2-3

 テスの町の神殿は、イーリスの中でも特に歴史が深い。白を基調とした石造りの建物には、古来の様式で装飾が施され、祈りの間には、陽光を透かす色とりどりのステンドグラスが飾られていた。

 挨拶に訪れたアシエルたちを、神殿の管理人である老年の司祭は朗らかに歓迎してくれた。


「司祭のロッシと申します。こちらは儀式を手伝ってくれる、祈り手のアヤです。皆さま、ようこそテスへいらっしゃいました」


 ロッシ司祭は柔和な笑みを浮かべたまま、おっとりと手を差し出す。彼の背後では、十に満たないだろう町娘が、緊張した様子でこちらを見つめていた。ゲオール大佐は強面で体格も良いので、子供には恐ろしく見えるのだろう。

 握手を交わしながら、感慨深そうにロッシ司祭は目を細める。


「ユリア殿下は本当に信心深くていらっしゃいますな。辺境の神事にここまで御心を砕いてくださるとは。本当に、なんとお礼を申し上げてよいやら分かりませぬ」

「我が国にとっても大切な神事ですゆえ。情勢さえ許したならば、ぜひとも儀式に参列したかったと、ユリア殿下も残念がられておりましたよ」


 ゲオール大佐がユリア王女からの言葉を伝えると、ロッシ司祭は「もったいないお言葉でございます」と目を潤めた。


「殿下のお気遣いに報えるよう、気合いを入れて神事を取り行わねばなりませんな。皆さまも、どうぞよろしくお願いします」

「はっ。特殊部隊一同、イーリスとテスの町の平和のために力を尽くします」

「ありがとうございます。どうか皆さまに、神のご加護がありますように」


 祈りの言葉を口にしたロッシ司祭は、次いでアシエルに顔を向ける。その目は珍しいものを見たとでもいうように、きらきらと輝いていた。


「アシエル殿と申されましたな。もしや、名高い竜殺しの勇者殿でいらっしゃいますか」

「いえ、その……」


 口ごもるアシエルに構わず、ロッシ司祭は分かっているというように、にこにこと頷いた。


「ご活躍はこの辺境の町まで届いておりますよ。お若いのに大したものですね」

「どうも。恐縮です」


 世辞に返した言葉は、アシエルが意図したよりもそっけなく響いた。けれど、ロッシ司祭は穏やかな笑みを崩さない。


「矢面に立つお方ほど、人には告げられぬ苦労も多いでしょう。年寄りのお節介でしょうが、生き急いではなりませんよ。どんな状況であっても、神は常に我々を見守ってくださっているのだと、どうか忘れないでください」


 真摯に告げられた言葉に面食らう。適当な言葉が見つからず、アシエルは目礼だけを無言で返した。

 食事時に祈りを捧げることが習慣となっていようとも、アシエルは決して敬虔な信者ではない。加えて、告げられぬ苦労どころか、誰にも言えない後ろ暗い嘘を抱える身である。純粋にこちらのことを案じてくれているのだろうロッシ司祭の視線は、アシエルにとっては少しばかり眩しすぎた。


 ぎこちない挨拶を終えて神殿を辞した後、先行部隊との打ち合わせを済ませたアシエルたちは、街道を歩いて見回った。


「しっかし……神殿っていうのは、むず痒い場所っすよね」

「どこもあのようなものだろう。下町にも祈る場所くらいあるのではないのか」

「日曜教室を開くような小さな教会はありますけど、あそこまで仰々しくはないです」

「安心しろ。関わるのは任務の間だけだ。神事の護衛など、今回くらいのもの――む?」


 会話の最中、不意にゲオール大佐が森林地帯の方角に視線を向けた。ゲオール大佐は聴力のセンチネルだ。何かを聞き取ったのかもしれない。

 邪魔にならぬように息をひそめて、アシエルはゲオール大佐の視線を追うように森に意識を向けてみた。遠くを探るように集中した瞬間、ぞわりと肌がざわめく。

 強いセンチネルの気配がする。それも、ひどく精神状態の乱れた気配が。


「森の北東部に、分隊規模の集団がいる。この国の者ではない」


 ゲオール大佐が声を潜めて呟いた。


「初日から当たりっすか?」

「可能性は否定できない。短時間とはいえ、分隊だけでも連れてくるべきだったな」


 ゲオール大佐は顔をしかめてそう言うと、手早く通信の魔道具を起動した。


「指揮官より副官へ。当官はこれより神殿前森林帯のに向かう」

『副官より指揮官へ。了解しました。応援は必要ですか』

「分隊を率いて合流せよ」

『了解しました。どうぞお気をつけて』


 当初の予定から外れた行動にも関わらず、通信先のゼークラフト中尉の応対は滑らかだった。イレギュラーな任務ばかりを押し付けられる特殊部隊にいるだけあって、この程度は慣れっこらしい。


「偵察に行きますか?」


 アシエルが声を掛けると、無言でゲオール大佐は頷いた。


「発見された場合は即時撤退。目的はあくまで偵察だ。手は出すなよ」

「了解です」


 頷き合い、アシエルたちは慎重に森の奥へと足を踏み入れた。



 日が落ちた後の森は暗く、視界が悪い。音を立てないように細心の注意を払いつつ、アシエルは慎重に獣道を進んでいく。

 先ほど感じた奇妙な感覚は、森の奥に進めば進むほどに強さを増していった。フィラー伍長のような目覚めたてのセンチネルの気配とも違うけれど、ゼークラフト中尉やゲオール大佐のように熟練したセンチネルの気配とも何かが違う。感じたこともないほど強く、乱れた気配のはずなのに、不思議と既視感を覚える気配だった。

 敵がセンチネルだとは分かっても、何のセンチネルなのか分からないのが問題だ。ゲオール大佐と同じく聴力に優れたセンチネルだとしたら、すでにこちらの接近がバレている可能性が高い。


(せめて敵の顔と人数だけでも確認できれば――)


 姿を隠していた木の幹から出ようとしたところで、アシエルはぎくりと身を強張らせる。

 センチネルの気配が近づいてきていた。どうやら相手は、索敵能力に優れたセンチネルだったらしい。ゲオール大佐も気付いたらしく、「撤退だ!」と鋭く告げる。

 しかし、相手の接近速度は思いのほか早かった。障害物も視界の悪さもお構いなしに、猛烈な速さで距離を詰めてくる。

 葉が揺れる音が、とうとうアシエルの耳にまで聞こえてきた。

 手を出すなとは言われているが、相手が魔術師だった場合、すでにアシエルたちは相手の射程内だ。どうせ追い付かれるなら、先攻した方がいい。

 舌打ちしたアシエルは、走りながら口を開いた。


「逃げきれません。接敵します」

「よせ、少尉――!」


 ゲオール大佐の制止を振り切って、アシエルは全身を魔術で強化した。前方の木を蹴るようにして方向を急転換したアシエルは、振り向きざまに剣を抜くと、木々の隙間に見えた黒い影を狙って、跳躍した勢いのままに剣を振り下ろす。

 甲高い金属音とともに、腕に痺れるような衝撃を感じた。


「――行儀が悪いな」


 打ち合わせられた剣越しに、血の色の瞳が鋭くこちらを睨みつけていた。

 一応は不意をついたはずの攻撃を、やすやすといなされ、弾かれる。


誰何すいかもなしに斬りかかるのがイーリスの流儀か」


 男は冷たく言い放つ。暗がりにいる上、深く外套を着こんでいるため、顔立ちは伺えない。軽やかに着地しながら、アシエルは「悪いね」と肩をすくめた。


「見覚えのない他国の軍人に、あんな風に追いかけられると怖くなっちまうんだ」

「こそこそと近づいてきたのはそちらだと記憶しているが」

「警備の一環だ。こっちも仕事なんでね」


 受け答えしつつ、アシエルはゲオール大佐の気配を探る。今の一瞬で引き離されたのか、上司の姿は近くになかった。どうやら敵方も、ひとりで来たわけではないらしい。

 警戒を解かぬまま、アシエルは声を低めて問い詰める。


「所属は? 何の目的でここにいる?」

「答える必要を感じない」

「あんたがテンペスタからの客なら、話を聞かせてもらう必要があるんだよ」


 アシエルが睨みつけると、男は何を思ったか手を持ち上げ、誘うように人差し指をひらめかせた。


「聞きたいのなら、吐かせてみたらどうだ」

「……そうだな。あんたがどこの国の誰で、何をしに来たのか興味がある。その物騒なものを置いてもらって、ゆっくり話を聞かせてもらおうか」


 剣を両手で握り、腰を落とす。構える様子もない男を訝しみつつ、アシエルは一息に切りかかった。

 初めは緩やかに、徐々に激しく、緩急をつけて切り結ぶ。静かな暗い森の中で、時折月光を映してきらめく刃の光だけが鮮明に見えた。

 アシエルが押せば引き、引けば押してくる男は、数合切り合っただけでも分かる、相当な手練れだった。おまけに、細身に見える体格の割には、洒落にならない剛力の持ち主だ。魔術による強化がなければ、まともに剣を受けることも難しいだろう。殺気を感じないことが、かえって不気味でならなかった。

 別段闘争心が強い方ではないけれど、こうも余裕の態度であしらわれるのは面白くない。強く奥歯を噛んだアシエルは、腕に力を込めて切りかかる。

 本気で振るったアシエルの剣が男の髪を数本捉えると、やり返すように、男の剣がアシエルの首の血管すれすれを掠っていく。皮裂を裂いた太刀筋の鋭さに、アシエルは唇の端を引きつらせて笑った。


「強いな、あんた」

「そちらも」


 短い返答を受けて、アシエルは剣を叩きつけたい衝動に駆られた。

 こちらは魔術を使って限界まで体を強化している。対する男に、魔術を使っている気配はない。

 努力と才能をかけ合わせ、命と時間を捧げて身に着けた力こそ本物だ。ハリボテの自分とは違う本物の実力に、嫉妬と憧れを感じずにはいられなかった。

 剣を弾いて距離を取る。沈黙が場に落ちると、男はかすかに首を傾けながら、なおもアシエルを挑発するように口を開いた。


「魔術は苦手か、?」


 心臓が嫌な音を立てた。向こうはアシエルを知っているらしい。剣だけではなく、魔術を使えと挑発しているのだ。けれど、男の意図が分からなかった。先ほどからまるで一方的に力を測られているかのようで、不気味で仕方がない。

 黙りこんだままのアシエルに焦れたのか、男がゆっくりと手を掲げる。


「この森は見通しが悪いと思わないか」


 淡々と呟く声に合わせて、ゆらりと男の指先に炎が灯る。炎に照らされた男の姿を目にした瞬間、アシエルはひゅっと息を呑んだ。


(こいつ、食堂にいた男――!)


 斬り合いで剥がれたフードの下からは、同じ人間とは思えないほど整った顔が覗いていた。イーリスではまず見ない真っ赤な瞳に、悪魔だと言われた方がしっくりくるほど、粗のない美しい容姿。顔全体を見たのは初めてだが、その特徴的な瞳の色はよく記憶に残っている。

 男の指先に灯った炎が、風に揺られてみるみる大きさを増していく。


(森を燃やす気か?)


 肌がぞっと粟立った。凝縮された炎が男の指先を離れる直前で、アシエルは慌てて剣を持つ手とは逆の手で空気を掴む。手の中で構築した魔術は、アシエルが握り込んだ空気を一瞬で凍りつかせ、周囲の空気を巻き込みながら、大きな氷柱となって男へと向かっていった。

 氷柱が炎を包み込む。成長を止めない氷は、そのままの勢いで男を飲み込もうとした。

 しかし、氷が男に触れようとした瞬間、氷柱は一瞬で蒸気となって、空気に溶けた。

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