第2話

 晶子は3人兄弟の長女である。2つ下の弟のマモルは、首都圏にある小さな印刷会社に勤めており、結婚もしていて二人の子供をもっている。3つ下の妹の和子は、地元の男性と結婚をして、実家から車で一時間ほどのところに夫と子供一人の3人で暮らしている。


 実家の家と土地は、父親の遺言により晶子が相続することになっていた。弟と妹からの異論は全く出なかった。それは昔、父親がこさえた借金のおよそ半分を、晶子が肩代わりしてくれたという事情を知っていたからである。父親は、末期癌と知ってからも、亡くなる一月ほど前まで左官屋として懸命に働いていたが、借りたお金を晶子に完済することなくこの世を去った。仮に今、実家の家と土地を売ったとしても、晶子が貸したお金には少し足りなかった。


 晶子が母親と一緒に暮らすことを決めたとき、マモルと和子は顔を見合わせた。


 あの二人、大丈夫か?


 実は、晶子と母親との間にはある遺恨があった。晶子は中学3年のとき、県立の女子校への進学を希望していたのだが、受験をするには学力が足りなかった。家には多額の借金があったため、私立の学校には通わせられず、どうしたものかと悩んでいたところ、当時の担任の先生から看護学校への推薦枠があることを聞かされた。


 晶子は課外活動に力を入れていたためその内申点が高く、成績がそれほど良くなくとも入れるだろうとのことだった。しかし、当時の晶子にとって、看護師は絶対になりたくない職業であり、看護学校に行くのを本当に嫌がっていた。一方、母親はどうしても晶子を高校に進学させたい一心で、晶子の同意を得ずに担任の先生と共謀して勝手に入学願書を出してしまったのである。


 結局、晶子は、看護学校に入学する他なかったのだが、意外にも晶子には看護師としての才能があった。それが次第に先生や周囲に認められることとなり、それをきっかけとして勉強に励むことができたのである。ただそれでも晶子は、母親に勝手に自分の人生を決められたという悔しさだけは、なかなか捨てきれないでいた。


 晶子が母親と一緒に暮らすようになってから、炊事、掃除、洗濯といった家事のほとんどを晶子がやるようになった。食事も一緒にとるようにしているが、二人の間に会話はほとんどない。もちろん、晶子が中3のときのことはもうずっと以前からお互い何も口にしていない。


 ただそれでも、母親が今なお晶子に対して何らかの負い目を抱いていることを、晶子はつとに感じていた。晶子が母親のために何かするたびに、母親は「どうもありがとね、晶子」と心を込めて丁寧に頭を下げてくるのである。


 そうして素直に自分を頼りにしてくれる母親の態度が、晶子の心を少しづつ寛解させていった。当時の自分が悪かった。勉強もろくにしないで県立高校に行きたいなんてとんでもない思い上がりだったと、晶子が自身で素直に受け入れられるようになったのは、一緒に暮らし始めてしばらくしてからのことであった。

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