エッチな絵を描いたらバズりまくった件



 その夜、俺は呆然と自室の天井を見上げていた。

 せっかく恵流が夕飯に大好物であるトンカツを作ってくれたというのに、夢見心地のままだった。

 どうも昼間からの記憶が曖昧だった。

 璃里耶が下着姿になり、体中を触ったところまでは覚えているのだが。

 それすらも、なんとも現実味のない出来事だ。

 最初から夢を見ていたのではないかと思えてしまう。

 ……しかし、体がはっきりと覚えていた。

 璃里耶の比類なき体の感触を。


「うぅ……」


 思い出すだけで鼻血が出そうになる。

 そして自分がやらかしたことが頭に浮かんでは、恥ずかしさで転がりたくなる。


「俺はなんてことを……」


 頭を抱えて、自己嫌悪に陥る。

 嫁入り前の娘の胸や尻をさんざん揉んでは、肌を舐め、体中をまさぐり回すとは。

 場の雰囲気に呑まれた、と弁解させてほしかったが、どう考えても璃里耶に訴えられたら敗北するのは俺のほうである。

 しかし、あれほどのことがあったというのに璃里耶のほうは終始ご機嫌だった。

 やり遂げて満足、とばかりにトンカツの味を楽しんでいた。


 ……よもや、自分たちは勢いで行くところまで行ってしまったのだろうか?

 璃里耶の体を触った後、自分が何をしていたのか、はっきりと思い出せない。

 何かに、熱中していたとは思う。

 集中しすぎるあまり我を忘れ、いつのまにか時間が経っている。

 俺にはときどき、そういう傾向があった。

 そしてだいたいは、ろくでもないことがその後に起きたりする。

 思わず、ブルッと身震いした。


「と、とりあえず、ここは気分を変えよう」


 俺はスマートフォンを取り、いつも利用しているイラストサイトを巡回しようとした。


「……え?」


 画面を開くと、ありえない数の通知が来ていた。


「な、なんだこれ!?」


 真っ先に浮かんだのは、詐欺まがいのショートメッセージ。

 だが、よく見るとそれは利用しているイラストサイトとSNSの通知だった。

 普段、一件か二件くらいしか来ない通知が、なぜこんなにも……。

 恐る恐るサイトを開く。


「なっ!?」


 通知はすべて、俺が投稿したイラストに対するリアクションだった。

 これまでにない数のお気に入り登録とコメントが来ていた。

 それらの反応は、たった一枚の絵に集中していた。


「ああ、なんてこった……」


 思い出した。

 夕方頃に新作を描き上げ、いつものように投稿したことを。

 その新作とは……銀髪でスタイル抜群の美少女が下着姿で淫らなポーズを取るイラストだった。


・描き込みがヤバい、エロすぎ

・秒でブクマした

・でけえええ! おっぱい星人のワイ歓喜

・エッッッッッッッッッッ!

・やべぇ、絵なのに感触が伝わってきそう

・凄い肉感ですね……よろしければ描き方教えてください!

・こんな逸材が埋もれていたとは

・エロいのに、美しい

・あれ? 俺なんで泣いてるんだろ?

・これは芸術

・単にエロいだけでなく、訴えかけてくる何かがある

・どうして今までこういう絵を投稿しなかったんですか!? 大ファンになりました!


 どれも好意的で、絶賛するコメントばかりだった。

 イラストサイトだけでなく、SNSでも同様の反応で埋め尽くされていた。


「な、なんだ、この閲覧数……俺が一年かかっても稼げなかった数字が、たったの二、三時間程度で……」


 俗に言う「バズる」という現象を目の前にして恐怖に震えた。

 こうしている今も通知は止むことがなく、物凄い勢いで数字が増えていく。

 たった一枚の絵だけで、慣れ親しんだサイトが別物に変わったかのように思えた。


「やはり私の見立ては間違っていなかったようね。これでわかったでしょカケル。あなたはエロスをテーマに描くべきだって」

「璃里耶!? なに勝手に入ってきてるんだ!?」


 当たり前のように部屋に入ってきた璃里耶の存在に驚く。


「もうそんな些細なこと気にするような仲じゃないでしょ。そろそろ反応がある頃だと思って見に来たのだけど……おめでとうカケル。私の想像以上の結果じゃないの。文字通り体を張った甲斐があったというものだわ」

「やかましい! うわー! 俺としたことが血迷ってこんなハレンチな絵を投稿してしまうだなんて……数少ない固定ファンが離れていってしまう!」


 絵の急な路線変更で見切りをつけたユーザーは恐らく数人いるだろう。

 僅かとはいえ、大切なフォロワーを裏切るような形になってしまった!


「離れていった者たちのことは忘れなさい。代わりにその数千倍もの新しいファンがあなたについたのだから、良かったじゃないの」

「どいつもこいつもエロ目的のヤツらじゃないか!」

「そうよ! あなたの生み出すエロスが、これほどまでにハレンチな人間たちを引き寄せたのよ! もっと誇りなさい!」

「誇れるか!」

「往生際が悪いわね。どれだけ言い訳しようとも、こうして数字が証明しているのよ。あなたはエロスを描くために生まれてきたと!」

「俺は健全な絵が描きたいんだ!」

「……それは、はたしてあなたの本心なのかしら?」

「え?」

「この絵を描いているときのあなたは、とてもイキイキとしているように見えたわ。……楽しかったんでしょ? 描きたいものが描けて」

「それは……」


 言い返せなかった。

 事実、俺は没頭していたんだ。

 璃里耶という最高のモデルに刺激を受けて、時間も忘れて絵に集中していた。


 あの裸婦画を見て感動したときと同じように。


 筆がとても軽く感じた。

 考える間もなく、手が勝手に動いていた。

 凄く自由な気持ちで描けた。

 まるで利き手に翼が生えたようだった。


 それは璃里耶の言う通り……描きたいものを素直に描いたから。

 しかし……。


「だからって……こんなハレンチな絵、幅広く受け入れられるわけじゃないだろ」

「そうね。ターゲット層は絞られるでしょうね。それは否定しない」

「わかってるなら描かせるな! 俺は、誰に見せても恥ずかしくない絵で人気を勝ち取りたいんだ!」

「……それはあなたの『個性』を殺してまでやることなの?」

「え?」

「『批判されたくない』『酷評されたくない』『誰が見ても文句を言わないような作品』……そんな後ろ向きな感情から生まれた絵はね、大抵は貶すところも褒めるべきところも何もない凡作ばかりよ」

「っ!?」


 璃里耶の言葉が鋭く突き刺さる。

 どんなに丁寧に描いても、一生懸命描いても、見向きもされなかった俺の絵。

 それは、つまり……見る人を引き寄せるような、個性がないからなのか?


「そんなに一般受けすることが大事? ハレンチだから、って理由だけであなたは自らの武器を捨てるというの?」

「だって……一般受けしなきゃ、商売にならないだろ? 璃里耶だって世間に評価される絵を描いてるからこそ、成功して……」

「私は一度だって世間受けすることを意識して描いたことはないわ」

「え?」

「私は常に『自分の描きたいもの』しか描いてこなかった。結果は後から付いてきただけ。私にとって何より大事なのは『自分のテーマ』を追究すること。ただ、それだけよ」


 力強い光を宿した瞳がそこにあった。

 どんな言葉でも揺るがない意志を感じさせる、璃里耶の佇まい。

 彼女のあまりの迫力に、俺は後ずさりした。


「……カケル、自分の可能性から逃げないで。あなたには、あなたにしか出せない『輝き』がある。私は、それを引き出したいだけ」


 璃里耶は、そっと手を差し出す。


「私を信じて。私があなたを正しく導いてあげる。あなたは……偉大な絵描きになれる」


 天才絵描きである少女が、そう断言した。

 ……なれるのか? 本当に俺も、璃里耶のような凄い絵描きに。

 彼女の手を取れば、その栄光が掴めるのだろうか?


 火村璃里耶。

 ずっと、遠い存在だと思っていた。住む世界が違いすぎると恐れていた。

 そんな彼女の手が、差し伸ばせば届く距離にある。

 ほんの少し、足を踏み出して、手を伸ばせば……。


 指と指が触れ合おうとした、その間際。

 ザザザ、とノイズが走った。


『おい、見ろよ! こいつ、こんなエッチな絵描いてるぜ~!』


 反射的に手を引っ込めた。

 ……何を、考えているんだ俺は。

 決めたじゃないか。

 もう、そういう絵は描かないって!


「……認めない」

「カケル?」

「俺は、まだ認めないぞ! 次は必ず健全な絵でもこれくらいの評価を取ってみせる!」


 確かに数字は嘘をつかない。だがそれでも受け入れたくなかった。

 健全な絵で人気を取る。その努力が、まるで無意味だったと突きつけられるようで。

 何より、悔しかった。

 これでは、まるで璃里耶の思い通りではないか。

 おもしろくない。結果、俺は意地になることにした。


「見ていろ璃里耶! これをきっかけにして普通の絵でも人気を集めてやる! だからもうエッチな絵は絶対に描かんぞ!」

「強情な人ね。まあ、そのほうが私も張り合いがあっていいけど」


 璃里耶は「うふふ」と妖艶に笑った。


「予言するわ。あなたは必ずまたエロスで描きたくなる」

「いいや! 絶対に描かないね!」

「させてみせるわ。飛躍の可能性はこうして見えたのだから。私も本気でいくわよ。覚悟することね」

「それって、つまり……」

「今後もモデルとして脱ぐつもりだからよろしく」

「出て行け、痴女め!」

「あら、ひどい。あんなに私の体を弄んでおいて。人のこと言えるのかしら?」

「あんなことされたら男は誰だってケダモノになるわ!」

「そうかしら? あなたの隠れた本性を垣間見た気がするけど」


 ギクッ。

 た、確かに俺は一度夢中になると歯止めがきかなくなるところがあるけどさ……で、でも、あんな大胆なことをしてしまったのは璃里耶のせいだ!

 こんなハレンチな体をしていながら下着姿で迫ってきて「体を触れ」なんて言うほうが悪いんだ!


「健全な男子を弄ぶのも大概にしろ! いまからイラストを描くのに集中するから一人にしてくれ!」

「あら、もう新作を描くの? 素晴らしい向上精神ね。鉄は熱いうちに何とやらと言うし、私も全面的に協力させてもらうわ」

「だから脱ぐなって言ってるだろうがああああ!!」

「うっせーぞガキども~! 発情してんならホテル行けや~!」


 酔っ払ってヤンキー状態になった未遙さんに注意されるまで、俺と璃里耶のいざこざは続いた。


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