聖戦

 これ以上戦力を削ぐわけにも行かず、他の神々も同じような状態だった。

「中国の四凶と四神獣が先にやりあったようで、玄武と鳳凰が弾かれたと」

「噂程度ですが、ロキ側についた妖怪の一部が勝手に動き始めているようで、八岐大蛇と酒呑童子が煽っているらしく近々こちらに攻め込んでくると」

「悪魔の方も統率が取れにくくなっている模様。ロキ自体の軍勢はほぼ北欧神話の物の怪のみと思われます」

「キリストや道教、ヒンドゥー辺りは既に向かっているようで、遅れているのは日本と北欧神話のみでございます」

「大王、いかがいたしましょう」

 牛頭馬頭が項垂れる先で閻魔は紫煙をくゆらせた。彼の後ろには元々なにもなく、ただ空っぽの祭壇があるだけだ。

「獄卒や龍なんかの神は殆ど見つかったのだろう?」

「はい。アマテラス様程の戦力には及びませんが、数で言えば以前よりも多いかと。ただやはり仏は、」

 馬頭の言葉に「分かっている」と遮った。仏は悟った者だ、戦闘狂なんて一人もいない。

「神話と地獄だけでも十分だろう。お前らもいる」

 軽く口角を引く。それに牛頭馬頭は「はっ」と頭を下げた。

 太陽が再度昇り、世界を分け隔てなく照らした頃。他神話に続いて日本、北欧が動き出した。

 仏は一部の者がつき、他は全体にバフをかけられるように神宮内で合掌した。

「貴様が閻魔大王か。随分と華奢な男じゃのう」

 北欧神話を纏めるオーディンが横眼で見る。その大木のような背丈と体格に閻魔はなにも返さず、ただ一点を見つめた。

「日本の妖怪共が来る」

 有名どころからマイナーなものまで、ここまで生き抜いてきた強者達が一気に来る。着物の上を脱ぎ、前髪をあげる。彼の両隣にいる牛頭馬頭は姿を変え、鼻から息を吐いた。

「八つの首は儂がやろうかの」

 オーディンも袖を捲り上げ、息を吸い込むと腹から地鳴りのような咆哮をあげた。瞬間、閻魔を先頭に両者共に飛び出した。

 先に閻魔に襲いかかってきたのは九尾の狐。然し横から面を外したイザナミが飛び出した。陶器で出来たような不気味な眼が見える。尖った口には牙が乱立していた。

 獣同士が転がり視界から消える。閻魔は雑魚を片手間に払い除けながら進んだ。

「閻魔ァ!!」

 上から来たのは酒呑童子。それを笑って見上げた。然し鬼の後ろには馬の顔が見えた。

 どんっと蹴りが背中に当たり、閻魔は落ちてくるのを華麗に避けた。馬頭はすぐに酒呑童子の胸ぐらを掴んで拳を入れる。こいつらも大概だと視線を前にやった時、大天狗の錫杖が背後から迫った。

 だがぴたりと止まる。赤い顔が歪み、錫杖を引こうとする度にりんりんと揺れた。

 黒い手が二つ、柄をしっかりと掴んでいた。ゆっくりと振り返る。赤い瞳と眼が合った。

 瞬間牛頭の両手を合わせた拳が脳天に入り、大天狗は錫杖から手を離しながら落ちていった。閻魔は錫杖を掴み直し、大口を開けて突っ込んできた牛鬼の喉奥に突き刺した。

 飛び散る血がつく。それを拭う事もせず下から這い上がってきた大百足の攻撃を避け、牛頭馬頭がすぐさま頭を踏み潰した。巨大な猫又を避けたあと前脚を蹴り飛ばし、また横から突っ込んできたイザナミが首の辺りを噛んだ。力任せに噛みちぎると血の雨が降る。

「まだだよ!」

 影が落ちる。見上げると刀を下に向けた酒呑童子が見えた。牛頭馬頭が反応するが、ボロボロになった九尾の狐が尻尾を駆使して妨害した。

 太陽光を反射する刀が降りてくる。閻魔はそれを見ず、酒呑童子の眼だけを見た。

 切っ先が触れる……瞬間、ハイキックが鬼の首に入った。かなり大柄な鬼だ。それでもぐきっと妙な音が鳴る。

 閻魔は息を吐きながら着地し、その後牛頭馬頭が尻尾を力任せに引きちぎった。彼らが瀕死の狐を追いかけはじめた時、まだしぶとく生きている酒呑童子が刀を構えた。首は不自然に折れており、顔が傾いている。

「ほお、タフだな」

 とはいえ閻魔も頭がなくなったところで死にはしない。鬼ならば尚更だろう。白刃が舞い、ひらりと避ける。

 酒呑童子がその回避を読み取り、起き上がった顔目掛けて振った。

 がきんっ。

 刀が止まる。ややあってびしっと大きくヒビが入った。

 閻魔の口には刃があり、鬼が唖然とするあいだに一瞬のうちにして噛み砕いた。舞い散る刃の破片。理解するより先に彼の拳が下から迫っていた。

 髪を掴んだまま鳩尾に叩き込む。眼と口を見開き、衝撃で足は浮いた。このぐらいでは死なないだろうと考え、まだ叩き込む。そのうち髪がちぎれ、酒呑童子の身体は崩れ落ちた。

「……弱い」

 ぱらぱらと黒い手から赤髪が舞う。ややあって牛頭馬頭がぼろ雑巾のようになった狐を引きずりながらやってきた。

「大王」

「ああ」

 ぱっぱっと手を払う。

「拍子抜けした」

 ふわりとイザナミが舞い戻る。口元は赤く染まっていた。

「そんなもんか蛇野郎!」

 オーディンの咆哮と共に首が二本になった八岐大蛇が返す。然しその口に手を突っ込まれ、内側から皮膚を突き破って首を掴まれると引っ張られた。みちみちと鱗が呻き、ぶちんっと勢いよくちぎれた。

 大量の血が降り注ぐ。トップ勢が一気に削られ、妖怪達は散り散りに逃げようとした。だが獄卒と北欧神話の神獣や神々に追いかけられ、水の波紋のように広がって静かに終息した。

「この程度ならば、ロキも大した事はないだろう」

「若いの、化け物はこの程度でも神は分からんぞ」

 オーディンの言葉に髪を撫で付ける。血がワックスのようについた。

 閻魔とオーディンは先に始まっている乱戦に合流した。その時、山羊の頭を持った悪魔、バフォメットが一瞬にして彼の後ろをとった。

 がばりと山羊の口が裂け、本のように開く。真っ黒なブラックホールのような口をゆっくりと近づけた。

 瞬間、黒い拳が喉奥を突いた。伊邪那美命から皮肉にも貰った手は普通のものではない、バフォメットは拒絶反応で吐き出そうとするが、他の腕で顎を掴むと更に突っ込んだ。

 肩のぎりぎりまで飲み込まれる。だが流石にやりすぎたようで、手の先から生ぬるい液体が駆け上がってきた。まずいと感じ、引き抜く。体液でどろどろになった腕が返ってきたと同時に、バフォメットの口から大量の黒い液体が吐き出された。

 他の悪魔も神々も天使も、全員巻き込まれる。その液体は脚に纏わりつき、じわりと溶かしはじめた。絶叫や悲鳴があがる。閻魔はしくじったと舌打ちをかました。

 その時、地蔵菩薩が頭上を過ぎた。と思えば神々しい光が一瞬視界を奪い、眼を開けた時には黒い液体が綺麗さっぱり消えていた。

 見上げる。地蔵菩薩は既にいない。バフォメットが息を切らして口元を拭うあいだに閻魔は口角を引き、捻れた角を掴んだ。そうして思い切り引っ張る。

 角の神経は脳みそと繋がっており、悪魔はそれを阻止しようと鋭い爪を振りかぶった。だがその焦りが彼を刺激する。ここは致命傷だと教えられたも同然だ。

 ぶちっと角が根っこからちぎれ、神経や血管が抜かれた。そのまま足で身体を蹴り出す。大きな身体は転がり、うつ伏せに動かなくなった。角を放り投げる。

 弱い。なにもかも弱い。妖怪も悪魔も、全員弱い。

 気づいた時には走り出していた。ロキのいる神殿に向かって走り出していた。

 然しその前に彼の子供達が立ち塞がる。半身が腐ったヘルが甲高い声を響かせ、大量のゾンビを作った。それに合わせてフェンリルが飛び出す。閻魔は立ち止まらずに走った。目線は彼らの先を向いている。

 彼を囲むように襲いかかるゾンビ達は牛頭馬頭に順番に潰され、牙をむき出したフェンリルには力を使ったイザナミが突進して噛み付いた。ぶらぶらと身体をぶら下げながらも狼の首筋をしっかりと掴む。

『大王の邪魔だ』

 気づいた時には二頭の獄卒がヘルの前にいた。慌てて力を使おうにも間に合わない。牛頭の頭突きに白眼を剥き、倒れ込んだ。腐った半身が溶け始める。

 牛頭馬頭が先に行く。閻魔はあとに続いた。フェンリルの四肢が邪魔をしようと動くが、その前にイザナミが脚の付け根や耳を的確に狙って噛み付いた。体格差は何倍もあるのに、瞬間移動のような速さと想像以上の力に振り回された。

 次に現れたのはスレイプニルで、六本の脚を動かしながら真正面から突っ込んでくる。流石に巨大すぎて対応しきれない。閻魔達は避けようと動いたが、スレイプニルはその巨体と速度で対応した。

 ちっと舌打ちが漏れる。瞬間、牛頭馬頭の前にオーディンが立ち塞がり、慌てて足を止めた。

 一回り馬より小さい神は全身で受け止めた。踵の後ろに土が盛り上がる。

「っふう」

 逞しい髭のあいだから息を吐き、そして音が鳴るほどに吸い込んだ。胸が膨らむ。

 オーディンの咆哮は特殊なもので、閻魔達は耳を塞いで耐える事が出来たがスレイプニルやフェンリル、ヨルムンガンド、そしてロキは時が止まったように動かなくなった。

 ぴたりと止まったスレイプニルを持ち上げ、叩きつける。横になった馬の頭を何度も殴りつけ、その後跳びあがるとどすんと地響きを鳴らしながらフェンリルの近くに着地した。

 そうしてイザナミが退いた瞬間、狼の口を掴んで首を反対方向に曲げた。ややあって静寂が流れる。オーディンは息を切らしつつロキのいる方角を見た。

「迷惑千万じゃ」

 その時、ぱちゅんっと小さな音が鳴った。と思えばオーディンの眼がぐるりと上を向き、膝が落ちた。倒れてくる巨体に慌てて逃げ惑う。北欧神話のトップは唐突に、土埃をあげて倒れた。

「……」

 周りがざわめくなか、閻魔は上を見ていた。僅かに見える。透明化しているドローンのようなものが。

 瞬間彼はその場から消えるように走り出した。牛頭馬頭が慌てて追いかけるが彼の本気にはついていけず、一瞬のうちに距離があいた。

 閻魔は神殿が見えると跳びあがり、屋根を拳だけで破壊した。驚いて見上げるロキと眼が合う。「あ!」とロキが指をさした瞬間、神殿の壁に何かがぶつかった。

 青年のいた場所には閻魔が立っており、ぱらぱらと破片と共にロキが落ちた。

「おま、随分なご挨拶じゃん、」

 ふらりと起き上がった頭に肘をおろす。もう一度倒れ、苦痛の顔を見下したあと腰の辺りを蹴り上げた。

 壁にぶつかり、げほっと大きく咳き込む。呻き声が反響する。歩いてくる閻魔を片眼で見上げた。

「ちょっと、少しぐらい、」

 腰を押さえつつ起き上がる。だが背中を思い切り踏まれ、呻きながらうつ伏せに倒れた。ぐりぐりと黒い足がねじるように動く。

「ちょっ、」

 じわじわとめり込む。血が服に滲む。

「まっ」

 ばきんっと骨が折れ、ぐちゃりと内臓が潰された。ややあって脚をあげる。足裏から潰れた肉片が落ちた。

「……」

 顔を上にあげ、長く息を吐く。

 つまらん。

 つまらん。

 つまらん。

「……つまんねエなあ」

 刹那、空がぱっと変わった。まるで宇宙。合成したような不自然な空に神々は一様に見上げた。

『なあ馬頭、あそこ誰かいねえか?』

『はあ?』

 牛頭馬頭が顔を寄せあって指をさした方を見る。ぼんやりと、黒い宇宙のなかに丸い何かが居るように感じた。

 ぐさっ。

『んぇ?』

 牛頭の胸元、心臓のある位置に黒い一本の針が突き刺さっていた。ごぼっと血が吹き出す。

『牛頭』

 振り向いた時、馬頭の胸元にも刺さる。その振動に針が伸びている先、あの暗い暗い闇のなかの何かを見た。

『……閻魔様、最後までお供できず、』

 ずぼっと抜かれた瞬間、牛頭馬頭の身体は膝から崩れ落ちた。

「……」

 顔をさげる。気配が変わった。何か別のものに、得体の知れない別のものに変わった。

 神殿から出る。その時、閻魔の口が少し開いたと同時に後ろから蹴り飛ばされた。

 吹き飛び、地面に転がる。がっと手を置き、足裏をつけて起き上がろうとした。然し大きな手に掴まれたと思えば、ボールのように投げ飛ばされる。

 どんっと大きな壁にぶつかり、血が口から吐き出された。そのまま力無く落ちる。ぶつかったのは巨大な人影だった。

 世界は地獄と化していた。空は宇宙に変わり、そこから得体の知れない不気味な旧支配者達が覗き込む。数ある神や妖怪の死体があちこちに転がり、それを二体の巨大な人影が蟻を踏むように蹴散らしながら、一人の男を投げて飛ばして遊んだ。

 飛ばされてぶつかって落ちると思えば、大きな手に掴まれてまた投げられる。体勢を変える余裕もなければ、状況を理解する暇さえ与えてくれない。

 地面に叩きつけられ、土の不味い味が広がる。それをぺっと吐き出しながら立ち上がろうとしても下からすくい上げられ、そのまま空高く打ち上がる。

 先程までの順調な、つまらない聖戦はどこに行った。あれは夢だったのか?

 がはっと大量に血が吐き出される。咳き込み、涎と混じった血が吐き出される。

 片腕をつままれる。自分の体重も合わさって軋むような痛みが走る。

 そのままぱっと指を離された。落ちていく感覚に頭が上手く動かない。

 うつ伏せになった時、蹴りが入った。肺が潰され変な音と共に空気が漏れる。また空に打ち上がった。

 うち片方に掴まれ、また飛ばされるのだろうと息を吐いた。然し次は違った。顔のない人影の指が頭を摘んだ。

 そうして力が加わる。めきめきと頭のなかから音がする。幾らなくなっても平気とはいえ、痛みはある。

 黒い手で抵抗しようにも相手はビクともしない。まるで自分が虫になったようだ。

 まだ息子達が小さかった頃、地獄の虫を捕まえて羽根を引きちぎろうとしていた。もがき抵抗しようとする虫と、全く気にせずに引っ張ろうとする子供の手。めりっと根元がちぎれた時、閻魔が気がついて軽く叱った。

 当時の子はすぐに理解しなかった。子供とはそういうものだ。解放されて飛んでいった虫は少し先で力を失い、そのまま息絶えていた。

 めきめきと音が強くなる。親として、地獄の王として叱っただけで戦闘狂の彼はそこまで理解していなかった。勿論虫側の気持ちなんて考えた事もない。奴らに感情なんてないからだ。

 然し今になって分かった気がする。彼らがどれだけ必死だったか、そしてどれだけ苦しんだか。彼らに恐怖という感情はないだろう。だがあったとすれば怖かったはずだ。

『恐怖、しているな』

 閻魔の眼には、怯えた色があった。


 ざんっ。


 その斬ったような音と共に炎の尾が見えた。人影の腕が斬られ、落ちる感覚が走る。

 眼を丸くする。視界には炎を纏った青年と、二頭の大女がそれぞれ人影に攻撃していた。

 手を伸ばす。加具土命と牛頭馬頭に対して手を伸ばした。

 閻魔が地面に叩きつけられる前に誰かの腕が受け取った。そのしっかりとした腕と布の下から見える裂けた口に、状況が飲み込めないでいた。

『なにが起きてる!』

『ぁああぁあ! 世界が犯される!』

 クトゥルフ達の取り乱した不気味な声に、聞き覚えしかない声達が聞こえてくる。

「ヤマ」

「親父」

「兄者」

 ふっと口角を引き、伊邪那岐の腕から降りると息を吐いた。

 彼らのお陰で旧支配者らは叩き落とされ、クトゥルフが閻魔の殺意を感じ取って振り向いた。

 血に濡れた戦闘狂の笑み。そして彼の世界から来た伊邪那岐、加具土命、牛頭馬頭、それと神話にはいない子供達が一瞬にして見えた。

『まずいイ、天照大御神だア』

 頭をぐしゃぐしゃにして震えた声を出す邪神の一人に、クトゥルフは探すように視線を巡らせた。

 割れた世界の隙間から獄卒や神々が降りてくるなか、一人の女と眼が合った。その凛とした太陽神、最高神の姿に一瞬身体が動かなくなった瞬間。

 視線をやった時には遅く、閻魔の狂った笑みと共に拳が見えた。

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