カワウ郵便

@bigboss3

第1話


深海に2000メートルの海底に私はいる。特別に開発した対水圧スーツに身を包み、海底をゆっくり歩いていた。頭の横に取り付けられた照明を照らし出して、私はその船の残骸に照らした。その残骸はかろうじて船の原形をとどめてはいたが、船の艦橋をはじめとした上層部は完全に失われ、船体の外壁のみが原形をとどめていたに過ぎなかった。

 私は海中を照らし出し船名を調べた。だが、半世紀も立っていたため塗装などとうにはがれていたため確認できなかった。そこでヒレを使い何かその船について情報がないか調べた。するとその船に対空用と思しき砲台が残っていた。私はよく調べてみるとそこにはドイツ語の製造番号が書かれていた。私は確信をもって水上にいる調査船に無線で伝えた。

「見つけたぞ、コルモランだ。」

その無線を聞いた人々は中国語で喜びの声を上げ拍手や笑い声の合唱をした。

コルモラン、それは第二次世界大戦のときドイツ海軍が通商破壊に使用された仮装巡洋艦である。そして中国人である私の曽祖父が眠る棺の名前でもあった。


コルモランは第二次世界大戦がはじまった1941年にドイツ海軍によってどこにでもある貨客船に武装を施され軍艦として生まれ変わった仮装巡洋艦であった。本拠地のドイツからバルト海、大西洋、インド洋を通って太平洋にたどり着いた。ここまでの航路でコルモランは11隻の商戦を拿捕、撃沈してきた。そしてその最後は『事実は小説よりも奇なりと』いう言葉に似合うものであった。

 その日コルモランはオランダ商船に化けて太平洋を航行し次なる獲物を求めていると、遠くの方から軍艦が近づいてきた。この当時日本は参戦していなかったためすぐにその船が連合国の船だとわかった。その軍艦はオーストラリア海軍所属のイギリス製巡洋艦シドニーであった。元々イギリス海軍の所属であったシドニーはオーストラリアに買い取られた後地中海の作戦でイタリアの軍艦を撃沈してその後太平洋に戻り、その日、護衛していた護送船団を離れ不審船であるコルモランを怪しんで近づいた。

一方のコルモランは武装しているとはいえ商船に毛が生えた軍艦でまともに戦えば性能に圧倒的に不利な自分が海底の墓標にされるのは目に見えていた。しかもこの時コルモランはエンジン故障で14ノットしか出せず、逃げ切れる状況ではなかった。

コルモランは必死に分からないふりをして逃げ切るチャンスを伺った。しかし距離が1.3キロに迫った時シドニー無電でIIKPというものを受け取った。その昔日本とわが祖国がやっていた勘合貿易を暗号に変えたような暗号であった。デトマース中佐達はもはやこれまでと思い掲げていたオランダ商船旗からドイツ海軍旗に変え、先制の接近砲撃に移った。不意を突かれたうえ油断しきったシドニーはコルモランの先制パンチで艦橋と射撃装置を鉄の残骸にされ、第1第2砲塔に魚雷を撃ち込まれ使用不能にされた。『窮鼠猫を噛む』というのはこのことである。もっともシドニーも不意を突かれたとはいえ残った後部砲塔で反撃しコルモランに深手を負わせた。最後に体当たりしようとしたがかわされその後コルモランから離れ、その最後については発見されるまで謎とされた。

コルモランは消火装置が破壊されこれまでと思ったデトマース中佐の命令で自沈し脱出。その直後、機雷に引火して爆沈した。

実はこのコルモランに私の曽祖父が洗濯屋として乗っていた。そして彼は唯一の中国人での戦死者でもあったのだ。そのことを我々家族が知ったのは戦後中国に帰ったラウ爺さんたちの口からであった。そしてこれが怨みの始まりであった。


私の祖父や曾祖母は曽祖父が死んだのはラウじいさんが無理やりコルモランに載せ見捨てたせいだと思い込み、ラウ爺さんと彼の家族が謝りたいと何度も言っても無視は勿論、まるで人間でないかのような物言いで追い返したのである。

私は陰に隠れてラウ爺さんにあって昔の思い出を聞かせてくれた。そこでラウ爺さんは真相を聞かしてくれた。それによるとコルモランが手負いの猛獣であったシドニーの猛攻で自沈することになった時、火薬の一部に火が回った。その時一緒にいたラウ爺さん達洗濯屋の中国人と艦長のデトマース中佐をかばい、曽祖父は内臓が飛び出るほどの重傷を負ってしまったのだという。ラウ爺さんは必死で助けようとしたが、もはや手の施しようがなかったのだという。ラウ爺さんは滝のように涙を流し、必死に生きるよう言った。その際曽祖父はトランクに入れた妻と子供への手紙を家族に渡してほしいと伝えこと切れた。ラウ爺さんはトランクを持っていこうとしたが、すでにトランクのある部屋は火と煙で手が付かなくなり、行ける状態ではなかった。ラウ爺さんたちは断腸の思いでコルモランの艦載艇に乗り、爆沈するコルモランを316人の乗組員とともに眺めたのだという。

ラウ爺さんはもし深海調査でコルモランの残骸が見つかれば曽祖父のトランクを見つけたいと語っていた。私は曽祖父の手紙とラウ爺さんの願いをかなえるためサルベージ会社と掛け合い遺品探しに協力するよう頼みこんだ。金にもならないうえに沈没船あさりに世間が非難していたせいもあって渋られたがサルベージ費用をこっちが持つと言って何とか了承した。幸いにもコルモランは刺し違えた巡洋艦シドニーの捜索の際に見つけられたため正確な場所は絞り込んでいた。

私はそのことをラウ爺さんに伝えた。ラウ爺さんは小躍りして喜んだ。そしてそれが彼の最後の生命活動であった。喜んだ直後に胸を押え頓死してしまったのである。私は罪悪感を胸に今回のサルベージのためにオーストラリアに向かったのである。


私はスキューバダイビングの感覚でヒレを動かし懐中電灯で海底の床を照らし出した。見えるのは鉄の残骸と真っ白い砂ばかり。たまに乗組員のものと思われる靴やラッパが目に入ったが私にはそれに目もくれなかった。目的の物でもなかったし、第一戦死者の遺品を許可もなく引き上げるほどの無神経さを持ってなかった。世界では中国人の品のなさを批判することが多々あるが私は比較的品があると思う。確かに私はお坊ちゃま育ちで自分の思い通りにならないと相手が老人だろうが子供だろうが容赦なく喧嘩をしたし、わがままを言って駄々をこねていた。しかしだからといって人間に敬意を払うことを忘れてはいけないことを知っている。ましてやここにある船は枢軸国とはいえ命をかけて戦った人間の墓である。遺族や犠牲者に何の配慮もなく持ち去ることはしない。

私はそう考えながらかいていを捜索していた。と、突然目のまえに何か流線形の形をしたものが目に入った。最初私は船の残骸の一部ではないかと思いライトを照らした。その瞬間私の背筋は凍り付いた。それは全長3メートルぐらいのサメであった。見た目と海の深度から考えられることはこのサメはオーストラリアで保護動物に指定され、映画『ジョーズ』のモデルになったホホジロザメではないということである。そのサメは私に気が付いていないのかそれとも気が付いてはいるが謎の物体である私に警戒しているのか、噛みつきはおろか距離を取ってぐるぐると私の周りをまわっていた。

私はパニックになって無線機で来るはずもない助けを求めた。水面の人間は冷静なるよう言うとサメはこちらから何もしなかったら襲うことはないと伝えた。

私は言われた通り逃げ出したい衝動を抑えながら周りを一周するサメに体を震わしたい衝動を抑えながらじっとした。

するとサメは何を思ったのか私にあそこへ行けと指図しているのか頭を光の当たる方向に動かしそのまま泳いでいった。その瞬間私のサメに対する恐怖はなくなり奴について行った方がいいと思いついていくことにした。


泳ぎだして400メートルくらいした時不意にライトの隅に何かが写った。私はライトを眼の入った方へ向けてみた。それは革製のトランクであった。私は慎重にトランクに近づき名前がないか確認した。気を付けないと一歩間違えば墓荒らしと同義になってしまう。私が所有主であるドイツ政府と沈没海域のオーストラリア政府の引き上げ条件が他の遺品には手を出さないというものであった。その為トランクは腫れものを触るような慎重さで調べた。ふと私の目に何か黒いものが写った。それはそれは炭で漢字が書かれていた。昔の漢字だったため読むのに苦労したが、それは祖父の名前であることが一目でわかった。私は無線機のボタンを押して水上にいる調査船に連絡を入れた。

「私だ、目的のトランクケースを見つけた。」

私の声に反応して調査船の乗組員の声が耳元の鼓膜を伝わってきた。

「間違いなく、あなたの曽祖父の物ですか。」

「はい、墨で名前が書かれていました。間違いありません。」

私は無線通信でそう伝えた。すると、男から私の予定にはないことを指示してきた。

「酸素にはまだ余裕があるみたいだから、他の遺品も回収してみてはどうかね。」

勿論私はおだてに載せようとした甘い考えを一蹴した。

「もう十分です、目的は達成できましたから早く浮上して中身を確認したいです。」

私の声を聞いた無線の声の主は舌打ちしたようではあるがそんなことは私の範疇には入っていない。私は無線を切るとすぐに空気よりも軽い気体が注入された浮袋を膨らまし、その下に取り付けてあった網籠にトランクケースを入れた。そして、自分の体にも浮袋を取り付けると、まず網に取り付けてあった錘を切り離し、それと同時に私も曽祖父の眠るコルモランに別れを告げた。その時の私の心境は複雑であった。第二次世界大戦時、たった2隻の一騎打ちで祖父やラウ爺さん、そしてデトマース中佐達はどのような思い出戦っていたのであろうかと、そしてだれ一人生き残れなかったシドニーの乗組員は全員どのような思いで自らの最後を遂げたのであろうかと。私の世代は戦争という体験を動画共有サイトやテレビ越しでしか見ることがない。生で体験するのとはわけが違うのは頭の中では理解していたが、それは心の中、体の中で体験していないため、本当に理解しているとは思ってもいない。そのことを理化しているのは私を含めいったい何人いるであろうか。そのような考えが頭をよぎりながら私を吊り上げる浮袋は光も吸収する闇から深い青に少しずつ変わっていく。そしてそこにすむ生物も様変わりしていた。コルモランの眠る海底では光の届かないのところで視力を失った魚やカニがほとんどだったが水深が上がっていくごとにテレビや魚屋で見慣れた生物ばかり見るようになった。

私は上を見上げてみると、数人のダイバート全長90メートル以上の船底が見えてきた。私は心の中にある期待を胸に水面の波間に向かっていく。

私は光をさえぎるために下をうつむくとさっきのサメが浮上して別れを惜しんでいるかのような目で私を見つめていた。

「おい、あれはニシオンデンザメじゃないか、こんな暖かい海にいるなんて。」

ダイバーが持っていた電磁房で威嚇をしようとする。私はその必要はないと遮り、代わりに別れの言葉をつぶやいた。

(君のおかげだよ……。)

 私の言葉が通じたのかはわからないがサメは私を見つめると再び光の届かない闇の底に消えていった。もしかしたらあのサメは曽祖父かコルモランの乗組員が生まれ変わった姿ではなかったのか、私を導くために案内してくれたのかもしれない。私としてはそう信じたかった。餅路サメの寿命からしてあり得ないと否定するかもしれない。それでも私は信じたかった。私はそう考えて水面に上がった。



 船内に設けられている研究室。そこには腐食を防ぐために水につけられたカバンとその中身がつけられた。海水をはじめ塩分のある水に浸かったものは空気に触れると腐食を進行させる特徴があり、それを遅らせるために真水につけて腐食を遅らせている。トランクの中身は着替えがほとんどであったが、考古学なら喜びそうなものばかりであった。その中で目的のものである手紙は慎重に取り出され、中身が見れる状態にされた。

 私はそれを読める状態になったのを確認すると衛星電話で曾祖母と祖父のいる家につなぐよう頼んだ。私は衛星電話の受話器を耳に当て祖父に呼びかけた。

「祖父さん、聞こえるかい。」

「ああ、聞こえるよ。」

祖父さんは耳が遠くなったうえ、健康そのものの曾祖母と違い、祖父はアルツハイマー性の認知症の兆候が出始めていた。かつて日本の漫画に登場するアカギという人物と比べれば進行こそ遅いが、祖父も自分が自分でなくなる前に安楽死を望んでいた。私はその前に手紙を持ってくるから待ってくれと説得した。最初はかたくなだった二人ではあったが家族の願いに折れてしまった。

「いまからひいじいさんの手紙を読むからスピーカーにつないで。」

「大丈夫だ、私の母にも聞こえるようにしてある。」

 祖父のかすれ切った声が私の耳元に響いた。

「それじゃあ読むよ。」

私は真水につけられた中国語が書かれた紙を口に出して読んだ.



〝ミーシャン、この手紙を読んでいるころ私は海の上か運よく大陸にいるだろう。この手紙を書いているころの私はコルモランというドイツの軍艦で洗濯の仕事をしている。現在ドイツと日本が同盟国になり、わが祖国も日本との戦いによって荒廃の一途をたどっていることだろう。妻のお前と息子の安否が心配であるし、いつ私が売国奴として世間の非難の的になるかわからない。しかしこれだけはお前に伝えておきたい。私は自分の意志で仲間を誘ってともにドイツの軍艦に乗っているのだ。働き口のほとんどない私たちがありついた数少ない仕事だ。船内の乗組員の多くはヒトラーのアーリア主義に毒され私らを豚や猿と同一視しているみたいではあるがコルモランの艦長か誰か、恐らく士官の中に彼らとは違う視線で私たちを見ている人間がいるのであろう。でなければ私がこのような仕事に就けなかっただろう。それでは任務が完了してドイツか日本に寄港して帰れるようになれば貯まったお金を持って祖国に帰ります。″


 これは私が祖父の体力とこれを読んでいる人々のために要約してはいるが、大体は書かれた大筋の曽祖父の遺言ともいえる手紙の内容である。私は祖父と曾祖母が理解できるようゆっくり丁寧に読んだ。

 ふと耳元にかすかだが鼻をすする音と涙をぬぐう音が聞こえてきた。どうやら二人は曽祖父とラウ爺さんのことを思い出して涙が出たようである。当然と言えば当然である。今まで、死んだ原因がラウ爺さんだと思い込んでいたのだ。いや正確に言えば気がついてはいたのだろうが、恨む対象が欲しかった。心の中ではだれが悪いとも言えないし誰がいいとも言えない。すべては戦争という狂気が生み出した時代を恨むべきであった。それをラウ爺さんという哀れな生贄に求め彼を無言の非難に追い込んだのである。その罪は二人にとって消えることない十字架となった。そして二度とかなうことのない和解と謝罪も。

「二人とも、まだラウ爺さんのことを考えている?」



 ふと、耳元に何かのスイッチを入れるような音が聞こえた。私は最初機嫌を取るためにテレビかラジオのスイッチを入れたのかと考えていた。しかしその直後の家族の声を聞いて、私は耳を疑った。

「お父さん、何をしているの。」

 その声の主は恐らく伯母の声であった。彼女は悲鳴にも近い声でなにかを倒す音が聞こえた。それに合わせてドアを蹴破る音と10人ぐらいの人間がなだれ込む音が聞こえた。

「どうした、何があった?」

 私は気が動転しながらもいったい何があったのか理由を尋ねた。

「兄さん、大変よ。おじいちゃんとひいばあちゃんが安楽死用の薬を……。」

 それを聞いて私はどうしてと大きな口で受話器に叫んだ。その声を聞いて部屋の中にいた、全ての人間の注目を浴びた。

 まさか、祖父さんと曾祖母は曽祖父の手紙の内容を読んで確証を得た時点で自分は死ぬ覚悟を決めていたのか。私の動揺に周りの船員は何があったのか聞くが今の私はそんな説明ができる状況ではなかった。私は必死に祖父と曾祖母を呼んだが、祖父の声は終始和やかな状況であった。

「みんな、勝手なことをして済まない。でも、もう二人で決めたことなんだ。」

 その声の後曾祖母の声が続けて聞こえてきた。

「あたしは、ずっと引きつっていた旦那の思いやラウの思い。あたしは憎しみにかまけて彼の話も聞こうとしなかった。でもこれで思い残すこともない。私らこれで何のわだかまりもなくあの世で旦那とラウに会うことができる。」

 そしてか細くなった声で私に最後の言葉を残した。

「シフォン、私たちやラウのために荷物を取りに来てくれてありがとう……。」

 その直後家族の泣き叫ぶ声や必死に名前をいう言葉が聞こえてきた。その瞬間、私は衛星電話の受話器を力なく落とし下をうつむいた。中にいた乗員や研究員にはそのことで何か辛い出来事が起きたのだと察しって私を部屋から個室に案内した。私はただ出そうで出ない涙をこらえながら、乗員の案内に従うのであった。



 その日のきれいな夕焼けの空の下、調査船の船尾で、私は二つの花輪を海に投げ入れた。一つは曽祖父をはじめとしたコルモランの70人のために。もう一つはその仮装巡洋艦と相討ちになり、だれ一人生き残ることができなかった巡洋艦シドニーの全乗組員のために。

 第二次世界大戦の最中、まだ日本やアメリカが参戦するまえの太平洋でほんの小さな、人類の歴史は勿論第二次世界大戦の戦いの中でも針の穴のように小さな戦いがあった。その戦いの中で二つの軍艦は互いに不利な状況でありながらも死力を尽くし、そしてともに墓標になった。

 私は調査船の艦尾で沈みゆく夕日を眺めながら船と運命を共にした曽祖父達の気持ちに浸らずにはいられなかった。

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