1-3

 先ほども頭が痛いとは言っていたが、かなり具合が悪そうだ。

 傍らには、ゼークラフト中尉を介抱するように、体格のいい壮年の男性が膝をついていた。


「ゲオール大佐」


 呼び掛けると、今気付いたとばかりにゲオール大佐が振り向いた。

 ただでさえ迫力のある熊のような顔つきと、厳つい顎ひげ。訓練兵時代から世話になっている直属の上司の顔を見ると、思わず姿勢を正してしまうのは、もはや叩き込まれた反射行動だ。


「アシエル少尉か。無事で何よりだ」

「どうも。無事というほど無事じゃないっすけど」


 竜のブレスで焼けただれた皮膚を見せつける。しかし、ゲオール大佐は一瞥もせず「軽傷は怪我のうちに入らん」と言い切った。


「赤竜を相手にして五体満足で立っていられるなら、十分無事の範疇だ。単独討伐の達成に敬意を表しよう、勇者殿」

「……恐縮です」

「ユリア殿下もさぞやお喜びになるであろう。まさか本当にひとりで倒してしまうとはな」

「博打で人を竜の前に置かないでくださいよ」

「冗談だ。貴様ならばやれると信じていた。よくやった、アシエル少尉」


 いつも堅苦しく顰められているゲオール大佐の顔が、珍しくも緩んでいた。厳しい上司だが、成果を上げた部下への評価を惜しむ人ではない。そこに本気の賞賛が込められていると分かるからこそ、アシエルは余計に後ろめたさを感じずにはいられなくなる。


(別にあれは、俺の力じゃない)


 複雑な内心を隠すように、アシエルは軽薄な笑顔を作ってみせた。


「鬼の大佐からお褒めの言葉をいただけるとはね。光栄です」

「貴様は軽口しか叩けんのか」


 顰め面をした後で、ゲオール大佐は青い顔をしているゼークラフト中尉へ、気遣わしげな視線を向けた。


「ちょうどいい。アシエル少尉はガイドだったな。大仕事の後に悪いが、ゼークラフト中尉を診てやってくれないか」

「そのつもりです。ひどい気配が漂ってくるもんだから、気になって仕方がなくて」

「目を酷使させたからな。任せた。……しかし――」


 不自然に言葉が途切れた。何やら難しい顔をしたゲオール大佐は、森の方角を眺めながら、考え込むように顎ひげを撫でつけている。


「捕らえたにせよ育てたにせよ、赤竜ほどの大物がこのような貧しい地に現れるというのは、おかしなものだ。このところ大型の魔物の討伐依頼も増えているし、何が起こっているのやら」

「さあ。テンペスタの連中が、何かやってるんじゃないですか。何しろ神をも恐れぬ科学国家なんでしょう? 隣国は」

「だとしても、何のためにおぞましい改造魔獣など作るというのだ。奴ら、小競り合いでは満足せずに、とうとう戦争でも起こす気か? 聞けば先日も国境地帯であわや紛争が始まりかけたというからな」


 独白じみた考察は、放っておけば延々と続きかねない。肩をすくめたアシエルは、それ以上ゲオール大佐の話が長くなる前に、さっと口を挟んだ。


「小難しいことは、俺なんかには分かりませんよ。今はとりあえず、施設の後処理を終わらせませんか」

「……まあ、そうだな。後にするとしようか」


 うまく話を切り上げられたことにほっとしつつ、アシエルは敬礼とともにゲオール大佐の背を見送った。

 視界から上司が消えるや否や、アシエルはくるりと背後を振り返る。


「調子はどうよ、ゼークラフト中尉」

「……良さそうに見えるか?」


 二日酔いでもしたかのような真っ青な顔で、ゼークラフト中尉は恨みがましくアシエルを見上げてきた。


「最悪だ。頭が痛い。目も痛い。遠見だけならともかく透視はきついんだよ。吐きそうだ」

「そりゃあ大変だ。お疲れ」

「くそ、なんで今は昼なんだ。眩しい……」


 弱り切った声には、つい先ほどまで千里眼をふるい、観測と指揮を的確にこなしていた姿は見る影もない。センチネルならば誰しも経験する、優れた感覚を使った反動だ。

 人間の処理能力に見合わぬ超感覚を持つセンチネルたちは、鋭すぎる感覚による精神汚染のリスクに常に晒されている。能力の反動による心身の負担は、じわじわとセンチネルの脳と精神を蝕み、やがては当人を死に至らしめる。

 けれど、生物は適応し、進化する。

 命を蝕むほどに強力な能力を持つセンチネルが観測されるようになると同時に、他者の能力を制御し、命を繋ぐことに特化した者もまた、どこからともなく現れるようになった。彼らはガイドと呼ばれた。超感覚に苦しむセンチネルの手を引いて、荒れ狂う精神の海の中で、唯一センチネルを安穏へと導くことができる案内人。

 アシエルはガイドだった。


「ほら」


 どかりとゼークラフト中尉の隣に座り込んだアシエルは、グローブを外して手を差し出した。

 目元を覆っていた手を下ろしたゼークラフト中尉は、震える手で自身のグローブを外すと、縋るようにアシエルの手を握り込む。


「悪い。頼む……」

「任せろ」


 重ねた手のひらから、乱れた気配が伝わってきた。触れずとも分かるほどに波だっていたセンチネル特有の気配は、肌を触れ合わせると、さらにはっきり乱れが分かる。

 センチネルやガイドの存在すら知らず、自身の力の制御もままならなかった昔と違い、今はどうすれば苦しむセンチネルを助けることができるのか、アシエルはよく知っている。

 深呼吸をしたアシエルは、そっと目を閉じた。

 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。外と繋がる余計な感覚は必要ない。内面に意識を傾け、ゼークラフト中尉から流れ込む気配に集中する。

 乱れたセンチネルの気配には、どうしようもない気持ちの悪さがある。

 容器から溢れかけた水。寝ぐせのついた髪。一か所だけが歪んだ円。ガイドによって表現は様々だが、あるべき形からどこかがズレてしまっているようなその違和感を、軽くつついて直してやるだけで、センチネルたちは別人のように生気を取り戻す。

 その作業は、導くというよりは整えてやるという表現の方がしっくりとくる。ゆえにガイドとセンチネルの触れ合いは、楽器の音程の調整になぞらえて、『調律』と表現されることもあった。

――戻れ、戻れ。なだらかに戻れ。

 アシエルにとって、イメージしやすいものは水だった。

 センチネルの精神は、水の流れだ。色も流れる速さも水量も、人によって違う。アシエルの記憶にあるゼークラフト中尉の水は、透き通った水色の流れだった。けれど、今は雨が降った後の川のように、水が濁って荒れている。

 センチネルでないアシエルの中には水がない。だから、からっぽのアシエル自身の中に、センチネルの水を受け入れることができる。受け入れたら、今度はアシエルの中でなだらかにならした流れを、センチネルの中に返してやる。

 単調な作業を何度も何度も繰り返す。泥水をろ過してやるようにして、水の中身が透けて見えるようになるまで、ただひたすらに、根気よく。


「はあ……」


 調律を続けていると、ふと気の抜けるような声が向かいから聞こえてきた。実際にアシエルの耳が捉えた音なのか、それともゼークラフト中尉の感情が伝わってきただけなのかは分からない。調律中は、時折センチネルの感情や思考が伝わってくることがあるからだ。

 ある程度まで流れを元通りにしてやると、それ以上は整えようのない平衡点にたどり着く。生きている以上、常に精神は絶え間なく動くものだから、完全に整えることは不可能だ。さざ波のように揺れる小康状態まで調律したところで、アシエルは目を開けた。


「こんなもんかな」


 ゆっくりと力の繋がりを切り離しつつ、アシエルは「少しはマシになったか?」とゼークラフト中尉に笑いかける。


「うん。任務の前より調子がいいくらいだ。ありがとう」

「どういたしまして」

「相変わらずいい腕をしているよな。センチネルとガイドの調律って、普通相性があるものだろうに。誰とでも同調できるガイドなんて、アシエル少尉以外に、見たことないぞ」

「世辞言ったって何も出ねえよ」

「ただの感想だって。ひねくれものめ」


 目元をぐりぐりと解したゼークラフト中尉は、指の間からちらりとアシエルを見たかと思えば、「本職にする気はないのか?」と思わせぶりに聞いてくる。


「軍専属ガイドに転職する気があるなら、手回しに協力するぞ。大尉相当に格上げだ。どうだ?」

「馬鹿言え。前線の方が性に合ってるよ」


 アシエルは立ち上がりながら苦笑する。イカサマじみた力で得た戦果を褒められるよりは、趣味で磨いた持ち前のガイド能力を褒められる方が、よほど素直に受け入れられるのは確かだが、ゼークラフト中尉も本気で言っているわけではないだろう。


「誰でも調律できるって言ったって、俺は別に専門家じゃない。勝手にやっといてなんだけど、ゼークラフト中尉も手近で済ませるんじゃなくて、相性のいいガイドを見つけるなり、軍付きのガイドのところに通うなりした方が良いと思うぞ」

「分かってる。でも、調律してもらうなら知ってるやつの方が安心だろう? 合わないガイドに当たると、こっちも向こうも悲惨なんだから」

「知らねえよ」


 軽口を叩きながら笑みを交わしたとき、ざわりと動揺が広がる空気が遠くから伝わってきた。見れば、アシエルがつい先ほど討伐したばかりの竜の死骸がちょうど広場に運び込まれてきたところだった。


「見ろよ、『竜殺し』が血まみれで笑ってる」

「化け物め」

「王女殿下のお気に入りはいいよなあ」

「……しっ。ゲオール大佐に聞かれるぞ」


 ちらちらと集まり始めた周囲の視線に気づき、アシエルはすっと表情を消した。遠巻きに向けられる視線は、世辞にも好意的とは言いがたい。

 いつものことだ。平民で、特別扱いで、枠を外れた不気味な力を振るう。加えて今は全身血まみれとくれば、奇異なものを見る目を向けられても仕方がないだろう。ゼークラフト中尉やゲオール大佐のように、身分も戦果も気にせず接してくれる者もいるけれど、大多数はそうではない。

 自分の立場はよく分かっている。


「アシエル少尉……」


 ゼークラフト中尉の気遣わしげな声には肩をすくめることで答えて、アシエルは胸元のペンダントを握り込む。

 貯めこんだばかりの魔力を使って組むのは、転移魔術だ。移動距離に応じて消費魔力と難易度が爆発的に増すため、使い手が非常に限られる魔術ではあるが、転移先にあらかじめ魔法陣さえ刻んでおけば、発動すること自体はそこまで難しくない。――少なくとも、無尽蔵の魔力を引き出せるアシエルにとっては。

 ふわりと湧き上がった光を見て、ゼークラフト中尉が片眉を跳ね上げる。


「おい、どこに行く気だ」

「髪からパンツの中まで血まみれで気持ち悪ぃし、先帰るわ。大佐によろしく」

「先帰るってお前――」

「じゃあな。おつかれ、ゼークラフト中尉」


 引きとめようとしたゼークラフト中尉の言葉を遮り、一方的に別れを告げる。

 いつハリボテが剥がれるかも分からず、いつ死ぬかも分からぬ『勇者』をやる以上、多少の自由くらいなければ、やっていられないのだ。

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