おや、恵流の様子が?



 その後、恵流は無事に回復して登校するようになった。

 しかし、恵流につきまとう不穏な空気までが回復したわけではない。

 陰湿な敵意は、再び恵流に牙を剥いた。


「ねえねえ、ヤバかったねさっきの。ガチの修羅場とか私はじめて見ちゃった」

「女子たちに囲まれてたのって、あの風見さんだよね? やっぱ噂って本当なのかな~?」


 廊下で通りがかった女子二人組の話を偶然聞いてしまった俺は、咄嗟に声をかけた。


「なあ、それどこで見た?」


 俺は颯爽と現場である裏庭に向かった。

 女子二人組の言うとおり、恵流が数人の女生徒たちに囲まれていた。


「……だから、私そんなことした覚えないんだってば」

「嘘よ! どうせアンタがたっくんを誘惑したんでしょ!?」


 取り巻きの中心にいる小柄な少女がヒステリックに叫んだ。

 どうやら彼女が、彼氏にフラれたという少女らしい。


「何よ! ちょっと美人でスタイルいいからって、人の彼氏を誑かして、告白してきたらあっさりフって切り捨ててさ! 人の恋路弄んでそんなに楽しいわけ!?」

「そんなわけないでしょ。だいたい、あなたの彼氏と一度も話したことないし。初対面なのに、いきなり呼び出されて告白されたって普通断るでしょ?」

「……ああああっ!!」


 嫉妬に狂った少女はもはや言葉にならない奇声を上げて、恵流に手を上げようとした。

 振り下ろされる手を俺は掴んだ。


「いい加減にしろ。話し合う気もないくせに、暴力に訴えかけるなんて最低だぞ」

「カ、カケルン?」

「な、何よアンタ! 男子が出しゃばってこないでよ!」


 とつぜん現れた俺に恵流は目を見開いて驚き、少女は警戒するように腕を振り払った。


「悪いけどでしゃばる。他人事じゃないんだ。恵流は大切な仲間だからな」

「はあ?」


 ワケがわからないとばかりに少女は取り巻きの女生徒たちと目を合わす。

 だが、俺が恵流の味方だとわかると、すぐに敵意を向けてきた。


「ふんっ! 庇ってもらうためにその男も誑かしたってワケ!? 味方を連れてくるなんて、本当にいいご身分ね!」

「それはそっちも同じだろ。だいたい最初から多人数対一人とか卑怯だろうが。普通は一対一で向き合うべきじゃないのか?」

「なっ!? う、うるさい! 何なんだよお前! 偉そうに!」

「偉そうにもなるさ。仲間が一方的にけなされてるんだぞ? 冷静でいられるわけないだろ!」

「ひっ!」


 カケルが語気を強めると、少女は見るからに怯えた。


「勝手に因縁つけて、勝手に悪者扱いにして、嫌がらせなんかしやがって。どれだけ人に迷惑かけてると思ってるんだ!? この間だって、恵流はズブ濡れになったせいで体調崩したんだ。バイト先にも危うく迷惑がかかるところだったんだぞ? そんなことも想像できないのか? やってることが小学生なんだよ!」

「だ、だって……その女が、いろんな男を誑かすから……」

「……どこに、そんな時間があると思ってんだ?」

「え?」

「恵流に、男遊びなんてしてる時間なんて、一秒だってないんだよ!」


 怒りを抑えられない。人生でこんなに怒ったことは初めてではないかと思うほどに。

 目の前の少女たちだけではなく、無責任な噂を流す連中にも届くように、俺は声を張り上げた。


「恵流は学園に通いながら、バイトもして、家事までやって、残った時間は全部、衣装作りに使ってるんだぞ? お前らに同じことができるか?」


 これまでの恵流の姿がありありと思い浮かべながら、彼女の尊厳を守るために俺は言い放つ。


「バイト先でナンパされても仕事を優先して働く真面目な性格だし、自分がやらなくてもいい掃除とか料理とかして、人の面倒をつい見ちまうくらいのお人好しなんだ。恵流は、そういう女の子なんだよ」

「な、何でアンタがそんなこと知って……」

「知ってるさ。一緒に暮らしてるんだから」

「……へ?」


 俺の爆弾発言に、取り巻きの女生徒たちが「え? それ同棲ってこと?」と顔を赤くして浮かれた様子を見せる。

 無視して俺は続ける。


「恵流の手を見ろよ? 絆創膏だらけだろ? 全部、衣装作ってるときにできた傷だ。これのどこが男遊びしてる手だっていうんだ? 恵流は毎日、真剣に衣装作りしてるんだ。恋愛にうつつ抜かしてる暇なんて、ちっともないんだよ」

「……で、でも、そいつのせいで、たっくんが……」

「知るかよ。そもそも、彼女がいるくせに他の女に乗り換えようとするその男がおかしいんだ」

「たっくんのこと悪く言わないでよ!」

「いや、言わせてもらう。全部その男が悪い。だから恵流は悪くない。そして……アンタも悪くない」

「え?」


 思いの丈をぶちまけたことで、だんだんと落ち着いてきた。

 そして怒りよりも、目の前の少女に対する哀れみのほうが強くなった。


「理不尽な理由でフラれて悔しいとは思うよ。アンタは被害者だ。責めるべきなのは、その男一人だ。だから……恵流にあたるのはもうやめてくれ」


 少女は呆然として、顔から血の気が引いていった。

 俺の言葉で、自分の身に起きたことを改めて客観的に理解したようだった。


「……やめてよ。そんな目で見ないでよ。私にとって、たっくんは、初めての彼氏で!」

「……いや、その人の言うとおりだよ」

「え?」

「正直、言うべきか悩んでたけど……私たち、本当はあの男とあんたが交際するの反対だったんだ」


 再び癇癪を起こしそうになった少女を、取り巻きの女生徒たちがなだめた。

 そして、これ幸いとばかりに秘めていた思いを暴露し始めた。


「あんたが真剣だったから、なるべく言わないようにしてたけど……あの男、すぐに浮気するだろうなとは思ってたよ」

「うん。会うたびに、私たちの体、やらしい目で見てたし……」

「どう考えてもだったよね……でも、あんた、そういうの奥手でしょ?」

「……ぐすっ」


 味方として連れてきたはずの女生徒たちに残酷な真実を突きつけられ、少女は大粒の涙を流して泣き出した。


「そんなの、わかってたよ。たっくんが、体目当てだったのは……そりゃいつかはって思ってたけど、でもやっぱり怖くて……ひどい、ひどいよぉ。『ヤレない女と付き合ってもしょうがないだろ?』なんて……やだよぉ、初めての恋人の思い出がそんな形で終わるなんて……」


 少女は顔を覆った。どうやら、そうとう理不尽な理由で男から別れを告げられたようだ。


「お弁当作ってほしいって言うから料理も練習したのに……よくわからないサッカーのルールも覚えたのに……恥ずかしかったけど、着て欲しい服を着てデートしたのに……」


 何となく察しがついた。

 この少女は強引な彼氏の言いなりだったのかもしれない。

 都合よく使われ、そして都合よく捨てられたのだ。

 そんなの、あまりにも……。


「股間蹴ってやったよ」

「え?」


 恵流が少女に向かって、そう言った。

 恵流の顔は怒気で彩られていた。

 しかし、それは少女たちに向けられた怒りではなかった。


「ふざけんな、って思ったよ。『お前と付き合いたいから彼女をフってきた』なんて、まるで武勇伝みたいに言いやがるから。『どうせヤリマンなんだから誰でもいいだろ?』ってその場でズボン脱ぎだして襲ってきて……玉潰すつもりで蹴ったよ。女の子のこと、バカにしてるにもほどがあるよ」


 忌々しそうな顔で語られる恵流の話に、俺も、少女たちも息を呑んだ。

 もう誰も恵流が嘘を言っているとは、考えていないようだ。

 特に取り巻きの女生徒たちは「アイツならやりかねないね……」と呟き、そのときの様子が容易に想像できるようだった。

 少女はますます顔面を蒼白にしていた。

 自分の元恋人が犯罪すれすれの行為をしたことに、ショックを隠しきれないようだった。


「だから……もう、そんな男のこと引きずっちゃダメだよ。あなたみたいにかわいい子が、あんな最低な男に振り回され続けるなんて、あーし悲しくて耐えられないよ」

「え?」


 恵流の思わぬ言葉に、少女は戸惑った。

 恵流は、そっと少女を抱きしめた。


「ちょっ……な、何を!?」

「辛かったよね? 悔しかったよね? でも、もう忘れよう。今度はあなたのことを本気で好きになってくれる人に出会えるように、前を向かなきゃ」


 恵流はあやすように少女の背中を撫でる。

 その手つきには、深い慈しみと母性のようなものが宿っていた。

 少女のこわばりが、徐々に解けていく。


「何で、優しくするの? 私、あなたに散々ひどいことを……」

「他にぶつける先がなかったんでしょ? いいよ。あーしで良ければ、いくらでもぶつけても。全部受け止めてあげる……」

「あ……」


 恵流のどこまでも優しい声に諭されて、少女はようやく自分の愚かさを理解したようだった。

 嗚咽を上げて「ごめんなさい」と謝り始めた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……私、本当はあの男に何か言ってやりたかったの。でも、いつも口答えしたらすぐに怒鳴ってきたから……何か言ったら暴力ふるわれるんじゃなくて、怖くて……」

「うん、男は怖いよね? でも、ここにいるカケルンみたいに、他人のことで本気で怒れるような優しい男の子もいるよ? そういう人の彼女になろう? 大丈夫、こんなにかわいいんだもの。あなたの良さをちゃんとわかってくれる人が絶対いるよ」

「う、うぇぇぇん」


 少女は恵流の胸の中で泣き続けた。

 周りの女生徒たちも「そうだよ、新しい出会い探そ?」「私も手伝うから」と優しく少女を慰めた。


「あーしも協力するよ。任せて、あーし服飾科だからメイクとかファッションには自信あるんだ。いまでも充分かわいいけど、あのバカ男が後悔するくらい、とびっきり綺麗になってやろうよ」

「風見、さん……」


 少女は悟ったことだろう。

 恵流がこんなにも綺麗で、男子に人気なのは、日頃の努力の賜と、この優しさが理由なのだと。


「──ありがとね、カケルン。庇ってくれて」


 俺のほうを向き、恵流は感謝の言葉を贈った。


「嬉しかった。あんな風に、あーしのこと言ってくれる男の子って、初めてだったから……」


 熱く潤んだ瞳を浮かべて、恵流は頬を桃色に染めた。


「いつもだったら、きっと、こんな風に女の子たちと話せなかった……カケルンのおかげで、勇気出せたよ」

「俺は誤解を解いただけだよ。偏見がなくなれば、誰だって恵流が優しい子だって気づくさ」


 実際、その通りになった。

 恋愛絡みの険悪な空気は、もうここにはない。


「恵流みたいな素敵な女の子が誤解されたままなのは、俺だって悔しいからさ」

「カケルン……あれ?」


 恵流は困惑するように自分の胸元を抑えた。


「なんだろ、これ……」

「どうしたんだ恵流?」

「いや、その……い、いま、あんまり顔見ないでっ」

「え? なんで?」

「な、なんでも! わかんない! え? どうして? なんでこんなに顔熱いの?」


 目をギュッと閉じて、恵流は真っ赤な顔を俺から逸らした。

 そんな恵流を見て、女生徒たちだけは「……あ」と何かを察したようだった。


「この反応を見るに、もしかして風見さんって本当にいままで一度も……」

「それどころか、これが初じゃね? え、ギャップやば。かわいいんですけど」

「推せる~」


 女生徒たちは何やら盛り上がっていたが、俺は状況が理解できず、首を傾げるだけだった。


    * * *


 恵流のトラブルがひとまず落ち着いてから、後日のことだった。


「あ、あのさ、カケルン。これ、お弁当……良かったらお昼に食べて? ちょっと作り過ぎちゃって」

「え? お、おう。ありがとう」


 登校する直前に恵流にお弁当の包みを渡される。

 いつも分量をちゃんと計算して調理する恵流にしては珍しいと思いつつも、ありがたく受け取った。


「お口に合うといいけど……」

「何言ってるんだ、恵流が作ってくれたものなんだからうまいに決まってるさ」


 いままでご馳走になった恵流の献立に外れはひとつもなかった。

 それに女子の手作り弁当というだけで男は絶品に感じるものである。

 直球な褒め言葉を言うと、恵流は体をモジモジさせながら顔を赤くした。


「そ、そっか。あざす……えへへ♪」


 その後も、恵流は何かと俺に気を遣ってきた。

 いや、これまでもそうだったが、より輪をかけて俺の面倒を見るようになってきた。

 たとえばダイニングで課題をやっていると……


「カケルン。コーヒー淹れたから、どうぞ。あとこれ、バイト先で貰ったクッキー。お裾分けね♪」


 ニコニコとご機嫌な笑顔で、恵流が飲み物とお茶請けを用意してくれる。

 その後もソワソワとした様子で、俺の傍を離れようとしない。


「課題わからないところある? あーし、これでも成績いいから、教えたげるよ?」

「え? マジ?」

「うん。学年順位とか上から数えたほうが早いよ?」


 美人でお洒落で、家事もできて、学業も優秀。

 もしや恵流とは完璧超人なのではないか?


「ありがと。でも大丈夫。自分で解くから」

「そっかー」


 やんわりと断ると、恵流はあからさまに残念そうに意気消沈とした。


「何かしてほしいことがあったら、言ってね?」


 切なげな瞳を向けて、名残惜しむように恵流は部屋に戻った。

 女子との間にあったわだかまりを解決してくれたことで、よほど俺に感謝しているのか、やたらと親切に接してくる恵流。

 義理堅い彼女のことだから、きっと何度もお礼をしてくるのだろう。最初はそう思った。

 ……しかし、だんだんと恵流の態度に違和感を覚え始めた。

 いくらなんでも、世話を焼きすぎてはいないかと。


「あ、カケルン。洗濯物、代わりに畳んでおいたよ」

「え! そ、それくらい自分でやるのに」

「いいからいいから。カケルンは絵を描くことに集中して?」


 日頃面倒だと感じている洗濯を代わりにやってくれたり、


「カケルン。お夕飯、作ったから召し上がれ」


 金曜日の賄いでもないのに、ほぼ毎晩夕飯を作ってくれた。

 ……まあ、わざわざ用意してくれたものを断るわけにもいかないので、俺はガツガツと食べた。


「ふふ♪ ご飯粒ついてるよ?」

「お、おう。悪いな」

「もう、慌てんぼさん♪」


 俺が食べる姿を見つめながら、恵流はウットリとした顔を浮かべていた。

 な、なんだ? 本当にどうしてしまったんだ恵流は。

 恵流のそんな様子を、他の住人たちは一歩引いた距離から見ていた。


「恵流のあの顔……つまり、そういうことね」

「はい。そういうことですね」

「へ~、あの恵流がね~」


 璃里耶はどこかおもしろくなさそうに、青花はなぜか興奮して息を荒くしながら、未遥さんはニヤニヤしながら、俺のほうにジッと目線を投げた。


「……なんだよ、お前ら?」


 俺がそう尋ねると女性陣は「べっつに~」と素っ気なく答えるだけだった。


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