第7話 それぞれの星

「オラールの卵って孵化するまでどれくらいだ?」

「三十日から五十日と言われています」

「いつ孵ってもおかしくないって事じゃないか。どうして処分しておかなかったんだ」

「そう思ったのですが、その木の根に引っかかる様に落ちていて、下からでは届かなかったんです。まぁ、そのまま上に飛んで行ってくれれば問題ないんですけど、オラールって鼻が良いって言うじゃないですか」

「そうだな、もし孵ったタイミングで今みたいに肉でも焼いてたら……」


 アルヴィはゆっくりお茶を楽しむ気分では無くなった。どうしてこんな大事な事を今言うのか。のんびりにも程がある。


「えぇ、お陰でオル様には気付いてもらえましたけどオラールは……あっ、うふっ! あらあら気付きました? 何だかオルとオラールって、似てますね!」


 背中に冷たい汗をかき出したアルヴィとは対照的にとことんマイペースなユニ。そんなユニにアルヴィは溜息を吐く。


「……笑えないぞ……良いか、人にはな、それぞれの星と言うものがある」

「まぁ、急に何のお話し? ロマンティックなお話しかしら?」


 ユニは目を輝かせて身を乗り出す。当然アルヴィは今ロマンティックな話しをしてやろうなんて思っていない。勘違いしている様だが構わず続ける事にした。


「例えば国を治める王や、それを守る騎士、そう言う奴らは星に守られている。先頭切って敵陣に突っ込んで行っても不思議と矢が避けてくれたりするわけだ」

「えぇ、えぇ」

「結局金持ちなんかもそうだ」

「そうなのでしょうか?」

「こんな状況で一ヶ月も無事で居られたあんたも、きっと守られている側の人間だ」

「まぁ、お星さまに感謝ですね!」


 ユニはすっかりアルヴィの話しを気に入った。ここまでならユニ好みのロマンティックな話しと言えたのだろう。だがここからがアルヴィの伝えたい事だ。


「反対に、危険を呼んでしまう星を持って生まれた人間も居る」

「……お気の毒に……」

「俺だ」


 アルヴィは開き直った様な表情でユニにそう伝えた。ユニはそれがどう言う事かもまだ分からず、ただ目をパチクリさせた。


「はぁ……、そうなのですか?」

「そしてあいつも……自覚はないだろうが絶対にそうだ」

「オル様も……?」


 ユニの言葉に仰々しく頷き、続ける。


「だから俺は、何か問題があった際に『まぁ大丈夫だろう』なんて考え方は絶対にしない。その時考え得る一番最悪の状況が襲って来るからだ。つまり今回で言うと……」


 ビィンと、突然アルヴィ達の居る地下空洞が震えた。


「えっ?!」


 ユニは驚いて身を硬くしたが、アルヴィの方はもうすっかり覚悟が出来ている。


 ビィン……ビィン……ビィン……!


 振動は次第に大きくなり、音と共にこちらに近付いている様だ。そして更に、奥から何者かの咆哮が響く。


 キャオォォオオン……!


「この咆哮は……、オラール!?」


 地下空洞に、オラールの咆哮が響き渡る。まだ子供のものだが人間を縮み上がらせるには十分な迫力である。


「お前は採取専門スレイヤー。オルは居ない。そして間抜けな俺は背嚢を背負う為になんと大剣を置いて来た。肉の匂いが立ちこめているタイミングでオラール孵化。どうだ? これ以上の最悪があるか? あったら教えておいてくれ。たぶんそれも襲って来る」


 言いながらアルヴィは太い串に刺して焼かれていた肉を手に取った。もちろん食べる為ではない。


「ありません!」

「良し、じゃあこれを何とかするぞ!」 


 と、言っても、今のところオルが戻るまでどうにか時間を稼ぐくらいしかアルヴィには策がない。とにかくユニがオラールの標的にならない様に気を付けねば。


 ビィン……! ビィィン……! ビィィン……!!


「来るぞ。俺がこの肉でオラールの気を引く。その隙にオラールが来た方向へ逃げろ」

「そんな……武器もない状態で……無茶ですアルヴィ様!」


 言われなくてもアルヴィだって無茶は承知だ。だが倒す術がないなら逃げるしかない。

 とうとう、光の当たる場所までオラールがやって来てその姿が見えた。


「はは……」


 何故だか笑いが漏れる。

 これはいつもの事だ。中型以上のドラゴンを見るとその迫力に神々しさを感じ、それが笑いとなって出てしまう。


 綺麗だ。一枚一枚艶を放つ深い緑色の鱗。その鱗に囲まれた金褐色の瞳。前足の代わりに与えられた立派な両翼。その翼の先にある鋭い翼爪さえも……。


「赤ちゃんには見えませんね……」


 どこか緊張感のない言葉だが、そう言うユニの声は震えていた。


「生まれたてのはずなのにな。さぁ、行けよ」

「いいえ! 私、逃げません!」


 やっぱり声は震えていたが、その瞳はその言葉を言うに相応しい。


「は? お前何言って……! くっ……!!」


 オラールは肉を持ったアルヴィの方へ急接近した。と、言っても、大きく一歩を踏み出しただけだ。アルヴィは思い切りユニを突き飛ばし、自分はあえてその足元へ転がった。

 筋肉が盛り上がった立派な後ろ足である。足先にも鋭い爪が付いていて、これで踏まれればただでは済まないだろう。だがその巨体と、翼のせいで、そう小回りはきかないドラゴンだ。

 狙い通り、オラールは自分の足元を不器用そうに覗き込み、その場で足踏みをしている。


「ほら行けっ!」 


 アルヴィはその足を丁寧にかわしながらユニに同じ言葉を掛けた。

 ここの地面は上と違ってそう柔らかいものではないのに、オラールが足踏みをする度に地面に三つの爪痕が付く。それを見てまたユニは震えあがったが、意を決して焚き火の近くに置いてあった背嚢へ飛び付いた。アルヴィが持って来たものよりだいぶ大きいし、中身もたくさん入っている。


「何やってんだ! そんなの良いから! 置いて逃げろ!」

「いいえ! アルヴィ様は時間を稼いでください!」


 ユニは乱暴に背嚢をひっくり返し、中身を全部ぶちまけた。

 種やら石やら金属やらがぶつかり合って色々な音が響き渡る。

 そしてその素材の山を前に、震える手で何やら選別し始めたではないか。


「一体何を……うおあぁっ!」


 アルヴィの方もそうそうユニを気にしていられる余裕はない。

 もし何かユニに策があるのなら……、いや、それがあてに出来なくても結局やる事は同じだ。


 キャオォォ! キャオオォォ!


 自身の足元で美味しそうな何かがちょこまかと動き回っている。その状況に焦れてオラールが鳴き始め、アルヴィを狙うと言うよりはジタバタと怒りをぶつけるような動きに変わった。


「まずい……!」


 闇雲に動かれると予想も付かない。

 一旦距離を取った方が良いと判断したアルヴィだったが、足元から脱出する直前にオラールの爪先がアルヴィの肩口を鋭く抉った。


「……っ!」


 持っていた肉を落としたが、もうオラールはアルヴィの血の方に反応していた。


「良し……、こっちだ……」


 傷口を押さえた手のひらが血に染まり、それをオラールに見せ付けてやる。


「生まれてすぐにこんなご馳走を食べちまったら、今後下手なもん食えなくなるかもなぁ」


 キャオオオオォォ!


 血まみれのその腕を目掛けて、オラールが一直線にその首を突き出してくる。

 ヒュッ! と、息を吸い込んだタイミングで同時に腕を引いてその攻撃をギリギリのところでかわす事に成功した。すぐそこで、オラールの瞳がこちらを捕らえている。


「よぅ……」


 もう片方の手で腰に差していた採取用のナイフを抜き、そこへ突き立てる。いくら強固な鱗に覆われていても、眼球なら採取用のナイフで十分ダメージを与えられる。


 ギャアアアオオオォッ!


 今までとは違った声色を出してオラールは暴れ出した。まだ厄介だが片目を失った事で距離感やバランス感覚が崩れている。余裕を持ってかわせるし、勝手に空振りしてくれるようになった。

 これならオルが戻るまでどうにか逃げ切れる……。

 そう思ったが、オルをどこまで信用して良いかは未知数だ。アルヴィを裏切る様な真似はしないだろうが、こちらが思いも付かない失敗をしでかし、結果的に期待に沿えない事もあるだろう。

 オラールの攻撃をかわしながら今後の立ち回りを考えていると……。


「アルヴィ様ーっ! どいて下さいませーっ!」


 ずっと背嚢の中身と格闘していたユニが細い声を張り上げた。

 見るとユニは両手で何やらボール状の塊を持ってすっくと立ち上がっている。そしておもむろにそのボールを振りかぶり、オラール目掛けて投げ付けた。


「えいやぁーっ!」


 ぼてっ……、コロコロ……。


 しかしその気合いや虚しく、そのボールはオラールのはるか手前で落ち、少しだけ転がって止まってしまった。


「どうしたかったんだ?! ぶつけるのか?!」


 そのボールが何なのか分からないが、ユニが逃げずに命懸けで作ったものだ。きっと無意味なものではない筈と、アルヴィは素早くそれを拾い上げてユニに指示を仰いだ。


「はっ……はいっ! お願い致します! 出来れば口の中にぶち込んで下さいませ!」


 出来ればで良いならやりたくはないが、最善を尽くさねば最悪は払えない。

 アルヴィはオラールの死角へ回り、確実に口の中へ入れる為にギリギリまで近付いた。

 幸い、オラールの口は開いている。

 このまま横から口を目掛けてそれを放り投げようとした時、目ではなく、アルヴィの血の匂いに反応したオラールが思いがけずこちらに顔を向けた。


「っ……!」


 真正面に立つ格好になり、本能的な恐怖に駆られたアルヴィだが、こうなればボールを口に入れるのは簡単だ。後の事は良いにして、とにかくそれを放り込んだ。

 ボール状のそれは口の中どころか、そのまま喉の奥へと入り込み、見えなくなったと同時にボン! と爆発音が聞こえた。


「なん……だ……?」


 オラールの真正面で、次は自分自身もその口の中へ入る事になるかと覚悟していたアルヴィは、その爆発音の元が良く分からない。

 だけどオラールは動かなくなり、その喉の奥から黒い煙が出て来ているのは分かった。


「うっ……?!」


 そしてそこから肉の焼けた様な、火薬の様な、何とも言えない強烈な匂いが襲って来て思わず鼻と口を一緒に塞いだ。そのまま一歩二歩と後退る。

 呆然と立ち尽くし、動かなかったオラールは、まるでアルヴィが避けるのを待っていたかの様なタイミングで初めて翼を広げた。

 天井から差し込む光が遮られ、薄暗くなった空間でオラールが首を上へ向ける。


「……飛ぶのか?」


 どうやら、オラールはもうこちらを襲ってくる気はないらしい。グッと後ろ足に力がこめられバサリと羽ばたく。地下空洞内に猛烈な風が巻き起こり、焚き火や、ユニの広げた背嚢の中身が乱れ散った。


 アルヴィはその風に逆らい、咄嗟にオラールの足にしがみ付いた。

 その瞬間にガクリと身体が上へ持ち上がる。危なく手を放しそうになったが、どうにか爪先に両手を絡めてぶら下がる事が出来た。

 

「うおあっ……! もうこんなに高いのかよっ!」


 たった一度羽ばたいただけで、オラールの身体はもう地上へ抜け出していた。

 アルヴィは身体を振り子の様に動かし、また地下空洞へ落ちぬ様穴から少し離れたところへ着地地点を定める。

 もう一度羽ばたかれる前に、着地しなければこのまま空の旅を楽しむことになってしまう。


「ふっ……!」


 意を決し、オラールの足から離れ、身体を丸めて転がる様に着地した。すぐに起き上がってオラールを確認したが、もうすっかりこちらに構う様子はない。そしてまた羽ばたき、あっと言う間に上空へと消えた。

 アルヴィはやれやれと溜息を吐き、地下空洞を覗き込んだ。今度は地盤のしっかりしたところから、慎重に。


「大丈夫か?」

「ひゃぁっ!! あっ、アルヴィ様こそ!」


 ユニは力が抜けてしまった様に座り込んでいて、急に上から声を掛けられておかしな声を漏らした。


「大丈夫だ。北だったな? 蔓を取って来る」

「まっ……! 待って下さい!」


 すぐに消えてしまったアルヴィの姿に、ユニは寂しくなって叫んだ。


「どうした?」


 またひょこりと顔を出したアルヴィに安心した様子のユニ。


「あのっ……、そのっ……アルヴィ様、お怪我を……」

「ああ、大丈夫だ」

「あっ! あのっ……!」


 短く答えてまたすぐに行ってしまいそうなアルヴィをまたユニは引き留める。


「……なんだ」


 見ると、ユニの胸の前で組んだ両手が震えている。

 随分と勇ましい様に見えたが、ユニはこんな生きるか死ぬかの目にあったのは初めてだったのだ。今独りにされるのはどうにも心細いのだろう。

 他人の心の機微などさっぱり分からないアルヴィだが、初めて大型と出会った時の事は良く覚えている。

 あの時は他に仲間も居て準備もしっかりしてあったが、終わった後は震えが止まらなかったものだ。


 思いがけずそんな可愛かった頃の自分を思い出し、アルヴィはここでオルを待つことに決めた。


「あの球はなんだったんだ?」

「あっ、はい、あれは爆弾です!」


 アルヴィが去らずに居てくれるのだと分かり、ユニは元気に質問に答えた。


「まぁそんな感じだったが……たいした技術だな。あのオラール、ビックリして逃げて行ったぞ」


 思い返せばあのオラールは去り際に一切声を出さなかった。きっと喉を大きく損傷したのだろう。


「はい! あんなに大きいのを作ったのは初めてですが、小さいので獣避けにしたりしてましたから。燃料成分が含まれている種を集めて、粘着する草で硬めるんです」

「なるほど。それにタイミングを見て火を付けたわけか」 


 簡易型の爆弾で戦う方法は武器を持たない旅の行商人などがたまにやるのだが、販売している爆弾にはもちろんしっかりと導火線等が付いている。


「飲み込まれる前で良かったです。しめってしまっては役に立ちませんから」

「じゃあ、あれは最高のタイミングだったんじゃないか?」

「きっとアルヴィ様の星も味方してくれたんですね」 


 アルヴィは肩を竦める。


「どうだかな、あんたの星だってもう怪しいもんだぞ」

「星の力は日々変わるのですか? アルヴィ様、もっと星のお話を聞かせて下さい」

「別に続きがある様な話しじゃ……」


 と、後ろから元気な足音が聞こえて来て、緊張感のない明るい声がした。

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