第3話 Re:神宮

 閻魔と火車は少し心身を休めるため、近くの朽ちた寺に向かった。会話はない。火車も酷く疲れているし、精神への負荷も進んでいる。とても話題を探して話しかけられる程の元気はなかった。

 腹も喉も枯渇する事はない。だが疲れはある。薄暗くホコリ被った寺のなかで、閻魔は柱に寄りかかりながら眼を瞑った。

 すぐに睡魔が襲ってきて軽く夢を見た。それは普段通りの生活であり、息子達と遊んだり、仕事をしたり、それこそサタンと殴りあったり……なんの変哲もないつい昨日まで当たり前だった光景のなかにいた。

 ふっと眼が覚める。赤い瞳を左右に巡らせた。

 柱から背を離す。長方形に切り取られた外の世界を見て息を吐いた。

「火車、起きているか」

 煙草を吸っていないとやっていられない。そう思いながら振り向いたが、彼の姿はなかった。ざっと見渡す。広いが死角はないはずだ。

 立ち上がり、火車と名前を呼んだ。外にでも行ったのだろうか……いやわざわざ危険な事をする程バカではない。

「閻魔様」

 後ろから声が聞こえ振り向いた。だがいない。

「こっちっすよ」

 軽快な声。閻魔は視線をやらずに垂れてきた前髪を押さえつけた。

「くだらん」

 至極普通の声音。視線をあげると閻魔像があり、自身を見下していた。

「出てこい」

 その時、空気が変わった。彼のフィールドに切り替わった。

「……つまんねえ」

 はあと息を吐くとその場から消えた。次に現れたのは閻魔像の後ろ、視線の先には小柄な醜い鬼がいた。眼が合う。

 寺の外に蹴り出された鬼は天邪鬼で、火車を攫って閻魔を弄ぶ計画だったらしい。隅の方に縄で縛られ隠された青年を抱え、力任せに引きちぎった。

 軽く頬を叩いて起こしてやる。「んえ?」と呆けた声を出す人間から視線を外し、背中を向けた。

「離れるぞ」

 安全なところは一つもない。先に外に出る閻魔を追い、火車は寝ぼけた頭のまま慌てて足を踏み出した。

「出会ったのが閻魔様で良かったっスよ。マジで」

 調子が戻った火車が足元を見ながら言った。二人は石で出来た乱雑な階段を登っていた。

「神仏ならば誰に出会おうが大抵は安全だ」

「いやいや、閻魔様だから良かったんですよ。最初は怖かったけど……」

 へへへと笑う。だが先を行く神は調子が戻らないのか、反応を見せなかった。

 魂の色を見る。黒の後ろに白があり、時々躍動しているのが分かった。

「……閻魔様は休めたんですか。なんか助けてくれましたけど、」

「ああ」

 食い気味に答える。とても休めたようには見えない。何か、見えない何かに常に追いかけられているのか、ぴんっと意識を張り詰めていた。

「ううん……」

 だが自分が何かを言ったところで聞きはしないだろう、首筋を困ったように触り顔をあげた。

 すとんっ。

 僅かな音だった。然し本能的に感じ取った閻魔が振り向こうとする。

 そのあいだに火車の身体は傾き、足は宙に浮いた。

 だんっと階段のうえを跳ねたあとに、力のなくなった肢体が勢いよく転げ落ちた。閻魔は追いかけようとしたがぎりっという弓を引く音に止まった。

「……」

 下まで落ちた火車は眼を見開いたまま、額に矢が突き刺さった状態でいた。じわじわと血が広がっていくのが見え、ゆっくりと振り返った。

「……伊邪那岐?」

 視線の先、階段の最上階には、和弓を構える中年の男がいた。

 だが閻魔の眼にはよく知っている姿が映っていた。恋人である元の世界の方の伊邪那岐がそこにいた。勿論、矢をつがえた状態でだ。

「なぜだ、」

 彼にはあの人が人間を撃ったように見えていた。反対に中年の男は閻魔の様子を見て弓を下げた。

「まずいな」

 ぼそりと呟いた。瞬間、飛び出した閻魔と同じ高さで眼が合った。その双眸に光はなく、虚ろだった。

 どんっ。茂みから飛び出してきた大きな獣の身体がぶつかり、彼はもろに受けると反対側の茂みに木々をなぎ倒しながら吸い込まれた。

 狐をベースに狼や猫が入り交じったような獣で、切り落とされた頭の代わりに般若の面がぶら下がっていた。眼は見えているのか、閻魔が大木に寄りかかって俯いているのを確認するとイザナギに擦り寄った。

「よくやったぞイザナミ」

 無表情に肩の辺りをとんとんっと叩く。そうして火車の死体と眼を合わせたあと、踵を返した。

 階段を少し進んだ先には赤い鳥居と広大な神宮が居を構えていた。そしてよく見ると結界が既に張られており、なかには人型や異形を問わず神仏と分かる者達が各々過ごしていた。

「おかえりなさいませ、お父上様」

 うち一人が出てきて出迎える。見目麗しい女だが、カラスのクチバシのような形の仮面をつけており口元が僅かに見えるだけだった。

「天照、問題はなかったか」

 手元にあった弓を他の神に手渡しながら言った。

「特には。それより、」

 表に出ている神仏達の視線はイザナミの背に向かっていた。それにイザナギは「ああ、」と前置きしてから振り返った。

「閻魔大王だ。連れの人間を撃ったせいか錯乱してな。これに体当たりされて気を失っている」

 アマテラスは「人間が……?」と口元に袖をやり、閻魔大王と聞いて雲に乗った地蔵菩薩がやってきた。軽く覗き込む。

「とても閻魔様には見えませんが」

 若い見た目と傷だらけの身体に、地蔵菩薩は眼を瞑ったまま訝しげにイザナギを見た。

「雰囲気からして間違いない」

「それは、そうですが……」

 ううんと唸りつつもふよふよと周囲を巡り、心配するように見つめた。すぐには目覚めないだろうということで神宮内に匿う事になり、空いている一室に寝かせた。

 閻魔の傍には地蔵菩薩がつき、他はいつも通りに過ごした。

「かなりの手練だろうに、あれでもタコの影響は受けるんだな」

 ぐっと酒を飲む。眉間に深い皺を寄せつつイザナミに聞かすように言った。

 獣は話す事が出来ないようで、頭もないから聞いているのかいないのかも分からない。それでもイザナギはぶつぶつと呟き、イザナミは静かに耳を傾けた。

 神宮内の一室、閻魔はがばっと起き上がると驚いたように掛け布団を見た。

「おはようございます」

 横からの声に視線をやる。雲の上に乗った小さな仏に少し警戒を解いた。

「地蔵菩薩、か?」

「はい」

 肯く小さい顔にふっと息を吐き、身体から力を抜いた。なんとなく落ち着く。ここは危険な場所ではない。

「なにが起きたのか、」

 軽く額に手をやる。火車と一緒に階段を上がっていて、足場が悪いからと青年の事を気にしていたはずだ……それから……。

「閻魔様はどこまでここの世界について知っているのですか」

 すうっと前に出ると問いかけた。顔をあげる。

「クトゥルフが作ったらしい事と、恐らく別世界から様々な者が呼び出されている事と、」

 ルシファーの件を口にした。地蔵菩薩は優しそうな慈悲深い顔をそのままに肯いてから、閻魔が知らない事を軽く説明した。

 全員平等に精神の負荷があり、これは恐らくクトゥルフ神話が持つ性質のせいだ。所謂SAN値と呼ばれているもので、どんなに強靭なメンタルを持っている守護神でも破壊神でも確実に削れていく。

 そしてSAN値がゼロの状態になった時、錯乱する。閻魔は元々削れていた時に火車の事があってなくなってしまい、錯乱しかけたのだろうと地蔵菩薩は締めくくった。

 分かった瞬間にイザナミが体当たりし、運良く気絶したお陰で元に戻っただけで、大体は錯乱したら死ぬまで止まらないらしい。詳しい事は流石に分からないとかぶりを振った。

「……なぜイザナギは火車を殺した」

「それは直接聞いた方がいいかと。案内致しますよ」

 ふわっと閻魔の眼前から消えると、外廊下に面している障子を開けた。ややあって布団から立ち上がり、先導する仏のあとに続いた。

 中央、扉が勝手に開き、広い木の板の上に男と獣が座っているのが見えた。息を吐く、自分の知っている伊邪那岐命ではない。

「調子はどうだ。平気か」

 杯を片手に視線もやらずに問いかけた。なにか鼻につく、日本の父なのだから偉そうなのは当たり前だが、なにか、なにかが違和感として漂っている。

 閻魔は何も返さずに胡座をかいた。地蔵菩薩は扉の近くでふわふわと浮いており、雲の音とイザナミが纏う青い炎の電子音が聞こえるだけだ。

「人間について、聞きたいようだな」

 くっと酒を飲む。返事はしない。

「ふん。信用されてねえか」

 はあと姿勢を正し、杯を置いた。真っ直ぐに閻魔を見ながら話を始めた。

「あれは正確には死んでいない。ただこの世界から弾かれただけだ」

 その言葉を素直に信じる気はなかったが、同時にほっと安堵する気持ちがあった。瞬きをして口を開いた。

「元の世界に生きたまま戻れる、という訳か」

「そうだ。だが奴らはそこまで甘くはない」

 奴らという言い方にムカつくハゲ頭を思い出した。

「戻りはするし、生きているのも確定している。だが昏睡状態となるし、その世界にいる連中からすれば目覚めるかどうか分からない。本人の魂も暫くは暗闇のなかで独りだ」

 手の込んだ演出に「そんな事をして、奴らは楽しいのか」と呟いた。イザナギは嘲るように答えた。

「神仏と化け物だらけの世界に人間を呼び出したような奴らだぞ。噛めるだけ噛んで楽しむつもりだろう。反吐が出る」

 反響する声に視線をやる。

「人間をわざわざ、弾いたのはなぜだ。一緒に連れてこれば良かっただろう」

「無理だ。どっちにしろ人間からすれば危険な場所だ。かなりの神仏を集めたが、それでも目覚めていなかったり行方の分からない者が多い。正直人間一人に人員を割ける程の余裕はない」

 淡々とした声音に問いかける。

「我の気配を感じて出てきたのか?」

「半分そうだな。そしたら話題の人間がいたから射抜いた。どうやらここでの体験は記憶として残るようだからな、早い方がいいだろう」

 イザナミの大きな身体に身を預けながら言った。ここでの時間の流れがどうなっているのかは不明だが、短時間で神宮を見つけ、そこに主要な神仏を集めたこの男の実力はかなりのものだ。だがなにかが引っかかる。

「イザナギ、クトゥルフが手を出してくる事は知っているか」

 地蔵菩薩に話したルシファーの事を彼にも話した。それは知らなかったようで、身を乗り出しながら真剣に聞いた。ややあって顎髭を触りながら床の木目を見る。

「それはまずい。仏がいる以上、戦いを辞退する者は幾らかいるぞ」

「大丈夫だろう。そもそも戦うのではなく守る為だと言っておけば平気だ」

 それにここに呼び出されている世界線の仏達だ。簡単に戦意喪失するとは思えない。

「ふむ……お前が言うなら」

 ちらりと視線をやり、顎から手を離した。

「……お前に言っても素直には聞かないだろうが、単独行動は控えてほしい」

 命令口調を避け、お願いの体で口にした。

「だが、お前と親和性の高い者が分からんな」

 親和性、その言葉に少し考える。イザナギは見るからにイザナミと組んでいるし、サタンは最初にやってしまった。

 アマテラスや地蔵菩薩とも関係はあるが、それよりも近しい者はいる。

「ヤミー、牛頭馬頭、カグツチ」

 妹と子供達だ。本当はもっといるのだが、神話には乗っていない者達だ。その世界独自の人外はきっと最初から対象外だろう。

「ううん、カグツチは世界観が合わなかったのか、俺を見つけるなり襲いかかってきてイザナミに食われたし、牛頭馬頭もどこにいるのか分からねえのよなあ」

 左上を見ながら考える。さらりとカグツチがもう弾かれている事を伝えられ、少し肩を落とした。

「残るはヤミーか。これは目覚めているって情報があるし、どこにいるかも把握は出来ると思う」

 ヤミーはヒンドゥー教の女神だ。日本の神ではないから、しっかりとは追っていないのだろう。

 望みがあるとしたらヤミーと、行方が分かれば牛頭馬頭もだ。どちらにせよ後者はかなり戦力になるはずだし、イザナギとしても探しておきたい気持ちがある。

「イザナギ」

「なんだ?」

「煙草の類はあるか」

 SAN値は元に戻ったようだが、一服して気を落ち着かせたい。閻魔の質問に「喫煙者か」と呟いて箱を手繰り寄せた。なかを確認したあと、床の上を滑らせた。

 受け取った閻魔は箱から煙管を取り出した。慣れない代物だがなんとか火をつけ、煙を吐いた。

「元の世界に戻れると言っていたな」

 味は悪くないが、いつもの煙草の方が好きだとぼんやり思った。

「どうしてそれが分かったか、だろ。実験をした。勿論その辺の妖怪を使ってな」

 わざとなのか、それとも仏の力が強かったのかは不明だが、千手観音が様々な世界を見通せる力を持っており、殺した妖怪の魂がどうなるかを追いかけた。

「結果として魂は元の世界に戻った。死んだらこいつは消えるが消えずにしっかりと揺らめいていた。その後も千手観音には様子を見てもらって、昏睡状態なのもその世界の奴らが祈っているのも確認した」

 白煙が薄く伸びていく。

「元々例の人間を探しにいくつもりで外に出た。近くに閻魔大王らしき男がいるという情報もあったし、俺自ら向かった」

 結果、神宮に続く階段で出会した。

「ここの存在は知ってたのか?」

「いいや。ただ安全そうだと感じて、火車を守る為に向かっていた」

「ふん。まあ人間は大丈夫だ。心配なら千手観音に見てもらえればいい」

 会話が途切れ、静寂が流れる。ややあってイザナギが訊いた。

「それ、呪いだろ」

 すっと指をさした。着流しの襟元から模様が覗いている。

「ああ。我以外に害はない」

「誰に受けた」

 閻魔は口には出さず、視線を獣にやった。首からぶらさがる般若の面が見透かすように向いている。

「……あまり会わせない方がいいか」

「いいや。流石にここまで姿形が違うと、何も思わん」

 とんとんっと煙管の灰を落とす。イザナギは「そうか」と置いてから杯を手にとった。

「一先ずヤミーを優先的に探す。それまでは神宮内で休んでおけ」

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