第5話 Re:天使と悪魔

 牛頭馬頭に呼び戻された地蔵菩薩はイザナミを探しにまた地獄から消え、各補佐官達も順に戻ってきた。

「イザナミ様まで巻き込むとは、あの輩は生かして帰せぬな」

 はあと深く溜息を吐く。大王にとって彼女は大切な存在だ。他所から来た神に自分の国の一部を任せたのだから、足を向けて寝られない。

 緊迫する空気のなか、閻魔は牛頭馬頭と少し話した。一緒に戦えて楽しかっただとか、無事で何よりだとか、他愛のない囁かな一服だ。

 だが。

 ざんっと背中にある龍が斜めに切り裂かれた時、張り詰めた地獄の空気が一気に弾けた。

「閻魔様!」

 前のめりになる彼の身体を牛頭馬頭が受け止め、大王が振り向く。

「サタン!!」

 ぎりっとボロボロの歯茎まで見せて怒鳴った。真っ黒な両手剣を片手に持っているのは、甲冑に身を包んだサタンだった。

「貴様遂に破りおったな」

 強く拳を握りしめる。閻魔が牛頭馬頭に「大丈夫だ……」と言いながら立ち上がり、大王が覇気を使おうとした瞬間、どこからともなく白い甲冑が現れた。

『(封じたはずだぞクソ野郎!)』

 がきんっと剣を弾き、黒い悪魔は距離を取った。現れたのはガブリエルだ。真っ白な甲冑にマントが翻る。十字架を模した模様が刻まれており、両手には聖剣があった。

 黒騎士と聖騎士、両者は睨み合った。だが閻魔が先に飛び出す。血の滲んだ着物に袖を通したまま、拳をサタンの頬に振るった。

 がしゃんっと甲冑の独特な音が鳴り、木の板で出来た床に転がる。

『(おい貴様! 間に入るな!)』

 ガブリエルが数歩出て片手を彼の肩に伸ばした。瞬間、重たく大きな身体が一瞬で宙に浮いた。どんっと背中から落ちる。

「クトゥルフの気配だ」

 前の世界と同じ気配。ルシファーを相手にした時と同じ匂いだ。

『(なにを……)』

 呻きながら上半身をあげる。牛頭馬頭を含む補佐官達は戦闘態勢を取っており、大王以外の十王は固まって結界を張っていた。

「……サタンの意思ではない。そういう事か」

「ああ」

 ガブリエルは訳が分からないようで、ふらりと立ち上がると大王を振り返った。

『(大王様、)』

「ガブリエル殿、言語を」

 すっと掌を見せて制する。天使はあっと思い出して咳払いをした。サタンは転がったまま動かない。

『大王様、一体何が起きているんです』

 それにざっと説明をした。閻魔が来てからガブリエルは姿を見せていない。そもそも姿を消しているから、サタンがいるかどうかで判断するしかない。

『……確かめる必要がある』

 大天使である彼は特別驚く事もせず、聖剣を消すと転がっているサタンに近づいた。そして胸ぐらを引っ張りあげる。片手で重たい身体を支えたまま、右手を手刀の形にして引いた。

 瞬間、左眼の隙間を狙って突き刺した。びくっと補佐官や十王が反応する。

 ややあってぐちゅぐちゅと音を経てながら手を引っこ抜いた。真っ白だったそれは黒い血で汚れた。

 胸ぐらを掴んでいた手も離す。サタンの身体は人形のように倒れ込んだ。

『反応がない。これの左眼は私が聖剣で縛りを設けたものでして、私が触れると強制的に縛りが発動して激痛が走るんです。勿論この甲冑も消える』

 サタンはルシファーの時代から悪魔の力を使う事が出来た。それは黒い質量を持った影のようなもので、ガブリエルにそれを封じられてからは精々翼を作る事しか出来ない。当然、その力を最大限に利用した今の姿は無理なはずだ。

 明らかに別の力が働いている。ガブリエルは黒くなった右手を一瞥した。刹那。

 閻魔が腕を出して防いだ。斬られた黒い手が宙を舞い床に落ちる。

 すぐに再生する。サタンの頭に手を伸ばし、膝を腹に叩き込んだ。硬い感触に眉根を寄せる。

 ガブリエルが聖剣を持ちながら背後に回った。然し背中がうずめき、無数の棘が飛び出した。上体を軽く逸らして避ける。

 本来の姿に戻った牛頭馬頭が振りあがった右腕や身体を押さえ込む。だが全身がうずめき、棘が馬と牛の眼下や腕をかすった。

 勿論閻魔も飛び退き、腰をあげる。

「殺す気でやるしかないようだな」

 大王が静かに呟き、地獄の方に誘導するようにガブリエルに言った。然しサタンの意識はないせいか、天使には見向きもしない。

「我だ。狙いは」

 閻魔が言いながら裁判所の外に出る。すると一瞬にして後を追った。十王や補佐官が少しほっとする。

「牛頭馬頭、あの方と以前一緒に戦ったと言っていたな」

 ガブリエルがマントを翻して裁判所を後にする。牛頭馬頭は姿をそのままで肯いた。

「ならば援護は出来るな」

『はい』

 大王と二人の補佐官が後を追うあいだ、閻魔はサタンの自由自在で変則的な攻撃を避け続けていた。

「ちっ」

 相手の持っている剣自体も力によるものらしく、手放していても動かす事が出来る。ダミーの剣に踊らされる事もしばしばあった。

 頬に一筋入った傷から血が流れる。それを拭い、どうやって動きを止めるか考えた。

 そう相手を観察しながら着地した時、サタンの姿が消えた。すぐに気配を探る。上を見た。

 ガブリエルの聖剣が胴を貫いていた。そのまま地面に向かって落ちてくる。

 天使が剣を引き抜いて離れた瞬間、地面が蠢き針山や溶けた金属を巻き込みながらサタンの身体を包み込んだ。大王の力によるものだからそう簡単には突破されない。

 だが大天使であったルシファーの力を無理矢理引き出されているのか、無数の棘が硬い球体を突き刺し壊してしまった。

「想像以上だな」

 大王が呟きつつ下がる。サタンの狙いが彼に向いたからだ。牛頭馬頭が飛び出し主を守るように同時に蹴りを放った。

 当たった。かと思ったがぶしっと血が吹き出し、体勢を崩してそれぞれ転がった。

 左眼を丸くし、慌てて神力で地面を動かす。だが間に合わない。

 大王の首に向かって剣が振られる。当たる前に閻魔が飛び出し下から剣を蹴り上げた。

 続いてガブリエルが聖剣を投げ、サタンの首を狙う。

 ばしっ。その投げられた聖剣は悪魔の右手に受け止められた。

『(おい……おいやめろ! 離せ!)』

 ガブリエルが慌てて急降下しながら手を伸ばす。サタンの右手が一気に化け物のような気持ちの悪い何かに侵食されていく。

 天使が聖剣の刃に触れる。侵食は肩を超えようとしていた。

 瞬間、サタンの甲冑が一瞬にして消えた。悪魔にしては可愛らしい顔が見え、片方の腕を大王に伸ばした。その恐怖が浮かんだ右眼にガブリエルの甲冑も風に吹かれるように消えていく。

 侵食が更に進んだところでサタンの手を取った大王が大きな刃を出現させ、右腕ごと貫いて切断した。身体の方は大王の腕のなかに倒れた。

 静寂が流れる。全て一瞬の事だった。

 蹲り呻く牛頭馬頭、背中から血を流したまま前髪をあげる閻魔、聖剣を取り戻し口を噤むガブリエル。大王は気を失ったサタンを抱えあげ、静かに息を吐いた。

「怖かっただろうね」

 ヤミーが眼を瞑るサタンの胸元を撫でた。それに大王は肩を落とす。元々疲れた様子の横顔に、更に疲労感が加わっていた。

「今閻魔殿とガブリエル殿が八岐大蛇の所へ向かっておる。閻魔殿が判断次第、大門の先にいる奴を一気に叩くつもりだ」

 然し牛頭馬頭は脚を斬られた。的確な斬撃で、全快するのに一晩はかかる。大王の補佐官は陽の妖怪のなかでもかなり力のある者が選ばれており、彼らは地獄の武力を大きく担っている。

 獄卒達を集めたところで意味はないし、地獄自体を守る必要がある。他補佐官も十王らを守るのに割きたい。

「人数はかなり限られるな」

 三途の川の夫妻も亡者が入ってこないように門を守っているし、イザナミは行方不明だ。クトゥルフと一緒に来た彼がいるだけいいものだが、その彼でさえ一瞬の隙を狙って潰されかけていた。

 頭を抱える大王にヤミーはそっと髪を撫で、ややあって抱きしめた。

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