第15話 遁走

 禍々しいオーラを身に纏い、一直線に飛んで来る青いそれ。

 一度羽ばたいただけで、碧龍はグンと加速を付けてこちらへ迫って来る様だ。

 雷雲はあっという間に頭上まで迫り、もうすぐそこで、翼がごうごうと風を斬る音が聞こえて来た。

 

 金色の瞳が確認出来る所まで近付いて、オルが言う様にそれが片方だけだと分かった。それだけではなく、胸や翼も激しく傷付いているが、それでも弱々しくは見えない。

 むしろ凄まじい生命力の表れの様で、見る者に畏怖を与えた。

 一体何年……この碧龍は生き抜いてきたのだろうか。


「凄い……! 爺ちゃんの言った通りやっぱり片眼だった! 爺ちゃんが奪ったんだ!」


 ますます興奮するオルの指がまたアルヴィに喰い込む。


「はぁ?! お前何言って……! 碧龍の片眼を奪ったのは俺の爺さんの幼馴染だぞ?!」


 そんな場合ではないが、アルヴィはどうしてもそれを訂正したかった。碧龍を追い詰めたと武勇伝を語るくらいは良いが、片眼を奪ったなんて大胆なほら話しはいけない。


「え?! じゃアルヴィの爺ちゃんとあたしの爺ちゃんは幼馴染だったんだ?!」


 短絡的にそう言ったオルだったが、アルヴィはそんな偶然はあり得ないと思った。何しろアルヴィは四歳の頃、その幼馴染の爺さんと共に暮らした事があるからだ。

 オルとは四歳差だし、生まれたばかりの頃に引き取られたと言っていたので、その爺さんがオーガの赤ん坊を連れていたならさすがに覚えているはずである。


「いやっ……悪いがお前の爺さんの……」


 ほら話だろうという声は、搔き消された。


 ゴアアアアアアッ……! ゴアアアアアアッ……!!!


 怯えた様子のグリゼーが、それでも我が子を守ろうと威嚇の声を上げ始めたのだ。碧龍は炎の元をグリゼーだと思ったのだろう。

 またグンと加速して、碧龍はあっという間にアルヴィ達の頭上近くまでやって来た。かと思うと、急に滑空して一直線に落ちて来る!


「……! 伏せろっ……!」


 これ以上ごちゃごちゃ言っている場合ではない。

 アルヴィは背中のオルを前に抱え、隣に居たユニを空いてる方の腕で抱くと、そのまま地面へ倒れ込んだ。二人を自分と地面で挟み込むような形だ。

 ユニはきつく目をつぶったが、オルはどうにか状況を確認しようとアルヴィの下でもがき、その肩越しに碧龍の尾が猛スピードで視界から消え去るのを見た。


「ひっ……!」

「うわああああっ!」


 護衛達が悲鳴を上げる。


 ゴッッ………!!!

 ガラガラガラ……ドゴゴゴゴゴ……!!!!


 物凄い轟音と共に、建物が壊れた様だ。

 碧龍はただ、その建物を掠め、アルヴィ達の上空を通過しただけだ。

 だがアルヴィが穴を開けたその屋根は碧龍の進行方向に吹っ飛び、瓦礫が勢いよく吹っ飛んで来る。ただ茫然と立ち尽くしていた護衛は凶器と化した瓦礫に当たり、軽くはないダメージを負った。


「危ないアルヴィ……!」

「頭下げてろ!」


 アルヴィはその衝撃の中、どうにか前を見据えて飛んで来る瓦礫を前腕で防ぐ。幸いそこまで大きな塊には襲われなかった。

 碧龍は建物の屋根を吹っ飛ばし、そのまま低空飛行で滑る様に飛んで行く。森の木をバキバキと薙ぎ払いながら。


 瓦礫はもう飛んで来ないが、アルヴィは二人を抱えたまま身を伏せ続け、碧龍を目で追った。すると碧龍は不器用そうに方向転換し、またこちらへ大きく羽ばたく。

 急に止まれなかっただけで、やはり目標はここ……なのだろう。


「うわあああーっ!」


 パニックを起こした護衛が、ぽつんと扉だけの建物……地下通路の入口へと走り出した。


「あっ、よせ……!」


 あまりにも危険なタイミングだったので、敵である事も忘れてアルヴィは思わずそう声を掛けた。だがそんなもの、パニックで走り出した相手に聞こえる筈もない。


 ガッ……!


 地下通路の扉真上ギリギリを通る碧龍の……どこに当たったのか分からない。もしかしたら衝撃だけだったのかも知れないが、その護衛は扉まで辿り着く事なく後方へ吹っ飛び、後頭部を思い切り打ち付けた。その後はピクリとも動かない。


 そして碧龍はそのまま着地し、威嚇の声を上げるグリゼーと対峙した。

 目の前に、大型ドラゴンが二体もいる状況が信じられない。

 さすがのアルヴィも、この状況に「はは」とは笑えずにいた。


 大きさだけなら碧龍はグリゼーと同等くらい。尻尾までの全長が二十メートルと言うところだろうか。

 二体とも、前足も翼もあるタイプの大型ドラゴンだが、しっかりとした前足があるグリゼーとは違い、碧龍の前足は、足と言うよりは腕の様な役割を果たす。そして後ろ足はかなり発達していて、後ろ足で上体を起こし立つ事も出来るのだ。

 赤褐色の鱗に深緑の瞳のグリゼー。藍碧の鱗に金の瞳の碧龍。碧龍が引き連れて来た雷雲の中で鮮やかな丹碧が浮かび上がっている。


 無事だった護衛達はそっと、屋根のない建物の中に戻った様だ。


「オル……、歩けるか?」


 身体を地面に伏せたまま、二体の大型ドラゴンの動向を見守っていたアルヴィは、オルにそう声を掛けた。碧龍の登場に場違いなテンションを見せたが身体の方は回復していない筈だ。


「走れる!」


 何なら戦えると言わんばかりに、オルは元気にそう答えた。


「バカ走らなくて良い……ゆっくり立って、屋敷の方向へ歩け……森の中を行く。ユニも良いな?」

「はい」


 地下通路を使わない事を、もうユニは何も言わなかった。生き物であれば、碧龍の気配を感じて逃げる筈だ。いかに訓練されていようとも。


「逃げるの?」

「当たり前だ」


 ゴアアアアアアッ……!


 意外そうなオルの質問に答えたアルヴィの声は、我が子の前で四肢を踏ん張るグリゼーの咆哮に掻き消された。


 キュアアアアアァァオンッ!


「うっ……?!」


 それに反応する様に、碧龍も初めて咆哮する。

 後ろ足で立ち上がり、両翼を思い切り広げ、その翼で近くの木々をバキリとなぎ倒しながら。

 その咆哮は意外にも高音で、不気味さを伴って鼓膜を刺激する。恐怖だとか、死の予感だとか、そう言った精神的ダメージと同時に、物理的に鼓膜と脳に痛みを覚えるのだ。


「う……うああ……あ」


 痛みに対する耐性のないユニは、思わず両手で耳を塞いで蹲った。


 キュアアアアアァァ……!


 もう一度碧龍は咆哮し、上半身をグリゼーに倒れ掛かる様に傾け、腕に近い前足でとうとうグリゼーを攻撃した。それはまるで人間で言うフックの様な打撃だ。

 グリゼーの首が勢い良く左へ弾かれたが、その四肢は大地を掴み踏ん張っている。後ろに子供がいるのだ。


 ゴアアアアアアッ……!


 その首を戻す勢いで、グリゼーも碧龍に頭突きの様な攻撃を与えるが、碧龍はそれを難なく払った。本当に、前足と言うより腕だ。そしてもう片方の腕でまたグリゼーを殴る。今度は地面に叩き付ける様に。


 ズンと大地が揺れて、グリゼーの鳴き声と衝撃が襲う。

 すると、碧龍の尾が不規則にうねうねと動いた。グリゼーの悲痛な鳴き声に喜んでいる様に……。

 顔を地面に擦り付けたグリゼーを目掛け、碧龍は身体を伸び上げて勢いを付けてからその喉元に噛み付いた。

 グリゼーはまた鳴いて、後ろから子供も出て来てしまう。悲しそうに鳴きながら。

 アルヴィ達も早くここから離れないといつどんな形で巻き込まれるか分からない。


「とにかく離れるぞ」


 そう言って強引にユニを立たせるアルヴィ。だけどオルはユニに手を貸しながら悲し気に鳴くグリゼーの子供から目が離せずにいた。


「ね……アルヴィ……」

「先に行け」


 碧龍の登場に喜々とした顔を見せたオルが何を言い出すのか分かる様な気がして、アルヴィは断固聞く気はないとオルの視線の先にずいと身体を割り込ませて背を見せる。


「アルヴィはユニを連れて逃げて! あたし、出来る限り足止め……」


 アルヴィはちっとも空気を読んでくれないオルに苛立ち、くるりとオルに向き直ると素早く腕を取って後ろに締め上げた。


「アルヴィ様!」


 オルに支えられていたユニが驚いて声を上げる。オルは驚いた顔で固まり声も出ない。


「良く考えろ……。今じゃない」


 こんなやり方で、オルがいつもの力を出せないのを分からせたくはなかった。だがここで下らない言い争いをしている暇はないのだ。


「俺だって何も考えずにあいつに炎をぶっ放してやりたいが、お前はいつもの力が出ず、俺の炎も下手くそなまま。死んだら夢も何もないんだぞ」

「今じゃないわけないよ! 今碧龍が現れたのに今戦わないなんてスレイヤーじゃない! ご先祖様も爺ちゃんも、自分が絶好調の時に碧龍が来たわけじゃない! みんなそうやって来たんだよ! 死ぬかも知れないけど、そうやって戦って、みんなを守るのがスレイヤーだから!」

「……」


 言われたアルヴィは静かに碧龍を睨んだ。

 ジタバタと暴れるグリゼーの喉元をガッチリ噛んだまま、その前足で更にグリゼーの身体を地面に押さえ込んでいる。

 片方だけの金色の瞳、広範囲で鱗が剥げ落ちた胸、物理的な力だけではもはや飛べる筈もないくらい損傷した翼……。あれはきっと先人達が付けた傷なのだろう。街を守る為、英雄になる為。

 オルにとって、自分がオーガである事は特別ではないのだ。オーガの力があろうとなかろうと、スレイヤーとして身を捧げる……大好きな爺ちゃんの夢を引き継ぐ、それだけだ。

 アルヴィはゆるゆると、オルを縛めていた腕を解いた。

 想いが通じたと思ったオルはアルヴィを振り返り、この状況でニッコリと笑って見せた。


 ゴッ……!


 そしてその笑顔は、そう鈍い音がしたと同時にそのまま地面に吸い寄せられる様にアルヴィの視界から消えた。


「な……?!」


 代わりにオルの背後から現れたのは両手で重そうな石を抱えたユニだ。


「抱えて行きましょうアルヴィ様! さぁ早く!」


 ユニはその石を投げ捨てるとそうアルヴィに指示した。


「あ、ああ」


 どうやらユニにはスレイヤーの浪漫とか美学とか、引き継がれる意志だとか、そう言うものは一切通じない様だ。何だかオルの熱に感化されて少しその気になった自分が恥ずかしい。いくらなんでもこの状況で突っ込めば完全な無駄死にではないか。

 準備が要る。

 そうだ、何もアルヴィだって碧龍と出会えた奇跡からただ逃げ出すだけではない。

 それにしても強引だ。アルヴィは足元に倒れたオルをそっと抱え上げて背負ったがすっかり気を失っている。


「……死んでないだろうな」

「そんな事より早く!」


 オルの生死がそんな事の筈はないが、アルヴィは碧龍の動向に気を配りながら森を目指した。

 グリゼーを押さえ付け、嬉しそうに尻尾を振る碧龍が遠ざかる。

 あの魔石のせいで、身体を起こす事も難しい筈の子供のグリゼーが、キュオンキュオンと鳴きながら這い出し、碧龍に挑もうとしている。お母さんを離せと、そう言っている様だ。

 ああ、いくらグリゼーでも、子供を守ろうと必死なグリゼーでも、碧龍には敵わないのだろう。

 一見すると傷だらけの碧龍よりも、艶やかな赤褐色の鱗のグリゼーの方が立派な個体に見えるのだが、雷雲を従える力を持つ碧龍には、やはり説明出来ない超常的な強さがあるのだ。


 そうして後ろを警戒しながら森の中まで走り込み、そのままユニと屋敷方面を目指す。森の中に大きな生き物の気配は感じない。居たとしても、碧龍とグリゼーに掻き消されてしまうものかも知れないが。

 すぐに木々に隠れて見えなくなったが、後ろからはまだハッキリと二体の声もぶつかり合う音も聞こえて来る。姿が見えない分、余計に恐ろしいと言う事もあるらしい。なるべく早く遠くへ、逃げなければ……!


「何だっ?」


 後ろからの声に、子供のグリゼーの声も混じっていたが、その声が変に途切れて、母親のグリゼーの咆哮がひと際大きく響き渡った。もう見えはしないが、アルヴィは気になって後ろを振り返る。


 バキバキバキッ……! と、森の木々が折られる音がして、上の方の葉が大きく揺れていた。

 何かがこちらへ飛んで来ている。


「あれは……! 止まれ!」

「きゃああっ!」


 ズゥンッ!


 木々の向こうから、枝を折りながらこちらに飛んで来たのは……、グリゼーの子供の死体だった。しかしそれには、頭部が付いていない。


「ひっ……!」


 碧龍が振り回し、首から千切れてここまで胴体が飛んで来たのか……、その前足に付けられた足枷と、悲しげに響く母グリゼーの声がやるせない。


「……行こう、あいつらがやり合っているうちに逃げるんだ」


 どうにか走って森を抜け、屋敷まで辿り着くと入口の庭木に繋がれたままの竜車が大いに怯えて暴れていた。


「良かった! ああ、良い子良い子、どうどう!」


 ユニが駆け付けて落ち着かせる。屋敷に人の気配はなかった。事態も良く分からぬまま、騒動の応援に向かったか。それとも逃げ出したか……。

 中から火の気配があればきっとこの屋敷は破壊されるだろう。碧龍に気付いたのなら逃げ出すのが正解だ。


「さぁ、乗って下さい!」


 ユニに操縦を任せて、アルヴィは個室の中へ入ってオルを寝かせる。


「はいやっ! こらっ、大丈夫! 大丈夫よ! はいやっ……!」


 竜車は激しく揺れ、興奮した竜の操縦は一苦労だった様だが、ユニがどうにか軌道に乗せた。操縦席の小窓から大丈夫ですかと声を掛けて来る。


「ごめんなさい、凄く揺れたと思いますけどオル様のお怪我に響いてしまったでしょうか」


 今オルが気を失っているのは他でもないユニの一撃なのだが……。


「ま、まぁ、揺れたくらいじゃ大丈夫だろう」


 ユニがホッとして息を吐いたのを見て、アルヴィも無性に同じ事がしたくなった。


「はぁーっ」


 そのまま個室の壁にもたれ掛かるが、遠くにまだ、雷雲が見える。

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