第4話 Re:ダーナが二人

「地獄の薬草、効くかね」

 閻魔は一つの敷布団の上に寝かされていた。彼を一瞥しつつヤミーが薬を調合する。地蔵菩薩の力では時間がかかるため妖怪や獄卒、場合によっては亡者にも使用する薬草を潰して練った。

「分からんが同じ地獄の神ならば効くだろう。それより、奴をどうにかせねば」

 ふうと息を吐き腕を組んだ。地蔵菩薩が簡潔に事情を伝え、今頃は十王全体に広まっているはずだ。

「あの大門って、黄泉の頃からあったものだろう?」

「ああ。黄泉を最初に創ったお方によるものだ。それに今は阿吽の鬼首もおる。幾ら他国の最高神であろうとも突破は出来んはずだ」

 大王の言葉にヤミーは「ふうん」と意味ありげに呟きつつ、紙で丸めた薬を持ったまま膝頭を彼に向けた。

「さて」

 薬を摘み上げ、口元に近づける。ヤミーの長い黒髪が少し顔にかかった。

 少し経ち、大王が十王と全補佐官を集めて話し合いをしているなか、閻魔の眼元がふっと開いた。

「おや、おはよう」

 視界には大きな胸と微笑む女の顔があった。ヤミーは閻魔の髪を撫でつつ、ざっと身体の様子を見た。

「効いた」

 そう呟く。閻魔は瞬きをしたあと、起き上がった。腕が元に戻っており、両手を軽く握った。

「……ここは、地獄のままか」

「うん。我はヤミー。ダーナは裁判所で話しているよ」

 着崩した胸元に手を当てて眼を細める。また癖の強そうな妹だ……。

「ダーナ?」

「ああ、ここでの閻魔大王」

「もう知っているのか」

 袖に腕を通し、襟元を整える。

「地蔵菩薩が来て説明した。面白い話だと思ったけれど、仏は嘘なんて吐かないからね。我もダーナもすぐに応じたところで、地獄の大門の方から火車の声が聞こえてきた」

 どんなに足掻いても部外者はあの洞窟を通って大門まで辿り着く。その為話を聞いたばかりの大王が直に出向き、間一髪で火車を守った。

「ふうん、そのクトゥルフというの、力を増したのか」

「前の世界でやり合った時より強かったように思う。どういう理屈かは全く分からんがな」  一息吐く。不意に煙が欲しくなった。恐らくまだクトゥルフの影響を受けて精神的に負荷を感じているのだろう、ここは素直に従う方がいいと懐を探った。

 然し一つもない。ジッポライターはあったが煙草の箱が丸っきり消えていた。

「うん? 何か捜し物?」

 ヤミーが顔を近づける。その大きな背丈に牛頭馬頭を思い出しながら、煙草の箱がなくなった事を答えた。

「煙草の箱……ううん、もしかしてそれは煙管で吸うもの?」

 小首を傾げる。それに肯いた。

「あるのか」

「あるにはあるけれど、我が判断するものじゃないね」

 この世界の年代は戦国、安土桃山時代。煙草という代物はそこまで浸透しておらず、地獄でも十王ぐらいしか嗜んでいない。

 勿論大王も時々吸っているが、その煙管は地蔵菩薩からの贈り物。現世の特注品を更に仏界で加工した代物であり、本人が良いと言わない限り貸す事は出来ない。

「そうか。仕方がないな」

 とはいえ気持ちはスッキリしない。大王が戻ってくるまでのあいだ、閻魔はどうにか気持ちを落ち着かせた。

「うむ。それならば使え。儂も気が苛立った時はよく吸う」

 大王はあっさりとそう言って箱から煙管を取り出して準備した。暗めの赤色と要所要所に仏具に使うような金色があしらわれていた。とても綺麗な姿で、丁寧に使っているのが分かった。

「うふふ、ダーナが二人」

 白煙が充満する室内でヤミーは口元を隠しながら笑った。上からのなんとも言えない目線に閻魔は視線を外す。

「ヤミー、幾ら同じ神と言えど客人だ。あまり困らせるでない」

 大王に軽く窘められ、ヤミーは眼を細めて「はいはい」と言いながら横になった。

「全く……閻魔殿、このような愚妹で申し訳ない」

 両方の拳を床につけて頭をさげる。

「いや、構わん。それより」

 やっと心が落ち着いた。深く吐き出す。

「うむ。地蔵菩薩から粗方事は聞いた。火車からも拙いながら、聞いてきた。結論としてはこの地獄で討ち取るのが最良だ」

 顔をあげると腕を組みながら言った。

「相手は邪神だ。それにまだ力を隠しているかもしれない」

 閻魔の言葉に左眼を伏せる。

「それは向こうも同じであろう。儂らの力も全体の戦力も奴は把握出来ておらんはずだ」

 クトゥルフも閻魔も、この世界の事は殆ど知らない。

「だが、」

「もう良い。貴殿一人の問題ではない」

 ふっと声音が低くなる。赤黒い眼を閻魔に向けた。

「これ以上口を挟むな」

 しんっと静まり返る。ややあって煙を吐いた。

 三途の川は奪衣婆と懸衣翁の夫妻が巨大な鬼の姿に戻り、亡者達がこれ以上入ってこないように封鎖された。そして裁判中の亡者は裁判所内に匿われ、八層になっている地獄はそれぞれ封鎖状態となった。

「牛頭馬頭……ここの者だったのか」

 補佐官達に紛れて二人の青年の姿が見えた。

「今更ながら合点が行った。まさかその頃から奴の手のなかにおったとはな」

 数ヶ月ほど前、突然牛頭馬頭が意識を失って倒れた。陽の妖怪は特殊であり倒れるなんて事はありえない。勿論裁判は滞り、一時間元大王の補佐官である三途の川の夫妻が請け負った事もある。

「身体はあったのか」

「あった。魂はその場になかったがな。牛頭馬頭のような妖怪は心臓が箱のような物で覆われておってな、魂もその中にあると言われておる」

 だから何かの力が干渉している事は明らかだった。大王は眉根を寄せたまま、呟くように言った。

「儂の地獄を荒らしおった罰はきちんと与えてやらねばならん」

 たんの絡んだ声に閻魔は静かに同意した。然し事態が急変する。

「大王!」

 獄卒の一人が慌てて駆け寄ってきた。振り向き、「なにごとだ」と返す。獄卒は片膝をついて報告した。

「イザナミ様とサタン様の姿が見つかりません!」

 ざわめきが広がる。

「イザナミ様はともかくサタン様は現世に出ていかれたのではないか?」

 大王が問う。獄卒は答えた。

「それが、ガブリエル様が必死の形相で探しておられました」

 すぐに大王は牛頭馬頭の方を向き、声を張った。

「地蔵菩薩を呼べ!」

「はっ!」

 他十王もそれぞれの補佐官に二人を探すように指示を出し、彼らは裁判所を後にした。騒然とする景色に閻魔は眼帯を見上げた。

「何が起こってる」

 それに視線をやらずに答えた。

「イザナミ様は死した神。地獄以外、黄泉の国からは出られぬ身だ。かのお方は自身の罪の意識から必ず我々の眼の届く範囲におられる、それを儂が来てからずっと、何千年と続けてきた」

「そしてサタン様は自由奔放なお方だ。だがここ最近、天使だというガブリエル殿が監視役としてつくようになった。普段は姿を見せておらぬが必ずついておる。彼が地獄を離れ現世に行こうが、元の冥界へ帰ろうが必ずついてまわる」

 だがガブリエルは探し回っていた。閻魔は理解すると視線を外した。

「クトゥルフの仕業だろうな」

 冷静な彼の言葉に肯く。

「こんな事はありえん。奴が来てからというもの、おかしな事ばかり起こっておる」

 彼ら二人の閻魔大王が裁判所内にいる時、サタンは八岐大蛇の死体のなかで口元を押さえていた。大きな右眼を更にかっぴらき、荒い息を白い手袋の隙間から吐き出す。

「おえっ」

 身体を捻らせて四つん這いになる。じわっと手袋に黒い液体が染み込み、ぽたぽたと幾つか落ちる。

 脂汗をかきながら手を離す。

「(なんだよこれ)」

 母国語で呟きながら掌に広がった黒い塊を見つめた。よく見ると僅かに蠢いている。

 真っ黒な血液に混じって涎が垂れる。更にえずき、手を地面に突っぱねて吐き出した。

 悪魔の血は黒い。だがまるで、そいつ自身の体液のように感じた。

「はあ、」

 べちゃべちゃと大量に吐き出されたのは黒い塊ばかり。なんなんだと眉根を寄せ、顔をあげた。

「(ガブリエルは)」

 そういえば気配を感じない。そもそもどうやってここまで来たのか、記憶が朧気で夢のような感覚だった。

「(大王、大王に言わないと)」

 悪魔はこの地獄にとって異物と変わらない。ただあの裁判官の温情で受け入れられているだけだ。だから自分に何か異変があれば報告しなければならない。

 ふらりと立ち上がった。その時、視界に黒い手が映った。

「(え、)」

 それは指の先が鋭く尖ったもので、西洋の甲冑のような見た目をしていた。だがサタンは眼を丸めて両手を凝視する。

「(な、なんでだ)」

 動かす度にかちゃりと音が鳴る。じわじわと肘から肩にかけて、甲冑に変わっていく最中だった。サタンは恐怖の色を片眼に浮かべた。瞬間。

 全身が黒い甲冑に覆われ、空に飛び上がった。騎士のような重厚で大きな身体。山羊のような捻れた角を連想させる頭の装飾。甲冑がそのまま生きているかのように、眼元の隙間からは無数の眼球が覗いた。

『Let the death game begin.』

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