第6話 Re:フィンブルヴェト
一際大きな神殿にはヨルムンガンドとスレイプニルが控えており、八岐大蛇も近くで丸くなっていた。その神殿に一人のモンスターが慌てて駆け、なかにいる少年の前に跪いた。
手に持っているタブレットを差し出す。少年、ロキはそれを受け取り画面を見た。どんどんと眉根が寄っていき、唐突にタブレットを床に叩きつけた。
人に化けている妖怪や悪魔達がびくりと反応する。
「なんだこれ」
汚物を見るような眼で画面が割れたタブレットを見た。
「なにこれ」
視線を報告しにきたモンスターに向けた。人型のそれは「なにと言われましても……」と眼を泳がせた。
「はあ。伊邪那岐命と加具土命って、強い神様なんでしょ? なんで両方とも死んでるの」
前のめりになりながら問いかける。
「さ、さあ」
首を傾げる様子に溜息を吐き、ややあって椅子の背もたれに身を預けた。脚を組む。ブーツの先が向いた。
「ただ天照大御神のSAN値がかなり削れているようで」
「それはいい。加具土命を殺したのは誰」
「え、っと、」
割れたタブレットを拾い上げる。ややあって答えた。
「牛頭馬頭、伊邪那美命、それと、閻魔大王、です」
「写真か映像は? あるよね」
「はい」
操作したあと、画面を向けた。見下すようにそれを見る。
映像はイザナキの手のなかから撮られたような画角で、斜めに傾いていた。然し閻魔大王の姿はしっかりと映っている。
『元の世界に生きたまま戻れる、という訳か』
『そうだ。だが奴らはそこまで甘くはない』
位置的にイザナキの声が大きく聞こえるが、彼の淡々とした冷静な声音にロキは鼻で大きく笑った。しっしと手で払い、モンスターは低姿勢で下がった。
「牛頭馬頭とかいうのもムカつくけど、その閻魔大王はもっとムカつく」
とんとんっと肘掛けを指で叩いた。
「ユダも上手くいってないし、内側から削るのはもう無理みたいだなあ」
少し考えてからロキは視線を魔物達にやった。
「天照大御神が死んだら一気に仕掛ける。もうめんどくさい」
遊びに飽きた子供のようなトーンで言い放った。少しざわめきが起こる。
相手は神仏だ。幾ら集まったところで強い光の前では闇は消える。だからこそ内部に紛れ込ませ少しでも削ろうと計画を実行した。その為にクトゥルフを乗せて、カグツチのような鉄砲玉を作ってもらった。
実際にクトゥルフ相手にあれこれやってなんとか成功させた九尾の狐やメフィストフェレスは、ロキに対して嫌悪感を孕んだ眼で見つめた。
「それにしても、」
ロキの眼元が歪む。
「お互い元の世界では恨みあってたからって、裏切り者になってまで一緒に同じ事をしたいとか面白すぎでしょ」
はははと少年の笑い声が響く。各地の神話から飛び出してきた化け物達も同じように笑う。
「バカらしい」
こだまする笑い声のなかでロキは忌々しげに吐き捨てた。
神宮内、イザナギが座っていた場所は空席になっており、閻魔大王とイザナミがそこを見つめていた。
『……わしはせぬぞ』
「それは構わんが、喋れたんだな」
ちらりと視線をやる。顔がないせいで何を考えているのか分からない。いや顔があったとしても獣だから読み取れないか。
『ああ。あの男が怪しくてな。喋らないでいた。ただの獣だと思ったのかよく油断していたよ』
前脚を伸ばして伏せる。綺麗な毛並みから視線を外した。
『あれらはカラクリと言ったな。今はヤミーに見せているのか』
「我よりも先の時代から来たらしいからな。詳しいだろうと思って」
沈黙が流れる。
『……世界は違えど血の繋がった妹だろうに、牛頭馬頭が来てから全く会わないな。なにが気に入らんのだ』
ぐっと首の断面を向けた。般若の面は不思議と閻魔に視線を送っているように見えた。
「単純に、戦力にならんからだ。牛頭馬頭の方が強い。弱いのはもう良い」
火車の事を思い出す。庇って死ぬのだけは避けたい。
『ふん。流石は戦闘狂じゃのう』
ややあって座り直す。面が揺れた。
『閻魔、貴様は地獄の王だ。相応しい』
「ここにいるのは殆どが日本神話の神だ。母であるイザナミがやるのが妥当だろう」
『無理だ』
視線をやる。断言する彼女は空席を見たまま答えた。
『元の世界では死んですぐ獣になった。黄泉の国をどうこうした事もない。国を産んでそれで終わり……わしには出来んのだ』
それにややあって息を軽く吐いた。
「伊邪那岐命と加具土命は恐らくグルだ。ヤミー」
閻魔があの座についたあと、神仏を集めて声を張った。呼ばれたヤミーは少し寂しそうな表情をしながらも口を開いた。
イザナギの懐から出てきたのは盗聴器や小型のカメラであり、GPS機能も搭載されていた。データを探ったところカグツチとの会話が一部残っており、少なくともイザナギが最初に言った「襲いかかってきたから殺した」というのは嘘になる。
「かなり、仲はいいように聞こえたわ」
それからGPSを逆に追跡したところ、ロキのいる神殿に当たった。
「どの機械も一から造ったわけじゃない。多分、そういう力なんだと思うわ」
「だから、私の事はバレてる」
胸元に手を当てる。ややあって閻魔が話を続けた。警戒を怠るな、そして精神の負荷に気をつけろ、と。
「……」
さっさと引っ込む彼を眼で追う。後ろに控えていた牛頭馬頭が静かについて行くのが見えた。
一つ溜息を吐く。
「仕方ないか」
兄ではあるが、兄ではない。期待するだけ無駄だとアマテラスのいる部屋に向かった。
「失礼しますわ」
小声で呟き襖を開けた。アマテラスは仮面を外された状態で横たわっており、背を向けていた。傍に寄り、膝を折る。
「大丈夫ですか?」
返事はない。小さく呼吸に合わせて動く身体を見た。
「ちょっと、触りますね」
そっと指先から、二の腕に触れた。刹那、振り向いたと思った時には遅く、吹き飛んでいた。
襖を何枚か突き破り、畳のうえに転がる。げほげほと咳を漏らしながら四つん這いになった。
なにがおきた……そう眼を丸くしながら視線をやった瞬間、腹に蹴りが入った。
反射的に開いた口から胃液が吐き出される。天井に大きな穴を作ったあとに畳に落ちる。えずきながら更に吐いた。
息を切らす。肋骨は既に折れている。視線をやる。
「あまてらす、さん、」
畳を削る程の力で拳を作る。見上げたアマテラスの双眸には光がなかった。
「くぞっ」
足裏をつける。このままでは殺される。
アマテラスの脚が動く。更に蹴るつもりだ。これ以上蹴られれば内臓が破裂する。
ヤミーは諦めた。諦めた代わりに、力を使った。
ふわっとアマテラスの身体が後ろに倒れる。白眼を向いており、死体のような浅黒い皮膚に変わった。
だが直前で元に戻り、そのまま身体だけがどんっと倒れた。と同時に水が現れ、どんどんと増えていく。
ばしゃっと音をたてながら立ち上がる。腹を押さえ、苦痛に顔を歪める。
水は倒れたアマテラスの顔付近まであがっており、着物や髪が揺れた。瞬間、水飛沫をあげながらヤミーが押し倒された。
頭に手があり、起き上がった瞬間に顔を掴んで一瞬で押したのが分かる。ぶくぶくぶくっと泡が登る。然し、水の力はヤミーのものだ。
腰までの深さになった水中でヤミーは死の力を使う。また白眼を剥いて横に倒れた。水の底まで沈む。
力は同時に使えない。水が勢いよく引き始めた。だがその直前に切り替え、アマテラスがまた動く前に馬乗りになって頭を押さえつけた。
顔がぎりぎり出る程度の深さまで水が増える。アマテラスは動きだしたが水中の重さや抵抗力に上手く力を振るえず、反対にヤミーは地上と全く同じ調子で抵抗もなく力を加えた。勿論素早さはヤミーの方が断然上だ。
しかも彼女は呼吸が出来る。息を吸い込んでぐっと力を入れた。
がぼっと泡が漏れる。もがき苦しむ姿に歯を食いしばる。
その時脚が当たり、声が漏れた。手が少し離れる。瞬間、手首を掴まれた。
両方掴まれる。幾ら水中とはいえ、相手の力は桁違いだ。
抵抗を受けないが浮く事は出来るヤミーの腹に、更に膝が打ち込まれた。もう吐き出すものはない。声にならない声が漏れだし、天井のぎりぎりまで浮いた。
アマテラスはすぐに外に向かって泳ぎ出す。着物を幾つか脱いで身軽にし、部屋のみを埋め尽くす水の終わりまで向かった。
然しぎゅいんっと脚を引っ張られる。上を見るとヤミーが歯を見せながら笑っていた。
「逃げられると思うな」
反響する声。刹那、拳が頬に当たった。胸ぐらを掴まれており、水の抵抗を力だけで押しのけながら何発も放った。
完全に意識が飛んでいる顔で、血が滲んで流れていく。アマテラスは更に殴り、髪を掴んだ。
水が僅かに減りはじめる。膝が顔面に当たる。血が滲む。
アマテラスの表情も険しくなる。息が詰まる。
変形した顔を晒しながら水に浮かぶ。腰を蹴り上げる。
濡れた天井が現れ、アマテラスがそれを見つけた。呼吸出来る、そう沈んでいくヤミーを他所に向かった。
「だから、逃げられねえって」
ぱちんっと指が鳴った瞬間。大量の水が息を吸う為に開いた口のなかに吸収された。一気に風船のように膨れ上がったアマテラスの身体が、どちゃりと音をたてて畳に落ちた。
然しその下には丁度ヤミーがおり、押しつぶされる形になった。
彼女達の死闘を発見したのは見回りをしていた小柄な神だった。
「……両方死んでいる。我が外にいなければこうはならなかっただろう」
腰をあげる。
「埋めてやろう。アマテラスも辛かったはずだ」
閻魔の言葉に牛頭馬頭が動き、両者の身体を抱えあげた。ヤミーが居なくなったせいか水は抜けており、やせ細ったアマテラスの身体の一部はゴムのように変わっていた。
二人の身体は丁寧に土葬され、神仏達は何度目かの合掌を行った。ふっと息を吐きながら眼を開ける。
「力のある者から消えていくな」
恐らくそれが狙いで……閻魔は軽く頭を掻き、煙草の煙を吸いに行った。
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