2-3
表情を引き締めたアシエルは、無言で向かいの森を顎で指す。石舞台を挟んだ対角線上にある森の奥に、昨日の男がいる。アシエルの視線を追うようにして、ゼークラフト中尉は目を凝らした。
「――ああ、
「ああ」
ゼークラフト中尉が見ているものはアシエルには見えない。けれど、感じるのだ。肌をちりつかせるセンチネルの気配が、アシエルにその存在を教えてくれる。
じっと遠くを見つめるゼークラフト中尉は、難しい顔をして呟いた。
「人数は小隊規模。暗殺狙いにしては多いな。あの配置はむしろ、俺たちと同じ、護衛任務に来たって言われた方がしっくりくるような気もするけど……」
「仕掛けるタイミングを計ってるってだけじゃねえの」
「うーん……どちらにせよ、正規の届け出のない相手だ。詳しいお話をお相手方から聞きたいところだな。――こちらゼークラフト中尉。神殿西、エリアC付近に不審な小隊規模の集団を発見しました」
ゼークラフト中尉が通信端末に口元を寄せて小声で報告する。返答は、数秒と待たずに返ってきた。
『待機部隊と合流して制圧に取り掛かれ』
「了解しました」
敵が耳や鼻のセンチネルであるなら風下から、目のセンチネルなら障害物の多い位置から近づけば、発見される危険が減る。そう主張したゼークラフト中尉の案に従って、アシエルたちは慎重に、不審な集団との距離を詰めていった。
夜には不気味に思えた森も、昼間はただただ美しい。一際高い木の枝の上には、色とりどりに染まった葉に身を隠すようにして、ゼークラフト中尉を筆頭とする仲間たちが待機しているはずだった。アシエルが攪乱役として飛び込み、残りの部隊員たちは魔銃で敵を制圧する手はずになっている。
ゼークラフト中尉の言っていた通り、黒い軍服をまとった集団は、緊迫感を漂わせつつ神事に視線を集中させていた。中心で、声を発することなく手だけで指示を出しているのが司令官だろう。冷たく整った顔立ちと、肌の産毛が逆立つような気配は、昨晩アシエルが交戦した男に間違いない。
五感に優れるセンチネルは、あらゆる分野で求められる存在だ。センチネルであると分かった時点から教育と訓練を受ける彼らは、往々にして基礎能力自体も一般人より優れている場合が多い。強烈なセンチネルの気配を放つ男が指揮官だとしても、何ら不思議はなかった。
むしろアシエルの気を引いたのは、日の元で明らかになった男の姿である。
昨夜は見えなかったが、男の顔色は死人のように真っ白だった。ただでさえ鋭いだろう眼光が、両目の下に深く刻まれた隈でさらに凄みを増している。
乱れた気配もさもありなん。このまま放っておけば数日のうちに死ぬのではないかと、他人事ながら心配になる。
しかし、アシエルがじっくりと敵を観察できたのも、それまでだった。前方の集団が、明らかに何らかの意図を持って動き始めたのだ。
(銃……?)
艶のある茶色の長い銃身は、遠距離狙撃を目的とした狙撃用の魔銃ではなかろうか。ある者は座り込み、ある者は地面に伏せるようにして、明らかに訓練された動きで位置についていく。
(狙撃する気なのか?)
嫌な予感が膨れ上がっていく。
カチリ、と無機質な音が聞こえた。最もアシエルから近い距離にいた者が、引き金に指をかける。気づいた瞬間、アシエルは駆け出していた。
止めなければ。それだけが頭の中にあった。護衛対象をみすみす撃たせるわけにはいかない。しかし、銃を構える敵に飛びかかろうとした瞬間、ぱきぱきと耳元の空気が奇妙な音を立てた。
昨夜も聞いた音。空気が凍りつく音だ。慌ててアシエルはその場を飛び退き、現れた氷柱を間一髪で躱す。
「邪魔をしないでもらおうか」
赤目の男がアシエルを見つめていた。体勢を整えながら、アシエルは不敵に言い返す。
「儀式の邪魔をしようとしてるのはそっちだろ。お仲間共々、今日こそ話を聞かせてくれよ」
「遊んでやりたいのは山々だが、今は都合が悪い」
見下すような冷たい視線をアシエルに向けたかと思うと、男はこちらの視線を誘導しようとでも言うように、ふいと顎を動かした。
「国を守りたいのであれば、剣を向けるべき相手が違うのではないか。イーリスの勇者」
「何を――」
真意の読めぬ男の言葉を問いただそうとしたその瞬間、つんざくような悲鳴がアシエルの耳を刺した。
叫び声と怒声。興奮した獣の鳴き声と、魔術の派手な轟音。突如として生まれた音は、瞬く間に神殿の周りに広がっていく。暗殺が起こってしまったのかと肝を冷やすが、それにしては騒がしすぎる。何が起きているのか、まるで状況が分からない。
「現時刻を以て作戦Bに移行。総員、神殿の裏へ回れ。魔獣どもは無視しろ。刺客の処理が優先だ」
アシエルとは違って状況を把握しているらしい黒髪の男は、速やかに周囲に指示を出し始めた。このまま逃がしてなるものかと、アシエルは男の前に立ちふさがる。
「この騒ぎもあんたらの仕業か?」
「語るべきことはない」
「行かせない」
剣を抜いて構えると、男は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。しかし、アシエルが距離を詰めるより前に、「退け、アシエル少尉」と諌める第三者の声が唐突に割って入ってくる。
「……ゲオール大佐?」
困惑するアシエルに構わず、ゲオール大佐は黒髪の男の前に進み出た。背後では、部隊の仲間たちがアシエル同様に混乱した顔を並べている。
「上から緊急の連絡を受けました。このような場で、テンペスタの名高き准将殿とお会いするとは思いませんでしたな」
警戒心を全身に漂わせながらゲオール大佐が言うと、黒髪の男は肩を竦めて、「我々にも事情があるもので」と短く答えた。
「今は時間がありません。我々はあなた方とは会っていない。ただ、森の哨戒中に不審な音を聞いた。それでよろしいか」
「合意しよう。それでは、失礼する」
何が何やら分からないが、指揮官二人は合意に至ったらしい。黒髪の男を先頭として、不審な集団は足早にアシエルたちの横を通り過ぎていく。困惑を隠せず、アシエルはゲオール大佐に掴みかかるように問いかけた。
「どういうことですか。あいつら、不審者じゃないんですか?」
「不審者には違いない。何しろ事前の申し出なく、武装した他国の兵が紛れ込んでいるのだからな」
「逃して良かったんですか」
「非常事態の特例だ。味方ではないが、状況的に彼らと我らの敵は一致する」
苦虫を嚙み潰したような顔で、ゲオール大佐はそう言った。不満を隠せぬアシエルの後ろから、おずおずとゼークラフト中尉が顔を出す。
「准将とおっしゃっていましたが、あの男は誰なんですか?」
「ベイグラント准将。ファーストネームは知らん」
昨夜も聞いたばかりの名前だ。隣国テンペスタの、有名なセンチネルではなかったか。
「五感全部のセンチネルっていう野郎ですか」
アシエルが尋ねると、ゲオール大佐は苦々しい顔で頷いた。
「間違いなかろう。本人の思想は知らんが、ベイグラント公爵家は貴族派の中核だ」
つまりは、現テンペスタ皇帝と反目する派閥であり、イーリスが支持する派閥の人間だ。得心が行ったとばかりに、ゼークラフト中尉が頷いた。
「テンペスタの貴族派も、この場での皇帝派の暴走を望んでいないのですね」
「そういうことだ。あちらで処理してくれるというのなら、任せよう。……直前まで現場に通達が届いていなかったことには、きな臭いものを感じるがな」
隣国テンペスタのお国事情によるものか、はたまたイーリス国内の貴族の手によるものか。開戦を望まぬ者もいれば、その逆も国内外にいるということだろう。
「その辺の政治的な話はともかくとして、ベイグラント准将っていうのは、どういう奴なんです?」
控えめに口を挟んだアシエルは、あえて空気を読まずに話を戻した。末端の一兵士としては、上層部の腹の探り合いよりも、今敵になりうる者の方がよほど気になる。
「准将という割には、随分若そうなやつでしたよね」
「生まれつきのセンチネルで、幼い頃から従軍してきた生え抜きのエリートだと聞いている」
記憶を探るように、ゲオール大佐が視線を上に向けた。
「彼の前では、いかなる機密も機密たりえない。指揮能力も高く、戦闘能力でも並ぶ者がいないものだから、ついたあだ名がテンペスタの魔王だ。現皇帝からも重用されている、優秀な若者だな」
「どうりで強いわけだ」
魔王と呼ばれることもあると言っていた昨夜の言葉は、冗談ではなくただの事実だったらしい。納得した後で、ふとアシエルは違和感を覚える。
「あれ? でも、貴族派の中核なんですよね? なのに皇帝のお気に入りなんですか?」
「生家が貴族派だからといって、本人の思想までもが同じとは限らん。本人の人となりを知らん以上は何とも言えん。ただ、少なくともこの場においては敵ではない」
言葉を切ったゲオール大佐は、空気を切り替えるように部隊員を見渡した。
「さて、もうお喋りは十分だろう。我々も神殿に向かうぞ」
「魔物が集まっているのは見えますが……何が起きたんですか?」
神殿に目を向けたゼークラフト中尉が、緊張した様子で尋ねる。ゲオール大佐は「スタンピードだ」と短く答えた。
「小規模ではあるが、森の魔獣たちが神殿に押し寄せている。正規部隊が応戦しているとはいえ、手が多いに越したことはなかろう。ゼークラフト中尉は一個小隊を率いて表に向かってくれ。俺は裏に向かう」
「了解しました」
指示を受けたゼークラフト中尉は、副官らしくきびきびと指示を出し始めた。ついていこうとしたアシエルを、「少尉はこちらだ」と鋭くゲオール大佐が呼び止める。
「異常個体が発生しているという目撃情報がある。働いてもらうぞ、勇者殿」
「……そんなんばっかりっすね」
嘆きをひとつ零した後で、アシエルは木々の合間を縫うようにして駆け出した。
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