2-4

 ぽかんとアシエルは口を開ける。


「……は?」

「荒い。脆い。ゴミのような術式だ。その潤沢な魔力と釣り合っていない」


 散々な評価を口にしつつ、男はじっとアシエルを見つめてくる。

 何が起きたのか理解するまでに、数秒かかった。

 つまるところこの男は、詠唱どころか術を発動するまでの溜めさえ必要とせず、アシエルの魔術を砕いたらしい。アシエルが驚愕から立ち直るより早く、男は軽やかに指を振る。 


「氷が好きか?」

「げっ! くそ……!」


 空恐ろしいほど複雑な術式が、瞬きの間にアシエルの視界を埋めつくす。抵抗する間もなく足元から這い上がった冷気は、そのままアシエルの背から腕までを包み込み、氷柱となってアシエルの動きを封じた。


「……魔王か何かか?」


 呆然とアシエルは呟いた。これほど早く強力な魔術を組める魔術師は、少なくともイーリスには存在しない。


「さあ。そう呼ぶ者もいたかもしれない」

「そりゃ、似合いのあだ名だ」


 剣を鞘に納めた男が、ゆっくりと近づいてくる。

 殺気こそ感じないとはいえ、望ましくない状況だ。氷の強度を確かめるようにもがいていると、男は抵抗を諌めるように、アシエルの顔を覗き込んできた。


「歪だな」

「はあ?」

「動けるようだが剣は荒削り。魔力は豊富なのに、その割には魔術の練度が釣り合っていない。まるで魔力だけをどこかから借りてきたかのようだ」


 アシエルの事情を見透かしたかのような言葉に、心臓が凍りつきそうになる。

 何のつもりか知らないが、会って間もない他人に、十年来の嘘を見抜かれてはたまったものではない。焦りに突き動かされるがまま、アシエルは力任せに腕を氷柱から引きはがした。摩擦で皮膚が裂けようが、気にしていられる余裕はない。


「好き勝手言ってくれるじゃねえか」

「顔色が変わったな。気に障ったか?」


 面白がるように呟いた男は、しかし直後に遠くを見て眉を顰めたかと思えば、くるりと無防備に背を向けた。


「……時間切れだ。また会おう、勇者」


 止める間もなく、男は暗がりに溶け込むように姿を消した。来た時と同じく急速に遠ざかっていく気配は、やがてアシエルにも感じ取れない距離へと消えていった。

 何が何だか分からないが、命拾いをしたらしい。長いため息をつきながら、のろのろとアシエルは剣を鞘に納めた。


「もう会いたくねー……」


 最初から最後まで謎の多い男だった。そのくせ実力だけは本物だ。本気でやり合えば、間違いなくアシエルが殺される。なぜこんな辺境の地にあんな手練れがいるのかと、己の不運を嘆くことしかできない。

 落ち込む間もなく、がさがさを草木を踏む音が聞こえてきた。どうやら、部隊の応援が駆けつけてきたらしい。ゲオール大佐に続いて、ゼークラフト中尉たち部隊員が次々と顔を出す。


「手を出すなと言っただろうが、馬鹿者!」


 開口一番、ゲオール大佐はアシエルを叱りつけた。「すみません」ときまり悪くアシエルは頭を下げる。


「捕縛できたらと思ったんですが、逃げられました。そちらは大丈夫だったんですか、大佐」

「魔銃の使い手がひとりいただけだ。互いに威嚇だけで終わった」


 魔力を弾丸として射出する魔銃は、数年前にテンペスタで開発されてからというもの、急速に諸国の軍隊へ広まり出した歩兵用の兵器だ。標的に照準を合わせる技術こそ必要にはなるものの、弓矢より射程距離は長いし、魔力さえあれば誰でも安定して敵を致命傷を与えられる。


「魔銃ってことは、やっぱりそっちも魔術師が相手だったんですね」

「『も』ということは、そちらもか」

「センチネルの魔術師でした。所属は分かりませんが、強いやつだったな……」


 報告しつつ、アシエルは男が消えていった方角に視線を送る。心臓はいまだにどくどくと嫌な音を立てていた。


「センチネル? 何のセンチネルだったんだ?」


 アシエルの怪我を手当てしながら、ゼークラフト中尉が首を傾げた。


「分かんねえ。今まで会ったことがないくらい、気配だけが異様に強かった。遠くから見つかったから、耳か鼻か、そのあたりじゃないか。見えてるみたいに動いていたから、目かもしれないけど」

「厄介だな」


 アシエルの言葉を聞いたゲオール大佐は、顎に手を当てて唸り出した。


「厄介……ですか? うちにもセンチネルはいるじゃないですか。耳も鼻も目も、揃ってますよ」


 何をそこまで警戒することがあるのか。訝しみながらアシエルが問いかけると、そういうことではないとばかりにゲオール大佐は頭を振った。


「少尉の言うところの気配というものは我々には感じられないが、センチネルの能力が強いほど、その気配とやらは強く感じられるのだろう?」

「まあ、そうっすね」

「相手方は索敵も撤退も異様に早かった。ともすればひとつではなく、複数の感覚のセンチネルである可能性がある」

「……複数の感覚のセンチネル? 目も耳も鼻もいいみたいな? そんなことってあります?」


 重々しく紡がれた言葉は、アシエルにはあまりに突飛な発想に思えた。しかしゲオール大佐は「数は少ないが、存在する」と断言する。


「隣国にもひとり、名の知れたセンチネルがいたはずだ。名はたしか、ベイグラント准将といったか。五感すべてが人より優れていると聞いたことがある」

「そりゃまた、きつそうな人生ですね」


 感嘆するより先に、同情した。ひとつの感覚が優れているだけでも定期的にガイドに調律を受けなければ精神に不調をきたすというのに、五感すべてのセンチネルともなれば、自分の感覚に苛まれて早死にしそうだ。

 いずれにせよ、できることならあの男とはもう戦いたくはない。


「各員、分隊に分かれて相手方の痕跡を探れ」


 ゲオール大佐の指示を受けたアシエルたちは、手分けをして辺りを探ったが、不審者たちの手がかりはとうとう見つからなかった。




 一晩明けて、神事の朝。霧雨で白く霞んだ空気が、しっとりと肌に絡みつく。世辞にも快適とは言いがたいが、厳かな儀式には似合いの天候だ。

 儀式は、ロッシ司祭の朗々とした祈りから始まった。足音を立てることすらはばかられるほどの静けさの中、白いローブを纏った少年少女が、しずしずと舞台へと上がっていく。神に舞と歌を捧げる者は祈り手と呼ばれ、その町で生まれ育った子供たちが務めるのが慣例だった。

 石作りの舞台に上がった祈り手たちは、ぐるりと大きく円を描くように散開すると、両膝をついて舞台にぬかづいた。現代においては、王族相手にさえ取ることのない古い礼の姿勢だ。普段の生活でまず目にすることのない姿勢と服装は、それだけでも神秘性を醸し出す。

 りん、と澄んだ鈴の音が静寂を破った。木々がこだまを返す前に、次々と鈴の音が重ねられていく。やがて、深く礼を捧げていた少年少女はゆっくりと顔をあげ、一斉に空を仰ぎ見た。息を吸い込む音に続いて、幼さを残す声が響き始める。

 性別を感じさせない子供たちの歌声は、アシエルには意味の解せぬ言語を紡いでいた。抑揚をつけて天に捧げられる祝詞のりとは、賛美歌のようでもあり、大規模な魔術を起動する前の呪文の詠唱にもよく似ていた。

 木々に紛れて儀式の様子を眺めていたアシエルは、ひっそりと感嘆のため息を漏らす。

 

「すげえのな。神事、こんな近くで見るのは初めてだ。だいたい森の奥とか神殿の奥とかで隠れてやってるから」

「隠れてるわけじゃなくて、もともと場所が決められているんだよ」

 

 苦笑しながらゼークラフト中尉が訂正する。

 

「神事は空の結界を強化し直す儀式でもある。位置にも多分、意味があるんじゃないかな」

「ふうん。たしかに祝詞って呪文に似てるもんな。意味は分からねえけど」

「古語だよ。俺もそんなに詳しいわけじゃないけど、水と大地に感謝を捧げる言葉だ」

 

 小声でゼークラフト中尉と会話を交わしながら、アシエルは神殿の入り口に備えられた貴賓席に視線を向けた。隣国テンペスタからの客人は、イーリスの貴族が座る席から最も離れた位置に座っている。灰色の髭を蓄えた壮年の男性が、今回命を狙われているというヴィスコンティ公爵だろう。刻まれた隈が心労を物語ってはいるものの、堂々とした佇まいは威厳に溢れていた。

 呆気ないほどに何事もなく、神事は淡々と進んでいく。昨夜の不審者との遭遇を思えば、順調すぎるほどだ。

 

「何も起こらねえな、中尉」

「良いことじゃないか、少尉。このまま何も起こらずに終わってくれるのが一番だ」

「仕掛けるならとっとと仕掛けてほしくねえ?」

 

 敵がいることが分かっているというのに待ち続けるしかできないというのは、どうにもこうにももどかしいものだ。


「賓客が外にいるのは今日の儀式だけだろ? 今来ずにいつ来るんだよ。とっとと出てこいよな。ノロマなやつら」

「機を伺ってるって言ってやれよ」

 

 苛立ちを隠さぬアシエルの様子に、ゼークラフト中尉は苦笑を滲ませる。長いこと茂みに身を潜めているせいで、いい加減体が痛くなってきた。こきりと首を鳴らしたアシエルは、せめて全身の強張りだけでも解そうと立ち上がる。

 その時、りん、と一際大きな鈴の音が響いた。あたかも音に殴られたかのように、ぴたりとアシエルは動きを止める。ちりちりと首筋の毛が逆立つような気配を、遠くに感じた。

 

「来た」


 表情を引き締めたアシエルは、無言で向かいの森を顎で指す。石舞台を挟んだ対角線上にある森の奥に、昨日の男がいる。アシエルの視線を追うようにして、ゼークラフト中尉は目を凝らした。

 

「――ああ、。本当だ。少尉の言っていたとおり、魔王様って感じだな。黒髪、黒服、黒い剣。顔は良いけど、顔色は悪いな。あれが例のセンチネルか?」

「ああ」


 ゼークラフト中尉が見ているものはアシエルには見えない。けれど、感じるのだ。肌をちりつかせるセンチネルの気配が、アシエルにその存在を教えてくれる。

 じっと遠くを見つめるゼークラフト中尉は、難しい顔をして呟いた。

 

「人数は小隊規模。暗殺狙いにしては多いな。あの配置はむしろ、俺たちと同じ、護衛任務に来たって言われた方がしっくりくるような気もするけど……」

「仕掛けるタイミングを計ってるってだけじゃねえの」

「うーん……どちらにせよ、正規の届け出のない相手だ。詳しいお話をお相手方から聞きたいところだな。――こちらゼークラフト中尉。神殿西、エリアC付近に不審な小隊規模の集団を発見しました」

 

 ゼークラフト中尉が通信端末に口元を寄せて小声で報告する。返答は、数秒と待たずに返ってきた。

 

『待機部隊と合流して制圧に取り掛かれ』

「了解しました」

 



 敵が耳や鼻のセンチネルであるなら風下から、目のセンチネルなら障害物の多い位置から近づけば、発見される危険が減る。そう主張したゼークラフト中尉の案に従って、アシエルたちは慎重に、不審な集団との距離を詰めていった。

 夜には不気味に思えた森も、昼間はただただ美しい。一際高い木の枝の上には、色とりどりに染まった葉に身を隠すようにして、ゼークラフト中尉を筆頭とする仲間たちが待機しているはずだった。アシエルが攪乱役として飛び込み、残りの部隊員たちは魔銃で敵を制圧する手はずになっている。

 ゼークラフト中尉の言っていた通り、黒い軍服をまとった集団は、緊迫感を漂わせつつ神事に視線を集中させていた。中心で、声を発することなく手だけで指示を出しているのが司令官だろう。冷たく整った顔立ちと、肌の産毛が逆立つような気配は、昨晩アシエルが交戦した男に間違いない。

 五感に優れるセンチネルは、あらゆる分野で求められる存在だ。センチネルであると分かった時点から教育と訓練を受ける彼らは、往々にして基礎能力自体も一般人より優れている場合が多い。強烈なセンチネルの気配を放つ男が指揮官だとしても、何ら不思議はなかった。

 むしろアシエルの気を引いたのは、日の元で明らかになった男の姿である。

 昨夜は見えなかったが、男の顔色は死人のように真っ白だった。ただでさえ鋭いだろう眼光が、両目の下に深く刻まれた隈でさらに凄みを増している。

 乱れた気配もさもありなん。このまま放っておけば数日のうちに死ぬのではないかと、他人事ながら心配になる。

 しかし、アシエルがじっくりと敵を観察できたのも、それまでだった。前方の集団が、明らかに何らかの意図を持って動き始めたのだ。

 

(銃……?)

 

 艶のある茶色の長い銃身は、遠距離狙撃を目的とした魔銃ではなかろうか。ある者は座り込み、ある者は地面に伏せるようにして、明らかに訓練された動きで位置についていく。

 

(狙撃する気なのか?)

 

 嫌な予感が膨れ上がっていく。

 カチリ、と無機質な音が聞こえた。最もアシエルから近い距離にいた者が、引き金に指をかける。気づいた瞬間、アシエルは駆け出していた。

 止めなければ。それだけが頭の中にあった。護衛対象をみすみす撃たせるわけにはいかない。しかし、銃を構える敵に飛びかかろうとした瞬間、ぱきぱきと耳元の空気が奇妙な音を立てた。

 昨夜も聞いた音。空気が凍りつく音だ。慌ててアシエルはその場を飛び退き、現れた氷柱を間一髪で躱す。

 

「邪魔をしないでもらおうか」


 赤目の男がアシエルを見つめていた。体勢を整えながら、アシエルは不敵に言い返す。

 

「儀式の邪魔をしようとしてるのはそっちだろ。お仲間共々、今日こそ話を聞かせてくれよ」

「遊んでやりたいのは山々だが、今は都合が悪い」

 

 見下すような冷たい視線をアシエルに向けたかと思うと、男はこちらの視線を誘導しようとでも言うように、ふいと顎を動かした。

 

「国を守りたいのであれば、剣を向けるべき相手が違うのではないか。イーリスの勇者」

「何を――」

 

 真意の読めぬ男の言葉を問いただそうとしたその瞬間、つんざくような悲鳴がアシエルの耳を刺した。

 叫び声と怒声。興奮した獣の鳴き声と、魔術の派手な轟音。突如として生まれた音は、瞬く間に神殿の周りに広がっていく。暗殺が起こってしまったのかと肝を冷やすが、それにしては騒がしすぎる。何が起きているのか、まるで状況が分からない。


「現時刻を以て作戦Bに移行。総員、神殿の裏へ回れ。魔獣どもは無視しろ。刺客の処理が優先だ」

 

 アシエルとは違って状況を把握しているらしい赤目の男は、速やかに周囲に指示を出し始めた。このまま逃がしてなるものかと、アシエルは男の前に立ちふさがる。

 

「この騒ぎもあんたらの仕業か?」

「語るべきことはない」

「行かせない」

 

 剣を抜いて構えると、男は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。しかし、アシエルが距離を詰めるより前に、「退け、アシエル少尉」と諌める第三者の声が唐突に割って入ってくる。

 

「……ゲオール大佐?」

 

 困惑するアシエルに構わず、ゲオール大佐は黒髪の男の前に進み出た。背後では、部隊の仲間たちがアシエル同様に混乱した顔を並べている。

 

「上から緊急の連絡を受けました。このような場で、テンペスタの名高き准将殿とお会いするとは思いませんでしたな」

 

 警戒心を全身に漂わせながらゲオール大佐が言うと、黒髪の男は肩を竦めて、「我々にも事情があるもので」と短く答えた。

 

「今は時間がありません。我々はあなた方とは会っていない。ただ、森の哨戒中に不審な音を聞いた。それでよろしいか」

「合意しよう。それでは、失礼する」

 

 何が何やら分からないが、指揮官二人は合意に至ったらしい。黒髪の男を先頭として、不審な集団は足早にアシエルたちの横を通り過ぎていく。困惑を隠せず、アシエルはゲオール大佐に掴みかかるように問いかけた。

 

「どういうことですか。あいつら、不審者じゃないんですか?」

「不審者には違いない。何しろ事前の申し出なく、武装した他国の兵が紛れ込んでいるのだからな」

「逃して良かったんですか」

「非常事態の特例だ。味方ではないが、状況的に彼らと我らの敵は一致する」

 

 苦虫を嚙み潰したような顔で、ゲオール大佐はそう言った。不満を隠せぬアシエルの後ろから、おずおずとゼークラフト中尉が顔を出す。

 

「准将とおっしゃっていましたが、あの男は誰なんですか?」

「ベイグラント准将。ファーストネームは知らん」

 

 昨夜も聞いたばかりの名前だ。隣国テンペスタの、有名なセンチネルではなかったか。


「五感全部のセンチネルっていう野郎ですか」


 アシエルが尋ねると、ゲオール大佐は苦々しい顔で頷いた。

 

「間違いなかろう。本人の思想は知らんが、ベイグラント公爵家は貴族派の中核だ」


 つまりは、現テンペスタ皇帝と反目する派閥であり、イーリスが支持する派閥の人間だ。得心が行ったとばかりに、ゼークラフト中尉が頷いた。

 

「テンペスタの貴族派も、この場での皇帝派の暴走を望んでいないのですね」

「そういうことだ。あちらで処理してくれるというのなら、任せよう。……直前まで現場に通達が届いていなかったことには、きな臭いものを感じるがな」


 隣国テンペスタのお国事情によるものか、はたまたイーリス国内の貴族の手によるものか。開戦を望まぬ者もいれば、その逆も国内外にいるということだろう。


「その辺の政治的な話はともかくとして、ベイグラント准将っていうのは、どういう奴なんです?」

 

 控えめに口を挟んだアシエルは、あえて空気を読まずに話を戻した。末端の一兵士としては、上層部の腹の探り合いよりも、今敵になりうる者の方がよほど気になる。


「准将という割には、随分若そうなやつでしたよね」 

「生まれつきのセンチネルで、幼い頃から従軍してきた生え抜きのエリートだと聞いている」


 記憶を探るように、ゲオール大佐が視線を上に向けた。

 

「彼の前では、いかなる機密も機密たりえない。指揮能力も高く、戦闘能力でも並ぶ者がいないものだから、ついたあだ名がテンペスタの魔王だ。現皇帝からも重用されている、優秀な若者だな」

「どうりで強いわけだ」

 

 魔王と呼ばれることもあると言っていた昨夜の言葉は、冗談ではなくただの事実だったらしい。納得した後で、ふとアシエルは違和感を覚える。


「あれ? でも、貴族派の中核なんですよね? なのに皇帝のお気に入りなんですか?」

「生家が貴族派だからといって、本人の思想までもが同じとは限らん。本人の人となりを知らん以上は何とも言えん。ただ、少なくともこの場においては敵ではない」


 言葉を切ったゲオール大佐は、空気を切り替えるように部隊員を見渡した。

 

「さて、もうお喋りは十分だろう。我々も神殿に向かうぞ」

「魔物が集まっているのは見えますが……何が起きたんですか?」


 神殿に目を向けたゼークラフト中尉が、緊張した様子で尋ねる。ゲオール大佐は「スタンピードだ」と短く答えた。

 

「小規模ではあるが、森の魔獣たちが神殿に押し寄せている。正規部隊が応戦しているとはいえ、手が多いに越したことはなかろう。ゼークラフト中尉は一個小隊を率いて表に向かってくれ。俺は裏に向かう」

「了解しました」

 

 指示を受けたゼークラフト中尉は、副官らしくきびきびと指示を出し始めた。ついていこうとしたアシエルを、「少尉はこちらだ」と鋭くゲオール大佐が呼び止める。

 

「異常個体が発生しているという目撃情報がある。働いてもらうぞ、勇者殿」

「……そんなんばっかりっすね」

 

 嘆きをひとつ零した後で、アシエルは木々の合間を縫うようにして駆け出した。

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