第43話 ロマンは無限だ

「……もしかして…マグダさん?」


背後から聞こえた声に、バッと振り向く。

そこには、驚いたように目を丸くした浪曼が立っていた。

まぁ当然だろう。こんなところにポツンと一人座っているんだから。


「なんだかお久しぶりです。っあ、ケーキ食べてくれました?」


浪曼はマグダの持つ箱を見た。

今日ラデックに渡したものなのでちゃんと届けてくれたのだと安堵する。

しかしマグダは首を振った。


「優勝…したそうだな」


「はいっ!お陰様で!

本当にありがとうございました!」


「私は何もしていない。アンタの力だ。」


「いえ!マグダさんがいなかったら、確実に不可能でした。本当に感謝しています。たくさんの人を笑顔にできましたから。」


マグダはその言葉に一瞬固まったかと思えば、切なそうに口角を上げて睫毛を伏せた。

持っていた箱にゆっくりと視線を落とす。

どうにも食べる気にならず、ここにお供えでもしていこうと思っていた。

しかし……


「僕、今同じものを茂光さんの銅像に置きに来たんです。食べてくれたらいいな〜って。まぁゴミになって汚れちゃうから後で回収はして行きますけど。」


そう言われて銅像の方を振り返ると、確かに今自分が持っているものと同じ白い箱が置いてある。


「気温高くないから大丈夫だと思いますが、マグダさんもなるべく早めに食べてくださいね!では……」


「待ちなさい」


浪曼は、まさか呼び止められるとは思わず目を丸くして振り向いた。


「やはりこれは…食べられない。

だからこれも持ってってくれ」


「……もしかして、甘いの苦手とかですか?」


「そうじゃない。ただ、これを食べたらなんとなく…」


マグダは言い淀んで止まってしまった。

その暗くて何を考えているのか分からない雰囲気に、浪曼はあえて明るく言った。


「迷っているなら食べてくださいっ!一口だけでも!」


そんな笑顔で言われてしまうと、食べる他なくなる。

しかも浪曼が隣に腰を下ろしてきて、期待大の表情で見つめてくるではないか。

仕方なく箱を開けると、中には小さなフォークが入っていた。


ゆっくりと中のケーキを引き出す。

そしてその見た目に驚いたように目を丸くしてまじまじと見つめているマグダに、浪曼はにっこりと笑って、これはこういうイメージがどうこうだのと説明している。が、マグダの耳にはほとんど入っていなかった。

ただただ、その美しい見た目の2つのケーキに見惚れていた。


隣で喋っている浪曼は無視して、少し大きめに切ったモンブランを一口で口に入れた。


「……どうですか?ほんのりマグダさんのズブロッカの風味わかりますー?」


「………。」


黙って黙々と食べ進めているマグダだが、浪曼はその表情から安堵していた。

なぜなら、とても優しく幸せそうな顔をしているからだ。

次のサヴァランを食べる時も、同じだった。



「あの人も…これを食べたら幸せを感じたんだろうか…」


マグダはペンダントを手の上に置いて見つめている。

浪曼は、ラデックから聞いたペンダントの写真の話を思い出した。

チラと見えるのは、ラデックの言っていた通り、ホビット族ではない男性のようだ。

銅像の男性かもしれないと思ったが、銅像自体あまり顔の造形は分からないのでなんともいえない。


「……彼は…いつどんなことにもロマンを追いかける男だった。」


マグダが突然その人について語り出した。


「ロマンは愛で…

この世で1番大切な生きる希望だと言っていたよ」


「……そうですね。僕は、ロマンってまだそこまでよくわかっていないけれど、とても大切なものなんだってことは知っています。

ロマンは人生を楽しくし、誰かを幸せにするものだから。」


少し冷たい風が吹いてきて、目の前の星たちとマグダのペンダントが揺れた。


「私は…ロマンがどうこうと考えたことは1度もない。

ただ、一人の男を喜ばせたくて、認めてもらいたくて頑張っていた。それだけだった。」


ぽつりぽつりとゆっくり話すマグダは、揺れているペンダントに目を細めている。


「だから、 …いなくなったあと、どう生きていいか分からなくなった。なんのために酒を作っているのかも、正直今、分からない状況だ。」



" 恋は盲目って本当なのよ。後のことなんて塵ほど目に見えなくなんの "


ふいに、ミアが言っていたことが脳裏に甦った。

でも、その時浪曼は思った。


「そこまで誰かを愛すことができるって、凄いことじゃないですか。僕には経験がないから、正直とても羨ましいです。」


その言葉に、マグダは眉を寄せた。


「羨ましがるようなものじゃない…」


「どうしてですか?全力で誰かを愛せることの、何がダメなんですか?愛することが悪いことなわけない。」


ドクッとマグダの鼓動が跳ねる。

しばらく沈黙が流れた。

そして、マグダが静かに口を開いた。


「なぜならそれには、終わりがあるからだ。

この世に永遠のものは何一つない。

どんなものでも全て、消えてなくなるものだ。

だから、何かに執着することは良くないことに決まっている」



" どんな形であれ、終わりは来るんだからさ。他人を愛するなんてバカバカしい。そう思わない? "



「……そう…でしょうか?」


そんな悲しいことを肯定する何かが、僕には見つからない。


「終わりがあるからこそ、皆誰かを愛するんじゃないですか?

限りある人生の時間の中で、全力で誰かを愛せたなら、その時間って絶対に…一番素晴らしい時間だったに違いありません。」


ハッとしたようにマグダが顔を上げる。

目の前には、かつて全力で愛した人の笑顔がある。


「その後のことは関係ありません。

だって、終わりの後には必ず新しい始まりがある。

その始まりは全部自分次第で、その前の素晴らしかった想い出は新しい始まりの糧になる。

だからなんでも、消えてなくなるんじゃなくて、消えて生まれるんですよ…無限に。」



そう、自分に言い聞かせて生きてきた気がする。

希望を、ロマンを、失っては生きていけないから。

大事なものはいつだって、目に見えないから。




「人生は有限だが、ロマンは無限だ。」


マグダはそう呟いた。


「彼は、そう言っていたよ…」


人生には、終わりがある。

だから有限のものだ。いつまでもは続かない。

けれど、ロマンに終わりはない。

それは、いつまでも継がれていく無限のものだ。


「それは…いい言葉ですね」


「……それから、こうも言っていた」



" いつか、俺みたいな奴が訪ねてくるかもしれない。そしたら言ってやってくれ "



「自分を愛するというのは一生続くロマンの始まりだ…と。」




別れ際、浪曼は銅像にお供えしていた箱をマグダに渡した。


「よかったらこれ、食べてください。」


マグダはそれを受けとり、寂しそうに頷いた。

しかしその表情は、先程とは全く違うものに感じた。


「マグダさんの愛は、今日もこれからも、たくさんの人を幸せにしますよ。」



この日を境に、マグダはズブロッカの作り方を従業員たちに伝授しているとラデックの報告で知った。

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