第5話 Re:地獄の業火
その時、境内に馬のいななきのような声が響き渡った。足元の光りが弱まり、カグツチが振り向いた瞬間。
踵が丁度鼻の辺りにヒット。閻魔から引き剥がされる形で吹き飛び、衝撃で纏っている炎が弱まった。
ふんっと馬の鼻から勢いよく息を吐く。
「……馬頭?」
唐突に現れたのは、三メートル近くありそうな馬の頭を持った男だった。真っ黒な上体と顔には白い模様が走っており、腰からぶら下がった綱のような紐飾りが揺れた。
『大王、ですよね』
口は動いていない。だが真面目そうな息のあがった声が聞こえてくる。
「ああ」
影になった黄色い瞳を見上げる。だがううっとカグツチの呻き声が聞こえ、両者共に視線をやった。
刹那、「オラア!!」と怒鳴りながら突っ込んできた牛が起き上がろうとしたカグツチを抱え込み、そのまま空高く放り投げた。
馬頭の片割れである牛頭は同じく黒い身体と顔に白い模様があり、水牛のような立派な角があった。打ち上げられたカグツチを見上げる。
『大王! ご無事で!』
大股でやってきた牛頭に少し驚きつつも「刺されたけどな」と呟いた。
『まあ、それは後で治せるでしょう。地蔵菩薩様もいるようだし』
楽観的に言う牛頭に馬頭が呆れたようにかぶりを振る。真っ黒なたてがみが揺れた。
どんっとカグツチが地面に落ち、牛頭馬頭は閻魔に背中を向けた。その縦にも横にも大きな身体の隙間から様子を見る。
『牛頭、分かってるな』
『おう。手加減は、』
『なし!』
瞬間、同時に走り込むとまだ起き上がるカグツチを押さえ込んだ。喚く声と共に炎が一気に湧き上がる。幾ら牛頭馬頭でもと思った閻魔が駆け寄ろうとしたが、ずきんっと腹に痛みが走って思わず声が漏れた。
然し二人はものともしない。がっと牛頭が頭を掴み、力を入れる。めきめきと軋んだ音が響き、それに合わせて炎が揺らめいた。
ばきんっ! と大きく音が鳴った瞬間にあれだけ暴れていた炎が消えた。顔をあげる。牛頭馬頭が立ち上がって振り向いたのが見えた。
「……平気なのか」
腹を押さえつつ近づく。カグツチは口を開いたまま白眼を剥いており、頭の形が潰されたトマトのようになっていた。
『ええ。地獄の業火に慣れているからでしょう』
『でも大王、思いっきり怪我してるぜ?』
『あー、なら世界観が違うせいか……』
二人の大きい身体に挟まれたまま、閻魔はふっと息を吐いた。
牛頭馬頭は人間の姿に化けると改まった調子で片膝をつき、頭を垂れた。
「大王、よろしければ我ら牛頭馬頭を傍に置いてくださいませんか。決して足手まといになるような事は致しません」
馬頭は長い髪をポニーテイルに、牛頭は短く切り揃えていた。顔立ちも堅物そうなのとやけに元気そうなので、白かった模様は赤色に変わっていた。
着流しの裾と垂れた袖が汚れるのも厭わずに背中を丸める様子に、姿も性別も違うがなんとなく娘達と重なった。
「寧ろ我から頭をさげたい程だ。よろしく頼む」
すっと手を出す。牛頭馬頭は顔をあげる事もなく、「はっ!」と声を揃えた。
「一先ず一難去ったが……まさかカグツチが生きていたとはな」
ふうとイザナギが溜息を吐く。閻魔は地蔵菩薩にある程度傷を治してもらい、牛頭馬頭を引き連れて彼のもとにやってきた。
「……本当に殺したのか?」
睨むように言う。イザナギの眼が向いた。
「なんだあ? 疑ってんのか」
軽く笑う。閻魔は「誰も信用できんのでな」と返した。危険を承知で助けようとしたヤミーと、彼の後ろでじっと胡座をかいている牛頭馬頭だけは例外だが。
「それより、牛頭馬頭、今までどこで何をしていた。全く情報がなかったぞ」
視線を後ろにやる。馬頭が答えた。
「申し訳ございません。完全に隠れ、逃げておりましたもので……恐らくイザナキ様が送ったであろう者達からも察知してすぐに離れておりました」
まるで戦国時代の武士のような雰囲気にイザナギは「まあそれが当たり前だな」と呟くように返した。
「カグツチの死体は一応埋めておく。あれでも神だし、世界は違えど子だからな」
杯を手にとる。閻魔は少し見たあと立ち上がった。牛頭馬頭も後に続いた。
「なんかあのイザナキ様、鼻につくなあ」
外廊下を歩きながら牛頭が首を捻った。それぞれつけている甲冑の一部や綱についた金具の音が鳴る。
「お前らもそう思うか」
立ち止まり、振り返った。
「ええ。後ろに控えておられたイザナミ様には驚きましたが、特に妙な違和感はなく至って普通でございました。然し」
イザナギだけ、なにかしこりのようなものがある。その中身がなんなのかまでは流石に分からない。
「そういや大王、ヤミー様もおられますよね」
牛頭が頭の後ろで手を組みながら訊いた。
「ああ」
「どのようなお方なんですか?」
すぐには答えなかった。ただ一言。
「信用は出来るが、戦力にはならん」
太陽が沈み、一転して深い夜の空が広がった。大きな満月と星々になんとも言えない不快感を覚える。わざとらしい。
喉や腹は満たされたままだが眠気は襲ってくる。襟元を軽く正して畳の上に寝転んだ。牛頭馬頭は両方の外廊下で胡座をかいており、牛頭の方は少し頭が揺れていた。
すっと夢のなかに入る。また日常の何気ない風景が繰り返される。だが今度は一人称視点ではなく、三人称視点だった。
まるで遠くから映像を見ているような、不安になるような感覚だ。それになぜか自分の顔は見えず、のっぺらぼうだった。
自分らしき人物の後ろを幽霊のようについて回るだけで、触れる事も話す事も出来ない。子供達も部下達も恋人も、みなのっぺらぼうな男だけを見て接してくる。
「大王」
不意に声が聞こえ、眼を覚ました。視線をやると馬の垂れた眼と合った。
「酷くうなされておりましたが」
正座で覗き込む馬頭に息を吐き、仰向けになった。
「夢を見た」
軽く内容を告げる。馬頭は静かに聞いたあと、「そうでしたか」と呟いた。
「私で良ければ傍におります」
無表情で淡々とした声だが、なんとなく落ち着いた。
「牛頭は?」
「恐らく外で寝ております」
「中で寝させてやりなさい」
ふっと子供に対する口調で言った。馬頭は軽く眼を見開いて瞬きしたあと、「承知致しました」と立ち上がって障子を開けた。
軽く牛頭の頭をはたく。「ンだよお」と嫌そうに振り返る彼に部屋を指しながらぶっきらぼうに言った。その様子を眺め、少し笑った。
刹那、女の悲鳴が響く直前、馬頭が耳を動かして反応した。
「イザナキ様のおられる部屋だ」
すぐに死の気配が漂ってくる。閻魔も立ち上がり廊下に出た。
「お前らの方が速いだろう。先に行け」
その言葉に肯き、馬を先頭に走り出した。どすどすと木を打ち鳴らす。走りながら二人の身体は変化し、足音の重さも大きさも変わった。
『イザナキ様!』
障子を開け放つ。
「牛頭馬頭、どうしましょう……」
仮面をつけたままのアマテラスが振り向く。腕にはイザナギの身体があった。
『焦げた臭いだ、カグツチ様の臭い……』
前に出た鼻を大きな手で覆う。その時、上からどんっという音が聞こえた。瓦が数枚割れ、何かと同時に落ちてくる。
『……ツクヨミ様もやられた』
庭の方に放り出された身体にはあの特徴的な刀傷があった。
「くそ! きちんと殺したはずだろ! なあ?」
スサノオが刀を手に牛頭を見る。その睨みつけるような眼に肯いた。あれだけ頭を握りつぶされれば幾ら神でも死ぬはずだ。
閻魔は部屋には入らず、イザナミのいる屋根に登った。そこからカグツチを埋めた場所が見える。
「……」
土が掘り返されていた。中から這い上がったような感じだ。
どんっと音が響く。下を見る。牛頭が外廊下の柵を壊しながら庭に出ており、その懐には炎の塊があった。
『俺とやろうってのか!』
闘牛のように牙を剥き出し、炎諸共カグツチを掴んで頭突きを喰らわせた。かなりの衝撃に仰け反る。その隙を狙い、馬頭が後ろから背中を狙って飛び蹴りをかました。
勿論前に飛ぶ。飛んできたカグツチを下からの拳で打ち上げた。屋根の高さまで上がる。
炎が弱まった。瞬間閻魔が跳び、蹴りを鳩尾に入れた。
砂利が飛び散り、静寂が流れる。炎は完全に消え、白眼を剥いていた。
「……」
すっと足を離す。刹那、がっと足首を掴まれ、炎が一瞬にして駆け上がってきた。牛頭馬頭が反応する。
然しその前にスサノオの刀がカグツチの肩を貫いた。炎が消え、閻魔は体勢を崩す前に回転して立て直した。ただひりひりと左脚全体が麻痺している。
「バケモンが」
ぎりっと歯を食いしばるスサノオに、カグツチは無表情に視線をやった。瞬間、首が飛んだ。
アマテラスの悲鳴が響く。一気にSAN値が削られたのか、頭を抱えて泣き喚く様子に閻魔が舌打ちした。
「流石に太陽神が暴走したら我でもとめられん」
かと言ってどうする事も出来ない。牛頭馬頭が再度カグツチを追いはじめ、その流れで炎を纏った蹴りが放たれた。黒い腕で防ぐ。睨みつけた。
アマテラスの傍にふわりとイザナミが舞い降り、守るように何本もある尻尾で視界を遮った。それで幾らか落ち着いたようで、声が小さくなる。
然しその瞬間、猛烈な火炎噴射が部屋を突き抜けた。牛頭馬頭と閻魔を上手いこと引き剥がした一瞬の隙にだ。徹底的に殺ろうとしている。
『アマテラス様!』
牛頭が走る。
『馬鹿牛頭意識を逸らすな!』
カグツチが一気に牛頭の後ろに回り込んだ。殺すだけのダメージを与えたのは彼だ、恨みだらけのカグツチはまず彼からやろうとする。
炎の刃が牛頭を狙う。
どんっ。
カグツチが口を開いて体液を吐きながらくの字に折れた。牛頭の足が腹に命中している。
『牛と馬の後ろに立つんじゃねえ』
強烈な後ろ蹴りに身体が吹き飛び、向こう側の部屋の障子を突き破った。馬頭は安堵の溜息を吐き、閻魔がすぐに後を追う。
火柱が部屋を貫く直前にイザナミがアマテラスを抱えて退いており、屋根に彼女を降ろすと結界を張った。そうしてぐっと膝を折って跳び、カグツチのいる部屋の屋根に移った。
「どのぐらいやれば貴様は死ぬ」
ぐぐぐっと四肢と黒い腕を駆使してカグツチの身体を押さえつける。牛頭の反射的な蹴りがかなり効いたようで、炎がぷすぷすと音をたてていた。
がるがると狂犬のように喚いて暴れるだけで、理性は一つも残っていないように見えた。クトゥルフの操り人形になったのか? いや、口から垂れている血は赤い。だとしたらなんだ。
「牛頭! 馬頭!」
名前を呼ぶ。すぐに返事があった。
「イザナギの身体を調べろ」
その言葉に顔を見合わせる。
「訳は後だ。早くしろ。補佐官だろう」
ふっと左眼が見え、牛頭馬頭はびくりと身体を震わせた。『すぐに!』と答えて走り去る。カグツチに視線を戻した。
「時間稼ぎぐらいはできるだろう」
また炎が復活するまで、どうにか継続する必要がある。彼らが攻撃した箇所を狙うように頭を持ち上げ、頭突きをした。
『馬頭、これ、』
イザナギの懐から取り出されたのは小さな丸い何かだった。
『ヤミー様が持っていた、たぶれっととかいう物と似た雰囲気だな』
戦国時代の日本からやってきた二人にとって、それは未知の物だった。だが小さく点滅する物体は機械であり、他にも探ると似たような物が出てきた。
『ヤミー様と似た世界から来た訳でもないだろうに、なぜ……』
畳に散らばった機械達を見て、抱いていた違和感を膨らませた。刹那、頭上を何かが通り過ぎていく。障子を突き破り、向こう側にある浜まで吹き飛んだ。
なんだと立ち上がった時、背後からカグツチが迫って来ているのが見えた。
同時に蹴りを放つ。然し避けられ、猛スピードで駆け抜けた。
『チッ。もう対応されてら』
すぐに駆け出し、恐らく吹き飛ばされた閻魔とまた炎が再熱したカグツチを追った。
ややあってイザナミが部屋の前に降りる。ぐっと首を下げた。かかっている般若の面が揺れる。
『……やはりか。裏切り者め』
強かな中年の女の声で呟くと前脚をあげ、イザナギの顔を踏み潰した。
「くそ、」
けほっと咳を漏らす。浜の綺麗な砂を纏いながら立ち上がった。瞬間、弾丸のような炎が飛んできた。
腹にぶつかる。同時に焼ける。だがいつまでもやられている訳にはいかない……黒い手で掴み、膝蹴りを叩き込んだ。
カグツチは閻魔が自分の炎に弱い事を既に知っている。がっと肩を掴んで更に力を強めた。
ぎりっと歯を食いしばり、引き剥がすつもりで殴り、引っ張り、蹴った。それでもびくともしない。いや眼は朦朧としているがこのまま焼き殺す気だ。
『大王!』
響く牛頭馬頭の声。砂を巻き上げ、馬が大股で走る。
その時、りんっと鈴の音が鳴った。瞬間、閻魔の拳が腹に入った。耐えていたカグツチが呻き声を漏らし、手を離した。明らかに反応が違う。
また鈴の音が鳴る。今度は馬頭の回し蹴りが頭に入った。えぐい程の音を奏でて身体が揺らぐ。
次も鈴の音が鳴る。牛頭のタックルがぶつかり、ぼきぼきぼきっと腰骨を中心に骨が折れた。
ばふんっと砂を巻き上げて倒れる。閻魔がすかさず跨り、髪を掴んだ。
『殺れ』
女の声が間近で聞こえた。まるで唆されるようにして力を入れ、引っ張った。ぶちぶちぶちっと皮膚や筋肉がちぎれ、骨までちぎれた。
髪を掴んだまま腰をあげる。炎は完全になくなった。
『まだだ』
後ろから来たのはイザナミだった。振り向く。
「この力、お前の仕業か」
イザナミは牛頭馬頭を押しのけてカグツチの近くまで行くと、なんの躊躇いもなく前脚をあげて心臓を狙った。骨を砕き、そのまま心臓を踏み潰す。するとカグツチの身体は一瞬にして白骨化し、閻魔の手から髑髏が転げ落ちた。
『骨んなった……』
牛頭の呟きにイザナミは閻魔の質問に答えた。
『有り余る力を振るってどうだった。気持ちが良かったろう』
若干震えた声に「ああ」と答え、骨を見下した。
「なにかまだ、我らが知らぬ力が働いているようだな」
こぼれ落ちた髑髏は丁度波の当たる位置にあり、重さで濡れた砂にめり込んでいた。
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