私、もっと空野さんのこと、知りたいと思っていましたから



 クラス替えも済み、一学期は無事に始まった。

 所属する委員会は去年と同じように木ノ下と風紀委員を務めることにした。

 勝手がわかる委員会のほうが楽だし、木ノ下相手なら気負わずやれる。

 なぜか璃里耶が後から立候補してきて、木ノ下と迫真のじゃんけんをした。こういった運が絡む勝負では木ノ下のほうが強かった。


「ふっ。まずは一勝」

「くっ。この私が負けるなんて」


 始業式以来、璃里耶と木ノ下は何かしら勝負事をしていた。

 俺にはよくわからないが、二人の間で何か相通ずるものがあったらしく、去年よりも親しくなっていた。

 親しい相手が増えることは良いことだ。しかし、それは女子同士に限っての話。

 これが異性だと話が変わってくる。

 璃里耶はもともと学園中で注目を浴びている天才絵描き少女である。

 そんな有名人が冴えない男子相手にとつぜん親しげな反応を見せるとどうなるか?

 とうぜん目立つ。


「カケル。お昼ご飯に行くわよ」


 俺の最近の困りごとは、璃里耶が学園でも蘭胤荘と同じような距離感で接してくることだった。

 おかげで新学期早々、俺はクラスメイト(特に男子)から「アイツは何者だ?」と興味深げに見られている。

 過去の経験から学園では極力目立つことをしたくない俺としては、あまり好ましくない状況だった。


「……火村さん。悪いけど先生に頼み事されてるから」

「いやだわ、どうしてそんな他人行儀なの? それにそんな嘘ついて。悲しいわ。あなたと私の仲じゃないの」

「……ちょっとこっちに」

「あら、どこへ連れて行く気? ……あ、わかったわ。例の絵を描くことが我慢できなくなってしまったのね? 仕方ないわね。いまなら美術室には誰もいないでしょうし、そこでじっくりと楽しんで……」

「だから思わせぶりなことを言うなっての!」


 変わり者の天才絵描き、璃里耶に目を付けられたのが運の尽きだったのか。

 璃里耶の発言ひとつで俺の立場が一転しかねない、まさに心臓がいくつあっても足りない学園生活が幕を開けてしまうのだった。


    * * *


 放課後になると、璃里耶に妙な絡まれ方をされる前に颯爽と帰るようになった。

 幸い俺は帰宅部で、璃里耶は美術部所属なので時間の予定が被ることはない。


「さてと、出かける準備するか」


 俺は蘭胤荘に帰ると、私服に着替えて駅近くにある書店に向かった。

 今日は集めているコミックの新刊が出る日だった。

 それなりの大型書店で、品揃いはいい。画集も豊富に在庫があるので、お小遣いに余裕があれば一冊か二冊購入するようにしていた。


「あれ?」


 店に入ると、見覚えのある人物が見えた。

 水無瀬さんである。

 学園を出てからまっすぐ来たのか、制服姿だった。

 すでに何冊か本を抱えながら、何やら落ち着かない様子で棚を見ている。


「ふわ~」


 ウキウキとしながら、どれを買うか目移りしているようだ。

 蘭胤荘でもあまり見ない水無瀬さんの浮かれた姿だった。


「やあ、水無瀬さん。奇遇だね」

「ふえ!? そそそ、空野さん!?」


 声をかけると、水無瀬さんはこちらも驚くほどに動転しだした。


「あ、ごめん。偶然目に入ったから、つい声かけちゃって」

「い、いえ、私こそ大きな声出してしまってすみません。空野さんもお買い物ですか?」

「うん。好きな漫画の新刊の発売日だから」

「そ、そうですか。私も気になってる新刊の発売日だったので、学園からまっすぐ来ちゃいました」

「へえ、水無瀬さんも紙の本で集める派なんだ」


 電子書籍ならば日付変更と同時に新刊を購入できるが、俺はできれば紙で読みたいタイプだった。

 場所を選ばず、すぐに読めて、かさばらない電子書籍は確かに便利だが、あまり本を読んでいるという気がしなかった。


「俺、電子より紙で読むほうが好きなんだよね」

「あ、わ、わかります。手元にあると、やっぱり特別感がありますよね? 大事に読もうって思えるというか。読了した後も、自分の血肉になるような気がするんですよね」

「そうそう! 画集とかもさ、小さなモニターで見るよりはやっぱり実物大で見たほうが感動は大きいというか」

「そうですよね! やっぱり、本は紙で楽しむのが一番だと思います!」


 共感できる部分が見つかったおかげか、水無瀬さんとの間にあるぎこちなさが解けていく。

 おお、すごい。俺、笑顔で水無瀬さんと会話できているじゃないか!

 ようやく水無瀬さんが心を開いてくれたような気がした。

 嬉しさの勢いで、ひとつ好奇心が湧いた。


「それで、水無瀬さんが欲しい本てどんなの? 随分と熱心に棚を見てたみたいだけど」

「……え?」


 俺が尋ねると、水無瀬さんの柔和な笑顔は途端、石化したように固くなった。

 あっ、しまった。

 人によっては購入する本を他人には詮索されたくはないはずなのに。

 しかし水無瀬さんが買うような本ならば、そこまで辟易するようなものではないと思うが……。

 そういえば、水無瀬さんはさっきまで何を見ていたのだろう。

 水無瀬さんが見ていた思われる棚に視線を動かそうとすると……。


「あっ、こ、これです! これを買いに来たんです!」


 俺の視界を遮るように、水無瀬さんは手に持っていた本の内の一冊を差し出した。

 タイトルには『小説執筆のための言葉選び』と書かれていた。


「小説執筆……え? 水無瀬さん、小説書くの?」

「……笑わないでいただけますか? その、夢なんです。書籍化することが。そのために、中学からずっと書いていて」


 水無瀬さんは頬を上気させながら、小声で言った。


「い、いや、笑わないよ! 凄いじゃないか、小説が書けるなんて!」

「で、でも、まだデビューできるほどのものは書けていませんし……」

「いやいや、中学からずっと続けてるんだろ? 充分凄いって!」

「ほ、本当ですか?」

「ああ。俺、絵はともかく文章とかは全然書けないから尊敬しちゃうよ」


 水無瀬さんは照れくさそうに顔を伏せた。

 そういえば璃里耶も言っていた。

 素晴らしい才能を潰させないために、水無瀬さんと恵流を蘭胤荘に誘ったと。

 璃里耶が惚れ込んだという水無瀬さんの才能。

 それはどうやら、小説のことだったらしい。


「水無瀬さんも創作者だったんだね。なんか……そのことが凄く嬉しいよ」

「え?」

「ジャンルは違うけど、物を作る人ってだけで共感しちゃうというか、応援したくなるというか……水無瀬さんのことちょっと遠い人だと思ってたからさ。でもちゃんと近しいものがあるんだってわかって安心したよ」

「そ、そんな。私なんて文字を打っているだけで、空野さんたちのほうが難しいことをされていらっしゃいますし……」

「関係ないさ。むしろ文字だけで人を感動させるものを作れるって、滅茶苦茶誇れることだと思うけどな」

「う、嬉しいです。そんな風に言ってくれたのは、空野さんが初めてです」


 潤んだ瞳で、水無瀬さんは手元の本を抱きしめた。


「私、子どもの頃から本が好きで、いつか自分もこんな風に物語が書けるようになりたいと思っていたんです。でも最近ちょっと伸び悩んでいて……こういう指南書を頼ってしまうくらい煮詰まってるんです」

「そういうときって、あるよね。わかるよ。俺もうまく描けないときは、他の絵描きさんの描き方とか参考にしてさ……でも、大丈夫。繰り返しやっているうちに調子は戻ってくるものだよ」

「ありがとうございます。少し落ち込んでいたんですけど、元気出ました。もうちょっと頑張ってみます」

「困ったことがあったら遠慮なく言ってよ。絵描きの俺じゃ大した力になれないかもしれないけど、できることがあったら何でも協力するからさ」


 そう言うと、水無瀬さんはピクッと肩を跳ねさせた。


「……何でも、ですか?」

「え? う、うん。せっかく物作りする人間が集まってるんだし、助け合ったほうがいいだろ?」

「……そうですね。覚えておきます。そのお言葉」


 水無瀬さんはにっこりと笑った。


「それにしても気になるな、水無瀬さんの小説。どんなの書くんだ?」

「えっと……い、一応、恋愛ものです」

「へえ! 水無瀬さんにピッタリだね!」


 聖女と呼ばれるほどの美少女が恋愛小説を書いている。

 なんとも絵になる姿ではないか。


「水無瀬さんの小説、読んでみたいな」

「え!? そそそ、それは、ご勘弁していただけませんか!?」

「え? だって書籍化したいんでしょ? だったら人に見せることに躊躇っちゃダメだって」

「そ、それはそうなんですが……お知り合いに見せるには勇気がいると申しますか……と、とりあえず私の覚悟が完了するまでお待ちください!」

「お、おう」


 さすがにここまで念押しされては無理強いはできなかった。


「えっと、じゃあさ。良かったら水無瀬さんのオススメの小説とか教えてくれないか? 俺、小説は普段読まないからさ、この機会に何か読んでおこうかなって思って」


 ネットの無料ポルノ小説は貪るように読んではいるが、もちろんそんなこと口にできるわけがない。

 そもそも紙媒体での小説を丸々一本読破したことは滅多にないので、嘘は言っていないだろう。


「オススメの小説ですか? それは構いませんが……ちなみに」


 ふと、水無瀬さんの目が真剣なものに変わった。


「空野さんは、どのようなお話がお好みですか?」

「え?」


 とつじょ人が変わったような水無瀬さんの圧に、俺はたじろいだ。


「教えてください。空野さんの、好きなものを」


 瞬きを忘れるほどの眼力。

 その目を、俺は知っている。

 これは……『観察』の目だ。

 いま俺は、水無瀬さんに何かを『分析』されている。

 一瞬にして創作者へと切り替わった水無瀬さんを前に息を呑んだ。

 ヘタなことを言ってはいけない。そう感じた。

 俺は慎重に言葉を探した。


「俺は……努力が報われる話が好きだな。どんな過酷な立場や状況でも、意思の力さえあれば現実を変えることができる……そういうのを見ると、勇気が湧いてくる」

「わかりました。お待ちください」


 水無瀬さんはすぐに別の棚に移動した。

 間もなくして、一冊の文庫本を持ってきた。


「これとか、空野さんにピッタリだと思います!」

「あ、ありがとう」


 水無瀬さんの勢いに戸惑いながら、本を受け取った。

 こんなにもアクティブな水無瀬さんを見るのは初めてだった。


「あの……読み終えたら、感想とか聞かせていただけませんか? 空野さんが、その本を読んでどう感じるのか、知りたいんです」

「あ、ああ、拙い感想で良ければ」

「構いません。ありのままの空野さんの言葉が聞きたいんです」


 曇りのない笑顔を向けられて、心臓が跳ね上がった。

 いまのは不意打ちだ。

 聖女という称号は、決して誇張ではないと思わされるような笑みだった。


「……ああ、お話できて良かった。私、もっと空野さんのこと、知りたいと思っていましたから」

「え?」


 甘い期待感が蜜のように広がる。

 それは、いったいどういう……と尋ねる前に、水無瀬さんはハッとした顔を浮かべて慌てだした。


「あっ、その……わ、私、お先にレジでお会計して帰りますね! それでは空野さん! また蘭胤荘で!」

「あ、ああ。わかった」


 水無瀬さんは逃げるようにレジに向かった。

 俺はいまだにドキドキと高鳴る胸を抑えた。


『私、もっと空野さんのこと、知りたいと思っていましたから』


 水無瀬さんの先ほどの言葉が、頭の中で何度も繰り返された。

 ……え? どういう意味? もしかしてこれ、思い上がっていいやつ?

 思春期まっただ中である俺の脳内に、たちまち桃色の妄想が駆け巡り、しばしその場で立ちすくむのであった。

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