第二章 魔王と呼ばれた天才

2-1

 竜討伐の任務を終えた翌々日、アシエルは王城の門をくぐりながら、大きなあくびをこぼしていた。秋らしく晴れ渡った空と白い朝陽が、憎らしいほど目に眩しい。


「昨日は眠れなかったのか? アシエル少尉」


 アシエルの目が充血していることを見てとってか、苦笑しながらゼークラフト中尉が声を掛けてくる。


「眠れるかよ。ユリア殿下に謁見するってのにぐーすか寝てられるほど、俺は神経太くねえんだよ」

「変なところで神経質だよな」

「こちとら庶民なんでね。城に行き慣れてるお貴族様と一緒にしないでくれ」


 じとりとアシエルが目を向けると、ゼークラフト中尉は「俺たちだって別に慣れてるわけじゃないよ」と言って肩をすくめた。


「しゃんとせんか、みっともない」


 だらだらと話す二人を見かねたのか、前方を歩くゲオール大佐が振り返って釘を刺す。慌てて口を閉ざしながら、アシエルはため息を吐いた。

 三人して朝から王城の廊下を歩いているのは、イーリスの第一王女ユリアから、報告という名の呼び出しがかかったためだ。王女付きの特殊部隊長であるゲオール大佐と、その副官であるゼークラフト中尉はともかく、なぜそこにアシエルまでもが加わるのかと考えると、胃が痛かった。


(面倒ごとじゃないといいけどな……)


 しかしアシエルの祈り空しく、ユリアの要件は、当たり前のように面倒ごとだった。


「掃討任務の直後にすまないが、そなたらには明後日から始まる神事での来賓の護衛を頼みたい」


 先の任務の達成を丁寧に労った後で、ユリアは憂い顔でそう切り出した。

 ゆるく結い上げられた金色の髪は今日も麗しく、シンプルな作りの青いドレスを着こなす姿は、思わず跪きたくなるような気品を備えている。国王が病に倒れ、気鬱気味な王妃も表に出てこなくなった数年前から、ユリアは王族の公務を一手に引き受けている。その重責からか、ユリアはもはや、王女というよりも女王と呼びたくなるような風格を漂わせていた。


「護衛、でございますか……?」


 ゲオール大佐が復唱すると、ユリアは難しい顔をしながら頷いた。


「隣国テンペスタとの国境にある、テスの町を知っているか」

「存じております。神事で名高い町ですな」


 ゲオール大佐が顎ひげを撫でながら相槌を打つ。

 イーリスには季節の変わり目にあちらこちらで神事を行う風習がある。その中でもテスは、冬の始まりの神事を行うことで有名な町だった。町の外れには、訓練兵の合宿場も備られている。


「テスの神事には、各国からの客人が訪れる。テンペスタからも、貴族派の賓客としてヴィスコンティ公爵を迎えることにした」

「『貴族派』?」


 聞き慣れぬ言葉に、アシエルは思わず口を挟む。直後にゲオール大佐の険しい視線を受けて、慌ててアシエルは口を閉ざした。公式の場では、身分の高い者の許可なく発言してはいけないのだ。

 二人の視線でのやり取りに気付いたのか、ユリアは「良い。崩せ」と苦笑しながらアシエルに声を掛けてくれた。


「テンペスタの事情には馴染みがないか、アシエル。かの国はふたつの派閥に割れているのだ」


 皇帝派と貴族派、とでも言おうか。内緒話をするかのようにユリアは続けた。


「現テンペスタ皇帝グレゴリオ殿は徹底した能力主義者でね、国を富ませる手法を選ばない。身分に関係なく有能な人材を登用しては、魔術兵器や生活道具を国を挙げて開発している。かの国では魔力を必要とせずに火を生む道具が、貴族から平民まで広く普及しているほどだ」

「へえ、便利ですね」


 アシエルは感嘆の声を上げた。火付け石と焚き木でやりくりしているイーリスの民からしてみれば、夢のような話だ。

 しかし、アシエルの反応はユリアの求めるものではなかったらしい。「たしかに便利だろうが……」と困ったように言葉を濁す。


「新しい技術は、時に人から仕事を奪い、制度を脅かす。だからこそ、隣国テンペスタが二つの派閥に割れているのだ」


 どういうことなのか。眉間に皺を寄せるアシエルに、横からゼークラフト中尉が補足してくれる。


「火を生み出せる道具は、炎の魔術師の仕事を奪うだろう? さらに言えば、炎の魔術自体の価値まで下げてしまう。だって、魔術がなくてもできるんだから」

「それ、制度どうこうに関係するか?」

「する。普通、平民は魔力を持たないだろう。だから魔術を使えない。それなのに魔術と同じ恩恵を受けられるようになってしまったら――あんまりこういう言い方は好きじゃないんだけど、平民と貴族の差が縮まってしまうって思わないか? 魔術に頼らない技術の発展は、貴族の絶対的な優位性を脅かすって考える人もいるんだよ」


 分かるような分からないような。アシエルは神妙な顔を作って頷いておいた。

「つまるところは」とユリアは話をまとめる。


「テンペスタの民は、皇帝の押し進める技術改革を歓迎している一方で、国を治める立場にある貴族たちは、それを面白くは思っていないということだ」


 だから『皇帝派』と『貴族派』なのかと頷いたところで、アシエルはぐっと眉を寄せた。


「貴族派は、昔ながらの保守的な派閥ってことですよね。それなのに神事に招くのは、貴族派の公爵なんですか?」


 隣国の二つの派閥のうち、片方の代表者だけを選んで招くということは、イーリスはその派閥を支持するということだろう。けれど、昔から小競り合いを繰り返してきた保守的な陣営を支持しても、こちらに得はないのではないか。

 浮かんだ疑問をそのまま口にすれば、ユリアは「そうとも限らない」と頬に手を当てた。


「たしかに我が国とテンペスタは良好な関係を築いているとは言えないが、戦争にまでは発展してこなかった。戦を行えば、互いに利益より不利益が大きいと分かっているからだ。貴族派がテンペスタ国内で力を持っている間は、変わらぬ付き合いができるだろう。けれど、皇帝グレゴリオの思想は、これまでのテンペスタの方針とは大きく異なる。より過激で、目的のためには手段を選ばない」

「ここ最近、やたらテンペスタとの派手な小競り合いが増えているって聞くのは、もしかして……」


 話の流れからすると、嫌な予感しか浮かばない。思案するように目を伏せたユリアは、重々しくアシエルの言葉を引き継いだ。


「現テンペスタ皇帝の影響だろう。かの方は技術の発展を阻害すると言って、神の教えを否定している。魔獣の増加は結界の綻びのせいだと主張して、大陸を覆う結界の調査を度々申し込んでくるほどだ」


 その言葉を聞くなり、部屋中の人間が顔を強張らせた。

 宗教国家イーリスの民は須く信心深い。朝夕には教会の鐘が祈りの時間を国中に知らせ、貴族から平民に至るまで、皆が食前の祈りを欠かさないほどだ。空を覆う結界に触れることは、大陸宗教における最も重い禁忌であった。


「……だから我が国は、テンペスタの貴族派を援助しているのだ。だが、皇帝派にとっては、テスの神事は絶好の機会だろう。目障りな抑止役である貴族派の筆頭が、これまた気に喰わない宗教国家を訪れるのだからな」


 憂いを帯びた声でユリアが言うと、ゲオール大佐はこれ以上なく苦々しい顔をして、「狙い目でしょうな」と頷いた。


「ビスコンティ公爵を儀式の最中にしいして、我が国の責任を問えば、民意を味方に付けた上で、貴族派の勢力を削ぐこともできるでしょうから」


 要は、一歩間違えば隣国に事件をでっち上げられ、戦争を仕掛けられかねない状況らしい。

 ユリアは重々しく頷いた。


「テンペスタからネズミが入り込んでいるとの報告もある。準備ができ次第、出立してくれないか。常人では及ばぬ感覚を持つセンチネルそなたたちが警備に加わってくれるならば、これほど心強いことはない」

「御意のままに。殿下の憂い、我々が晴らしてご覧に入れましょう」


 力強くゲオール大佐は頷いた。

 やっぱり面倒ごとだったとアシエルは涙を飲む。

 幸いにしてセンチネルたちがメインの任務らしいので、アシエルが命を張る必要がなさそうなことだけは救いだろうか。しかし、そんなかすかな希望は、直後のユリアの言葉によって儚く打ち砕かれた。


「何が起こるか分からない。有事の際には、二度の竜殺しで高めた名は紛い物ではないのだと、隣国に見せつけてやりなさい、アシエル。頼りにしている」

「……御心のままに、殿下」


 それ以外に何が言えただろう。アシエルには、張り付けた笑顔の裏で勘弁してくれと叫ぶことしかできなかった。


 * * *


 イーリスとテンペスタの境に位置する辺境の町テスは、深い森林に囲まれていた。耳を澄ませれば鳥の声が聞こえ、辺りを見れば、小動物が忙しなく草むらを駆けていく様子がそこらかしこで目に入る。


(こんなんだったかな)


 訓練兵だった頃、アシエルも一度だけ合宿で訪れたことがあるはずだが、いかんせん訓練漬けだった上、無断外出の罰で散策さえ許されなかったので、懐かしさは特に感じない。

 ぼんやりと景色を眺めつつ後発部隊の到着を待っていると、ふとアシエルの耳に草木をかき分ける音が届いた。茂みに視線をやれば、猪型の魔獣がこちらを目掛けて一直線に走ってくる姿が見える。

 十年ほど前は、町の近くに魔獣が出ただけで騒ぎになっていたものだが、今や珍しいことでもない。


「気ぃつけろ。魔獣、そっちに行ってるぞ」


 近くでしゃがみ込んでいる新兵に声をかけるが、返事はなかった。真っ青な顔をして口元を押さえている様子からして、体調でも悪いのかもしれない。

 仕方がない、と剣を抜いたアシエルは、素早く新兵の前に身を滑り込ませると、走り込んできた魔物を代わりに相手取る。

 魔獣の断末魔を聞いて初めて、ようやく現状を把握したのか、慌てた様子で新兵が振り返った。けれど、その動きさえ負担になったのか、彼は再度口元に手を当て、蹲ってしまう。


「……っ! うっ、ぐ……」

「大丈夫か。気分が悪そうだけど」


 剣に付着した血を落としつつ、アシエルはふらついている兵士に声をかける。距離を詰めると、弱々しくはあるものの、乱れたセンチネルの気配が感じられた。大方、センチネルの能力に目覚めたての新兵なのだろう。生まれつき感覚が鋭い者もいれば、ある日突然、センチネルとして目覚める者もいる。任務の後ならいざ知らず、始まる前から体調を崩しているのは後者の場合がほとんどだ。


「きついなら調律するか? ちょっとはマシになるぜ、多分」

「うるさい!」


 一応の親切心で差し出した手は、即座に跳ね除けられた。青白い顔で、新兵はきつくアシエルを睨みつけてくる。


「ガイドなんかの施しを受けてたまるか。ましてやお前みたいな平民に」


 こちらを見下していることがありありと分かる言葉と視線を受けて、アシエルはため息をついた。貴族ばかりの部隊にいれば、似た出来事は嫌でも経験する。流してしまうのが一番手っ取り早い。

 しかし、地獄耳の上司はそうは思わなかったらしい。どこから聞いていたのか、重い足音が向かってきたかと思うと、次の瞬間には雷のような怒声が場に落ちていた。


「馬鹿者!」

「うっ」


 体調不良の新兵に、ゲオール大佐は容赦なく拳を振るう。


「貴様は上官への口の利き方も知らんらしいな、フィラー伍長」

「ですが、この男は……!」

「この男ではなく、アシエルだ。階位制度もろくに知らぬようなら、幼学校からやり直してくるのだな!」


 なおも反抗的な態度を示したフィラー伍長は、再度ゲオール大佐の拳骨を落とされる。


(あれ、痛いんだよな……)


 指導という名の体罰を散々受けていた訓練兵時代を思い出し、アシエルは憐れみを込めて、見守った。

 しかし、他人事でいられたのもそれまでだった。


「貴様もだ、アシエル少尉!」

「えっ」


 くるりと振り返ったゲオール大佐は、流れるようにアシエルを叱りつける。


「規律を乱すな! 舐めた口を利かれたならば教育しろ!」

「って言われても、俺は平民で」

「俺の部隊に入った以上、実力がすべてだ。文句を言う輩は拳でねじ伏せろ」

「それは脳筋って言うんじゃ――っ痛ぇ!」


 思ったことをそのまま呟けば、無言で拳骨を落とされた。


「そこ、何を突っ立っている! 荷物の搬入と宿営の準備はどうした。ちんたら歩くんじゃない! 走れ!」


 ゲオール大佐の怒鳴り声を受け、足をもつれさせるように新兵たちが走り出す。わずかに遅れて立ち上がったフィラー伍長は、アシエルを睨みつけると、危うい足取りで仲間たちの背を追っていった。


「まったく、先が思いやられるな。……我々は先に神殿の司祭に顔通しをするとしよう。同行しろ、アシエル少尉」

「了解しました」




 テオの町の神殿は、イーリスの中でも特に歴史が深い。白を基調とした石造りの建物には、古来の様式で装飾が施され、祈りの間には、陽光を透かす色とりどりのステンドグラスが飾られていた。

 挨拶に訪れたアシエルたちを、神殿の管理人である老年の司祭は朗らかに歓迎してくれた。


「司祭のロッシと申します。こちらは儀式を手伝ってくれる、祈り手のアヤです。皆さま、ようこそテスへいらっしゃいました」


 ロッシ司祭は柔和な笑みを浮かべたまま、おっとりと手を差し出す。彼の背後では、十に満たないだろう町娘が、緊張した様子でこちらを見つめていた。ゲオール大佐は強面で体格も良いので、恐ろしく見えるのだろう。

 握手を交わしながら、感慨深そうにロッシ司祭は目を細める。


「ユリア殿下は本当に信心深くていらっしゃいますな。辺境の神事にここまで御心を砕いてくださるとは。本当に、なんとお礼を申し上げてよいやら分かりませぬ」

「我が国にとっても大切な神事ですゆえ。情勢さえ許したならば、ぜひとも儀式に参列したかったと、ユリア殿下も残念がられておりましたよ」


 ゲオール大佐がユリア王女からの言葉を伝えると、ロッシ司祭は「もったいないお言葉でございます」と目を潤めた。


「殿下のお気遣いに報えるよう、気合いを入れて神事を取り行わねばなりませんな。皆さまも、どうぞよろしくお願いします」

「はっ。特殊部隊一同、イーリスとテスの町の平和のために力を尽くします」

「ありがとうございます。どうか皆さまに、神のご加護がありますように」


 祈りの言葉を口にしたロッシ司祭は、次いでアシエルに顔を向ける。その目は物珍しいものを見たとでもいうように、きらきらと輝いていた。


「アシエル殿と申されましたな。もしや、名高い竜殺しの勇者殿でいらっしゃいますか」

「いえ、その……」


 口ごもるアシエルに構わず、ロッシ司祭は分かっているというように、にこにこと頷いた。


「ご活躍はこの辺境の町まで届いておりますよ。お若いのに大したものですね」

「……どうも。恐縮です」


 世辞に返した言葉は、アシエルが意図したよりもそっけなく響いた。けれど、ロッシ司祭は穏やかな笑みを崩さない。


「矢面に立つお方ほど、人には告げられぬ苦労も多いでしょう。年寄りのお節介でしょうが、生き急いではなりませんよ。どんな状況であっても、神は常に我々を見守ってくださっているのだと、どうか忘れないでください」


 真摯に告げられた言葉に面食らう。適当な言葉が見つからず、アシエルは目礼だけを無言で返した。

 食事時に祈りを捧げることが習慣となっていようとも、アシエルは決して敬虔な信者ではない。加えて、告げられぬ苦労どころか、誰にも言えない後ろ暗い嘘を抱える身である。純粋にこちらのことを案じてくれているのだろうロッシ司祭の視線は、アシエルにとっては少しばかり眩しすぎた。



 ぎこちない挨拶を終えて神殿を辞した後、先行部隊との打ち合わせを済ませたアシエルたちは、街道を歩いて見回った。


「しっかし……神殿っていうのは、むず痒い場所っすよね」

「どこもあのようなものだろう。下町にも祈る場所くらいあるのではないのか」

「日曜教室を開くような小さな教会はありますけど、あそこまで仰々しくはないです」

「安心しろ。関わるのは任務の間だけだ。神事の護衛など、今回くらいのもの――ん?」


 会話の最中、不意にゲオール大佐が森林地帯の方角に視線を向けた。ゲオール大佐は聴力のセンチネルだ。何かを聞き取ったのかもしれない。

 邪魔にならぬように息をひそめて、アシエルはゲオール大佐の視線を追うように森に意識を向けてみた。遠くを探るように集中した瞬間、ぞわりと肌がざわめく。

 強いセンチネルの気配がする。それも、ひどく精神状態の乱れた気配が。


「森の北東部に、分隊規模の集団がいる。この国の者ではない」


 ゲオール大佐が声を潜めて呟いた。


「初日から当たりっすか?」

「可能性は否定できない。短時間とはいえ、分隊だけでも連れてくるべきだったな」


 ゲオール大佐は顔をしかめてそう言うと、手早く通信の魔道具を起動した。


「指揮官より副官へ。当官はこれより神殿前森林帯のに向かう」

『副官より指揮官へ。了解しました。応援は必要ですか』

「分隊を率いて合流せよ」

『了解しました。どうぞお気をつけて』


 当初の予定から外れた行動にも関わらず、通信先のゼークラフト中尉の応対は滑らかだった。イレギュラーな任務ばかりを押し付けられる特殊部隊にいるだけあって、この程度は慣れっこらしい。


「偵察に行きますか?」


 アシエルが声を掛けると、無言でゲオール大佐は頷いた。


「発見された場合は即時撤退。目的はあくまで偵察だ。手は出すなよ」

「了解です」


 頷き合い、アシエルたちは慎重に森の奥へと足を踏み入れた。

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