第五話 その貌は誰が為に振るわれ……

 ソウルは正式に騎士となった。


 コキュートスの首都、ジュデッカの平和を守るための戦力だ。扱いとしては一代限りの騎士爵であり、このさき彼に子供が出来たとしても、その者が自動的に騎士と認められるわけではない。ルシフェル家を再興するには、やはり屋敷の中で凍結している祖父と叔父と父の氷像を溶かすほかあるまい。



 だが、そんなことはもう良いのだと諦めていた。ソウルはヴィヴィアンという愛しき人を教会から身請けして共に過ごすという目標を新たに作った。


 貴族であれば、その正妻とする者は選り好みしなければならぬ。婚姻が家にどんな利益をもたらすかが何より重要でそこに愛なんてものが介在する余地は無い。ましてや、卑しき娼婦を正式に家へ迎えるなど、不利益どころの騒ぎではない。



 しかしながら、それはあくまで貴族に限った話である。娼婦を妻とする、男娼を夫とする……そういう婚姻は町人の中ではありふれている。風聞ふうぶんを気にするのであれば、届出をして引っ越せばいいだけの話。



 必要なのは身請けするための金だ。金さえあれば、誰も文句は言わない。ソウルが教会の主であるセリ婆(本名不明)に聞いた情報によると、ヴィヴィアンの価値は金貨1000枚。アンテノーラ教会で最も高い売り上げを誇っているという事実を考えれば、けして法外な額ではない。ソウルが節約しながら騎士として働いていれば、3年で貯まるだろう。



 たかが3年されど3年。人が心を病むには充分過ぎるほどの時間である。セリ婆の話ではヴィヴィアンがアンテノーラ教会で客を取り出したのは彼女が13歳のときだという。つまり、ソウルは愛しい人を既に4年待たせている。いつか迎えに行くからそれまで待て、とは男側の勝手な物言いだ。娼婦がどれほど重労働か。その苦労はそうでない者の想像を遥かに凌駕する。



 ソウルは3年も待たせる気は無かった。正式な身分が出来たので借金をすることも可能だが、より事態が悪化する危険性の高さを考えれば、それは却下だ。月払いの給金に加えて特別手当の出る特殊な仕事を多くこなす。それしか手は無い。



 清廉白滅せいれんはくめつ騎士団の中でも誰もがやりたがらない仕事というものがある。その多くは戦勝悲願のために生贄となった子供を殺すことである。いわゆる魔宴サバトだ。これを聞いたとき、エリスの行動は大多数の騎士からしても異常だと見做されるのだとソウルはホッとしていた。



 コキュートスは最低でも5年は戦争をしないと女王アリアは宣言していた。つまり、これから殺してゆく子供たちはまだ見ぬ戦いのために命を散らすことになる。同情はしない。相手が幼なくとも殺す。乙女信仰はあくまでルシフェル家のもの。ソウルには関係の無いことだ。



 子供を殺した数が50に達した頃だっただろうか。ソウルの“魔光の騎士”という異名を呼ぶ者はほとんど居なくなっていた。誰もが彼を“人喰い騎士”と呼ぶ。無感情で子供を殺し、ジュデッカに咎人とがびとが現れれば迅速に捕らえる。魔浄兵が現れれば祝光しゅくこうを纏い、傷を負うことなく仕留める。

 どんな屈辱もどんな激情もどんな侮蔑も、ソウルは耐えた。だが、エリスの花の世話だけは絶対に手伝いはしなかった。



 その日は灰の如き雪がジュデッカの街を白く染め上げていた。騎士の仕事を終え、アンテノーラ教会へ行く。ヴィヴィアンと会えぬ日もある。それでも、彼女を不安にさせないため、夜になれば必ず行くことにしている。懺悔を終えて、そのあと客が来るまで(たいていアンジュ・グレモリーだ)昔話をしている。これが至福のときである。



 今日はたまたまアンジュ・グレモリーではなく、禿頭とくとうの老人が次の客であった。どんよりとした暗さに鋭い目付き。何故か心のうちを見抜かれているような気分になった。



♦︎♦︎♦︎


 数日後、ソウルはマルコに団長室へ呼び出されていた。机を挟んで、ふたりきりというわけではなかった。ソファーでエリスが本を読んでいたのである。ソウルは書物を読む方ではない。しかし、その本には見覚えがあった。



 レイチェルに買ってやったのだ。騎士道譚きしどうたん専用の書庫がジャッカロープ家にはあると言っていたが、それは本当なのかもしれない。それにしても、集まった人間がこれだけということは。



「トロメーアを襲った蜥蜴団を裏で糸引いてるやつの正体が分かった。挺身黒討ていしんこくとう騎士団の団長、マゼンタ・ユス・ケルベロスだ。俺たちはこいつを捕らえなくてはならない。挺身黒討騎士団はユグドラシルを迎撃するための要塞、ディーテのいちに詰めている。そこを突くにはかなりの戦力が必要となるが、清廉白滅騎士団が最も重要視しているのは首都防衛。ウチから多くの戦力を割くことは出来ない」



 マルコはため息をつく。彼の弱々しい姿を見るのは初めてだ。彼が「入ってくれ」と扉の方に声を掛ける。すると、アンテノーラ教会で見た禿頭の老人とアンジュ・グレモリーが連れ立ってやって来た。エリスが本を置いて立ち上がる。



「じゃあ、自己紹介ということで。俺は清廉白滅騎士団団長のマルコ・デュマ・ベルフェゴール。今回の件では留守を担当するぜ」


「私は副団長のエリス・ウィル・ジャッカロープだ。ディーテの市での攻撃を担当する」


「わしは王室直属の異端審問官、ロウェナ・プルソンじゃ。わしが情報を手に入れた」



 異端審問官。彼らは騎士ではない。内偵を務める工作員だ。想像を絶する拷問や薬物を使った尋問を得意としている。この場合、献身黒討騎士団の騎士を捕まえて情報を吐かせたというところだろう。最も敵に回したくない人物だ。



「僕はアンジュ・グレモリー。執行灰燼しっこうかいじん騎士団団長だ。天国戦争で戦死者が多く出たのでね、人手が足りない。ディーテの市の指揮を行う」



(こいつ、女か!?)



 アンジュという名前で気付くべきだったか。今の彼女はスカートを履いて、金色の重鎧を着ており、背中には髪色と同じ青いマントを身に付けている。弓矢を背負っており、帯剣はしていない。



 だが、ソウルにはひとつ引っかかったことがあった。自己紹介の前であるというのに思わず口に出してしまったくらいだ。



「執行灰燼騎士団の団長はジェイド・ラル・ドラゴン卿だったのではないですか。オレは戦場で彼を見ましたよ」



 ドラゴン卿は三大貴族の一角にして、国王アリアの義兄に当たる。強力な水魔法を行使し、身の丈よりも大きな剣を操る豪傑だ。天国戦争の総大将でありながらも果敢に前線で戦っていた姿をソウルは思い出していた。



 一瞬、沈黙が走った。アンジュが顔を歪ませ、プルソンが目を細める。エリスだけはいつもの仏頂面だ。悩ましげに額に指を当てたマルコがその理由を話し出す。



「ドラゴン卿は天国戦争で戦死なされたんだ。こちらの士気低下を防ぐため、箝口令かんこうれいを敷いていた。戦死と言っていいものかは微妙だがな」



 すると、エリスが冷徹な視線をアンジュに向けて喋り出す。いつもと変わらぬ表情だが、ソウルには分かる。彼女は怒りを露わにしていた。



「ふん、ドラゴン卿はねやの中で何者かに殺されたのだ。武勇に優れた知者であっても、所詮は男ということか。そして、こやつはドラゴン卿の一番弟子。貴族でもなんでもない下賎な町人風情が誉れある団長になどなれるはずがない。こやつはあくまで団長代理だ。何故、私が代理ごときの命令を受けなければならぬ」


「僕は確かに代理だが、その権力を考えれば副団長など虫ケラみたいなものさ。上官命令を聞かなければ、即座に罷免してやる。まぁ、三大貴族さまであれば、代わりの職になどすぐ就けるだろうし?」


「馬鹿な。三大貴族を舐めるな。そんなことをした暁には貴様は晒し首となった挙句、胴体は試し斬りの材料になっているだろうよ」


「はっ、何が三大貴族。今回の下手人であるケルベロス卿もその三大貴族じゃないか。地に落ちた栄光に縋ることしか出来ないのかい? ドラゴン卿は立派な人だったが、きみはそうじゃないみたいだしね」


「三大貴族とはコキュートスの歴史だ。煉紀れんき500年、獄紀ごくき772年もの間、騎士たちがこの国を護ってきたその道のりを示す。貴様如きが蔑ろにしていいものではない」


「ははっ、きみは僕が属する騎士団を忘れたようだね? 執行灰燼騎士団の叙勲じょくんはすべて女王陛下が直々に行うもの。王室こそ歴史。三大貴族はすべからく王室に仕えるものだろう。それとも、きみは女王陛下など三大貴族のお飾りに過ぎぬと言うのかい? それは不敬だよ」


「不敬で結構。女王陛下が何をしてくれたというのだ? 戦で血を流すわけでもなければ、民衆の前に姿を現すわけでもない。みな噂しているぞ。本当は女王陛下は既に身罷みまかられているのではないか?とな」


「何を馬鹿なことを……!!」


「ふ、言い当てられたからと言ってそう焦るものではない。経験の浅さが知れるぞ」


「……きみは異端審問官に診てもらうべきだね。騎士にとっての禁忌が何か分かるかい。肉親に対する裏切り、祖国に対する裏切り、客人に対する裏切り。そして主人に対する裏切りだ! 女王陛下を愚弄するなど、恥を知れ!」


「本当に貴様は女王陛下を信奉しているのか。そうは見えないな。どこまでも利己的に執行灰燼騎士団団長代理という立場を利用しようとしている。なに、凡百の騎士はそういうものだ。特段、気にする必要もあるまいよ」


「僕の忠誠心を疑うのか!」


「先ほどからずいぶんと声を荒げているな。まぁ、落ち着け。それとも、必死にならねばならぬ理由が貴様にはあるのか?」



 エリスとアンジュの仲は相当悪いようだ。口を挟む隙が無い。マルコはまたしてもため息をつきながらも手を叩き、ふたりの口論を止めて、ソウルの方を見る。自己紹介が再開されたのだ。



「オレはソウル・ティカ・ルシフェル。普通の騎士だ。しかし、オレは何も聞いていませんよ。何をすればいいんですか?」


「ソウルに任せたいのはマゼンタの確保だ。ディーテの市を陥落させる役目はエリスとグレモリー卿に任せる。マゼンタはそこから森をひとつ超えた辺りの屋敷で暮らしている」


「強いのでしょうか」


「私とルシフェル卿の腕前があれば、不意打ちでもされぬ限りは問題無い。ケルベロス卿の属性は土。“隻腕の騎婦人きふじん”の異名を取る騎士だが、大したことはない」


「最近まで見習いだった騎士にそんな重大な役目を任せていいのかい?」


「適材適所というものだ。私と貴様がやるには目立ちすぎるからな。……言っておくが、私は戦場で貴様の命令になど一切従わぬ。それを覚悟しておくがいい」



 そう言ってエリスは部屋から出て行ってしまった。アンジュは何故かそのエリスではなく、憎々しげにソウルを見ていたが、エリスの後を追う。

 プルソンは蜥蜴団の主目的が人身売買であり、こちらの子供を労働力として他国へと売り飛ばすようマゼンタが命じていたと簡単に告げ、去った。



「エリスは何故グレモリー卿にあそこまで反発しているのですか。町人出身の騎士は確かに珍しいですが、いないわけじゃない」


「アンジュとは天使という意味を持つ。エリスのような悪魔至上主義者サタニストたちにとっては名前すらも差別の対象となる。くだらねー偏見が騎士団中を席巻していても俺にはどうすることも出来ねー。広めているのがエリスだからな。……三大貴族の名はそれほどまでに重いんだよ」



 最近のマルコの目の下には隈が出来ていた。激務が続いていることを示す。

 窓の外を見ると花壇には色とりどりの花が咲いている。新しい苗も見えており、ミリアを斬り殺したあとも善行の証として種を植えたのだろう。であれば、この花壇のどれほどが身勝手な理屈で強引に解消して来た善行であるのか。



 ソウルは怒りを押し殺し、任務に臨む。



♦︎♦︎♦︎


 ディーテの市。環状かんじょうに張り巡らされた外壁と水堀が特徴的な城塞だ。ジュデッカから南へ進み、ユグドラシルの国境付近にそれは存在する。白馬に跨るエリスはいつもとは違い、金属製の漆黒の重鎧を装備している。それほどまでに激戦が予想されるということだろうか。



 彼女の横にソウルはいた。黒馬に乗り、いつもの純白の軽鎧姿だ。彼は城塞に攻め込む役割ではないためだ。他の騎士30騎がそのあとに続き、さらにその後ろにアンジュが率いる100騎の馬列が縦に並んでいる。その物々しさに道を行き交う町人たちがあれこれと噂をしている。



「何故、このような目立つ真似を?」


「騎士団の武威を示すためだ。ディーテの市は本来ならばユグドラシルからコキュートスを守るために存在する城塞。そこを破壊し、詰める戦力を減らすのは得策ではない。あまり信用出来ぬが女王陛下の勅旨ちょくしもある」


「挺身黒討騎士団を投降させるため、ということでしょうか」


「そうだ。騎士は出来るならば生け取りにしたい。前回のように炎で皆殺しというわけにはいかない。……もうすぐ、森が見えてくるはずだ。そのまま直進して、屋敷を目指せ。それなりに警備はいるだろうが、貴公の腕があれば、問題なかろう」


「勿体なきお言葉であります」


「……これが終わったら、一緒に花を植えないか。花壇のデザインも含め、共に検討したい」



 エリスは優しそうに微笑んだ。その表情は蜥蜴団に囚われた子供たちを救助したときのものと重なる。そして、白い肌に血が飛び散る。ミリアを惨殺したときの冷酷なかおが思い出される。



(オレがあなたをどれほど憎んでいるのか、全く伝わっていないのか? 何故、そんな表情が出来るのだ。子供を救ったその手でどれほどの血を流してきたか、分からぬのか。……いや、それはオレも同じことか。気付かぬうちにエリスと変わらぬ子供殺しの外道に成り果てている。なんと滑稽な)



「は。もちろんです」


「そうか。楽しみにしている」



 それ以上は言葉を交わすこともなく、馬蹄ばていの音だけが響いていた。



♦︎♦︎♦︎


 何とも異様な屋敷であった。白塗りの壁の上に黒い瓦の屋根。堂々と開け放された窓の向こうには黄色の畳が見えている。警備の騎士たちはみな甲冑を装備している。ユグドラシルの兵たちが着る全身鎧とはまた風情が違う。



(マゼンタ・ユス・ケルベロスは天ツ国あまつくにかぶれだという話だったが、ここまでするか)



 天ツ国の武士は確かに戦場では甲冑を纏う。だが、平時の警備中であれば簡単な胸当てをするくらいに留めるのが普通だ。動くたびにガチャガチャと音を立てる鎧に視界を塞ぐ面甲。そのおかげでソウルは簡単に屋敷の中に侵入することが出来た。



(ぬる過ぎる。ケルベロス卿がどこにいるのか情報は無いが、天ツ国かぶれであるのならば天守……一番上の階だな)



 傭兵であったときに天ツ国の武士と幾度も殺し合ったソウルであったが、勤勉な彼はその文化を学習していた。たとえ違う国であろうとも、そこで尊敬されている者たちのことを知り、少しでも正義の騎士に近付くよう努力した証である。



 がらんとした屋敷の階段を上がり、最上階である3階に向かう。警備していた騎士たちの死角を通り、避けられない相手に対しては甲冑の隙間に剣を通し、静かに殺した。



 光の魔法で身体能力を上げているとは言え、普通ならばそう簡単なことではない。死戦を潜り抜けて絶望に耐えた経験は、折れた正義が目覚めぬよう必死に自身を抑えて子供を殺めた経験は、彼をコキュートスの騎士としては最上位の部類に押し上げていた。



 最奥の扉の前に立つ。中に誰かがいるのは気配で分かっていた。剣を抜いたまま、扉を蹴り倒す。

 中にいた人物は血潮のような真紅の長髪を垂らした美女であった。彼女は姫の如き豪華絢爛な着物を纏い、突然の闖入者ちんにゅうしゃに対して悠然とした笑みを浮かべている。挺身黒討騎士団の団長であるマゼンタに違いなかった。

 


「清廉白滅騎士団だ。ケルベロス卿、あなたにはある嫌疑が掛けられている。ご同行願う」



 そう言いつつも構えは緩めない。彼女の右手にあるのは刀ではなく扇子であったが、戦闘用の鉄扇であるかもしれない。また、彼女が声を上げれば、警備の騎士たちに後ろを取られることになる。油断は出来なかった。だが。



「よくってよ!」



 と、マゼンタは扇子を口の前に広げた。思ってもみなかった反応にソウルは僅かに体を硬直させる。



「あら? 聞こえなくって? わたくしは投降すると言ったんですのよ。見ての通り……まぁ十二単じゅうにひとえだと分かりにくいですが、丸腰でしてよ」


「……何が目的だ?」



 目の前の女は三大貴族であることを利用し、人身売買に手を染めてきた悪党だ。大人しく投降するような人物には見えなかった。また、ソウルは騎士としても経験を積んだ歴戦のつわものである。この状況すらひっくり返せるほどの実力がマゼンタにはあると見抜いていた。



「目的……ならば、わたくしとお喋りをしましょう。あなたは気になるのではなくって? 三大貴族のケルベロス家の長子ちょうしたるわたくしが何故このような大罪を犯したのか」



 扇子を閉じた彼女は艶やかに笑っていた。自信に満ち溢れた貴族の貌で。

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