に横倒しになっていた。腕を折った上、意識を落としたはずなのに、あれでも足りなかったらしい。懲りずにアシエルを狙撃しようとしたのか、ムシキの近くには仲間の女が抱えていたはずの銃が落ちていた。

 ベイグラント准将は、足音ひとつ立てずにムシキのもとへと近づいていく。

 

「ぐうううう! くそがっ! 離しやがれ!」


 元気に叫んでいる割には、ムシキの体はちっとも動かない。奇妙に思って目を凝らしてみれば、ムシキの四肢は、杭の形をした氷で、標本のように縫い留められていた。

 

「耳障りだ」

「え――、おいっ」

 

 アシエルが止める間もなく、黒い剣線が走った。斬り飛ばされた肌色の小さな破片が、アシエルの目の前を横切っていく。いつの間に鞘から抜いたのか、ベイグラント准将の手には、見覚えのある黒剣が握られていた。

 

「ぎゃああああ! 指が! 俺の指が!」

「耳障りだと言った。次に許可なく口を開けば喉を潰す」

「あんた、何やって――やめろって!」

 

 目の前で唐突に始まった拷問じみた行為に、慌ててアシエルはベイグラント准将の腕を掴む。

 哀れな生贄と化したムシキは、地面で磔にされたまま脂汗を浮かべていた。悲鳴を殺すためか、強く噛み締められた唇には血が滲み、瞳には涙が浮かんでいる。腕を掴むアシエルに冷たい視線を向けてから、ベイグラント准将はムシキを見下ろし、淡々と告げた。

 

「いくつか質問をしよう。終われば解放してやる。『はい』か『いいえ』だけで答えろ。返事は?」

「は? ぎゃ……っ! ……っ!」

 

 返答をためらったムシキの指が、さらに一本飛んでいく。すっかり怯え切ったムシキは、必死で首を縦に振った。

 

「ぅ、う、はい……!」

「あの食堂を狙ったのは、計画的なものか」

「いいえ」

「お前たちに分不相応な魔銃を与えた者は、知り合いか?」

「い、言えねえ。言うなって言われてるんだ。悪かったよ、俺らが悪かったから……もう許してくれよ!」

 

 血の付着した黒い剣先が、ぴたりとムシキの喉元に添えられる。

 

「許した言葉以外を口にするなと言ったはずだ。お前の声は頭に響く。手元が狂ってしまいそうだ」

「ひ……っ、う、あ……ぁ」

 

 アシエルの位置からではベイグラント准将の顔は見えないが、恐ろしい悪魔でも見たようなムシキの様子を見るだけで、恐怖を与えるに十分なものであることは想像がついた。

 仕置きにしても、やりすぎだ。顔を顰めたアシエルは、ベイグラント准将の肩をぐっと掴む。

 

「――いい加減にしろ! いくらなんでも、ここまでする必要はないだろう。警備が来る前に離れるぞ」

 

 フードの合間から、ベイグラント准将の真っ赤な瞳がわずかに覗く。本気でこの場の全員を殺してしまうのではないかと思うほど、その視線は気まぐれで冷酷に思えた。気圧けおされてたまるかと睨み返して、アシエルは腕でベイグラント准将を押しのける。

 怯え切ったムシキの側にしゃがみ込み、可能な限りの柔らかい声音を意識しながら、アシエルは問いかけた。

 

「ムシキっていったな。盗っていった置き物の場所を教えてくれないか」

 

 はくはくとムシキの唇が開閉する。それまでのやり取りを思い出したアシエルは、頬を引きつらせながら言葉を足した。

 

「『はい』でも『いいえ』でもなくていい。教えてくれ。あんたらにも事情があったんだろうけど、あれは食堂の女将が大切にしてる物なんだ。返してやりたい」


 まっすぐに目を見つめて、根気強く返事を待つ。やがてムシキは、ぼそぼそと場所を教えてくれた。

 

「小僧に持たせてある、鞄の中だ」

「馬車の前にいた子のことか?」

 

 ムシキは壊れた人形のように頷いた。頷き返して、アシエルはもうひとつ問いかける。

 

「ありがとう。ついでに魔銃のことも、聞いていいか? あれ、どこから流れてきたんだ?」

「言えねえ、言えねえよ……!」

「……あんたらにおかしなクスリを売ったのも、同じ奴か?」


 ムシキたちの異常なタフさを思い出しながら尋ねると、観念したようにムシキは小さく頷いた。


「か、顔は知らねえ。名前も。この辺では見たことのねえ奴だった。でも、良い思いをしたくないかって、譲ってくれたんだ。自分たちだけ幸せに暮らしてる奴らから、ちょっとくらい分けてもらっても罰は当たらないだろう、って」


 ぴくりとアシエルは眉を顰めた。

 追い詰められた人間に武器を与えて唆すようなことをすれば、何が起こるかなんて火を見るより明らかだ。誰がやったのか知らないが、国の治安をわざと乱そうとしているとしか思えない。

 やりきれない思いで首を振って、アシエルは静かに立ち上がる。

 

「もうすぐ警備が来るから、詳しい事情はそこで話してくれ。こんなご時世だし、正直に話せば、少しは情状酌量されるだろうからさ。……ああ、できたら俺たちのことは言わないでもらえると嬉しい」

「情報を漏らしたくないのならば、全員の声帯を潰しておくか?」

 

 本気か冗談か、物騒にも程がある合いの手が横から入ってきた。

 

「いちいち過激なの、やめてくんねえかな……」

 

 頬を引きつらせながら、アシエルはベイグラント准将を睨みつける。完全に怯えきったムシキは、ついには恐怖が閾値を超えたのか、泡を吹いて意識を失ってしまった。

 わずかばかりの罪悪感を覚えつつ、アシエルは壊れた幌の後ろに回り込み、バックパックの中から置き物を回収する。わずかな欠けこそあるものの、ガラスとは思えないほど丈夫な紫花の細工は、おおむね以前のままの姿を保っていた。



 店に戻り、盗まれた物をマリーに返したときには、太陽は空の中央からすでに下り始めていた。

 大通りから離れた暗い路地で、アシエルは冷たい壁に背を預ける。

 店から駄賃代わりに拝借してきたコーク瓶はふたつ。そのうちのひとつを後ろについてきた男に押し付けて、アシエルは自分の分の瓶を開けた。

 

「乾杯」

 

 一言呟き、黒い液体を一気に喉に流し込む。口の中でぱちぱちと弾ける甘い液体は、運動後の体によく染みる。何とも体に悪そうな濃い色合いはともかくとして、いつ飲んでも変わらぬ安っぽい味を、アシエルは好んでいた。

 

「……これは?」

 

 ベイグラント准将が訝しげに瓶を眺める。舌に残る甘さを味わいつつ、アシエルは空き瓶を振りながら答えた。

 

「コークだけど。まさか知らねえ?」

「知っている。何のつもりかと聞いている」

「あんたにも手伝ってもらったから。祝杯がわりだよ。真っ昼間から酒を飲むのも何だしな」

 

 冷えててうまいぞ、と再度アシエルはコークを勧めるが、ベイグラント准将は黙って瓶を見つめたまま、開けようとはしなかった。構うことなく自分の分を飲み干したアシエルは、空になった瓶を足元に置くと、無造作に手を差し出す。

 

「今度は何だ」

 

 差し出された手のひらに視線を落とし、困惑したようにベイグラント准将は問いかける。首を傾げながら、アシエルはひらひらと催促するように手を振った。

 

「何って。センチネルの能力を使ったなら、疲れてるだろ。礼代わりに調律するよ」

「あの程度、使ったうちに入らない」

「そりゃ、お強いセンチネルで。……自分で気づかねえのか。元気いっぱいって風には、とても見えねえよ」

 

 一歩距離を詰めたアシエルは、フードの中に隠れた顔を見上げてそう言った。

 消えない隈。血走った目。鋭い目つきに青白い顔。極めつけに、肌に触れなくても分かるほどに乱れた力の気配がするときた。

 ベイグラント准将の力の乱れは、食事をしていた時も、ごろつきたちを追跡していた間も、大した変化はなかった。使ったうちに入らないという言葉に嘘はないのだろう。本人曰くのいつもの状態が、健康とは対極にあるというだけで。

 

「必要ない。元からこうだ」

「強情なやつだな」

 

 焦れたアシエルは、小さく舌打ちすると、ベイグラント准将の手を掬いとるように握った。途端にベイグラント准将の手が強張る。震えているようにも感じるのは、アシエルの気のせいだろうか。

 ガイドを使い捨てる類のセンチネルに良い感情は持てないし、普段であれば貴族と積極的に関わろうとは思わない。けれど、この男は魔銃を無力化して客を守ってくれた上、ごろつきの追跡にも手を貸してくれた。借りを作ったままにはしておけない。何より、今にも倒れそうな人間を放置しておく方が落ち着かなかった。

 

「よせ」

「何だよ。相性が悪ければ俺だってやらねえけど……前にも一回、調律したよな? あの時、気持ち悪かったか?」

「それは……」

 

 言葉を濁したベイグラント准将は、アシエルの視線を避けるように目を伏せた。

 

「私は良くても、お前には負担がかかるのだろう」

 

 頑なに調律を拒もうとするその様子は、ガイドを使いつぶす傲慢なセンチネルとはとても思えない。内心で首を傾げつつ、アシエルは軽い口調で答えた。

 

「負担っちゃ負担だけど、別にあんたが気にすることじゃない」

「お前が私に施したところで、お前が得るものなど何もない」

「あんただって得もないのにこっちの事情に手を出しただろうが」

 

 借りっぱなしは主義じゃない。アシエルがそう言っても、ベイグラント准将は納得していないのか、目を伏せたまま視線を合わせようとはしなかった。

 何がそこまで気にかかるというのか。ぽりぽりと頬をかきつつ、アシエルは宥めるように言葉を足す。

 

「『得るもの』って言ったな。別にまったくないってわけじゃない。調律して、あんたらセンチネルが楽になると、それがそのままこっちにも分かるんだ。あるべきものをあるべき形に戻してやると、ほっとするっつーか、やりがいがあるっつーか……。まあとにかく、心を繋ぐのって気持ちがいいんだよ」

「精神を繋ぐことが、気持ちいい?」

 

 心底理解できないとでも言いたげに、ベイグラント准将は呻いた。強引に握り込んだ相手の手が、より一層強張りを増す。

 

――ああ、怖いのか。

 

 唐突に腑に落ちた。

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