第14話 藍碧たる巨大な龍

「アルヴィ……、ユニ……、ごめん……」


 アルヴィが近付いてオルの前に膝を付くと、オルが眉を下げてそう言った。

 言いながらまたガチャリと鎖を引く素振りを見せるが、その重そうな鉄の鎖はしっかりとオルと壁を繋いでいる。手首から血が滲んでいるのが見えてアルヴィはその行為を止めさせた。


「今外してやるから」


 そう言って手枷ごとそっとオルの手首を掴み、手枷の鍵穴に一本一本鍵の束を試してみる。


「……ごめんね……」

「何を謝る?」


 鍵を試しながらアルヴィは聞いた。

 手首の傷以外にも、肘までの間にいくつも青痣があったり、チラリと見えた太ももには何で出来た傷かアルヴィには見当も付かない、打撲と裂傷が入り混じった痕があったりした。

 こんなに近付いているのに、アルヴィはまだオルの顔が見れずにいる。


「だって……ね、あたし……一緒にオルアンジュだったのに、あたし、力が出ないの……出なくなっちゃったの……。こんな鎖も、ほどけないの……」


 そう言ってオルは、傷だらけの太ももにぽたぽたと涙を零した。それに気付いたアルヴィがいよいよ顔を向ける。


「安心しろ、普通はほどけない」


 だから泣くなと続けたかったが、オルの顔を見てしまったアルヴィにはそれが言えなくなった。

 まるで別人みたいに腫れ上がった瞼。無数の切り傷。まだ生々しいその傷の上をまた涙が伝う。

 いつだって、オルは人を信じていたのに。それなのにどうして人からこんな目に合わされなきゃならないのだろう。


「あたし……一緒に頑張りたいのに……。アルヴィと一緒に頑張りたかったのに……」

「何で過去形なんだよ。頑張ってもらわなきゃ困るぞ」

「良い……の?」

「当たり前だ」


 アルヴィは一度鍵を試すのを止め、オルの首を絞めているチョーカーに手を伸ばした。かなり硬質な物の様だった。

 忌々しそうに回して、首の後ろに隠れていた留め具の部分を確認してみるが見た目にはおかしなところはない。だが、やはり何かの術が施されているのか、それは外れなかった。


「とりあえず力が出ないなら武器の扱いを覚えろ」


 また鍵を試す作業に戻ってアルヴィはそう言った。チョーカーの解除方法はまたちゃんと考えなければ。


「うん……覚える……頑張る……嬉……しい……」


 オルはそう言って、ほんの少し微笑み、そして眠ってしまった。眠らせてももらえなかった筈だからとっくに限界だったのだろう。気絶と言った方が正しいかも知れない。


 カチャリ――


 何本目の鍵だっただろうか。綺麗な音がして、オルを繋いでいた手枷が外れた。


「よし。ユニ!」


 倒れ掛かるオルを片手で抱き止め、アルヴィはそっと傍らに置いていた爆弾を掴んでユニにパスする。


「はい!」


 するとユニは、小さな爆弾をひょいと、ただ突っ立ってるだけの護衛達に放り投げ、アルヴィからの爆弾を器用に片手でそっと受け止めた。


「?!」


 バンッ! バババンッ……!


「ギャッ!」

「うわぁああああーっ!」


 護衛達がまったく反応出来ず、突然の小型爆弾に右往左往している。


「用は済みました! 通して下さいませ!」


 ユニは両手に乗せた爆弾を危うげに揺らしながら護衛達に見せ付け、アルヴィに先に行く様にと合図した。アルヴィはオルを背負い、立ち上がる。この状況ではユニに守ってもらうしかない。


「今更だけどな、ユニ……お前良いのかよ?」

「はい! さぁ走ってアルヴィ様!」


 そう言うユニに悲壮感はない。アルヴィは言われるままに来た道を走り出す。すぐにユニが、爆弾をチラつかせながら後ろ向きに歩いて後を追った。


「チクショウお前らぁぁ! 俺のオーガを……必ず……取り戻してやるからなぁ!」


 ガストーネの声だけがアルヴィを執拗に追い駆けた。


「今の、ムカつきました!」


 ユニはそう言うと持っていた爆弾の片方を放り投げる。


 ジジ……。


 最初の爆弾が落とされた時と同じ音がして、同じくらいの威力で爆発し。護衛達を巻き込み倒した。


「うぐぁっ……!」

「わああっ!」


 やはり爆弾には火が必要だし、威力が桁違い、なんて事はなかった様だ。その事に気付いた護衛の一人が指揮をとる。


「……おっ、追え! 大丈夫だ! 死にはしない! 全員で追って捕まえろ! 男は両手がふさがってる状態だ! 女の爆弾は残り一つ!」

「あら……!」


 ユニはくるりと背を向けて走り出し、アルヴィに追い付く。


「良い脅しだったのに、どうして投げちまったんだよ」


 走りながらアルヴィはユニに聞いた。


「気付いておいででしたか! でも私、こうしたかったんです! ずっとずっと! 私はこうしたかったんです!」


 何を言い出すんだと隣を並び走るユニの横顔を見るアルヴィ。その表情は怒っている様な、笑っている様な、良く分からないがしかし、決意に満ちていると感じた。


「ぶっ壊したかったんです! 私を守るお星様も! 私は優しくないんですよー! オル様を助けに向かったのもこうする為の口実です!」


 今度は泣き出しそうな表情。自分のやった行動に、感情の方が追い付いていない様だ。


 ジジ……。


「あっ!」


 持っていたもう一つの爆弾にも火が付いた音がした。ユニは慌てて後ろへ放り投げ、積極的に追って来ていた護衛達を吹っ飛ばす。


「まさか無意識で付けてしまうなんて……最後の武器を失ってしまいました」

「ははっ、よっぽぼぶっ壊したいんだな!」


 ユニは自分の失態を咎められるかと思った様だったが、アルヴィは笑った。


「良いさ、オルは取り返した、後は逃げるだけだ!」

「……はい!」


 二つの爆弾が良い足止めになっている様で、とりあえず調教用の建物からは誰にも見られずに脱出する事が出来た。敷地内ではあるが外に出たワケだ。


「ここまでどうやって来た?」

「こちらから大きな音と共にとてつもない火柱が上がったと、屋敷内が騒然となりまして……、安全なところへと誘導されましたが護衛さん達の後を追い、地下通路を通ってここへ出て来ました。その火柱の元はアルヴィ様だったんですよね?」

「そうだ。俺と同じルートだな。だがもう地下通路を使うのは当然止めた方が良い」


 もう戦う手立てがない以上逃走一択。地下通路で挟み撃ちにでもあったらおしまいだ。しかしユニはその意を酌んだのだろうがこう言った。


「ですが……、わざわざ地下通路を作ると言う事はこの辺りに何か訓練された動物を放っていると考えられます」

「なるほどな……」


 地下通路を行くか、森の道を行くか、どちらにするべきかとアルヴィは立ち止まった。

 森の中で人間以上に厄介な相手に出くわしたらそれこそおしまいだ。実際護衛達よりもヴォルフの方がよっぽど脅威だった。

 だが、むざむざ敵が居ると分かり切っている屋敷へ向かう為に地下通路を使うのも考えものだ。

 悠長に考えている暇はない。素早く正しい判断をしなければ……。


「よし、こっちに……」


 アルヴィが意を決し、ユニに向き直ると、その顔が急に陰った。天気が良い日に、分厚い雲に太陽を遮られた様なあの感じだ。


「?!」


 キュゥオン! キュゥオン……!


 岩陰で蹲っていたグリゼーの子供が、声の限り鳴き出した。


「こ……これは……!?」

「ああ、はは」


 二人が見上げた先には、赤褐色の立派な両翼を広げ、我が子を迎えにやって来た大型ドラゴン、グリゼー。

 どうしてこんな大きな気配に今の今まで気付かなかったのだろう。

 自分はよっぽどギリギリだったのか? いや違う。それはまだ遥か上空。

 グリゼーの方もまだこちらに気付いていないくらいの位置だった。

 到底気配を察知出来る距離ではないのだが、それでもグリゼーの巨体はここまで影を落としたのだ。その大きさにアルヴィはいつもの様に笑いが漏れた。


「母親のお出ましだな」


 どこか人ごとの様にアルヴィは言ったが、グリゼーがここへやって来たのはアルヴィのせいだ。制御出来ず真上へ伸びたあの火柱が、グリゼー除けの結界を破壊したのである。


 キュゥオン! キュゥオン……!


 可愛らしい子供の鳴き声に呼応する様に、上空のグリゼーが旋回をやめ空中で静止して咆哮する。


 ゴアアアアアアッ……!!!


 大地が震えるほどの音量。


「うっ……!」


 先程まで勢いの良かったユニもすっかり身を竦めてしまう。人間なんてやはり可愛いものではないか。頭ではなくて本能が身体を強張らせてしまうのだ。

 それはユニだけではなく、後ろから追い付いて来た護衛達もグリゼーに気付きその場に立ち尽くした。ひぃと情けない声を上げて中へ逃げ帰る者も居る様だ。


「大丈夫だユニ……今のうちに行こう、こいつは子供を探しに来ただけだ……」

「はっ……はい……」


 この混乱に乗じてうまく逃げられればこれは好都合である。


「刺激しない様に地下通路まで行くぞ」


 じり……と、アルヴィが一歩踏み出すと、信じられない事に、そこへ新たなる災厄が現れた。


 ゾッ……! ゾワワワ……!


 いつも大型生物の気配を感じる時は、ゾクリと寒気に似た緊張感が走る。魂が本能的に死の恐怖を感じてしまった瞬間ではないかとアルヴィは考える。

 今感じたのは紛れもないそれだ。それなのに、全然違う。


「あ……あ……アルヴィ様……これは……」

「ああ……分かってる、分かってるけど……」


 分からない。この気配が……、グリゼー以外に感じるグリゼー以上の気配が一体何なのか分からない。

 まだ姿も見えないのに一気に意識がソレに集中してしまう。

 異常な禍々しさを纏った何かが……来る!


「……っ何だこれは?!」

「おい……どこだ……何なんだ……」


 護衛達も感じている。オーガが奪われたから何だ? そんな場合ではない、何かがこちらに向かっているぞと。

 上空のグリゼーも同じものを感じたのだろう、後方を気にする様な素振りを見せてから、子供の元へと降り立った。それだけで辺りは暴風が巻き起こる。その風で華奢なユニは立っている事も困難だ。


「んっ?!」


 アルヴィの背中でぐったり体重を預けていたオルがピクリと跳ねた。相当に消耗していた筈だがこの気配に起こされたのだ。背筋を伸ばして気配を探る。


「凄いのが……来るよ!」

「平気だ寝とけ」


 得体の知れない何かに苛立ちを覚えながら、アルヴィはグリゼーが気にした方向へ目を凝らした。平気なワケはないし、この気配を感じながら眠れるワケもない。


「……なぁユニ、やっぱりさっき星まで壊しちまったのはマズかったんじゃないのか?」

「わっ……私のせいでしょうかっ?! ごめんなさいっ!」


 クソ真面目に謝るユニだったが、それは冗談にしても、冗談みたいな事が起こっているのは確かだ。

 森の向こうにそびえている山の後ろから、黒い雲が沸き出る様に広がって行っている。そしてその黒い空の中に、青い何かが浮かんでいる。いや、そうじゃない。


「片眼の何かが……こっちに来てる……」


 誰よりも先にその姿を捉えたオルがアルヴィの背中から身を乗り出す様にしてそう言った。

 そう、それはこちらへ向かって飛んで来ているのだ。


「片眼だと……?」


 護衛達もアルヴィが見た方向を確認している。何人かその正体に思い当たる者も居るらしい。

 それは正に、生きる災厄なのだ。


「まさか……あれは?!」

「何で碧龍が…!!」

「へきりゅう? 碧龍……? 碧……龍??!! アンスガーランドの伝説の??!」


 護衛達の声を拾って、聞こえたままに声を出してみたユニは、言い切った後でその言葉の並びに驚いた。


「超常的な力を持ち、その姿を現す時は必ず雷雲と共にあると言う、藍碧たる巨大な龍……」

「ええっ!! あれが碧龍?! 碧龍が来てるの?!」


 いつか読んだ本の通りにユニがそう言うと、オルはアルヴィの肩に置かれた手にグッと力を込めた。チョーカーがなければアルヴィの肩は砕けていたかも知れない。


「ああ、ああ! そうらしい! 伝説ったって別におとぎ話じゃないからな!」

「どうして二人ともちょっと嬉しそうなんです?!」


 間違いなく今までで一番危険な状況だと言うのに、どこか嬉しそうな声を出す二人にユニは喚いた。

 アルヴィだって確かにはしゃげる状況ではないのは分かっている。


「べ……別に嬉しそうにしてない! 偶然伝説のドラゴンに出会えて驚いてるだけだ」


 アルヴィはそう弁解したがユニは許さない。


「偶然?! 碧龍は起こさない限り何年でも眠り続けるのですよ?! きっかけは強大な炎! そして炎が苦手な碧龍は、炎を感じるとその元を絶とうとしてやってくる! これはもう、アルヴィ様のせいかと!」


 天井のみならず結界まで貫通させる火柱を発生させたアルヴィ。ユニの言う事は間違っていない。こうして原因を突き付けられたアルヴィはもう何も言えなかったが、背中のオルは反対に饒舌になった。


「ねぇ?! それってつまり、アルヴィが碧龍を蘇らせたって事?!」

「お、おお!」

「凄い! 凄いよアルヴィ! 会いたくても会えない伝説のドラゴンだよ?! アルヴィは……! アルヴィはあたしの夢を叶えてくれたんだ!」


 場の緊張感にそぐわぬ明るい声でオルが夢を語る。


「だが今は言ってる場合じゃないぞ」


 当然アルヴィはオルのテンションに付き合ってやれる余裕はない。

 碧龍との遭遇は確かに望むものだったが絶対的に今じゃないのだ。オルがこんな状態で一体何をどうして戦えると言うのか。

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