3-2

「魔銃……?」

 

 なんでこんなところに、とアシエルは眉を顰める。

 軍部でさえ、まだ所有数の限られる最新の兵器だ。間違っても下町のごろつきが手にしていい武器ではない。

 二発、三発と発砲の音が続く。悲鳴を上げることさえできずに、店内の客は身を強張らせた。

 

「膝を付いて手を上げろ」

 

 恐怖と緊張感により店内の人間を支配することに成功した覆面集団は、ぐるりと辺りを検分し始める。

 

「警備は何やってるんだよ」

 

 頬杖をついたまま、ぽつりとアシエルはぼやいた。下町の治安は世辞にも良いとは言いがたく、薬物がらみの殺傷や、強盗事件も珍しいことではない。けれどその分、治安維持部隊によるパトロールも多く、事件が起これば速やかに警備員が駆けつけてくるはずだった。

 魔銃持ちが居るとはいえ、相手は素人五人だけ。制圧すること自体は難しくないが、アシエルひとりで立ちまわるには、守らなければいけない民間人が多すぎる。

 アシエルが隙を伺っている間にも、強盗たちは店を荒らし続ける。店を荒らすごろつきが、紫色の花を象ったガラス細工に手を掛けた瞬間、「それに触るんじゃないよ!」と耐えかねたようにマリーが声を上げた。

 

「ここは飯屋なんだよ! 飯を食わないなら帰りな! あんたらみたいなごろつきに渡せるものは、ここにはないよ」

「っの女!」

 

 逆上した男が、ナイフ片手にマリーに掴みかかろうとするのを見て、咄嗟にアシエルは男の前に足を伸ばした。


「うおおっ!」

 

 気持ちいいほど狙い通りにアシエルの足に躓いた男は、カウンターの上に積まれた空き皿の塔へと、盛大に頭から突っ込む。

 派手に皿が割れる音とともに、店内に嫌な沈黙が落ちた。


「……あ、悪ぃ」

 

 ――できることなら店を汚したくなかったのに、やってしまった。

 アシエルが零した空笑いを、ごろつきたちは嘲笑だと受け取ったらしい。ゆっくりと立ち上がったアシエルに向けて怒声をぶつけながら、ナイフを振り上げ、距離を詰めてくる。

 

「てめえこの金髪野郎……!」

「楽に死ねると思うなよ!」


 魔銃持ちは二人。残りの三人が持つのはナイフにノコギリ、肉切り包丁。実質的な脅威になるのは銃だけだ。

 考えようによっては、アシエルひとりを狙ってくれる分には話が早い。アシエルが一番避けたいのは、周囲の人々が傷つくことなのだから。

 ノコギリを振り上げて襲いかかってきた男の腹に膝を叩き込んだアシエルは、そのまま相手の首根っこを掴んで、向かいくる男に向かって投げ飛ばす。


「ぐえっ! この野郎――」

 

 続けざまに、近くにいた魔銃持ちの男の腕を捻ったアシエルは、男が銃を取り落とすが早いか、さっと遠くに蹴り飛ばす。三人沈んだところでようやく起き上がったナイフ男は、頭に被った残飯を振り払いながら、ぶるぶると震える指先をアシエルに向けた。


「ちくしょう! 撃て! あいつを撃て!」

「撃たせるかよ」


 言いながら、アシエルは近くのテーブルから小さな酒瓶を掴み取る。しかし、入り口に立つ魔銃持ちの男へとアシエルが瓶を投げつけるより前に、男は狼狽した声を上げた。


「ぎゃっ! 冷てっ!」


 男が握る銃は、引き金から銃口に至るまで、腕ごと氷漬けにされていた。

 やったのはもちろんアシエルではない。ちらりと視線をベイグラント准将に向けると、優雅にグラスを傾けている男の指先に、かすかな魔力光の残滓が見えた。どうぞとばかりに、ベイグラント准将は手のひらをアシエルに向ける。

 何のつもりかとは思ったが、ありがたいことには違いない。


「やっちゃえ、アシエル兄ちゃん!」


 食堂の端で、囃し立てるようにウィルが拳を振り上げる。続くように客が声を上げ始めたところで、分が悪いことを悟ったのか、泡を食ったようにごろつきたちが外へと逃げていく。


「に、逃げるぞ!」

「でも、せっかくの計画が!」

「言ってる場合か! 魔術師なんぞ相手にできん! 行くぞ!」


 肩を貸し合い逃げるごろつきたちを、アシエルは追わずに見送った。あとは警備が対処してくれるだろうと思ったからだ。

 しかしその時、突如としてマリーが「ない!」と悲痛な声を上げた。振り向くと、マリーが慌てた様子で窓辺の棚を探っている。


「どうしたんだ、マリーさん」

「ここにあった花細工がないの。あのごろつきども、くすねていきやがったんだよ……!」


 それを聞くや否や、アシエルは弾けるように店を飛び出した。

 

「おい待て、てめえら! 盗んだ物、置いてきやがれ!」


 動きかけの荷馬車に乗り込むごろつきたちに向かって、アシエルは声を張る。

 

「げえっ! もうバレた!」


 アシエルの顔を見るや否や、ごろつきたちは慌てふためきながら、馬を急かした。

 

「ムシキのアニキ、早く! 早く出して!」

「分かってる! しっかり掴まってろよ!」


 道行く人々を押し除けるように、ごろつきたちを乗せた馬車は進んでいく。魔術で止めようにも、こうも人が多いと巻き込みかねない。

 歩行者ばかりの下町の中心部ではいざ知らず、大通りに出てしまうと、商人たちの馬車に紛れて見分けがつかない。きょろきょろと辺りを見渡すアシエルに、髭面の商人が「兄さん兄さん」と声を掛けた。


「宿に入った強盗たちを探してるんだろう? 見たよ。西に行った。多分、西門の近くの裏通りの奴らじゃないかな」

「そうか、ありがとう!」

 

 礼を告げたアシエルは、西の門目指して走り出そうとした。しかし一歩目を踏み出そうとしたその時、無感情な声が、アシエルを引き留めるように背後から聞こえてきた。


「東だ」


 人混みを泳ぐように、ベイグラント准将が悠々と近づいてくる。黒づくめのローブ姿は、外で見ると尚更陰鬱に見えた。

 むっとしたように商人が唇を尖らせる。


「なんだい、あんた。俺が嘘ついてるとでも言いたいのか。俺はこの目で見たんだぞ!」

「虚言だ。金を握らされている。右のポケットに、銅貨が五枚。……ああ、心拍数が上がった」

「わ、わけの分からない言い掛かりをつけやがって……!」


 ベイグラント准将の見透かすような言葉が恐ろしくなったのか、汗をかいた商人は、「付き合ってられるか」と吐き捨てると、人混みに紛れるようにしてその場を走り去ってしまった。


(助けられた……ことに、なるのかね)


 逃げた商人とベイグラント准将とを交互に眺めたアシエルは、複雑な気分で腕を組む。アシエルの内心を知ってか知らずか、ベイグラント准将は平然と隣に並んできた。


「私は耳がきく方だ。手伝おう」

「……ご親切にどうも。目的は何だ」

「何も。興味が湧いた」

 

 何にだよ。

 突っ込みたい気持ちをこらえ、アシエルはそっけなく言葉を返した。

 

「そりゃ、どうも。でも、あんたの立場でごたごた起こすとまずいんじゃねえの」

「非番の軍人が、筋も通さず警備の領分に首を突っ込むのは、まずくはないのか?」

 

 間髪入れずに返された指摘に、アシエルはぐっと言葉を詰まらせる。

 

「俺は良いんだよ。見つかる前に終わらせるから」

「ならばこちらも同じことだ」

「……好きにしろ」


 肩を竦めるベイグラント准将の背を追って、アシエルは走り出した。

 




 屋根を伝い、廃屋の破れた窓をくぐり、時には狭い路地を、潜るように駆けていく。下町は雑多であるがゆえに、道さえ選ばなければ、下手な乗り物に頼るよりも走る方が早い。

 

「右。車輪の音と蹄の音が近い」

 

 ベイグラント准将の言葉に頷いて、アシエルは分かれ道を右へ曲がった。馬車を追うアシエルたちは、露店街を抜けて、工場跡が立ち並ぶ寂れた区域へと辿り着く。そこは、再開発予定区域と呼称されてはいるものの、警備の巡回からも外されている、国に見捨てられた貧民街だった。

 景色は灰色。人気はない。手入れをされていない建物はいつ倒壊するかも分からぬほどに傷み、住人がいなくなって久しい家屋は蔦に覆い尽くされている。耳をすませば、得体の知れない湿った音や、野生動物のものと思わしき甲高い鳴き声があちこちで聞こえた。

 地元民でさえ避けるこの場所に、あのごろつきたちの根城はあるらしい。スラムを牛耳るマフィアというならともかく、再開発予定区域に来るしかないほど追い詰められた人間が、魔銃などという高級品をどこで手に入れたのか。なおさら疑問が募った。

 

「じきに下に来る。折れた支柱を通り抜けたところだ」

「ああ。もう俺にも見える」

 

 仕掛けるならば今だろう。


「案内、助かった。ありがとう。何しについてきたのか知らねえけど、邪魔はすんなよ」

 

 ベイグラント准将の肩を叩いたアシエルは、近くの廃パイプを拾い上げると、馬車の手前へと飛び降りた。

 上から降ってきたアシエルに驚いたのか、荷車を引いていた馬が、高く細いいななきを上げる。その瞬間を逃さず、アシエルは荷車の車輪に廃パイプをがちりと噛ませた。つんのめった馬が足を止めると同時に、ごろつきたちが焦った様子で荷台から顔を出す。

 

「だああ! なんだよ、なんで止まるんだ、この野郎!」

「ムシキのアニキ、外に出たら危ないって! 多分、荷車が何かに引っ掛かって――」

 

 喚いていたごろつきたちは、アシエルを見つけるなり「てめえ、さっきの金髪野郎!」と声を上げた。肩を竦めたアシエルは、「どうも」と唇の端をつり上げる。

 

「あんたらが取っていった置き物、返してくれるか? 宿の女将の、大切な物なんだ」

「しつこい野郎だな。ちょっと腕が立つからって、余裕ぶってんじゃねえぞ!」

 

 ムシキと呼ばれていたリーダー格の男が、荷台から取り出した魔銃をアシエルに向ける。彼らが持っている魔銃は、食堂で使っていたものだけではなかったらしい。

 とはいえ、訓練すら受けていない素人の銃弾など、怖くもない。勇者と呼ばれるほどの力こそ持っていなくとも、アシエルは成人前から戦闘訓練を受けてきた軍人なのだ。

 身を低くしたアシエルは、魔銃を乱射するムシキのもとまで一息に駆け抜けると、顎を狙って拳を振り抜いた。相手が怯んだところで銃を取り上げ、腕を手加減なしにねじり上げる。ごきりと肩が外れる音がした。

 

「ぐううっ! くそっ、てめえ!」

「悪いな。あんた、少しタフみたいだから、痛くする」

 

 一言断ったアシエルは、そのまま腕でムシキの首を締め上げる。白目を剥いて崩れ落ちたムシキを見て、背後の仲間が動揺したように悲鳴を上げた。

 

「アニキ!」

「くそっ、全員でかかるぞ! ムシキのアニキの仇を討て!」


 戦意を喪失させるつもりでリーダーを叩いたというのに、逆効果だったらしい。ため息をついたアシエルは、ごきりと拳を鳴らして、飛び掛かってくるごろつきたちを相手取る。奇妙なことに、意識を刈り取るつもりで拳を振るっても、ごろつきたちはなかなか倒れなかった。ムシキもそうだったが、異様なほどにタフなのだ。


「おかしなクスリでもやってんのか?」

「てめえには関係ねえだろうが!」

「酒はともかく、クスリはやめとけよ。早死にするぞ」

「そんなことは分かってんだよ! 一瞬だけでも全部忘れて楽になりてえって、まともに生きられる奴らには分かんねえだろうなあ!」


 喚く男の顎を蹴りぬき、地面に沈める。残ったのは、馬車に身を隠していた覆面の女ひとりだけだ。猫が毛を逆立てて敵を威嚇するように、女は肩で息をしながらアシエルを睨みつけていた。

 

「あんた、何なの……!」

「軍人だよ」

「嘘だ」


 アシエルにそう言ったのは、目の前の女ではない、小さな子供の声だった。振り向けば、倒れた荷馬車の中から、痩せ細った少年が顔を出していた。ウィルと同年代だろう、十にも満たない幼い子どもだ。


「馬鹿。出てくるなって言っただろう!」


 慌てた様子で女が駆け寄り、少年の姿を隠そうとするが、少年は退かなかった。

 

「お前、勇者なんだろ。あそこの宿で話してるの、前に聞いた。なんで俺たちのことは助けてくれないの」

「……助ける?」


 アシエルは困惑に眉を寄せた。口を開こうとした少年を制するように抱き寄せて、女がヤケクソ混じりの声を上げる。

 

「こんなこと、みんなやってるだろ……そうしなきゃ食ってけないんだからさあ! なんで、あたしらだけ……!」

 

 アシエルを睨みつける女の目には、涙が滲んでいた。

 下町で暮らしていれば、嫌でも生活の落ち込みや治安の悪化を肌で感じる。女の言葉に共感はできなくとも、置かれた状況を想像することは容易かった。

 向けられた銃口を眺めながら、アシエルは苦い思いで眉根を寄せる。

 本当の勇者がいたならば、たったひとりではどうにもできない世の中でもお構いなしに、周りを巻き込んで変えてしまえただろうか。犯罪に手を染めるしかない人々の心にも、きらめくような言葉を渡せただろうか。

 女の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。引き金が引かれる直前で、ぐるりと彼女の目玉が上を向く。銃を手放した女は、そのまま地面へと崩れ落ちてしまった。続けざまに、荷馬車のそばにいた子どもも、声ひとつ上げずに倒れていく。

 

「え、おい……っ」

 

 慌てて駆け寄ったアシエルは、彼女たちの体に纏わりつく魔力の残滓に気付いて、眉を寄せた。


(眠りの魔術?)


 魔力に満ちた貴族ならばいざ知らず、大した魔力も持たない平民にとっては、精神系統の魔術は強く効きすぎる。いくら魔銃が撃てる程度の魔力持ちだとしても、貴族と平民とでは、魔術に対する抵抗力が生まれつき違うのだ。

 背後から近づいてきた人影を振り仰ぎ、アシエルは非難を込めて呟いた。

 

「邪魔すんなって言わなかったか?」

「手を出すなと言われた覚えはない」

 

 音もなく近寄ってきたベイグラント准将は、感情の伺えない声で淡々と答えた。

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