第2話 Re:操り人形
ぐしゃぐしゃになった煙草の吸殻を残し、場所を変えた。箱を取り出してなかを見る。既に一本もない。
新品を持っておけば良かったと瓦礫の上に登る。ざっと見渡したが眠っている者ばかりだ。叩き起こせば済む話だが、明らかに神仏の類がいる以上下手な事は出来ない。
あげた前髪を撫で付ける。耳飾りが揺れた。とんっと背中が軽く押され、振り向いた。
「お、お前、悪い奴だろ」
震えた声に少し眼を見開いた。そこにいたのは瓦礫を両手に持った青年。左手を髪から離す。
青年はぷるぷると震えながらもしっかりとした双眸で閻魔を睨みつけた。
「俺には、見えるんだ」
半ば言い聞かすような声音に口を開こうとした。一瞬止まってから顔を青空に向ける。クトゥルフの名を呼んだ。
すると青空が割れ、タコの頭が覗いた。それに青年はわっと驚いて瓦礫を落とす。と同時に片足を乗せている場所が崩れ、あっと思った時には身体が宙を浮いていた。
瓦礫の山はそれなりの高さだ。驚いた表情のまま自分の後ろを見る。途中途中に尖ったものが混ざっており、絶望の色がどんどんと表に出てきた。
終わった、そう青年は思っただろう。然しがくんっと身体が止まった。
視線をやる。
「平気か」
自分の腕を掴んでいたのは黒い手。赤い瞳に唖然とし、慌てて何度も肯いた。
彼の背中からは計六本の黒い腕が出ており、それらを普通に操って青年の服や肩を掴み、安定しているてっぺんの足場まで引っ張った。
どくんどくんと心臓が鼓動する。青年からは左眼が見えており、その何を考えているか分からない横顔を眼を丸くしたまま見つめた。黒い手は彼がもう落ちないよう、背中や腕を掴んだままだった。
『ほお、戦闘狂でも“人”は助けるのか』
嘲笑うような声音に口を噤んだまま見上げた。クトゥルフはふんっと鼻で嗤う。
『怒っているのか?』
「どう捉えるかは貴様次第だ」
ぎゅっと青年の身体を掴んだまま続けた。
「人間まで巻き込む必要はあるのか」
感情は読み取れない。然し戦闘狂とはいえ一人の裁判官であり、捨て子達の父親である。
『必要かどうかは貴様が決めるものではない。我らが決めるものだ』
全く反吐のでる声だ。閻魔は一つ息を吐くと無表情に言った。
「地の底に叩き落とす」
その言葉と向けられた笑みにクトゥルフは腹から笑った。嘲笑混じりだが、純粋におかしいと思って肩を揺らしているような笑い方だ。
『やってみろ』
だがどんっと転落したように声音が変わった。クトゥルフは閻魔を見たまま、またシーンが切り替わるようにして消えた。
青年からそっと手を離す。するとその場にしゃがみこんだ。
「大丈夫か」
人間からすればクトゥルフは恐怖の塊だ。上から見るだけでも震えているのが分かる。片膝をついて普通の手を見せた。とはいえそれも傷だらけだ。
「我は閻魔大王だ。お前は」
至って普通のトーンで話しかける。それに少し落ち着いたのか、青年は顔をあげて座り直した。
「草薙新太郎です。コードネームは火車って言います」
火車、その名前に合点がいく。“一応”妖怪の一人として呼び出されたわけだ。彼、火車の隣に胡座をかいた。
火の車と書いて思い浮かぶのは少女の姿をした一匹の猫だが、彼は正真正銘ただの人間だ。少しどうするべきか、なんとなく考えた。
「あの、さっきは、」
「良い」
言葉が途切れる。沈黙が流れた。
「お前、元の世界では何をしていたんだ。なぜわざわざ別名がある」
不意に閻魔から問われ、えっと声を漏らした。確かにコードネームなんて普通は持っていない、厨二病を拗らせたイタイ人間でない限りは。
火車は自身が元々いた世界について軽く説明した。そこでは特殊能力が存在し、彼は犯罪者やそれに準ずる連中を調査、対処する青年団のサブリーダーとして活躍していた。
勿論彼自身にも能力はある。それが火車と呼ばれるようになった所以だ。
「相手の魂の色が判る?」
「はい。例えば外面はめっっっちゃいいけど、実は極悪人の詐欺師でした、みたいなパターンの時に一発で見破れるんです。完全にサポート向きの能力なんで戦力には全然なってないんですけど……」
へへへと自虐的に笑う。茶色に染めた長めの短髪が風に吹かれる。
「十分立派な力ではないか。裁判官としては羨ましい」
無意識に煙草の箱を探る。然し掴んだのはからの箱だ。そこで先程確認した事を思い出し、少し固まった。普段の自分ならこんな抜けた事はしないのだが……。
「閻魔様?」
火車が不思議そうに首を傾げる。表情が分からない人だから、今どういう気持ちで感情で、気分がいいのかどうかも分からない。
それに、彼には見えていた。閻魔の魂が黒く濁っているのが。
「いや、」
箱から手を離す。思わぬ出来事に流石に疲れているのだろうか……はあと息を吐いた。この息が白煙混じりだったら……。
そう無意識に煙草を求めている閻魔の精神には、水圧のように負荷がかかっていた。これは全員平等のものであり、本人が自覚する事は死んでもない。精神的に参ってきているせいでニコチンをいつもより欲している。
「もしかして、煙草っスか?」
火車がパーカーのポケットからくしゃくしゃになった箱を取り出した。それを見て青年を見る。
「お前、未成年者ではないのか」
火車はすぐには反応しなかったが、「ああ!」と手を打って笑った。
「こう見えて二十六っス!」
背筋を伸ばして親指で自身を指す姿に「意外だな」と返した。煙草を一本受け取り口に運ぶ。
「よく言われるんですよねえ。コンビニでも年確されまくってます」
自分の事を話したからか、青年の口調は先程より崩れていた。とはいえどこか距離感がある。閻魔はジッポライターで火をつけ吸い込んだ。
「かっこいいっすね」
「ん、ああ」
指で煙草を掴み白煙を吐いた。この人間をずっと守るのはキツい。かと言って置いていける訳もない。日本の神仏もぱっと見た限りでは呼び出されているようだし、誰か確実に信用出来そうな奴に……。
その時、左手で青年の頭を掴みながら自身も下げた。頭上を何かがかすっていく。
えっと火車の声を聞きながら、片手を傍に置いてそこを軸に回転するように立ち上がった。視線の先には両手にショットガンを持った、天使なのか化け物なのか分からない奴がいた。
天使のような翼を持つ異形で、人型だが甲冑と一体化しているかのような見た目をしていた。全体的に白く、ところどころが金色で彩られている。パッと見た限りでは神仏側のように見えるが……。
「サタンと似た気配だな」
元の世界では覚えのない気配だ。だがなんとなく、鼻につく。
異形は口だけの顔で閻魔を見たまま答えた。
『当たり前でしょう。私はサタンの兄ですから』
合点がいく。敵討ちのつもりだろう。
「クトゥルフの考えている事が分からん」
いや、分かりたくもない。
「火車、その場にいろ。絶対に動くな」
背中で語るとふわりと膝を折った。黒い着流しが広がる。
一気に跳び、距離を詰めた。だが兄だけあってサタンより上手だ。銃身をくるりと回すと鈍器のように振るった。
視線を横にやり、ぶつかる直前で腕を出して防いだ。びりびりとルシファーの強さが伝わってくる。少しは楽しめそうだと地面に落ちる前に笑った。
一旦着地する。ルシファーは上から観察するように見つめ、もう一度回した。二つの銃口が閻魔を狙う。トリガーを引いた。
大きな光を纏った散弾が地面に撃ち込まれるのと、一瞬で移動し翼を引きちぎったのは同時だった。
ルシファーは鋭い牙をさらけ出して制御が効かなくなった重たい身体を動かした。然し意味はない。幾つかの手に真っ白な翼を持つ閻魔から、抜けた羽根がひらひらと舞い散った。
サタンと同じように地面に叩きつけられ、土埃が舞った。地面に降り立つと翼をその場に投げ捨て様子を見た。
落ちただけだから死んではない。ただもう戦う気力はないようだった、ショットガンは消えていた。
『っ……なぜ、こんな事になった』
地面にめり込んだまま呟いた。それに空を一瞥した。
「旧支配者共のせいだ」
ルシファーはまだ出会っていないようで、顔だけをあげた。その耳の近くまで裂けた口とのっぺらぼうに軽く説明してやった。敵意が消えた奴を相手にする程狂ってはいない。
『……思う壷だったという訳ですか』
ふうっと溜息混じりに言うと頭をさげた。ややあって起き上がるとその場に正座した。
『もう弟も翼もない。私にこれ以上戦う意思はありません』
手を組む。
『その実力ならば痛みもなく行けるでしょう』
神に祈るような格好に見つめたあと返した。
「元の世界でも死ぬのかどうかは分からんぞ」
だがルシファーは何も言わずに祈った。ややあって近づく。
「……少しは楽しめたぞ」
右脚をあげる。首に回し蹴りを打ち込めば一発で終わりだ。息を吸い、身体を動かそうとした。
刹那、空から黒い霧のようなものが降ってきた。どす黒いそれに本能的に危機感を覚え、慌てて飛び退いた。片手を地面につけたまま視線をやる。
黒い霧はじわじわとルシファーを包み込み、ドライアイスのように先端から空気に馴染んでいった。上を見る。眼をこらすと僅かに亀裂があり、先に広がる宇宙が確認出来た。
クトゥルフが何かしてきたのは確かだ。腰をあげ、警戒した。
ごっと鈍い音をたててルシファーの白い拳がこめかみにぶつかった。その力に抗えずに吹き飛び、地面に叩きつけられた。うつ伏せに倒れる。
一つ瞬きをした瞬間だった。人間である火車には何が起きたのか分からず、ただ閻魔が攻撃を食らったという事実に意識を向けた。
「閻魔様……」
足裏をつけて立ち上がろうとする。だが全身が震えているのが分かる。
その時、背中を向けるルシファーの頭がゆっくりと動き出した。
人間の青年を見る。
「え、」
身体が固まった。相手に眼窩は一つもないのに、確実に眼が合っていると分かった。
殺される。逃げなければ。
然し指の先さえ動かない。ずっと相手の身体の向きが変わる。
喉が渇いて唾を飲み込む。大きな足が一歩前に進む。
瞬きしようにも恐怖で出来ない。右の拳がゆっくりと引かれた。
瞬間的に火車には大きな影がかかった。涙が滲んだ眼は引かれた拳を見る。終わった。
その時、風が舞った。埃混じりのそれには僅かに煙草の匂いと焚き火のような匂いがあった。
上へ昇る龍の模様が眼に入る。瞬間、閻魔の拳が鳩尾にヒットした。
くの字に曲がった身体。耐えきれずにがはっと黒い液体を吐き出し、吹き飛んだ。とは言え重たい分飛距離は短い。
「そこから動くな」
右腕にかかった黒い液体を一瞥し、青年に言った。火車は声が出ず、伝わりもしないのに何度も肯いた。
空を見る。そこから腹を抱えて蹲るルシファーを見た。
明らかに気配が違う。どちらかと言えば……“クトゥルフに近い気配だ。”
「ちっ」
スッキリしないバトルだ。膝を折ると飛び出した。蹲っているあいだに畳み掛ける。
然しがっと脚を掴まれ、そのまま地面に叩きつけられた。とは言えそのぐらいでは怯まない。逆立ちすると同時に回転し、ルシファーの頬に踵を入れた。
横に転がる。だが軽く咆哮をあげて突進してきた。回転したまま華麗に立ち上がった直後にはぶつかりながら身体を抱え込まれ、重さも手伝って押し倒された。
そして拳が二つ、連続で速いスパンで繰り出される。腕が多いのを駆使して受け流し、防ぐが不利な体勢なのもあって元々の腕の方に痛みが走った。
この力も速度も、ルシファー自身のものだとは思えない。牙のあいだから涎混じりの黒い液体が垂れてくる。
「くそっ」
隙がない。このままでは負ける。
そう思った時、頭上から口笛の音が鳴った。高く、空に響き渡る音。
「こっちだ!」
人間の裏返った声に拳が止んだ。瞬間、ルシファーが上から消える。
「馬鹿野郎が」
すぐに起き上がり、後を追う。先程よりも閻魔の動きは鈍くなっており、足が地面につくたびに肘を中心に痛みが走った。
火車はぐっと拳を握りしめて仁王立ちを続ける。閻魔を信じて、その場から動かずに。
ルシファーの背後から黒い腕が蜘蛛のように現れた。瞬間、頭と首周りを一気に掴んで抱え、脚を胴体に巻き付けた。
全身に力を入れる。めきめきと軋む音が響く。ルシファーは吠えながら後退り、手を伸ばした。
がっと黒い腕と脚を掴む。じわじわと力が加わっていき、閻魔はこのままでは潰されると考え“引き抜いた。”
ルシファーの手には黒い腕だけが残り、唖然とした様子でそれを見た。閻魔の右側の腕は一本減っており、一つおいて再生した。
黒い腕は幾らでも替えが効く。ふうっと短く息を吐いてから挑発した。
ルシファーが火車から離れるように距離をとる。このあいだに他の化け物が彼を狙う可能性はあるが……そこは賭けるしかない。
ぼーっと突っ立っている人間を横眼で一瞥しつつ、怒涛の連撃を受け流し、回避を続けた。どうやらルシファー自身の身体が力についていけていないようで、白い皮膚が裂け始めていた。そのあいだから黒い液体が流れ出る。
翼を引きちぎった時は赤い血の色だった。あの黒い霧が入り込んで操っているのかなんなのか不明だが、少なくとも今のこいつはクトゥルフの操り人形だ。
壊してしまってもすぐに新しい人形は手に入る、だからこんな乱暴な扱い方をしているのだろう。とことん反吐の出るタコ頭だ。
「埒があかん」
連撃もパワーも凄まじいが、身体が壊れても止まる事はないだろう。それに体格差で言えば閻魔の方が小柄だ。柔らかさも違う。
一瞬、両方の拳がこないタイミングで膝を折ると足払いをかけた。意識が向いていなかったからか、素直にバランスを崩す。
倒れた瞬間、丁度頭の位置に足があり、そのままサッカーボールのように蹴り上げた。ぐきっと鈍い音が鳴る。流石にすぐには起き上がってこないだろう……。
刹那、閻魔の顔を余裕で覆う掌が影になった。眼を見開いてつま先に力を入れた時には遅く、がっと頭を掴まれると同時に地面に叩きつけられた。
硬い地面がひび割れる。ぎりぎりと掴んだまま押し付けられ、流石に抵抗する。
指のあいだから見えるルシファーの首は後ろに不自然に折れており、本人の魂自体はとっくの昔になくなっているような様子だった。まるでゾンビだ、しかも無駄にタフなゾンビ。
だがそんな事を考えていられる程の余裕はない。手首を潰す勢いで力を入れるが、同時に頭からめきめきと直接聞こえてきた。
更に地面が割れ、ひびが広がる。その時、ルシファーの腕が関節部分から大きく壊れた。
一気に力が緩くなり、攻撃しながら逃れた。鼻血を乱暴に拭って距離を置く。
「……」
肘の部分から骨が飛び出しており、肩もよく見ると外れていた。勿論もう声は出ない。痛む様子も見せない。
ただ首と片腕をぷらぷらさせたまま、ふらついた足で向かってくる。
ずざっと足首を捻り、横に倒れた。一つおいて立ち上がろうとするが身体がもう限界なのか、思うように動かせないようだった。
見ていられない。閻魔は足をあげると側頭部に踵を落とした。完全に脳が潰れたからなのか、蠢いていた身体が止まった。
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