第4話 Re:肉の焼ける臭い

 ヤミーの捜索は地蔵菩薩を筆頭に行い、その間閻魔は他の者と軽く挨拶を交わしてから屋根のうえで身体を伸ばした。一先ず安心出来る場所が既に作られていて良かったと思うが、同時にイザナギに対する微妙な違和感にモヤモヤとした気持ちがあった。

 何かがひっかかる。然しそれがなんなのかは全く分からないし、気のせいな気もする……。本当の身内が誰一人としていない以上誰かにこの事を言うわけにもいかず、モヤモヤを払拭するように寝転んだ。

「ヤミー様が窮地に立たされているようです!」

 不意に響いた声。ざわめく下界に立ち上がった。からんっと瓦が鳴る。出てきたイザナギが訊いた。

「状況は」

 報告してきたのは地蔵菩薩で、後から浮遊出来るツクヨミが神宮内に入った。

「劣勢です。相手は、」

「十に増えました」

 菩薩の言葉に被せるようにして言った。

「地蔵菩薩様が戻ってすぐにどこからともなく現れました」

 二人は戦闘能力がないため、手出しはしなかった。

「我が行く」

 とんっと屋根から降りた閻魔が静かに言った。視線が集まる。

「お前は病み上がりと同じだ。一人では行かせられん。天照」

 イザナギが娘に視線をやり、娘がそれに応えようとした時。空気が流れその場から閻魔が消えた。鳥居の先を振り向くと走り去っていく姿が一瞬見えた。

 ヤミーはSF映画のようなぴったりとしたスーツに身を包み、口元を統一されたデザインのマスクで隠していた。だがその眼は周囲をぐるりと覆った妖怪達を睨み、少し怯えていた。

 足元の地面がかなり濡れており、ヤミーは何度か空咳のようなものを繰り返した。何度やっても湧いて出てくる、自分の体力だけが無駄に減ってゆく。

 どうするべきか、じりっとブーツの底を滑らせた時。眼前でふわりと舞う着物があった。

 閻魔は一瞬で核の一つ、親となる個体に踵を落とした。瞬間、囲っていた妖怪達が消える。

「ヤミーか」

 振り返りながら問う。

「兄さん!」

 然しばっと抱きつかれ、流石に驚いた。

「……すまないが、本当の兄妹ではない」

 離れてほしい、その思いで口にしたが、ヤミーはすりすりと胸板に頬ずりしてきた。これが元の世界の妹なら何も思わないが、明らかに見た目が違う。明らかに世界が違う。

 腕を出してなるべく優しく引き剥がし、まず探していた事を伝えると眼元をうるうるとさせて肯いた。かなりのブラコンらしい……息を吐きつつ手を離し、なんでもいいから神宮に一緒に戻るように言った。

 チャックをさげてマスクを外すと、インド系の美人な顔がよく見えた。胸元には曼荼羅のような模様がある。

「それで、お前の力は?」

 イザナギの問いに「水を操る力と、死を操る力」と答えながら左右の手にそれぞれの球体を作ってみせた。片方は水だが、もう片方は黒くどんよりとした何かだ。

「二つも持っているのか」

 顎髭を触る。閻魔は後ろの方で二人のやり取りを見ていた。

「私の世界では兄は閻魔にならずに私のなかに入ったの。それで死を操る力を手に入れた」

 曼荼羅を隠すように胸元に手をやった。どこか嬉しそうな表情にイザナギは鼻で笑い、少し身体を傾けた。

「閻魔よ。かなり癖のある妹だが、どうだ」

 響く声に一瞥をやったあと、「問題ない」と答えた。

 とはいえ彼女の兄さん愛は強烈なものであり、どうやら夫婦関係でもあったそう。素っ気ない反応を続けてもお構いなしに距離が近く、平気で胸を押しつけてくる。

 あの妹がふざけていると考えればいいのか……そう無表情に煙管を咥え、煙を吐いた。

 以前から続けていた情報収集に閻魔とヤミーも加わる事になり、幾らか時間が流れた。

「各々の神話や宗教で建物が集まっているみたいだな」

 空を飛べるツクヨミが描いた簡易的な地図を広げ、イザナギが呟いた。アマテラスや地蔵菩薩、閻魔などの主要な者が地図を取り囲んで覗き込んだ。

「そして派閥も既に出来上がっている。我々日の本を入れて大体五つ」

 筆を取り出すとまずは地図の端の方に丸を描いた。これは日本の派閥だ。

 次は下の方に丸を描いた。これは中国、インドの派閥。道教やヒンドゥー教辺りが集まっている。

 次は真ん中の辺りに描く。アメリカの派閥でキリスト教が主だ。

 その少し上はヨーロッパ、エジプトの派閥であり、ギリシャ神話やエジプト神話、北欧神話などかなりの数がつどっている。

「他にもアステカ神話やローマ神話などもある程度纏まってはいる」

 ただ問題なのはここからだ。イザナギは日本の派閥とは正反対の端に点を打った。

「ここにも北欧神話の派閥がある。だがこいつは妖怪の類が集まってるとこだ」

 ボスは恐らくロキ。北欧神話の神だがラグナロクを引き起こした元凶だ。

 彼の子供達であるヨルムンガンドやフェンリルを筆頭にメデューサや九尾の狐、バフォメット、グールやキョンシーなど数多くの悪魔や妖怪が百鬼夜行のように集まっている。

「他の派閥とも連絡をとりあっているが、どの神話の化け物も向こうについたらしい。残っているのは弱小だ」

 筆を置き、一つおいた。

「それに面倒なことに、八岐大蛇も向こうについた」

 日本神話最大の化け物だ。アマテラスの後ろにいるスサノオがぴくりと反応する。

「クトゥルフはこれがしたかったんだろう」

 溜息混じりに言うと顔をあげた。

「これは聖戦、ラグナロクと同じだ。例え死んでも生きてはいるが、クトゥルフに一泡吹かせてえだろう」

 にいっと、無感情だったイザナギの口元が歪む。賛同し、士気があがる。然し閻魔だけは変わらず違和感があった。

 神宮の正門には金剛力士の二人が門番を担っており、他では見られない組み合わせだった。真っ赤な鳥居の柱を背にじっと佇む。

 然しふっと影のようなものが横切り、片割れに視線をやった瞬間。その頭が浮いた。

 一つおいて首が宙を舞いながら身体の力が抜ける。守護神としてもう片方が気が付き掌を合わせた時。首がずりっとズレ、二つの頭と大きな身体は階段を転がり落ちて行った。

「……?」

 門番の二人が静かに弾かれたことに気がついたのは閻魔のみで、彼が背筋を伸ばして鳥居のある方を見たのをヤミーが不思議そうに問いかけた。

「兄さん?」

 無言で掌を見せながら立ち上がる。鳥居のある方角から嫌な気配が漂ってくる。何度も体験し常に対面している死の気配だ。同時に地獄の業火に似ているようで似ていない、肉が焼けたような独特な匂いが鼻腔を刺激した。

「イザナギに伝えてこい」

 ヤミーに嫌な気配がする事を短く言い、外に出た。静かな清められた空間だ。真っ直ぐに伸びる石畳と白い砂利、その先に赤い鳥居がある。警戒しながら近づいた。

「嫌な気配? 俺は感じなかったがな……」

 相変わらず杯を片手に寛いでいるイザナギに対し、「私も何も」と答えた。だが一目見て強者だと分かる彼が感じ取ったのだ、イザナギは立ち上がると他を集めてくるように言った。

「……焼けてる」

 膝をついたまま首の断面を見る。単に斬られたわけでなく、すぐに高温の炎で焼かれたような見た目で血は出ていなかった。腰をあげる。

 かなり強い奴だ。この世界に呼び出された仁王なら只者ではないはず、それを一瞬にして殺した……。閻魔はすぐに神宮内に戻った。

 境内には神仏が集まっており、彼が戻ってくるとイザナギが前に出て問いかけた。

「なんだ。なにが起きてる」

 閻魔は口を開いて答えようとした。刹那、一際強く焦げた臭いがした時、アマテラスの傍にいた女神の首が斬られた。

 じゅっと僅かに強い音がする。斬った瞬間に断面が焼かれており、血は出なかった。

 ざわめきがあがり、アマテラスが慌てて身体を受け止めた。

 仁王の前に結界が張られているはずだが、それをすり抜けてきたらしい。ただの妖怪や悪魔ではない……騒然とするなかで閻魔は集中した。

 ふわっと鋭い突き刺すような臭いと気配が背後から現れ、同時に熱さを感じた。瞬間、身体が反射的に動く。

 手首と首を掴みながら地面に押し倒し、がっちりと固めた。みなが気がついたのは彼がふっと息を吐いてからだ。

 押さえつけられたのは一人の青年で、波打つような髪と、炎がそのまま閉じ込められたような模様が特徴的だった。そして何より、息子と同じ気配がする。

「お前……殺したはずだぞ」

 イザナギが見下すように呟く。青年は横眼で男を睨みつけた。

「殺したのは偽モンだよ。マヌケ」

 忌々しい、なにもかもを恨みきっているような声音で吐き捨てた。

「……閻魔、そのまま殺せ」

 ふっと視線をやる。かなり気配が似ている。身体の熱さもなにもかも。

「閻魔。」

 イザナギの苛立った声にはっと戻され、首を掴む手に力を入れた。だが。

 じゅっと音が鳴る。

 反射的に首から手を離した。直後、炎で出来た刃が迫る。ここで殺されるわけにはいかない、相手を解放する事になるがその場から退いた。

 青年はふらりと立ち上がり、そのなにもかもを恨みきっている眼で閻魔を見た。

「ビビったのか?」

 イザナギが問う。じりじりと火傷のような痛みが掌を覆う。

「いいや」

 何を今更……だが年格好が似ているせいでどうしてもあの子がチラついて仕方がない。その時、炎が揺らめいた。

 黒い腕で防ぎ、首や頭を掴む。ごうごうと燃える髪や身体。傷だらけの腕は使わずに一瞬の隙で回し蹴りを放った。

 青年、カグツチは大きく離れ、鳥居の前で揺らめいた。前髪をあげる。これはかなり、苦戦しそうだ。

「お、お父上、援護をした方が」

「やめておけ。殺されるぞ」

 神仏達はその場から動けないでいた。カグツチの速さに追いつける自信がないのも確かだが、なにより彼の細い背中から放たれる殺意と闘争心が彼らを締め付けていた。

 少しでも割り込めば巻き添えを食らう。それに閻魔に上手いこと合わせられる者は誰一人としていない。

 一瞬で距離を詰め、拳を握る。だが煮えたぎるマグマのような下からの眼と合った時、一際強く炎と煙の臭いがして慌てて退く体勢をとった。

 ぶわっとカグツチを中心に炎が舞い上がる。間一髪で避けたものの、足先や着物の裾は見事に焼けた。

 地面に着地し、眉根を寄せる。地獄の業火とは質が違う……そう背筋を伸ばした時。

 炎を纏った手が眼の前にあった。身体が反応する。だがそれより先に顔を掴まれた。

 高温の炎。しかも神の力によるものだ。熱く焼ける感覚が一瞬にして頭を支配した。

「兄さん!」

 流石に身体が動く。ヤミーが水を操ろうとした。然し足元が光る。

 マグマが吹き上がる直前のような色にえっと視線をやった。ぶくぶくと蠢く。

 火柱があがる前に閻魔はカグツチを気合いだけで掴んで吹き飛ばし、ヤミーを肩に担いで離れた。その頬には焼け爛れたあとがあり、僅かに煙があがっていた。

 おろすとすぐに離れ、そしてイザナギに言った。

「手出しするな」

 通り過ぎる一瞬だったが弾丸のように言葉と声がこびりつく。イザナギは神宮のなかに戻るように言い、結界をそこに集中させた。彼の足手まといになれば我々も弾かれる。

 一つ息を吐く。風が吹いて耳飾りと炎が揺れた。

「いいのかよ」

 カグツチの言葉には返事をせず、息を吸った。

「無視すんなよ」

 ぶわっと炎に包まれた顔が眼前に来る。拳が放たれ、黒い腕だけで防いだ。それでもじゅっと焼ける音が耳の傍で聞こえてくる。

 防ぎ、受け流す。汗が全身を流れ、熱で頭がぼうっとしだす。

 然しカグツチの攻撃には癖があり、それが分かると受け流したあとに腹に拳を入れた。例え炎を浴びる事になっても構わずねじり込むように力を加えた。

 カグツチは吹き飛び、石を撒き散らして地面に転がった。腹を抱えてごほごほと咳き込む。

「くそっ、たれ」

 ぎりっと歯を鳴らす。

「くれったれ!!!!」

 瞬間、閻魔の足元が光り、同時にカグツチから炎の手が数本伸びた。

 上には避けられない。当たる覚悟で避けるしかない。

 火柱があがる前に横に避け、炎の手に背中を焼かれつつもまた火柱を避けた。明らかに火力が違う、恐らく避けにくい状況を作っているだけだ。とにかく足元にさえ気をつければ……。

 じゅっ。

 下の方から音がして視線をやった。揺らめく刃の先が腹から見える。

「……チッ」

 カグツチ本人への意識が逸れていた。熱い痛み。下手をすれば声が喉を震わせる程だ。

 炎の刃を刺されたまま首を掴まれる。黒い腕は避けるのに邪魔だからと消してしまった。出そうにも相手が背中にひっついているせいで無理だし、激痛でそれどころではない。

 足元が光る。先程より一層明るい。ぶくぶくと煮えたぎる。こんなところで終わるのか。あのバカげたタコ頭を殴る事も出来ずに……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る