第六話 我らは所詮、徒花であり……
マゼンタは当主にして姫の如き、堂々とした立ち振る舞いである。真紅の髪は腰にまで達し、煌びやかな服を纏う。左袖は折れており、中身が欠落しているのが分かる。
彼女はゆらゆらと見せつけるように服と扇子を揺らす。長すぎる袖は手元を隠しており、不意を突いて暗器が出てくる可能性もあった。敵の首魁である彼女の言葉を信用出来るはずもなく、ソウルは構えを崩さない。
「あなたの名はなんとおっしゃるの?」
「
「ふぅん。ルシフェルという家の名には聞き覚えはありませんが、貴族なのですね。それは幸い。これからわたくしが話すことは平民の方にはまるで見当が付かないことでしょうから」
(情報を与えてしまったか。しかし、この名乗りを訂正することは許されない)
平民と貴族、仮に同じ身なりをしていたら見分けるすべは無い。だが、名前を聞けば誰でも判別出来る。三節あれば貴族だ。ソウルというのは個人の名。ルシフェルというのは一族の名。そして、ティカというのは洗礼名である。
コキュートスの貴族の大半は
子が生まれた貴族は王城へ行く。生誕を祝福された子はもうひとつの名を王より直々に賜うのだ。ソウルであれば、ティカ。エリスであれば、ウィル。マルコであれば、デュマ。マゼンタであれば、ユス。
洗礼名はけして変えることが許されない。変えれば一族郎党皆殺しだ。名を変えたくとも、身分を隠したくても、家が没落しようとも不変のものだ。その名で貴族は一生、コキュートスに管理される。彼らは把握していないが、どうやら名付けには一定のパターンがあるらしく、イレギュラーが出たときはすぐさま分かってしまうようだ。
この制度は
苛烈な尋問の様子は本物の貴族たちをも震え上がらせたようで、いつしか彼らの中には暗黙の了解が出来た。正しく名乗るべし。貴族として生まれた子供は言葉を覚えるより前から、自身の名を名乗る練習をさせられる。それはソウルも同じであり、会敵したときでさえも、偽りの名を述べるという選択肢は無いのである。
「では、ルシフェル卿。まずはあなたの考えが聞きたくってよ。貴族が持つ最大の力は何?」
突然の問いかけにソウルは戸惑う。
「それは……権力ではないのか。罪を犯そうとも貴族であれば許される。貴族であれば騎士にも政治家にも簡単になれる。馬鹿げた話だ」
「あら、聞き方が悪いのかもしれませんわね。権力……つまりは社会への影響力、あるいは圧力と言っても良いですが、これは何によって生み出されるとお思い? 貴族は何を以てして自分たちに力があると考えているのでしょう」
そう問われてソウルが連想したのはエリス・ウィル・ジャッカロープの姿だった。例え戦勝悲願のための生贄であっても子供殺しは忌避されると知った。それなのにエリスはあっさりとミリアを惨殺した。彼女が持っている強烈な自負。それは何を所以とするのか。
マゼンタが用意している答えは分からなかったが、それはきっとソウルには無いものなのだろう。
「まあ、焦らしておいで? 答えは財力。金の力。地獄の沙汰も金次第……というのは天ツ国の言葉ですが、その通りだと思いますわ」
マゼンタの言葉に自嘲の笑みがこぼれそうになる。いまのソウルが最も求めてやまないもの、それが金だ。なぜ思いつかなかったのだろう。修道女のヴィヴィアンを身請けするために必要な金を稼ぐべく、彼は意に沿わぬ騎士業を続けているのだ。
折れた正義にみっともなくしがみついて、冷酷な上司の
「ふふ、とっても愉快でしょう? 貴族が罪を犯しても許されるのは司法官に金を握らせるからですわ。政治家になりたいのであれば、有権者たちに金を配り、騎士になりたいのであれば、そこの騎士団に多額の寄付をする。そうやって、コキュートスは回っているのですわ。ルシフェル卿が知らぬだけで、ジャッカロープ卿もドラゴン卿もわたくしもみな、金の力で自身の意見を通しているのですわ。貴族とはそういう生き物でしてよ。お分かり?」
マゼンタは美しく整った顔を醜悪に歪ませ、嗤う。
「見逃してあげてもよくってよ」
「何を?」
「ここでルシフェル卿が引き下がってくだされば、金貨500枚差し上げましょう。もし、わたくしを捕まえるということになりましたら、あなたの手元に入ってくるのは危険手当の金貨5枚ですわね。どちらが良いですか?」
「あんたを捕まえる」
ソウルは断言した。金貨が500枚あれば、身請けのための費用の半分にもなる。けれど、ソウルは愚かではない。マゼンタは既に清廉白滅騎士団と
「思い切りが良いですわね。後悔先に立たず。あとから、こうしておけば良かったと
あくまでこちらが上の立場であるという態度を取り続けるマゼンタにソウルは怒りを越えて哀れとすら思えてきた。
(こいつがこの世界の中で価値を見出しているのは金のみなのだ。愚か。金とは所詮、何かを手に入れるための手段に過ぎぬというのに)
「ならば、金貨1000枚。これだけあれば、あんたを逃してもいいかもしれないな。即金で用意できるか?」
「……っ! 吹っかけすぎですってよ。ルシフェル卿、あなたがこの場面で値上げをするほど、豪胆には思えませんでしたわ」
初めて目の前の女の態度が崩れる。汗をかいているのが見えた。これがマゼンタの底だ。
「つまり、用意は出来ないってことか。であれば、あんたを捕まえよう。人身売買は巨悪だ。コキュートスの国民をユグドラシルに売る。これは立派な裏切り。祖国への裏切りは騎士の禁忌だ。あんたに金があれば助かったのにな」
「ぐっ……!」
「さて、次はこちらが聞かせてもらう番だ。何故、蜥蜴団に子供を誘拐させた? 人身売買などせずとも、あんたには充分な財産があったはずだ。他に狙いがあったんじゃないか?」
「…………確かに人身売買というのはわたくしが描いた図面ではありません。それが誰かは言えませんが。わたくしは金が欲しかっただけですわ。……充分な財産がある? わたくしには先が無い。挺身黒討騎士団の団長で得られる金などたかが知れていてよ」
(やはり。コキュートスの中に蠢く悪がまだ存在する。だが、これ以上揺らしても何も吐くまい。そちらのことはディーテの
マゼンタは項垂れ、大きく息を吐く。そしてソウルが無言になったことに対して勘違いでもしたのか、自身の境遇を語り出す。
「わたくしは幼い頃に左腕を事故で失いましたわ。それでも土の魔力と残った右手の剣術で“隻腕の騎婦人”と称されるまでになった。ですが、普通に考えて隻腕の騎士が戦場で活躍出来るでしょうか? 答えは
マゼンタは懇願するように頭を下げた。だが、もちろんソウルは見逃すつもりは無い。金貨1000枚が欲しいのは確かだが、それは彼女を揺らすための発言に過ぎない。
「ダメだ。だいたい、あんたは捕まっても収容所からはすぐ出られるだろう。何を気にしているんだ? 地に落ちた名誉も金で何とかなるだろ。ここで逃げて、あんたに何の得がある?」
「執行灰燼騎士団がディーテの市に攻め入ったことは既に知っていますわ。彼らはわたくしがこれまで集めて来た財産を接収するつもりなのでしょう。それだけは許せません」
「執行灰燼騎士団が財産を接収するなんてあり得ない。貴族の財産を奪える者が仮にいるとするならば、それは王族だけだろう」
「グレモリー卿。彼女はあなたと同じように金を求めているのですわ」
「悪いが、あんたの金のことなどどうでもいい。抵抗したければするがいい」
「…………もうひとつ、聞きたいことがあってよ。この任務にマルコさまは来ていらっしゃるのでしょうか?」
「団長なら留守を預かっている身だよ」
その言葉を聞いて観念するようにマゼンタは膝を折った。そして扇子を壁の方向に投げ付ける。すると扇子の羽から刃が飛び出した。やはり、備えはあったのだ。
だが、もはや彼女に戦う意志は残っていない。
「ふ……やはり、来てはくださらなかった。ベルフェゴール家にはあれだけ金を積んだというのに。金さえあれば何でも出来る。けれど、慕った殿方と結婚出来ぬようでは、金の力など大したことはないのかもしれませんわ」
(そう言えばマルコはケルベロス卿のことをマゼンタと呼んでいた。グレモリー卿の名を口にすることはなかったというのに)
ソウルはマルコの目の下に出来ていた隈を思い出す。完全に何も無かったわけではないのだろう。それでも、彼は清廉白滅騎士団の団長という自身の立場を重んじたのだ。マゼンタとは違って。
♦︎♦︎♦︎
無抵抗のマゼンタの手を縄で後ろに括り、屋敷から出た頃、ちょうどエリスが清廉白滅騎士団を連れてその前に来ていた。鎧に一切の土埃も無い。エリスの横にはアンジュが立っており、こちらは
「無傷か、流石だな」
「エリスさんこそ、無傷じゃないですか。そんな重鎧を着けてきた意味が無いですね。それにケルベロス卿は何の抵抗もしませんでしたよ」
「何だと? ふん、何年も見ないうちにずいぶんと臆病になったものだな、ケルベロス卿」
「何とでも言えばよろしくってよ」
「エリスさん、こいつはどれくらいの罪に問われると思いますか?」
「こいつは三大貴族の恥晒しとは言え、その立場を考慮すればせいぜい長くて強制労働2日。短ければ1日だ。どうせ、こいつの親族が金を出すだろうからな」
(アスナロがパンを盗んだ方が重罪だとでも言うのか。もし、マゼンタが貴族でなければ間違いなく死罪であったはずなのに)
「連れて行け。罪人であっても三大貴族ケルベロス家の当主だ。怪我があれば逆に訴えられるのはおまえたちだ。慎重にせよ」
その刹那。風の魔力を纏った矢が放たれた。風を斬り裂く音を聞いていたソウルは脳天に放たれた矢をすんでのところで避ける。エリスは左腕を射抜かれていた。重鎧が無ければ腕が吹き飛んでいたかもしれぬ。下手人は。
「どういうことだ? 団長代理! 三大貴族の私に傷をつけたとなれば死罪。そんなことはわかっているはずだが?」
アンジュ・グレモリーが興奮した面持ちでソウルたちを見回す。彼女は落ち着かない様子で自身の青い短髪に触れる。周囲には10本以上の矢が風の魔力で浮いていた。弓が無くとも、風が生み出す莫大な力が矢を放つのだ。
「ジャッカロープ卿には恨みは無い。僕が必要なのは金と手柄だ。悪いが、死んでもらおう」
風の魔力は強力だが、アンジュは他勢に無勢。周囲の騎士たちも次々に剣を抜き、彼女を囲む。その中で繰り出されるのはエリスの炎。複数の炎の球がアンジュめがけて放出される。
だが、さすがにドラゴン卿の一番弟子とエリスが言うだけはあり、素早い身のこなしで炎を回避し、その炎は囲んでいる味方の騎士に当たってしまい、エリスが舌打ちをした。
(エリスの炎は上手く使うにはこの陣形は向いていない。味方がいなければ、炎劫華で一撃だ。グレモリー卿はエリスの火力を封印するためにわざとひとりで来たのだ。だが)
時折、風は竜巻のような勢いで騎士たちを蹴散らし、その矢はソウルの元に届いた。しかし、戦いというのは基本的には数が多い方が有利。致命打とはならずともアンジュはどんどん傷を負い、全身から血を吹き出している。手負いの獣の如き威圧感を放つ彼女はソウルを睨む。
「許せない……許せない……許せない。ルシフェル卿! きみだけは許せない!」
アンジュの目にはエリスや他の騎士は映っていない。ただ強くソウルを憎悪していた。
「あんたに憎まれるようなことはした覚えが無いぞ。誰かと勘違いしているんじゃないのか」
「勘違いなものか! セリ婆から聞いたぞ。きみはヴィヴィアンを身請けするつもりらしいな。僕より先に、その気持ちまで伝えて。許せない!」
「馬鹿な。あんたは女だろう!?」
「それがどうしたというのか。好きな人と結婚したいのは当然の望みだろう! きみは男だから分からないよな。許せない。僕は女というだけで、彼女と結婚することすら許されない。だから殺す」
彼女の怒りは八つ当たりのようなものだった。恋敵に対して向ける悪意にも届かない歪んだ思い。エリスが他の騎士へ離れるように指示を出し、代わりに自身が前に出た。矢に射抜かれた左腕の部分を残して重鎧を脱いでいた。装甲を繋いでいるところを斬ったのだろう。
「ふん、ずいぶん傷を負ったはずなのに元気じゃないか。いまのおまえにルシフェル卿は殺せん。もちろん、この私もな!」
「そんなこと分かっている。弓矢術ならともかく僕には接近戦の技術が無い。これだけ多くの騎士が周りにいれば、逃走も不可能。だけど、おまえらを殺すことだけだったら出来るんだよ!!」
アンジュがニヤリと笑う。その表情にすべてを察し、剣で斬りかかろうとしたが、エリスに首根っこを掴まれて引き戻された。風の魔力がアンジュの周囲を旋回している。
「
神身堕落。その身に宿す悪魔の力を顕現させ、自らを
アンジュの口は大きく裂け、長い牙が生えている。肉体は青く変色し、表面を鱗が覆う。爛々と輝く黄色い目といい、その姿は肥大した蛇の如し。マントを突き破り、その背中からは4枚の醜い翼が生えていた。手からは鋭い爪が伸び、もはや弓矢を持つことも出来ない。
神身堕落を使えば、どんな騎士でも魔力と身体能力を爆発的に増大出来る。
だが、いわゆる魔浄兵を殺すのはそう難しくない。何故なら、理性が無いからだ。魔浄兵は周囲の動物を無差別に殺害する。本能のままに動いているのだ。
神身堕落をしても1分くらいは理性を保っていられる。理性がある間であれば、元の体に戻ることも可能だ。だが、それは非常に危険な賭けでもある。体調や実力によっては1分よりも早い段階で理性を失うかもしれないからだ。
竜巻が凝縮されたような風が吹き、離れたところに下がった重装甲の騎士たちをいとも簡単に薙ぎ払ってゆく。だが、こちらにはエリスがいる。彼女の炎であれば、アンジュを殺すことに何の支障も無い、はずだった。
すると、翼を生やしたアンジュは攻撃の届かぬ空まで飛び、魔力を溜め始めた。広範囲攻撃をするつもりだ。ソウルとエリスと騎士たちをこの森すべてごと消し去るつもりなのだろう。重装甲を身に付けた鈍重な騎士たちを連れて逃げるのは現実的ではない。
「貴公の光の力で反らせぬか」
「あれほどの力の塊。難しいでしょう」
そんなことを聞いている時点でエリスにも突破口が無いといっているようなものだ。そもそも下手に逸らせばディーテの市が破壊される恐れがあった。アンジュが展開する風の塊の大きさはずいぶんと増している。何か思い付いたのか、エリスは連行されかかっていたマゼンタを地面に引きずり倒す。
「ヘルヘイム侵攻の際、貴様の神身堕落を見た覚えがある。あれを使って風を防げ」
「なっ!? わたくしに死ねと言うの?」
「理性があるうちに戻ればいいだけの話だ。一度防げればあとは私が炎の奮進力を使って飛行し、団長代理にトドメをさす。わかりやすい策だろう」
「誰がそんなことするものですか!」
「そうか。ならば」
エリスの細剣はいとも容易くマゼンタの右腕を切断する。マゼンタは呆気に取られたような表情をしたあと、叫び出す。真紅の長髪と同じくらいに赤い血飛沫があちこちに飛び散る。
「ぎゃああああああああ!!! わ、わ、わたくしの、う、腕がアアアアアアア!!」
マゼンタは切り落とされた腕を傷口に当てて、治そうとしている。痛みに震えている様子はく、その表情は絶望に満ちていた。“隻腕の騎婦人”は残りの腕を頼りに生きて来た。たとえ生きて帰ったとしても、彼女の未来は既に無い。エリスが冷たく言い放つ。
「これからは“無腕の騎婦人”と名乗るが良い。次は足を刺すぞ。それとも耳を切り落とそうか? 鼻を削ぐのも良いな。それが嫌なら今すぐ神身堕落を使え」
ソウルはエリスの乱暴狼藉を引いて見ていたが、それはこの場では当然の振る舞いだろう。エリスにとっても、死は避けなければならぬことなのだ。どんなことをしてでも、生き残ろうとしている。この姿勢だけは見習っても良い。
「はぁはぁ……エリス! そんなに神身堕落がしたいのであれば、あなたがすればいい! 理性があるうちに戻ればいいのでしょう!?」
「馬鹿にしているのか? 神身堕落などして、この私が魔浄兵になったらどうする。世界の損失だぞ、貴様と違ってな」
「わたくしも三大貴族でしてよ!?」
「はっ、貴様の血にもはや価値など無い。誰が咎人の夫になりたいなどと思うのだ? ましてや腕が無いのだぞ。使用人に介護されながら、命を浪費して醜く果てるだけの人生。惨めすぎて哀れにも思わぬ」
「どの口が……!」
エリスはマゼンタを煽るばかり。そんな態度でマゼンタが神身堕落を使ってくれるわけが無い。ソウルは死を覚悟しようとして、ふとそれが本当に正しいのだろうかと考えた。
(こんなところがオレの死に場所であるはずが無い。生きて帰らねばならぬ。ヴィヴィアンをアンテノーラ教会で朽ちさせるつもりか!?)
「ケルベロス卿、あんたが神身堕落をしてくれたら、オレはあんたの腕を治してやろう。切断面も綺麗だし、光の魔力ならばそれが可能だ」
「ほ、本当ですの?」
瞬間、巨大な風の塊が放出される。当たれば周囲一体を更地にすることが可能だ。この場にいる者はみな死ぬだろう。それほどの一撃だ。
「早くしろ!」
もはや一刻の猶予も無い。マゼンタは顔を強張らせながらも、覚悟を決めたようだ。
「死んだら恨みますわ!」
「死んでから言え」
「神身堕落
マゼンタは四つん這いの犬のような姿になる。肩からは水晶のような棘が生え、背中からは大きな赤い尻尾が覗いている。そして、遠くまで響き渡る咆哮が彼女の喉から放たれて目の前に巨大な水晶の壁が構築された。
風の塊が壁に衝突する。壁は見た目よりも堅牢であったが、風の勢いに最後は負けて砕け散った。ソウルが魔を打ち消す光の魔力で重ねて壁を張る。
水晶の壁によって大幅に減衰し、光の壁で停止した風はエリスが振り上げた炎に呑み込まれて霧散。そして彼女は背中から炎を噴出し、遥か上空まで飛ぶ。アンジュは素早く反応して鋭い爪で切りかかるが、理性を失った魔浄兵がエリスの卓越した剣技に勝てるわけがない。
空に
エリスが空から降りてくる。その様子はまるで女神の如き神々しさ。しかし、ソウルは彼女に目もくれず、壁の後ろに残された腕を拾う。僅かの神身堕落で失うほど、マゼンタの自我は弱くなかったようだ。彼女は四つん這いのまま、ソウルを見上げる。
「う、腕。わたくしの腕! 早く治してくださいまし! 血が止まらぬのです!」
ソウルはため息をつく。身勝手さならば、このマゼンタもそう変わりはしない。自らが大罪を犯した自覚が無いのだろう。腕を奪うよりも、命を奪うよりも非道なことを多くの子供たちに敷いたというのに。
(正義の騎士であれば、たとえ
「そうか、血が止まらないのか」
火炎が吹く。エリスの掌より出された炎がマゼンタの右肩を撫でていった。
「何をするんですの!?」
「傷口を焼いて塞いだのだ。私に感謝するといい。これで貴様が失血死することはない」
「やり方が雑ですわ! そ、そんなことより、早く腕を! わたくしの腕を!」
「……これは治せないな。エリスさんが傷口を中途半端に塞いだせいで腕はくっつかない」
「はぁ!? そ、そんな。ジャッカロープ卿!? あなた、そのつもりで……!」
「何のことか分からないな。だいたい、私の炎で焼かれたというのに貴様は痛みを感じていなかった。おそらく、神経が死んでいるのだ。ならば、治癒の力でも腕は治らないよ。光の魔力はそこまで便利なものではない」
「腕が……あ、あ、あ、あああああ!!」
絶叫するマゼンタをエリスは避難していた騎士たちに運ばせる。彼女はソウルに近付き、矢で射抜かれた左腕を見せ付けた。治せ、ということだろう。ソウルが光の魔力を集中させつつ、ゆっくりと矢を抜く。
伏せられた赤い瞳がいつもより大きく開かれている。燻んだ銀髪と合わせて、美女ならではの周囲を威圧する
とは言え、さすがに傷が痛むのだろう。伏せられた赤い瞳がいつもより大きく開かれており、彼女が無感情で無感動な人間ではないことを示している。
「私を差し置いてあんな愚物を治そうとするとはどういうことか。貴公は私だけを見ていれば良いのだ」
「は。承知しています」
「ならば良い」
「あとで医者にも見せてくださいよ。オレの光の魔力じゃ、完治は難しい」
「分かっているさ」
ディーテの市は降伏した。挺身黒討騎士団に死者はいなかったものの、知らぬうちに人身売買に加担していたという罪悪感を彼らは抱えることになる。ユグドラシルからコキュートスを守る防衛戦力たちの士気は確実に低下したのだった。
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