異性の友人
始業式の日は待ち合わせをしていたので、俺は先に蘭胤荘を出た。
指定したコンビニのベンチで、すでに相手は待っていた。
「おはよう、木ノ下」
「あ、おはよう空野くん。久しぶり~」
同級生の
木ノ下は去年から親しくしている女友達だ。
最初の絵画の授業で似顔絵のコンビを組んだことをきっかけに打ち解けた。
気に入っている画家が似通っていて、よく一緒に美術館に行ったり、絵の課題が出たときはお互いに題材を相談したりと、気づけば男友達よりも過ごす時間が多くなった。
俺の描く動物画を「かわいい! 私、こういう画風好きかも!」とストレートに褒めてくれる、数少ない絵の理解者でもある。
「もう~心配したよ~。急に連絡がつかなくなっちゃったときは。春休み何かあったの?」
「まあ、ちょっとな」
「ふ~ん。何かトラブルでもあったの?」
「あったとはいえばあったけど、一応は解決したから。一部だけは、だけど……」
ホームレス生活を脱して住むところには困らなくなったが、その新天地には俺を魔の道に引きずり込もうとする淫魔がごとき女がいる。
……とは、さすがに木ノ下に説明はできなかった。
「よくわからないけど、大変だったみただいね。私にできることだったら気軽に相談してね?」
「……今日ほど、木ノ下と友達で良かったと思った日はないよ」
「え? な、なに急に。照れるな~」
木ノ下は白い頬を桃色に染めながら、長いもみあげを指でくるくると回した。
彼女のおっとりとしたゆるふわな雰囲気に思わず和む。
何だか、久しぶりに「普通の女子」と接することができた気がする。
こうして木ノ下の声を聞くと、あるべき日常に戻ってきた心地がした。
というか、相変わらず綺麗な声だ。お世辞抜きに、木ノ下は歌手や声優ができてしまいそうな美声の持ち主だった。
「ところで空野くん? 何か言うことはないかな?」
木ノ下は期待の眼差しを向けて、何度か髪型を強調するように首を振った。
ワインレッドよりも暗めの紫みの赤であるバーガンディー色の長髪が揺れる。
去年まではポニーテールにしていたが、今日はストレートヘアーである。
よく見ると、後頭部に三つ編みが一本。三つ編みカチューシャというやつだ。
学年が二年に上がるタイミングでイメチェンをしたのだろう。
「うん、その髪型、似合ってる。大人っぽくて素敵だ」
「合格!」
欲しいリアクションが貰えたようで、木ノ下はご機嫌になった。
「えへへ、空野くんも女の子を褒めるのがうまくなったね」
「そりゃ一年間、木ノ下にみっちり鍛えられたからな」
ときどき木ノ下がお洒落をして登校してきても、気づかずスルーすることが多かった。
そういう日の木ノ下はとにかくムスッとしてしまうので、俺は些細な変化でも見逃さないように努めるようになった。「そういうこと、女の子相手には言わないほうがいいよ?」と女子に対する言葉遣いも矯正してもらった。
女子だらけの蘭胤荘で俺が男女間のトラブルもなく、うまく立ち回れているのは木ノ下のおかげかもしれない。
「じゃあ、学園行こっか。そろそろクラス替え表が貼り出されてるだろうし」
「そうだな」
「……その、もしクラスが別々になっちゃっても、いままで通り仲良くしてね?」
「ん? 当然だろ。友達なんだから」
「友達かぁ……まあ、いまはそれでもいっか」
木ノ下はどこか複雑な顔で笑った。
* * *
クラス替え表の周りには、すでに数名の生徒が集まっていた。
普通科はA~Fまでの六クラス。
芸術科はG~Nまでの八クラス。
服飾科はO~Pまでの二クラスだ。
芸大付属の高校ということもあり、普通科よりも芸術科のほうが生徒数は多い。
俺と木ノ下は芸術科のブロックに足を運び、自分の名前がどこにあるか確認する。
「俺は……H組だな」
「私もH組! やった! 今年も一緒のクラスだね!」
「お、おう、また一年よろしくな」
木ノ下はジャンプでもしそうな勢いで喜んだ。
普段は物腰の柔らかい大人しめの木ノ下にしては珍しいくらいのはしゃぎっぷりであったので、少し驚いた。
しかし、そんな木ノ下の喜びようが可愛らしくなるほどの絶叫が向こう側から響く。
普通科のブロックからだった。
「やったぞ! 水無瀬さんと同じクラスだ!」
「毎日教室で学園の聖女様のご尊顔……とおっぱい……が見れるぞ!」
「席替えでお隣になる可能性もあるってことだよな! テンション上がってきた!」
「ちくしょう! 羨ましいぞお前ら!」
「うわ~、今年は別のクラスだ! あの美貌……とおっぱい……を見るのが俺の生きがいだったのに!」
学園の聖女、水無瀬青花と同じクラスかどうかで一喜一憂している男子生徒たちの騒ぎだった。
ある者は歓喜の涙を流し、ある者はこの世の終わりとばかりに膝を突いている。
クラス替えの発表というより、受験合否の光景を見ているようだ。
「うわー、相変わらず人気者だねー水無瀬さん」
普通科の男子たちの様子に引き気味になりながら木ノ下は苦笑した。
俺も改めて水無瀬さんの人気ぶりに圧倒された。
……もしも彼らに、水無瀬さんと同じ屋根の下で暮らしていることが知られたらリンチにあうかもしれないな。
「まあ、あれだけ美人なお嬢様じゃしょうがないよね。しかもお淑やかでおっぱい大きくて、勉強も運動もできておっぱい大きくて、性格も良くておっぱい大きいんだから、そりゃ男子も夢中になるよね。ははは……」
やたらと胸の豊かさを言及して、木ノ下の瞳から光が失せた。
彼女の視線は自分の胸元に向いている。
水無瀬さんに比べれば、慎ましいサイズの胸がそこにはあった。
控えめなボリュームである胸は木ノ下にとってのコンプレックスらしい。
しかし、まったくないわけではない。充分に大きいとすら思う。
むしろ水無瀬さんを始め、璃里耶や恵流がティーンズのくせに豊かすぎるのだ。
木ノ下くらいのバストサイズが本来なら平均的なのである。
……などと口にして慰めたら、とうぜんセクハラ扱いとして非難されるので俺は言葉を選んで木ノ下に話しかけた。
「俺は木ノ下だってアイドルでもいけるくらい美人だと思うぞ」
「ふきゅっ!?」
変な声が木ノ下から上がった。
「そそそ、それってどういう意味ぃ?」
「いや、そのままの意味だけど。贔屓目抜きにしても、木ノ下はかわいいぞ。声だって綺麗だし」
「はわわ」
木ノ下は顔を真っ赤にして悶えた。
聖女と持てはやされる水無瀬さんにだって、料理が苦手という弱点がある。
高嶺の花にも、親しみやすい短所がちゃんとあったのだ。だからそこまで水無瀬さんと比較して惨めになる必要はないと俺は思う。
それに、水無瀬さんが男子の注目を集めやすいというだけで、木ノ下だってかなりの美少女である。
実際隠れた人気があり、何度か男子たちに告白のセッティングを頼まれたこともある。「それくらい自分でやれ」とすべて断ってきたが。
「そっか。空野くん、私のことかわいいって思ってくれてるんだ……」
「え? うん、まあ……」
「だ、だったらさ。アリってことだよね? 異性として」
「ん?」
「わ、私たちも二年生になるし、この機会にさ、もう一歩進んでいいと思うんだよね。友達から、ワンステップ上に」
「どういうことだ?」
「だ、だから、その。わ、私と付き合っ……」
「あら、カケル。あなたも私と同じクラスじゃない。嬉しいわ」
「へ?」
「なっ!?」
木ノ下の発言に割り込むように、俺の腕に引っ付いてくる者がいた。
璃里耶であった。
「ひ、火村さん!?」
とつぜん現れた天才絵描き少女に木ノ下は目を丸くする。
「あら、木ノ下さん。あなたも同じクラスのようね。今年もよろしく」
「あ、うん。よろしく……じゃなくて! どうして火村さんが空野くんの腕にくっついてるの!?」
木ノ下の動揺を余所に、璃里耶はさらに俺に密着する。
あたかも、見せつけるように。
「カケルったら、私を放っておいて木ノ下さんと会っていたのね」
「っ!? よ、呼び捨て!? わ、私だってまだ呼んだことないのに……」
木ノ下がますます狼狽えるが、璃里耶に特大の胸を押しつけられている俺はそれどころではなかった。
「おまっ……こんなところでやめろよな!」
必死に振り払おうとするが、なぜか璃里耶は離れようとしない。
「ひどいじゃないのカケル。私を置いて先に学園に行ってしまうだなんて。せっかく一緒に登校したかったのに」
「友達と待ち合わせしてるから『先に行く』って伝えただろうが!」
「寝ぼけてたから聞き取れなかったのよ」
「知るか! ていうかいい加減に離れろって!」
「そんなこと言って、実は満更でもないのではなくて?」
「だぁ~っ! 男をからかうのもいい加減にしろよな璃里耶!」
「っ!? そ、空野くんまで火村さんの名前を……どういうこと!? いつのまにそんなに親しくなったの!? 接点なかったよねいままで!?」
「え~? だってね~。それは……」
目をグルグルさせる勢いで混乱している木ノ下を見て、璃里耶は挑発的に笑う。
「私たち、いま同じ屋根の下で暮らしているんだもの。そりゃ親しくもなるわ。ねえ、カケル?」
「はあああああ!?」
璃里耶の爆弾発言に木ノ下が悲鳴じみた声を上げる。
「いかがわしい言い方するな! アパート! 同じアパートに暮らしてるって意味だから!」
「そうよ。同じアパートで暮らしながら、お互いの恥ずかしい部分を見せ合って関係を深めたの」
「もう黙れよお前! 俺を社会的に破滅させたいのか!?」
「あ、ああ、空野くんが、あの火村さんと、コントじみたやり取りするほどの仲に……」
ようやく璃里耶を振り払ったが、木ノ下は完全にあらぬ誤解をしてしまったようで、呻き声を上げながら頭を抱えていた。
「……木ノ下さん。あなた確か初回の絵画の授業で、カケルと組んで似顔絵を描いていたわよね?」
「え? よ、よく覚えてるねそんなこと。そ、それが何?」
璃里耶はとつぜん似顔絵の授業の話を持ち出す。
木ノ下はどこか警戒するように璃里耶と向き合った。
「あなたの気持ち、わからなくもないわ。強烈よね? いきなり、あの目で見つめられたら。それが長時間ともなれば」
「っ!?」
「あなたも似顔絵を描くためにカケルの顔をずっと見ていたんだから、平常ではいられなかったはずよ」
璃里耶の話につられて、俺も思い出す。
確かにあのときの木ノ下は顔を見られる照れくささからか、ずっと頬を赤く染めてモジモジしていたように思う。
「私も最近になって思い知らされたから、あなたの気持ちはわかるわ」
「……じゃあ、火村さんもなんだ」
「ええ。罪な人だわ」
「本当だね」
……な、なんだ?
何やら二人の間でしか通じないやり取りが始まったぞ。
「その……譲る気はないから。いくら火村さんでも」
「いいわね。そのほうが私としては燃えるわ」
璃里耶と木ノ下はグイッと身を近づけ、睨み合った。
すると璃里耶の大きな胸が木ノ下の平均的なバストにぎゅむっと接触して押し潰れた。
「……くっ! こっちでは負けた!」
「ふっ。勝ったわ」
「……何を競っているんだお前たちは」
謎の勝負を始める少女二人。
ふと、木ノ下と目が合う。
木ノ下は顔を赤くすると「わ、私だって」と気合いを入れるように拳を握った。
「えっと、その……カ、カカカケ」
「カケ?」
「……か、かけうどんっておいしいよね!?」
「え? あ、ああ、そうだな」
唐突な質問に、とりあえず頷いておいた。
木ノ下はますます赤くなり、「あう」と声を漏らしながら両手で顔を隠した。
「ダメ。やっぱり私にはまだハードル高い~」
「いったいどうしたんだよ木ノ下?」
「木ノ下……うぅ。空野くんのバカ~」
「なんでだよ」
理不尽にけなされた。
今日の木ノ下は、どうもわかりにくい。
「ふふ。この一年は楽しくなりそうだわ」
一方、璃里耶は随分とご機嫌だった。
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