第20話 ミゼットオーガは炎中に立ちて
「休むな踏ん張れーっ!!」
エウロの怒号に、気を失っていたスレイヤーも、何人かは起き出して攻撃に加わった。湿っていた碧龍の身体はとうとうまた燃え出した!
「やーーーーっ!」
一方で、チョーカーのせいだがやっぱりオルはただの人間以下だ。ランスの扱いが壊滅的に下手、そもそも有効な使い方を分かっていない。
「オル! 叩くんじゃなくて突き刺せ!」
「分かった! えいっ! えいやっ!」
「……何やってんだあいつぁ……」
アルヴィの近くでちょこまか頑張っているオルだったが、そろそろエウロは様子がおかしいと気付いた様だ。
アルヴィも、オルを気にして碧龍に集中出来ていない事は分かっていた。
これではオルもそうだが自分も危ない……そう、思ったところだった。
碧龍のフックの様な攻撃。もう見慣れたし、スピードもない。アルヴィなら簡単に避けられる。だが、碧龍が狙ったのはオルだった。
「うっ……!!」
爪はもうボロボロになっていた碧龍の前足だが、分厚い皮膚で思い切り身体を跳ね飛ばされるオル。
威力は落ちているので即死と言う事はないだろうが、吹っ飛んだ先を、今度はもう片方の前足が上から振り下ろされて来る。あれで潰されたらただじゃ済まない。
「!!」
オルの顔が、碧龍の前足に隠れて行くのをまるでスローモーションの様に捉えながらアルヴィは地を蹴った。
「あ……」
真上に感じる圧迫感にオルは小さく声を上げる事しか出来ない。
改めて、ただの小柄な少女だとアルヴィは思った。何の力もないくせに、今だと復活して死にそうになってるんだから世話がない。
いつもいつもどうしてこの少女は不幸に飛び込むのだろう。そして自分はどうして、そんな彼女を助けたいと思ってしまうのだろう。
「あぐっ……!」
オルが真上から来ると思っていた衝撃は、真横からだった。アルヴィが身体を滑らせ、ギリギリのところでオルを蹴り飛ばして救ったのだ。
そのまま自分も滑り出したかったがそこまでの余裕はなかった。ならばせめて大剣を真上に向け、碧龍の前足を串刺しにしてやりたいところだったのだが、それも角度が付き切る前に視界は真っ暗になってしまう。
「……!!!」
ミシミシとか、バキバキとか、何かが折れたり破裂したりする音が自分の身体から鳴っている。
息が出来ない……!
だがアルヴィが必死の思いで仕掛けた大剣は、碧龍の前足が完全に下ろされる前に多少の角度は付いていた。それで足裏を傷付けた碧龍は、アルヴィをすっかり踏み付ける前にビクリと前足を引っ込め、忌々しそうにまた咆哮する。
キュアーーアァァオンッ!
「アルヴィ……!!!」
オルの声が遠くから聞こえて来る。アルヴィはどうやらまだ死なずに済んだのだと思ったが、身体は全然言う事を聞かなかった。
「怯むんじゃねぇぞ!」
踏み付けられたアルヴィを見て嫌な空気になったスレイヤー達にエウロは声を掛ける。ここで倒し切らねば本当に終わりだと思っているからだ。
「アルヴィ! ごめんねアルヴィ! 痛いでしょ? あたし役立たずでごめん!」
動かない身体を揺さぶられ、頭の上でオルが喚いている。役立たず……、か。
「そうだな」
いつもの様にそう言ってやろうと思ったが、声まで出ない。これは思っているよりも深刻な様だ。
「オル!! ふざけてんのかてめぇ! 化け物のクセに何で力出さねぇ!!」
「ご……ごめ……」
「おやめください!」
エウロの遠慮のない物言いにユニが口を挟んだ。その厳しい表情にエウロは察する。事情は良く分からないがオルはふざけているワケじゃないと。
「ごめんねアルヴィ! 痛いよ? 持つよ?」
「うぐぅっ……!」
脇下に腕を回され、激痛に呻く身体を持ち上げられる。そしてそのままズルズルと引きずられる様にして前線から運ばれるアルヴィ。どこから出た血か分からない血で全身が染まっている様だ。
なんて情けない姿だろうと腹が立つ。
そして、男を一人運ぶのにも一苦労なオルを見てエウロは確信する。
「なんでぇ……あいつ、何でか分からねぇが普通の女になったのかよ……」
自分の魔力の限界を感じていたエウロだったが、もう、死ぬ気で限界を超えなければダメだと覚悟した。
期待していたのだ。オーガの力に。だから皆また戦う気力が生まれた。
「オーガが居たらオーガに頼っちまう、ったく、俺は弱ぇ……弱ぇなぁ!!!」
弱いままで終わるものかと、エウロはまたもう一段階火力を上げた。魔力が枯渇した状態で無茶をすれば命に関わるケースもある。承知の上だった。
「うおおおおおおおーーーー!!」
エウロからの猛火力にスレイヤー達も活気付いた。オーガがダメなら誰かが強さを見せなきゃならない。伊達に長年カルム長をやっていたワケではないのだ。
まだ矢も飛ぶ。諦めていないスレイヤーがそうやって矢を放つ限り、ユニはその一本一本に精一杯の魔力を込めて火矢にする。
「まだまだぁああああーーー!!!」
キュールルルルル……!
「はっ……」
少し離れたところに運ばれて、オルにそのまま背中を支えられているアルヴィは、エウロの雄叫びの後で聞こえた咆哮に息を飲んだ。
「さっきも聞こえたよ……、この変な声……」
雷雲から雨と雷を降らせる、あの声だ。
「おいまさか……嘘だろう? 頻繁に出来る技じゃない……筈だろう?」
この声の意味に気付いたエウロはそう呟いたが、それはエウロの勝手な、都合の良い憶測だ。
もちろんアルヴィはこの事態も覚悟はしていた。予想ではなく、覚悟だ。つまりアルヴィは決めていたのだ。もし、もう一度あの咆哮が聞えたら、思い切り火の魔術を放ってしまおうと。
ヤケクソ以外の何でもない。此処に居る全員が碧龍の雷で死ぬか、アルヴィの火で死ぬか、どっちになるかと言うだけの話しかも知れないのだから。
そして雨が降り出し、スレイヤー達は次々膝を付いた。
「へへ……、ここまでかよ……」
そう言ってエウロは前のめりで倒れてしまう。それを見ていたユニが慌てて駆け付けていた。
雨の次は、雷だ。あれが来る前に撃たなければならない。
「……離れてろ」
どうにか掠れた声が出た。すぐ近くのオルに聞こえるか聞こえないか分からないくらいの微かな声が。
「アルヴィ?! 何言ってんの、一人で身体支えていられないじゃない!」
声は届いた。
「……それも、そうか……」
身体中の骨が折れた感覚だ。寝ていても魔術は使えるだろうが、出来れば標的に集中する為に身体は起こしていたい。それにそもそも、離れていれば安全と言うワケじゃない。
アルヴィにだってどこが安全か分からないのだから。
「じゃあ……、そこで支えててくれ」
「……! うん! 一緒にオルアンジュだもんね!」
この絶望的な状況の中で、オルはアルヴィを支える役目を喜んだ。オルアンジュ、まだ始まったばかりの二人のカルムを、オルは大事にしたいのだ。
「そうだな」
とにかく全部ぶつけよう。出した事がないフルパワーの炎をぶつけてやる。的はデカいんだ。当たる確率の方が……、いや、やめよう。
体中の魔力を限界まで練って、限界まで絞って、一気に放出する。身体はボロボロだが体内の魔力は手つかずだ。
ドクドクと血の流れが魔力とぶつかっている様な感覚は……、初めてだが悪くない。間違えればもう爆発してしまいそうだ……!
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……! 見てるか、爺さん……!」
碧龍に、向かえ……。碧龍に、集中する……。
あいつもあいつで、きっと身体の中で何かしてるんだろう? あの雷を降らせる為に身を削っているんだろう?
さぁ、いくぞ……!
真っ直ぐに碧龍を見詰めて、身体全部から炎を燃え上がらせる! こうなったらもう抑える事は出来ない。
その高まり切った魔力を放出する瞬間、背中を支えているオルの手にグッと力がこもった。
ああ、俺は今オルに支えられていたと、そう、思ってしまった。
「あ……」
限界まで、この世界に自分と碧龍だけだと言うくらいに集中していたのに。
「オル……!」
アルヴィから出た激しい炎は、あろう事かすぐ後ろで背中を支えていたオルに向かって行く。
と、言うよりはアルヴィから放出した炎に巻き込まれるような形でオルは燃え上がり、そこから眩しい火柱が立つ。悪いがエウロ達が束になって放った炎とは比べ物にならない威力だ。
「なっ……、何て炎……!!」
触れたら一瞬ですべてが蒸発してしまいそうなそれにユニも慄いた。これがまともに狙えたら、今こんなにもスレイヤーが倒れていたりしないだろう。
「クソッ……クッソォォ!!!」
だがどうしても、まともにコントロール出来ない。出来た試しがない。
思っている方向と絶対に逆になるのなら、最初から逆に狙ってみようとしたりもした。だけどそう言う事でもない。
そりゃ最初から一か八かだったがこんな結末があるだろうか? あまりにも間抜け過ぎるじゃないか……!
あまりの不甲斐なさに地面を掴むアルヴィだったが、その背中は未だオルに支えられている。
何故……。恐る恐るその首を回すと、やはりオルは炎に包まれ、来ている服は燃えカスも残っていない。
あの忌々しいチョーカーが、しぶとく首に巻き付いているだけだ。だが何故、目の前で炎に包まれているオルは、何故変わらぬ表情で自分を覆う炎を見詰めているのだろう。
「アルヴィの火、強いけど、やっぱり優しい。何だか爺ちゃんみたい」
「なんで……? お前……」
アルヴィの炎は、オルを傷付けない。
パシウスと戦った時の事を、アルヴィは思い出した。あの時はどうにか炎を抑える事が出来たのだと思った。オルはオーガだからだと言ったがいくらオーガでも炎が通用しないなんて事はないと。だけどオルは、その炎を優しいと言い、微笑みさえ浮かべているではないか。
「爺ちゃんが一緒だよ」
「……お前の爺さん……何者なんだよ……」
すっかり訳の分からなくなったアルヴィは炎の中で穏やかな表情を見せるオルにそう聞いた。
「あたしの爺ちゃんはキオ! キオ爺ちゃん!」
「キオ……」
一瞬だけ見詰めあって、オルはくるりと碧龍に向き直った。
「行って来るね!」
「は……? 待て、何……」
アルヴィの言葉を待たずに、それどころか支えていたアルヴィを放り出し、オルはパッと碧龍へと立ち向かった。アルヴィは後ろへ倒れてしまうが、どうにか首だけを起こしオルを見る。
するとオルは、ゆっくりスッ……と首元を撫でた。
撫でた後、その首元からは何かが細かく砕けて、みるみる風に散って行くではないか。いや、散り行く前に、炎で跡形もなく消えて行く。
オルを苦しめていた、あのチョーカーだ。
オルは一度アルヴィを振り返り、ニッコリ笑った。そして走り出す。
「あ……あ……、オル様……? これは……何て事……」
服の代わりに炎を纏い、力強く地を蹴るオル。雨なんかで小動もしない、アルヴィの炎。奇跡の火の玉が、ぐんぐん碧龍に迫って行くのをユニは目で追うのに精一杯だ。
もう、碧龍の真下まで来て、オルがポンとジャンプする。
補助などなくても、オーガはその脚力で碧龍の顔面まで届く。
そしてオーガには武器もいらない。その拳が一番の武器だから。
「えええええええぇぇいっ!!!」
まずはその鼻先に一撃。触れた部分から碧龍の身体に一気に炎が燃え広がった。
キュアアアアアァァオンッ!
大きく仰け反っては身体を焼く炎にのた打ち回る碧龍。その瞬間にいくつかの雷が落ちたが最初の時より数が圧倒的に少なく、誰に当たる事もなかった。
「うおあああああああーっ!!」
重い一撃の後に落下したオルは、たまらず後ろを向いた碧龍の背中にしがみ付き、そのままその背中を駆け上がってまた碧龍の頭上に辿り着いた。
勢いのままに碧龍の頭を蹴って飛び上がると、くるりと一回転。
そして落ち様、脳天に踵を……落とす……!
その小さな身体のどこからそんなパワーが出るのか、もちろん炎のダメージも手伝ってだが、当たった所からは骨が砕けた音がした。
ズゥン……! と、地震の様な衝撃が森を襲い、一斉に木々の葉が落ちた。
その一枚一枚が碧龍とオルを包む炎で眩しく輝いている。
「綺麗……」
輝きながら舞う葉、炎の中に浮かび上がる碧龍もオルも綺麗で、ユニは目が離せない。そんなユニも含め、アルヴィは痛む身体をどうにか起こして目に焼き付けていた。碧龍が倒れる瞬間を……。
その攻撃をもってとうとう碧龍はずるりと全身の力を手放し、その巨体を横たえた。
頭上に垂れ込めていた雷雲もみるみる飛散し、碧龍を覆っていた炎は、その役目を終えたとばかりに同時に消え失せたのだ。
あっという間だったその一連の流れを、最後まで意識を保っていた数名のスレイヤーは見ていた。小さな裸のオーガが、猛烈な炎を身に纏い、碧龍にとどめを刺さした事実を。
だがその直後に、パタリと倒れてそれっきり動かなくなってしまったところを。
「おい……、オル……?」
まるで芋虫の様に這いながらオルの元へ近付こうとするアルヴィ。左腕は割と動く様だ。それを頼りにズルリと身体を前進させる。
「オル……」
身体が急激に冷えて、震えが止まらない。血を流し過ぎたし、炎は消え去ったし、オルがピクリとも動かないから。
「やっぱり嘘なんじゃないか……」
そう言ってまた、ズルリと左腕で這った。
「オーガに炎が効かないなんて……」
ズルリ……。碧龍が降らせた雨の水溜りに、月が映っている。月が綺麗な時間だったのだ。それなのに、オルが動かない。パシャリとその水溜りに左腕を突っ込んでまた進む。
「オル様……! オル様っ……!! わぁんっ……!」
どうにかオルのところまで這って行くつもりだったが、ユニがオルに駆け付け、わぁと泣き出したところまで見てアルヴィは助けを求めた。
「クソッ……誰か……誰か……!」
アルヴィの声に気付いたスレイヤーが色々と察して「連れてってやる」とアルヴィをオルの元まで運ぶ。そしてまたそっとその場を離れた。
きっと最後のお別れを邪魔しない様にと気を利かせたのだ。
「ううっ……アルヴィ様……」
ユニの涙で濡れたオルの顔は穏やかだった。あの激烈な炎の中にあって、身体の方は火傷など見当たらないし、髪の毛も無事だった。髪留めは瞬時に燃え尽きたのであちこちに可愛らしく跳ねているが。
裸のまま横たわるオルに、アルヴィは自分のボロボロの上着を左手だけで器用に脱いでそれを掛けてやった。濡れているし、破れているし、血も泥も汗も……、とにかく酷い上着だ。
「ありがとう」
「……え?」
オルの声が聞えたのでアルヴィは思わず振り返った。目の前のオルは死んでいる。ならどこからオルの声が聞えたのだろうと。要するに思い切り混乱した。
後ろには誰も居ないのでもう一度上着を掛けたオルを見ると、そこには琥珀色の瞳でこちらを真っ直ぐに見つめる姿があった。
「オル……!? なっ……お前……! 俺はてっきり……!」
「うわぁぁん! オル様ぁー!」
「いやユニ! お前は何でそんな泣いてんだよ!」
「だってオル様の……角が……!」
「……角?」
気が動転していて気付かなかったが、オルの額から生えていた二本の白い角が……ない。
角だけが炎に焼かれてしまったのか、そのつるりとした美しい額に何故かアルヴィは既視感を覚えた。
「分かんないけど平気だよ。あたし、オーガだから!」
オーガの最大の特徴を失ったオルは、そう言って笑った。
だが満身創痍に違いはないようで満ち足りた表情とは裏腹に身体は言う事を聞かない様子だ。そしてそれはアルヴィも同じで、オルの無事に安心した途端、糸が切れた様に倒れてしまったのである。
「こりゃ……良いや……」
そして……夢の中でアルヴィは、久しぶりにルイスと再会した。
すべてを失ったアルヴィに手を差し伸べてくれたスレイヤー、ルイス・クリービー。
あの頃、アルヴィの炎を否定しなかった人間の一人だ。
大切な仲間を傷付ける事なく、自分の炎が初めて役に立った。その事実が、アルヴィにあの幼い日の事を思い出させたのかも知れない。
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